愛着障害のようだと言い出した人は夫ではない
だから性格を直そうと必死だった。本屋に行って性格改善の本を読み漁り、気の流れが悪い、姓名判断、改名、血液型、霊感、などなどありとあらゆる本を読んだのに「シツコクない性格なのに周囲を不快にさせている」という項目はなかった。
だからわたしは、その頃「わたしに関する本がない」と思っていた。
お金ばかり使ってばかみたいそして今は「施設育ちのメンタル本がない」事で悩むようになった、数年ブログを書き、児童養護施設の集団養育の諸問題に触れたおかげで、自分の育ちも考えざるをえなくなった。でもその考えるきっかけをくれたのは家庭育ちの夫ではなかった。
夫は家庭育ちのスケールで物事を考える。施設の事を知らないのだからそれは当然、彼を責めるべきじゃない。しかもわたしがへたに大人だったために、里親が子どもの育ちを考えるように、その生育環境を考える方向へはゆかず、単にわたしの性格がゆがんでいる、冷血だ、ロボットだ、アンドロイドだ、との一点張りで、それ以上、考えがいかない。
でもそれも仕方ない、家庭の人はし施設の生活が想像できないし、そこで育つメンタルなんて尚更想像できない。夫が想像できない施設世界からやってきたわたしは彼の手に余るという状況だ。人は放っておいても人を求めると思っている彼を、実際、俺を放っておいてと放っておいたら何週間も放っておかれる事に衝撃を覚えたらしい。
だから冷血な人間だと言われる。
ともかく大人になった施設育ちは自分で自分の事を勉強しなきゃどうしようもない。だいたい無愛着に自覚症状はない、人から指摘されないとこればかりはどうしようもない。施設の職員も「世話の掛からないいい子だった」と言うだけなのだ。施設では世話が掛からない事がよい事、家庭ではどうなのだろう、世話が掛かる、掛からないはどうでもいいのだろうか。もっと家庭の人は違うものを求めているのだろうか。
そんなこんなで、わたしに対して愛着障害児童のようだと言ったWさん(というかWolfさん)にはいつもいつもいつも「何故真面目に集団の中で生きてきたのにこんなに文句言われなきゃいけない?」と連日問い詰めている。
真面目に生きていたのに、いつの間にか問題児にされている。理不尽だとつくづく思う。まだこれが施設で不良をやって警察のお世話になってリスカやって脱走して騒いで困らせて周囲を振り回した結果、大人になったのなら多少問題も自覚もしているから、大人しく首をすくめるが。どうしてもこのあたりに納得がいかない。
単に誰にもなつき、誰にもなつかないだけだと思いながら、親になった時、これじゃまずいのかと思ったり思わなかったりしている。
・・・と一度でイイから書いてみたかった。
| 養護施設を出てからの問題 | 17時41分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑
真面目なのに
jtwさん、Maria。レスコメントをありがとうね。考えちゃって・・・最近。わたしは真面目だったのよね、規則を守り、ちゃんと迷惑を掛けずに生きていたのに。
その自負は強し。
jtwさんと話ができるのはうれしいです。もっと早く話せたらよかったと思います、この糸を繋げていければ・・・。
| レイ | 2007/02/13 13:07 | URL | ≫ EDIT