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家庭という世界はしばしば「理屈よりも情が規範となりえる」のだ。

 わたしが血縁親に対する思いなどない。と言えば99%近くの反撃がある。

 「何を言うの、子を思わない親はいない」「子どもはどんな親でもかけがえのない親」と。まるで親を親としてイメージする事ができない人を見た事がないかのように強い反撃である。家庭の人のこの思いの強さ、瞬間的な、親否定をする人への怒り・・・これは何だろう。なぜ家庭育ちの彼らは「どんな親でも思えてしまうのだろうか。 

 「子どもはどんな親でも親が大好きなのよ」というコトバは親によって育てられた事のない養護施設児童にとって理解しにくい言葉だ。特に物心付いた頃にはすでに施設にいた児童にとっては「どんな親でも」の「どんな」という言葉から、自分の過去データから引っ張り出せる具体的な親の像が検出されなければ、その言葉はコトバでしかなくただの記号、リアクションに困る事となる。

 しかし、少しばかり周囲の家庭育ちの人々を「そのつもり」で観察するようになった為、施設育ちには理解しづらい「どんな親でも親が一番好き」である子どもの親への愛着についても、少しは頭で判るようになってきた。


 夫が幼い頃、周辺の子どもに対して分け隔てなく接していた憧れのおばさんがいたそうだ。お菓子をどの子にも均等に配り、どの子にも優しい言葉かけをし、どの子にも深い愛情を注いでいるように見えた。

 ひるがえって彼の母親は、彼と彼の兄弟にしかその優しさを向ける事はなかった。彼の母はわが子だけが興味の対象なのだ。※彼女が他人の子に意地悪するわけではないです。

 彼は「人間的に尊敬できない母だ」「彼女は不平等で、他人の子より自分の子だから」と笑いつつも、でも「自分を思う母心だけは疑った事がない」と、母親について述べた。

 彼にとっては母が人間的にどうであるかは二の次で、彼にとって重大なのは母が自分だけ(兄弟がいれば、兄弟も含め)を見てくれるたった一人の親であるかどうかなのだ。この部分が限りなくいつも完璧だった彼の母親は、彼の目には「全くしょうがない親だ」と言いながらも、どの子にも優しい近所のおばさんなどより、ずっと彼の中では強い愛着の対象者なのだそうだ。

 夫が子どもの頃、少しでも傷をつけて家に帰ると事情もろくに聞かず相手の家に怒鳴り込んでいったそうだ。でも事情がわかり、最初に喧嘩を仕掛けたのが夫だという事がわかると苦笑いしつつ、でも瞬間的に沸騰して相手の家に怒鳴り込んだ事自体、悪い事だとは思っていないようである。

 これが施設ならこういうマチガイは起こらないのに。

 それはともかく、そのような出来事も彼は人間としては理屈も理性ものぶっ飛んだ、自分を愛してくれている母親像を固定化させるエピソードとして、彼の内面に残ったそうである。

 子は親に人間的正しさよりも自分だけを見てくれる事を要求し、親も子どもの正しさよりも、どんなわが子でもわが子であるという認識を伝えるべく行動する。集団生活や、社会的モラルについては後から学べるが、親と子の絆の構築は幼い頃にこそ大事に紡ぐ必要があるという認識を、わたし個人は共感できるかどうは棚にあげ、この話から得られた。

 冒頭で述べたどんな親の「どんな」というのは、イメージが沸くくらい共にいた人である。乳児院・施設へ長期放置した親は「どんな親」に加入できない、育ててこそ「どんな親」なのである。

|  養護施設を出てからの問題 | 06時35分 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

ありがとうございます

 あさかぜさん、状況を知らないままの手探りの会話ですが真摯に答えてくださり感謝します。そして必要を超える説明をさせてしまいましてすみませんでした。

 >わたしは生きている限り、わが子のサポーターであり続けたいと願いますし、そうあるよう努力し続けるつもりでいます。そうすることが、わたしにとって最大の生きがいであり、最高の幸せであるからです。

 このコトバにうれしく思いました。そして「自閉症」の児童に関する説明もありがとうございます。わたしは立場が、どうしても遺棄や放棄の結果、児童養護施設で過ごした体験から、物事を考えています。

 すこし不安に思いましても状況説明をしてくだされば、新しいファクターが与えられ、そこから又考える事ができます。あさかぜさんの真摯さに、わたし達も記事を、不器用かもしれないけれど、ストレートにシンプルに書いていこうと思いました。

 又、何か気付いたらコメントを下さいね。本当にありがとうございました。

| レイ@あさかぜさんへ | 2007/01/31 09:11 | URL | ≫ EDIT

大変な失礼を致しました

こちらが勝手に親しみを感じたという理由だけで思慮の足りないコメントを書き込みまして、レイさん及びMariaさんにご不快な思いをさせてしまいましたこと、心からお詫び申し上げます。
そもそも、こちらのブログの趣旨からは遠い自閉症(広い意味で使っていますので、言葉の遅れがない知的障害を伴わない自閉症を含みます)を持ち出してコメントした、わたしの浅はかさがいけませんでした。

