津山二葉園虐待事件裁判傍聴記「虞犯少年への対処を免罪符として、普通の子ども達が職員から虐待される現実」
5人の原告の元少年達は、以前よりかなり精神的にも強められているように感じられた。裁判が進むにつれ、自分達は被害を受けたという認識が徐々に心の中に落ち始めているのだろう。養護施設の中にいてはけして感じる事ができない自己肯定感覚を少しずつ強めてくれればと思った。
午前中から午後いっぱいまで被告側代理人との証人尋問で、とくに強く感じた事があった。それは恩寵園の裁判の時にもそうであったように、この津山二葉園での裁判でも証拠書類として出してきたのが、子どもの育成記録を(少年達に問題が見られる)証拠として提示し、それを元に語り続けているという事だった。
児童養護施設には、親が育てられない子どもだけじゃなく、虞犯少年達も措置されている。自立支援施設に行くか行かないかのボーダーで養護施設へ措置された子もいるだろう。彼らの存在がまるで職員が子ども達を虐待する事の免罪符になっているようだった。児童養護施設の実質的役割は「虞犯少年達に対処する為の更正と、少年達をいかに押さえ込むか」という事に苦心しているというスタンスを強く示していた。
つまり、彼らが不良少年であるがゆえに、うそをつく。という前提の元に育成記録は書かれていた。被告は 自らは虐待をしてないと言い張りながらも、結果的には、「虐待はしていません、by音声」『虐待されてもそれは不良少年達がいる以上仕方ないがない by副音声』で語り、それはわたしの耳には二重構造で聞こえるような錯覚を持つ程だった。
1人1人の性格に言及し(わたしが彼らと接して受けた印象はまるで違うものの)好き勝手な事を言っていた。これでは被告側弁護人も苦しいだろうと僅かに同情を覚えるほど、空気が読めない人だと思った。
でもその単純さゆえに物事の経過が、彼が語れば語るほど矛盾が浮上し、原告側の追求以前に自分で崩壊しているようでもあった。裁判の内容そのものにどこまで触れていいのか分からないので、このぐらいの表現しかできないが、わずかにお解かりいただけると幸いです。
今度は4月の19日に最終証人尋問が控えている。
わたしは又つたない思いで見守りたいと思った。わたしは裁判という戦いを経て、心の芯が強くなっていく彼らに会うのが少しうれしい。こわごわと裁判を傍聴されている元園生の方々も応援にきていた。少しずつ闘う彼らの姿に周囲も強められてゆく・・・。
彼らの中の1人は午前中の裁判の証人尋問が終わると昼食後、意見を求められ、「元園長がどんな言い訳をするか」という部分にも興味を覚えている語った。前はもっと不安におびえている部分もあったし、自分が本当にこんな風に訴えても意味があるのだろうか?という自問自答の中にいるように感じられたのに・・・わたしは彼らの内面的変化の兆しを感じて、うれしく思った。
ここからはもっと本音モード
それで、今回、強制的労働に関しても、養護施設の園長の副業?であるパン屋で働いたのは子ども達が自分からやった事で「店員の女の子めあて」「パンのつまみ食い」「施設にいけば集団だから」など、あくまで子ども達が自分でやったと言っていた。
あのね、朝の四時からパン屋に赴き、七時からしか入らない女の子たち目当てにがんばれる筈がないでしょう?早朝からパン屋でがんばれるか?子ども達自ら率先した割には、しっかりパン屋の制服も準備されていたり・・・。おいおい・・・と思った。何故施設職員はこうも往生際が悪い??
それに一千万円もの収益をパン屋+内職(紙袋作り)であげておきながら、数年後とに先細りする旅行でごまかし、お正月などは家に帰る子には、家に帰るという理由で旅行させず(賃金未払い)、その旅行だって、最初はディズニーランド代で200万くらいを使ったらしいが、毎年、シンプルな旅行(けちけちな旅行)へ変えられ、最後は20万くらいの旅行になってしまった。
後のお金はどこへ?
どう考えても子ども達は、働きに見合うだけの正当な賃金をもらってない。不透明な事があるのだ。
養護施設だから、社会勉強と称してパン屋で強制労働させる神経。この男は施設職員なのか、パン屋や内職で強制労働をさせる元締めか、わたしは、見届けてやりたい気持ちでいっぱいだ。
| stop!施設内虐待・別館 | 12時27分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
社会奉仕ですか
虞犯の子ども達を養護施設で引き受ける事も社会奉仕の一環なのでしょうか。問題を起こした少年を自立支援施設へ行かせる事に反対する実親もいるそうです。その場合は児童養護施設へ保護される形になる場合があると聞きました。
それも社会貢献なんでしょうか。
| レイ@jtwさん | 2007/03/08 01:59 | URL | ≫ EDIT