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キズナの形


 職員とのキズナもどき

 養護施設に居た頃の過去を知りたいと思い、過去探しの旅をしていた時、当時のある職員にメールを出した。その時に、その施設で当然のように呼び習わしていた「○○兄さん」という書き出しで文面を書いてしまった。

 すると、元職員が返事の中で「僕はもう君のお兄さんじゃないので、普通に呼んで結構です」という内容の返事が返ってきて、内心しまったと思った。指摘されるのは当然なのだ、養護施設を出たらお兄さんでもお姉さんでもなくなり、先生でもなくなり、関わりはもうすでに消えている。お兄さんという関係は、施設を出たら解消するものだったのに、ついつい条件反射で呼んでしまった(恥)

 ※ 上記の事は追記ありかも。

 名ばかりの血縁とのキズナ

 養護施設出身者と一口に言ってもいろいろいる。家庭での虐待によって措置された子は家庭がある場合が多い、その家庭が機能不全であるという事で、親戚などとの付き合いは実親と比べると比較的良好な場合もある。その場合は親戚のツテを頼りに身を寄せる方法もある。精神的には辛い思いをするとしても、血縁との糸が切れるわけではない。わたしには名ばかりの親戚もいない、誰とも会った事がない、先祖も何もかも知らない・・・。

 夫の親戚の末期のキズナ

 夫の親戚が最近、連絡を取ってきた。60年以上前、義理母の長兄であるにも関わらず、家屋敷をあらかた売って資金を作り、一人旅で出ていった長兄。その跡目を義母が継ぐことになり、苦労したそうだ。
 
 その夫の親戚が、ガンになった為、心細くなり連絡をしてきた。嫁のわたしも動員され、見舞いにゆく事になった。ぷいっと出ていったきりなのに、最期の時を血縁に見守られて死にたいという欲求があると聞かされ、驚きあきれた。
 
 1人で旅に出た筈の人なのに、その道を貫けない事に驚いた。最後の最後にはこの親戚がいると知っているから、この長兄は旅に出た、そして休む時に戻ってくる。これも一つのキズナの形なのだとい知り、何か自分には根本的に欠落しているものを知る思いだった。

 夫との役割的キズナ

 「悪いけど、これは別れたら切れるキズナだから、血縁じゃない君は嫁としてのキズナだよ」とはっきり言ってくれる夫に感謝している。わたしはごまかされると現実が見えなくなりやすいので、はっきりと言ってもらわなくては困るのだ。だからこそ、期間限定の今を真剣に考えなくてはいけない。

 血縁によらない魂の絆

Wolfは言う。
 
 「あなたが結婚しようが離婚しようが、就職しようがプーになろうが、健康だろうか不健康だろうが、あほな事を言おうが、なかなかの事を言おうがwolfは、あなたの側に変わらずにいるからね」と。

 Mariaも言ってくれる

 「レイちゃん、いつも側にいるわよ、あんたがあたしを嫌いだって言っても側にいるわよ」と。

 養護施設出身者で、養育放棄児童で、なおかつ、家族との縁が全くない人は、どうがんばっても血縁親や親戚を探し出せない。相手が探さない自分なのに、自分から探す事はしない。血縁者からは、捨てられたという選択を成された自分は1人で生きるしかない。だから夫の親戚のような発想は浮かばない。

 夫の親戚は一族を捨てたが、一族は夫の親戚の男性を捨てなかった。その違いはあまりに大きい。

 でも、1人で生きるにしても、・・・死ぬにしても。普遍の存在があれば尚良い。絶対必要かどうかはわからないけれど、わたしは北極星を探すのが好きだったから、普遍の存在が欲しかったかもしれない。役割や、その時だけのせつな的な相手を繰り返す人も、こころの深い所ではだれか1人いれば、何かが違うのではないかと思う。

 色々な形のキズナをちょっと見て歩いてみました。

|  養護施設を出てからの問題 | 09時39分 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

未整理な為、分かりづらいと思いますが


 Maria、説明をどうもありがとう、分かりやすいです。リグレットさん、ご理解と配慮をありがとうございます。

 そして昨晩は、少しばかり言い方が強くなり、申し訳ありませんでした。リアルの悩みの渦中でもある為、ちょうど夫などと意見を交わしている内容と同期しているため、リグレットさんの単なる質問を、必要以上に受け取ってしまいました。整理が出来ていない部分が、こういう反応をしてしまう要因でもあります、本当にご意見をありがとうございます。
 
