施設高卒の自分がやれる事を考えた結果、今の発信がある
Mariaの記事を読んで、出会った頃の彼女を思い出す。彼女の高潔な魂は彼女が中卒で留まらない事を物語っていた。中学を出て働きに出た彼女はさらに自己を磨き続けている。。わたし達はそういえば学歴の事でケンカした事はなかった。わたしと彼女はまるで鏡に映したように同じ世界を夢見ていたから。
だけど現実、中学を出て身寄りもない施設育ちは生き延びる事そのものが戦い、観念だけでは足りない現実があるのだ。だからその質まで問えない。だからアリスさんがお嬢様学校だろうが工業高校だろうが、わたしは何の関心もない。養護施設全部育ち&高校卒業の過去を経た今、子どもたちの最善の利益の為に何ができるかを考えて、悩んだり迷ったりしたその結果、独自の見解で発信している。
なによりもこのネット環境の整った生活があるのは、高卒以上の職場で出会った夫のおかげだと心から思っている。彼が大卒だから生活も安定している。中学を卒業しただけでは出会いにくい人々がいるのだ、それが現実だ。高卒であるという事は目に見えにくいけれど、こういう事なのだ。
だからわたしは考えた。子どもの最善の利益とはなんだろう?と。
中学時代に優れた子が危険な施設から高校へ通う事が最善の利益でもない。かといって、同じように優れた子なのに中学を出たら逃げるように施設を出ていき、苦労を重ねる事でもない。成績が悪くて挽回するチャンスに出会えない子ども。
やがてわたしは発信しているうちに里親家庭に光を見てしまった。頭脳の優れた子どもだけでなく、そうでなく、普通の子も里親家庭から高校へいけたら・・・。
せめて高校だけでも、施設を出て通えないだろうか。高校の間、お料理を里親家庭で習ったり学校生活というものを体験したりできないだろうか。何か方法を、方策を・・・と。
わたしは、今、このネット環境を最大限利用し、発信し続ける道を選択した。
一般家庭の人からみれば、何を大げさに?と思うだろう。だって家庭の人にとっては別に殊更意識する事じゃないから。でも養護施設出身者にとっては大げさな事なのだ。あり得ない事に近いのだ。そのあり得ないと思われる環境下で生きたわたしはMariaと出会い、発信する事を決めた。
そして改めて認識した。
自分は過去より何をずっと考えて生きてきたかが、彼女との出会いで見えてきた。
ならば、高卒としてやるべき事があると感じる。感じる感じないは人の勝手だ、他の高卒には求めない。しかしわたしは高卒施設育ちとしてやるべき事があると知った。
それは、中学を出て名もなく消えていく子たちの事を知ってもらう事。
養護施設で無愛着で身寄りもなく、相談する相手もなく、生きる子ども達がいる事を
救われたはずの児童養護施設の人権侵害の事を、施設内虐待の事を
養護施設しか知らないために、愛着障害となってしまう事を
里親家庭という道を教えられていない施設の子ども達がいる事を
先日わたしは、大学生の養護施設体験者の自助グループに気後れした。
わたしはとても参加できないと思った。彼らはそんな風に思っていないだろう。門戸を開いているようだから。でも大学生のサークルのように感じる養護施設体験者の自助グループに中卒の施設育ちが気軽に行けるか?
それはとても不可能だ。ひとりぽっちじゃないといくら言われても、気後れは止まらない。わたしは声無き声、踏み潰された子ども達の声を拾いあげて、世間へ発信したいのだ。
もともとわたしとMariaは、自助グループというよりは、人間を固定させた絆づくりを通して、世間へ発信している。この道以外に今は考え付かない。
わたしは高卒だと言いっ放しはしない。
どうしてもやりたい事がある、目指す道がある、止まらない発信がある。
それは、
この世に生れ落ちた親の育てられない子どもが、人並みに生きられるように道を示す事。
里親家庭への委託が進むように里親さんたちを少しでも応援したいという事
以上。
| 養護施設を出てからの問題 | 08時19分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑
ありがとう
ありがとう、いつも読ませていただいてます。少しずつでも着実に・・ですね。
| レイ@山口さん | 2007/03/13 17:51 | URL | ≫ EDIT