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“ハリウッドの異端児”ホッパー氏死去

 今年3月26日、ハリウッドの殿堂入りを果たし、盟友ジャック・ニコルソンと笑顔を見せるデニス・ホッパーさん。これが最後の姿となった(AP=共同)
 今年3月26日、ハリウッドの殿堂入りを果たし、盟友ジャック・ニコルソンと笑顔を見せるデニス・ホッパーさん。これが最後の姿となった(AP=共同)

 「イージー・ライダー」「ブルーベルベット」などの映画で知られる米国の人気俳優デニス・ホッパーさんが29日、前立腺がんによる合併症のため、ロサンゼルスの自宅で死去した。74歳だった。のべ200作以上の映画やドラマに出演し、最後まで俳優として生きたホッパーさん。一方で私生活では5度の結婚を経験し、アルコールやドラッグにおぼれ、数々のトラブルでハリウッドを“追放”されるなど波乱の人生を歩んだ。ハリウッドの殿堂入りを果たしてから2カ月。“ハリウッドの異端児”は星となった。

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 前立腺がんで余命わずかといわれていたホッパーさんが、妻や6歳の愛娘ら家族と友人にみとられ静かに旅立った。

 若者たちの放浪の旅を描いた「イージー・ライダー」(69年)で監督、脚本、主演の三役を務め、ピーター・フォンダ、ジャック・ニコルソンと共演。低予算だったが大ヒットし、アメリカン・ニューシネマの代表作となり、一躍有名になったホッパーさん。「イージー・ライド」とはいかなかった人生もまた、“異端児”にふさわしいエピソードにあふれていた。

 米カンザス州生まれ。映画「理由なき反抗」(55年)と「ジャイアンツ」(56年)への出演をきっかけに、主演のジェームス・ディーンと友人になった。「彼には影響を受けた。生き方もスタイルもマネしたよ。その結果、いろいろトラブルを巻き起こしたけどね」と晩年、明かしている。

 70年代にはアルコール依存症や麻薬中毒、出演作の監督と衝突したり配給元とのトラブルでハリウッドから事実上追放され、表舞台から遠ざかったが、デヴィッド・リンチ監督の「ブルーベルベット」(86年)で復帰。その後も「スピード」(94年)での猟奇的な爆弾犯など、主役から脇役まで数多くの作品で個性的な役を演じ分けた。ほかにも「地獄の黙示録」「トゥルー・ロマンス」など100以上の映画に出演した。

 私生活では70年にママス&パパスのメンバーで女優のミシェル・フィリップスと結婚するも8日間で離婚。5度結婚し、47歳から6歳まで4人の子供がいる。

 09年に前立腺がんを公表。直後に5番目の妻、ヴィクトリアさんとの離婚を申請し、泥沼の離婚劇は亡くなるまで続いた。余命わずかと診断後の今年3月には、ハリウッドの殿堂「ウォーク・オブ・フェイム」の星を授与され、盟友ニコルソン、リンチ監督ら友人に囲まれて笑顔を見せた。この時、体重はわずか45キロ。公の場では最後の姿となった。






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