 わたしは昨日、

 「あなたはそんなに、血縁なんか関係なくあなたを思ってくれている人が現れたのに、何故、それを受け取る事ができないのですか?」と問われたのだと解釈しています。

 たしかにその通りです。

 血縁によらぬ、結婚相手もそうですし、WolfやMariaとの絆相手もそうです。困ったことに理屈ではとても理解している・・・脳ミソでは理解しすぎるほどしている。それなのに問題は自動的に、わたしが無意識にやってしまう事がたくさんあります。

   でもこの部分をまだ、わたしは体系的に捉えていないようです。自分の事なので客観視が難しいという面があります、愛着に関する部分を語るとき、驚かれる事も多いと思いますが、これからもよろしくお願いします。これからもこのテーマについては真剣に考えてゆきたいと思います。

| レイ@リグレットさん、了解しました | 2007/02/22 10:35 | URL | ≫ EDIT

Mariaさんへ 
そうだったんですか・・・よくわかりました。なんか悲しくなりました。それでは無愛着になってしまうのも無理はないですよね。いや、無理はないというのではなくて、そうしないと生きてこれなかったのではないでしょうか?愛着をもっても別れなければならないと、自分が傷つくから、はじめから愛着をもたない方がいいという風に自然となってしまったのですね。私はMariaさんレイさんの言葉にいらだってはいませんよ。もしそうゆう風に感じたならあやまります。それと、ずっとMariaさん、レイさんのブログを読ませてもらっていて、私が思うことは、2人ともとても頭がいいと思います。それとMariaさんの写真はいつも素敵だなと思って観ています。2人が里親さんを応援する気持ちもわかります。子供は食べ物や生活必需品だけあれば、生きていけるものではないのですね。大人の愛情が必要ですね。
これからもずっとおふたりのブロクを読ませていただきます。

| リグレット | 2007/02/22 08:08 | URL |

愛着を持ったとしてもいなくなるの

リグレットさん、

養護施設の平均在所年数は、
http://tokyo-yoikukatei.jp/data-room/korosho/200407chosa/04korosho-chosa.html
↑によると、4年なのね。

多くの子は、施設に来ては、家庭に帰っていったの。この、家庭→施設→家庭の子どもの流れに取り残された子は、1割程度いるの。

さらに、養護施設では、毎年のように部屋替えをして、子どもたちをシャッフルするの。

「みんなと仲良く」が鉄則の養護施設だから、特定の子とだけ仲良くすることは、これまた問題行動になるし…

子ども同士の愛着も、一年から数年で断ち切られるのが養護施設。

もちろん、職員平均勤続年数も、3〜4年だから、愛着も育ちようがない。職員一人で20人もの子どもを見ているのだから、家庭から来た甘え上手の子の方が、職員にかわいがられる。

それに、子ども同士で愛着を持ったとしたら、なにか救いになるのかしら?
子ども同士は、対等の関係なのだから、甘えたり出来るものではないわ。

どんなに仲良くなった子でも、逢ったときから、別れのカウントダウンが始まるの。別れてばかりの関係では、ある程度以上近づかないようになるの。

「さよならだけが人生さ」と子供のころから思っていたわ。

Leiちゃんやあたしの救いようのない言葉にいらだつのはわかるけど、養護施設の集団で育つということは、どうにも救いようのないことなの。

| Maria | 2007/02/22 00:37 | URL | ≫ EDIT

Mariaさんの文を読んで、少し無愛着が理解できました。ところで、養護施設で何年かを一緒にすごした他の子供には、愛着を持つことはできなかったのでしょうか?施設内では自分以外は全員敵なんでしょうか?中にはとても仲のいい友達はいなかったのでしょうか?

| リグレット | 2007/02/21 22:37 | URL |

無愛着は理解されないわね…

リグレットさん、こんにちは。

Leiちゃんの言うことが、愛着を持っている人には理解できないのも仕方ないと思うの。
家庭で育ち、愛着が空気のようになった人にとっては、空気がない世界が想像できないと同じなの。

