あれは施しか、それとも友情の表れか
主題テーマ:対等であるためには
施設を出てから数年後、クラスメートから連絡が入った。互いに働いていたが「家に遊びにきて」と言われ、彼女の家に行った。
わたしは毎日よく働いていた。でもアパート住まいだったので給料はほとんど生活費に消えていた。彼女は家にお金を入れているものの実家住まいだったので、遊びに誘われてもなかなかいけなかった。
そこで彼女は家に呼んでくれたのだろう。
わたしが行くと彼女の母が出迎えてくれた。わたしは彼女の家でひと時を過ごし、それぞれの近況を述べ合った。彼女はわたしが児童養護施設から学校に通っていた頃から、親が心配するにも関わらず、わたしと付き合ってくれていたらしい。彼女の時々の話を通して彼女の母が、わたしとの交流を心配している事は感じられた。
だれも養護施設の子と自分の子が友だちづきあいをすると知って手放しでは喜べない。親が心配するのは当然だと知っていながらも、彼女はわたしに何くれとなく連絡をくれた。でも、その優しさは時々重荷だったけれど・・・。
一通り話が終わり、帰る時になり、彼女の母が玄関先で紙袋を手渡そうとしていた。パンパンに膨らんだ紙袋だった。わたしは、すぐに反応できなかった。
しかし彼女の母親は、
「遠慮しなくていいのよ、娘が着られなくなった服なの、あなたに使ってもらおうと思って」と言った。
友だちは、
「遠慮しないでいいよ、ほんとに。もう着ないから」
と重ねるように言ってきた。
わたしはその時、孤立無援だと感じた。この場面でどういう心理的処理をすれば良いのか分からず、結果的にその紙袋を受け取った。
わたしは
「本当にここまでよくしていただいてすみませんでした、ありがとうございます」
と頭を2人に下げた(実は自分が何を言ったか覚えてないが)でも心は何も感じていなくて、早くその場を立ち去りたかった。「友だち」に何とも形状しがたい気持ちがわいたが、それが何か今も判らない。あまり好きじゃないわたしの為に娘の古着を渡した事もうまく理解できなかった。
もし、養護施設の子でなかったら・・・と帰り道何度も思った。もしそうでなかったら、紙袋いっぱいの娘の着られなくなった服をわたしに渡すだろうか?自問自答を繰り返した。それでもそれを受け取り、お礼をきちんと言わなくてはならない場面に誘導されていくような気分だった。
どんなものでも受け取り感謝する訓練は受けているのに、断る選択肢がある事をその当時は知らなかった。
わたしにとって、モノをもらう事がどんな事なのか、その時にはっきり意識化できた、しかし意識化できてもまだ文章化も言語化もできなかった。
その元クラスメートとは、すでに疎遠になっている。
あれは施しなのか、友情の証なのか、わたしは彼女の母親のその時の気持ちが、今なら判る気がする。わたしが養護施設出身者だから起こり得た出来事だと、今は強く思っている。受け取らざるを得ない状況だったのかもしれない、そうでなくては2人の母娘の顔が立たなかったのだろうと、この出来事を個人的に解釈している。
| 養護施設を出てからの問題 | 09時46分 | comments:19 | trackbacks:0 | TOP↑
わたし自身にも言える事ですから
リグレットさん、こんにちは。わたし自身、自分がボランティアをしようとする時に、とても色んなことに躊躇すると思います。それは、あまりに養護施設にいた頃に考える事が多すぎたからです。
わたしはボランティアや人の助けになるような行動とは何か?と考える必要を自分に感じています。とくに、自分とは遠くて知らない世界の人や子どもの為に、何かが出来るなんて、そのような勇気が持てないです。本当は困っている人の力になれるように考えるのが筋ですが・・・。
ですから「少しでも()養護施設の子ども達の為に何かをしたい」という気持ちを持っておられるリグレットさんや今、ボランティアを実際されている方々全て否定しているのではありませんが、それでも関わるときに、自分が普段から持っている感覚や自分の価値観やが全て相手にストレートに伝わるわけではないという事を、少しずつ考えていってくださればと思います。
これはボランティア活動などに勇気を持てない自分に対しても言える事です。もし自分ならばという観点から、考える事がいっぱいある会話でした。無駄とは考えていません、そしてリグレットさんの気持ち自体、否定されるものではありません。
ただ、わたしはボランティアをするという漠然としたイメージではあまり行動に移せず、そこに自分の信念のようなものがあった方が、明確化できると思いました。
そしてどうか、そんなに謝らないでください。
| レイ@リグレットさん | 2007/03/04 15:16 | URL | ≫ EDIT