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「イージー・ライダー」ホッパーさん死去 (2/2ページ)

2010.5.31 05:04
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「イージー・ライダー」ホッパーさん死去
1969年「イージー・ライダー」(AP)【フォト】

 反体制的な言動でハリウッドの異端児、反逆児と言われ、多くのファンをひきつけた伝説的名優が、がんで逝った。

 ホッパーさんは昨年10月に前立腺がんと公表。今年3月には末期がんで余命わずかと言われる中、ハリウッドの殿堂「ウォーク・オブ・フェイム」入りを果たし、ハリウッド大通りでの式典に出席した。これが、公に姿を見せた最後となった。

 自宅療養していたが、家族や友人が見守る中、現地時間29日午前8時15分に静かに息を引き取ったという。

 米カンザス州出身。栄光と転落を繰り返す俳優人生は、ハリウッドでもまれに見るほど浮沈の激しいものだった。

 舞台やテレビドラマ出演を経て、1955年に「理由なき反抗」、56年に「ジャイアンツ」と、ともに故ジェームス・ディーン主演の映画に出演。若手俳優の有望株として一躍脚光を浴びた。だが、まもなく演技法をめぐり監督と衝突、ハリウッドから追放された。

 69年に監督・脚本・主演した「イージー・ライダー」が大ヒットして映画界に復活。若者たちの無軌道なバイク放浪の旅を描き、ベトナム戦争の長期化など、当時の暗い世相を反映した内容が多くの若者を魅了した。60年代後半の反体制的な「アメリカン・ニューシネマ」の代表作となった。

 だが、次作の興行的失敗や配給元との対立で、またもハリウッドから追われた。私生活でも重度の麻薬中毒とアルコール依存症に苦しみ、70年代は表舞台から遠ざかった。

 86年「ブルーベルベット」での怪演が話題に。同年「勝利への旅立ち」でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、奇跡的に再起した。他にも、「地獄の黙示録」「スピード」などでアクの強い存在感を放ち、出演作は100以上にのぼる。

 日本では95年から放送された、アヒルのグッズと入浴しながら「アヒルちゃん」と呼ぶツムラの入浴剤CMが評判に。

 私生活では5度結婚。5人目の現在の妻とは、がん判明後に離婚訴訟の泥沼トラブルに。最後の最後まで、公私ともに波瀾万丈の生涯だった。



フォト
1969年「イージー・ライダー」(AP)
1986年「ブルーベルベット」(ロイター)
3月のハリウッド殿堂入り式典に出席したデニス・ホッパーさん(右)。盟友のジャック・ニコルソンと笑顔を見せたが、2カ月後に帰らぬ人に…(ロイター)
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