無愛着とは、意識して呼吸をしなければ、呼吸するのを忘れて愛着が消えていくようなものなのね。

愛着とは、「仲がいい」とか「仲が悪い」とかいうものではないの。良くも悪くも、相手への気持ちを持ち続けられるということなのよ。

 仲の悪い家族でも、相手を憎み続けたり、ケンカをしたりしても、感情のつながりはあるの。憎しみのつながりというものもあるの。

 あたしがLeiちゃんを大好きだからといって、Leiちゃんの無愛着が直るわけではないの。あたしも、時間が経つと、人を好きな気持ちが消えていく。それを自覚しているから、毎日のようにLeiちゃんに電話し、薄れていく気持ちを補強しているの。

 三ヶ月、逢わなかったり、電話で話さなかったりしたら、あたしもLeiちゃんも、相手の事を忘れてしまうの。

 さらにややこしいことに、誰もいない一人という感覚の方が、「自分らしい」という根強いものがある。それを打ち消すために、意識して電話で話し続け、逢い続けている。

 子ども時代に愛着を学ばなかったら、大人になったから学ぶのは、生半可な苦労ではないの。一人でいた時間を超える年数、そばにいる人がいて、ようやく「ひょっとしたら一人ではないかも…」と思えるの。
 30年間、一人で生きてきた感覚を消すには、それ以上の時間がかかるの。人生に間に合うかしら? と、いつも思うわ。

 血のつながり云々の話ではなく、どれだけ長い期間、そばに居続ける人がいたかが、愛着を作る最大のポイントなの。

 里親さんの話を聞くと、里親家庭に来た年齢以上の年数、里親家庭にいて、ようやく、その家の子になっていくと言うわ。大人になってからの愛着作りは、基礎回路が出来ていないから、本当に難しいの。
 いま、Wolfさんやあたしがそばにいるから、無愛着が即座に直るものではないの。何十年もそばに居続けて、ようやく、無愛着が少しずつ減り、愛着を育てていけるのだと思うの。

 こんな苦労をしないためにも、「乳幼児は原則里親家庭へ」と、多くの里親さんたちが主張しているのよ。そして、あたしたちも、里親さんを応援しているの。

| Maria | 2007/02/21 22:21 | URL | ≫ EDIT

そうですね。私は普通の家庭で育ちましたから、レイさんの気持ちは本当には理解できないのでしょう。なんか何も知らないで、なまいきなことを言ってしまったようですね。ただ、私が言いたかったのは、血はつながってなくても、あなたを愛してくれてる人がいるということです。私も大好きな友達がいます。主人も好きです。両方とも血はつながってませんが、家族と同じくらい好きで、大切です。レイさんは大切な人を愛すことはできないのでしょうか?

| リグレット | 2007/02/21 20:27 | URL |

理屈では分かりますが

 リグレットさん、こんにちは。いつも読んで下さり感謝します。

 >WolfさんやMariaさんは、レイさんのことを大切に思ってくれているのだから、血のつながりは関係ないのではないでしょうか?

 そうですね、理屈では理解できます・・・・だから?

 無愛着というのは、思われているからといって即座に、親や思ってくれる人に返せるものではありません。これは、夫も含めて、血縁ではない人との絆づくりに対するつまづきに対するリグレットさんなりの困惑ではないかと、思い、答えさせていただきます。

 無愛着というキーワードで紐解くなら、自分の行動はほとんど説明できます。しかし普通の家庭の方は、愛してくれる方がいるなら当然、それに気付き、うれしく思う筈と思っているようです。しかし、わたしは長い間誰か1人との間に気持ちを通わせた事がありません。その為、どうしても、愛着を育てる事ができません。

 毎日記事を書いていても自分でも説明しきれない思いです。

 血縁じゃない方がわたしを思っているというらしい事はわかりました。それで?わたしはどうすべきでしょう。それがまずよくわかりません。

| レイ@リグレットさん | 2007/02/21 19:24 | URL | ≫ EDIT

こんにちは、レイさん。血がつながってても、仲の悪い親子や親戚はたくさんいます。血のつながりはなくても、WolfさんやMariaさんは、レイさんのことを大切に思ってくれているのだから、血のつながりは関係ないのではないでしょうか?

| リグレット | 2007/02/21 17:20 | URL | ≫ EDIT














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