申し訳ありませんでした。

それと、お礼も申し上げたく思います。
わたしは、定型発達児を育てた経験がありません。
自閉っ子との日常が当たり前になるあまり、ごく一般的な方々が色々なことをどうお感じになるかについて失念しかかっていたようです。
レイさんとMariaさんのコメントを拝見して、自分の感じ方が世間とのズレを生じていることに、今更ながら気づかせていただきました。
気づきを与えてくださったこと、本当にありがとうございました。

もしやご心配をおかけしたままでは?と気が引けますので、少々弁解を致します。
自閉症が発症する原因はまだ分かっていませんが、脳の障害であることは証明されています。
当然医学的診断基準はありますが、自閉症の現れ方は非常に個人差の大きいものとご承知おき下さい。
したがってこれから申し上げるのは、わたし個人及びわたしの子に限って言える内容です。
残念ながら、一般論にすることは不可能です。

レイさんが「子どもの心を不安にさせないでほしい」と願い、Mariaさんが「無条件で抱きしめ、受け入れてくれる大人にも、愛情ある親にも感じられない」とおっしゃったわたしの言葉のことですが。
わが子本人にもう一度同じことを伝えて、「こう言われたことで、おまえは“親から捨てられる”とか“不安になる”といった感想を持つのかな?」と訊いてみました。
「特にそういうことはない」という返事でした。
なぜそんなことを訊くのか分からないといった様子でした。
どうやら、“親から捨てられる”という概念を持っていなかったように感じられます。
うまく表現できませんが、まだそこまで発達していないと申し上げればよいでしょうか。
ごく一般的な方は「そんなことがあるものか!」と反論なさいますが、自閉症ではこんなことは決してめずらしいことではないのです。
“この年齢になれば、このくらいのことは分かるだろう”という考え方は、まったく通用しませんので。
もしレイさんやMariaさんのように「子どもに不安を与えるな」「親としての愛情を示せ」とわが子が言ったとしたら、それはもうわたしは素直に喜びます。
そこまで成長してくれたのかと思い、次いで、不安を与えたことを心底から詫びるでしょう。

わたしが子どもに伝えたかったのは、「子どもは親を好きになって当然だ」「育ててもらったんだから、大きくなったら今度は子どもが老いた親の面倒を見るのが当たり前だ」等々、世間が言ってきそうな事柄に対して、もしかしたら“親への愛情を感じることができない自分”を「そういうのはいけないこと」と思い込んで悩んだりしないで欲しいということでした。
かなり言葉をはしょってしまいましたので、読んでいる方に全体像が伝わらなくてすみません。

ご理解をいただきにくいとは思いますが、わたしと子どもの関係は良好です。
言葉は理解できても他者とのコミュニケーションはなかなか難しいので、うちの子が「親子」をどういった感覚で捉えているのかは、わたしにも完全には分かりませんが。
日々の接し方で、子どもがわたしを気づかっていてくれるのを感じることができます。

ある日の会話ですが、
子「“普通”ってなに?」
私「多くの人が使うけれど、実際には存在しないあいまいな概念。“共感を得るため”とか“安心感を求めるため”に使われることが多いかな」
子「ふうん、“普通”って存在しないんだね」
こんなやりとりを交わした数日後、わたしが何かうまくいかないことがあってつい「普通はこうじゃないよねぇ」などとつぶやきますと、
「おかあさん、“普通”なんて存在しないんだよ」と、突っ込んできます。
あ、この子なりの言い方でわたしを心配してくれたんだな、と感じることができます。

わたしは生きている限り、わが子のサポーターであり続けたいと願いますし、そうあるよう努力し続けるつもりでいます。
そうすることが、わたしにとって最大の生きがいであり、最高の幸せであるからです。

お騒がせをして、本当に申し訳ありませんでした。
もう二度とこのようなことのないように致します。

| あさかぜ | 2007/01/31 02:26 | URL | ≫ EDIT

子どもに向ける言葉としては不適切では?

あさかぜさん、初めまして。
Leiちゃんと一緒にブログをやっているMariaといいます。

気になるコメントがありましたので、少し言わせてくださいね。

>「親としてわたしより有能だと思える人が現れたら、迷わずそちらを選べ。わたしのことは気にしなくていい。おまえには、おまえにとってより良いものを選ぶ権利がある」というような言葉ですが。

 子どもが、親からこのように言われて、どのように思うのでしょうか。子どもは、親の「有能」「無能」を見分ける力があるのでしょうか。
 子どもは、親を選択できるのでしょうか。

 もし、あさかぜさんが心からそう思っているのであれば、ご自分で、子どもに相応しい親を捜し出し、養子縁組をし、子どもの前から消え去るのが、ベストな選択でしょう。

 自閉症の原因は、まだ医学的に解明されたと聞きませんが、脳の機能の問題で心を開けないのか、そもそも心を開くに値しない養育環境だったのか、さまざまに原因はあると思います。

