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愛着を潰されたA子と無愛着なので誰にも迷惑を掛けなかったわたしの違い

 施設に居た頃の話をA子がしてくれた。

 「先輩、あたしは○○保母さんと出会ってから変わったの、初めて勉強する気になったし、初めてほめてもらいたいと思ったの。でもね、○○保母さんにしつこくしたから職員会議に掛けられて、男の指導員から叱られた」
 
 「お前は○○先生の給料を払えるのか!」と怒鳴られたという話をしてくれた。

 A子は乳児院から高校卒業まで養護施設に居続けた子で、愛着を持った初めての相手が○○保母だった。でも、彼女が中学生にも関わらず後追いしたので施設の中で問題になり、職員会議の結果、彼女は厳しく叱責されたというわけだ。

 大人になった者同士、どこか笑い話めいて話をしたけど、わたしは、彼女の行動に実は本当は驚いていた。むかし、ヤフーブログの頃、この出来事を記事にしていたけれど、彼女の話を聞いた瞬間に感じた、あの頃は書きづらかったので隠していた本音があった。それは「彼女が怒られるのも仕方ない、彼女が保母を追いかけて迷惑かけたんだから・・・」という、どこか彼女に対して責めるような気持ちを少し持っていた事。

 それが、今現在、夫や絆相手がいくらわたしを怒っても「愛着を持てない自分がそれ程悪いの?誰にも迷惑掛けてないのに、何故あなた方はたかが懐かないだけで怒るの?」という本音を持っている事に繋がっている。施設で叱られている子とは違う態度をとる事が正しいのなら、わたしは確かに施設の中では正しかった筈だから。

 そしてその後の人生で、彼ら(夫やWolfさんやMaria)に出会うまでは間違いなく正しい生き方をしていると思い込んでいた。

 そして結婚後、周囲からのバッシングで問題児と言われるようになり、この時ようやく児童養護施設の集団養育と家庭の違いに意識が向くようになった、そしておそるおそるの発信・・・その一環でA子の話を書いたのは数年前のヤフーブログだった。でもまだ本音を言えなかった。

 あの頃「養護施設では愛着を作らせない集団養育の場」という発信だけを主体にしていたので、周囲から問題児扱いされている自分の本心については、今ほどは語れなかった。でも本当は、わたし自身は誰にも愛着がなかったので彼女の話も理解しづらかった。何故彼女はその保母をそこまで追いかけるのかわからなかったから、書きようもなかった。誰かの事を好きになった事がなかったし、自分から人を追いかけ、追い求めた事が一度もなかった。

 ・・・今も判るとは言い切れないが、少なくとも頭ではわかるようになってきた。今では、施設では愛着関係で問題一つ起こさなかった自分の方が、つまづいているという理不尽さに気付きつつある。

 保母を追いかけて職員会議の議題の上った彼女より、わたしの方が今では問題行動。これは本当に理不尽だ。でも、愛着を少し知った彼女は、誰かを好きになる重さを知った、だから結婚するという事についてもどういう風に重いか判っているから最後に会った時「あたしは結婚なんて重い人生を生きてゆく勇気がないと」と言っていた。彼女は、少しだけ愛着についてはその意味が理解できている人なのだろう。

 その時わたしは、ばかみたいに軽々しく返事した。

 「そんなの同じ屋根の下に住んでいたって気楽にやればいいんじゃない?」「いざという時は別れればいいんだし」と。

 そのツケが・・・というか、子ども時代に終えておかなければいけなかった宿題の山が目の前に積み上げられている事に気づきつつある。愛着を潰されたA子はその怒りを持っていた。わたしは愛着を作りもしなかった。

 その違いはけっこう大きい。

|  整理中の課題&記事 | 12時56分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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