「オレの事は放っておいてほしい」というので一週間放っておいたのに
ある日
夫が「オレは2階で好きにやっているから放っておいてくれ」と言った。
わたしは当然「了解」と応じ、食事や洗濯などの家事はやるものの全然声を掛けなかった。「放っておけ」と言われたからだ。そして気付くと声を掛けずにいてから一週間くらい経っていた。普段彼は仕事が忙しいので会社で夕食を食べるし、朝は寝坊気味なので朝食をとらずに会社へ行く。すると次に食事を共にするのは週末という事になり、すぐに一週間経過してしまうのだ。
そして一週間経ち、夫がうんざりしたように言った。
「オレはネグレクトされた」と。
晴天の霹靂、わたしは彼の言ってる事が理解できず「掃除も洗濯も早く帰る日は食事も作っている」と反論した。やるべき事はやっているつもりだという自負があるのだ。
しかし彼は「オレを放っておいてほしいと言ったけど、本当に放っておくのは冷たい人間だ」と切り替えしてきた。
なぜだ、とわたしは心の中で首をひねる。放っておいてほしいと言うから、相手の意思を尊重してその通りにしたのに何か間違ったんだろうか。きちんと家庭の雑務はこなせているだろうに。
「オレはいじけてたんだよ、普通はそういえば心配して声を掛けてくるだろう?」と。
それじゃ、相手の言葉を間に受けて声を掛けなかったわたしが悪いというの?なぜ心配されたければ「ここが具合悪いと言えない」の?わたしは超能力者じゃない!とキレた。
ならば放置されたくないなら放置しろと言わないでほしいと思った。わたしなら、放置してくれと言う時はその言葉の通りなのに。放置しておいてほしいと言いながら心配してくれる事を期待するなんて難しいワザは使えないし、相手がそのような行動をしても読みきれない。
彼は、「いじける」事で親がすぐに寄ってくるパターンを覚え込んでいるようだ。自分がいじける事で周囲の人間をコントロールできると思っているようで、こちらもムカ。いじけるというスペシャル難解なワザを使われると、単純な部分があるわたしは言葉どおりに捉えてしまう。それを責められると困るのだ。
養護施設では、子どものご機嫌が悪いからといって一日のスケジュールに影響する事もなければ、職員が心配して駆け寄ってくる事もなかった。無駄なことはしない。職員がカッとして「そこで反省していろ」と言われれば正座を何時間もさせられ、子どもが多すぎるので正座させていた事を忘れてしまう職員もいた。文字通り放置という事になる。
そういう環境下で育った観念が身に付いている自分ではある、もし自分が子どもを産み子育てをしたら、子どもに対しても同じ態度だろう。確かに自分がやりそうな事は最近想像できるようになった。昔は根性さえ身に付いていたら後は何も子育てに必要なものはないと思っていた。あとは子どもが自分の育つ力で育ってくれるだろうと思っていたから。
しかし、実際に家庭の人と同じ屋根の下で住むようになり、相手の求めと自分の受容がどうにもズレている事に気づいてきた。家庭で過ごすためには、黒か白じゃない、グラデーションの部分を読み解く能力が必要なのかもしれない。
いじける
良いのか悪いのか、施設ではいじけがない。今は家庭の観念VS施設の観念がぶつかり合ってる状況。施設を良しとしていないのに、リアル世界ではとても施設保母のような感性を持っているらしい。
| 養護施設を出てからの問題 | 02時04分 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑
大丈夫、穴に隠れなくても
わたし達は親が育てられない子どもの立場から語りますから、時々、ぞーうさんも辛い気持ちになると想像します。でも、歯に衣きせぬ気持ちを語る事を何故か、現場で苦しむ親達は求めているように感じます。子育ては通り一遍のはげましでは時にとても足りないでしょう?
わたしが里子体験があるならもっと語れるのに・・・と残念ではあります。でもオヤジWolf
から叱られつづけるうちに、わたしに全く欠損している感情やら何やらがおぼろげに見えてきます。頭にきます、しかし、わたしも考えなくては、誰の事も大事に出来ないサイボーグのまま。
そういった事を語るので、実はわたしも穴に隠れたい気持ちです。でも隠れないでがんばります、子ども達の最善の利益を考えていく途上の大人として、時には子どもの心を知るために、子どもの立場にさえなり、語っていきたいと思います。
| レイ | 2007/02/02 09:42 | URL | ≫ EDIT