 しかし、あさかぜさんの言葉は、子どもの心を開く言葉には思えません。子どもが小さい頃から、このような言葉を投げかけ、このような言葉から類推される世話をしてきたのでしょうか。必要最低限の衣食住の世話をしていたとしても、このような言葉かけは、心理的虐待では無いでしょうか。

 子どもには、無条件で抱きしめ、受け入れるくれる大人が必要不可欠です。発達障害を持つのであれば、より、親からの愛情が必要です。絶対に離れない大人が必要です。あさかぜさんの言葉からは、それが感じられません。

| Maria | 2007/01/30 13:05 | URL | ≫ EDIT

煮え切らない態度ですみません

 ほんとは、もしわたしだったら、育ててくれてる親が

 「いつでも捨てていい」という風な事を言ったとしたら、

 自分はここに居るべきじゃないと感じてしまうと・・・。

 そう、ホントは言いたかった。

 子どもは、目の前にいる育ててくれている親を見限れるだろうか。

 もし、本気で「別の養育者」をあなたが考えているのなら
 具体的な話へと進められなくては、子どもは延々と心の中で

 荷物をまとめる作業を続けなくてはいけないと・・・。

 そんな風に感じる。

 わたしは、大人に対してあたたかい励ましはあまりできそうにありません。でも、もし自分が子どもだったら・・・と想像する事はできると思います。子どもの心を不安にさせないでほしいです。

 と言おうと思っていましたが、言いづらくていえませんでした、でも、瞬間的に浮かんだ言葉でした。優しいと言われてしまったので、強い口調と思える言葉を書けませんでした。

 でも、やはり言えるものなら言ってみようと、こうして文章化しました。

| レイ | 2007/01/29 09:04 | URL | ≫ EDIT

レスをありがとうございました

レイさんの文章に親しみを感じるというか、好感を持ちまして、自分が何を言いたいのか分からないまま衝動的にコメントを書いてしまいました。
にもかかわらず、暖かいレスをいただいて心から感謝いたしております。
今後はロムに戻って、ひっそりと応援させていただきます。

| あさかぜ | 2007/01/28 20:44 | URL | ≫ EDIT

ご意見をありがとうございます

>ずれたコメントになってしまうかもしれませんが、少しだけ言わせてください。
 
 いえ、「ズレた」というよりは、わたしの語る「養護施設の家庭知らずの集団養育&無愛着」と、あさかぜさんのおっしゃる「家庭養育&自閉症児童の発達障害」の場合とは、養育環境のカテゴリが違う話と捉えていますから、書き込んでいただいた事により、わたしの方が勝手に混乱しない限りは、コンセプトを遵守して語る事が可能です。
 
 前置きが長くなりましたが書き込みをありがとうございます。

>自分の子にも、そう伝えています。


 そうですか、確かにわたしは普段から「子どもの側に親を見限る権利」があると捉えられる文章を書いていますが、それはあくまで養護施設に預けっぱなしの血縁親に対するものであって、有能でなくても一生懸命日々を子どものそばにい続け、苦しみながらも子どもを育てている渦中の親に対して述べたものではありません。

 そしてあくまでわたし個人の考えですが「より有能な親を求めて見限る」というよりは「親として自分を育てている履歴がないのに、親権を行使する親を捨て、自分を育ててくれる大人を得る権利」を親が育てられない子どもは有すると思っています。

 なかなか難しい現実がありますので、わたしの立場ではこのくらいしかレスをお返しできません。 ですが、あさかぜさんは少なくとも、自信がおありにならなくとも、子どものそばに居続けておられるのですから、これからもそばに居られるように、色々な情報や助けを駆使しながら子育てをしてくださいね。そしてどうぞ謝らないで下さい、だって、自分が必要と感じて書いてくださったのだから、その真剣さを受け取っていますから。

| レイ@はじめまして | 2007/01/28 09:20 | URL | ≫ EDIT

はじめまして

ときどき読ませていただいております。
とても冷静で論理的な、それでいて分かりやすい文章をお書きになっていらっしゃるところが好きです。

ずれたコメントになってしまうかもしれませんが、少しだけ言わせてください。
わたしは発達障害の子供を育てている母親です。
発達障害のうち自閉症圏の子は、愛着障害とまではいかないまでも、一般のお子さんに比べて愛着形成が弱い場合があります。
レイさんが「血縁親に対する思いなどない」とおっしゃっても、驚きはしません。
そういう例は(理由はともあれ)たくさんあるからです。

それと、生物学的な親イコール社会学的に有能な親であるとは思ってはいません。
自分は親である以上は、どんなに未熟でもできる範囲内で精一杯子供を育てようと努力していますが、子供の側には「親を見限る権利がある」と思っています。
自分の子にも、そう伝えています。
「親としてわたしより有能だと思える人が現れたら、迷わずそちらを選べ。わたしのことは気にしなくていい。おまえには、おまえにとってより良いものを選ぶ権利がある」というような言葉ですが。
生きていくために必要な事柄は、違法でない限りどんな方法で手に入れてもいいはず、と思っています。

本当にずれた内容で、すみません。

| あさかぜ | 2007/01/28 01:42 | URL | ≫ EDIT














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