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「幸せな施設」「温かい施設」「施設のぬくもり」とは普通言わない

盗賊カモメのジョナサン


同じ施設育ちの後輩と、互いに「結婚した家庭」について情報交換をした。その子も気付いたら養護施設にいたという。彼女と話すその中で、今までは気付かなかったその家ごとの個性が語られ、気付いたら彼女も話が止まらなくなっていた。

互いに比較する事で(この場合は比較そのものが目的じゃなく)本当に、この家の風習ややり方に闇雲に合わせる事が、もの事の基準を持たない施設出身者にとって有益かどうか、必ずしも言い切れない事に気づきつつある。合わせるにしても世界を広く知っておく必要はあると感じた。

彼女は「あなたは幸せなのよ」と親戚が集まる場所で何度も言われるそうだ。幸せというのは言ったその方の基準であって、彼女の基準とは限らない。おそらく施設育ちの彼女が縁があり結婚し、家庭を持てた事を幸せと言ったのだろう。確かに世間には「幸せな家庭」「幸せの基準」の共通項目が暗黙の了解のように横たわっていると思う。ただそれが曖昧に感じられて、うやむや感がつよい。

個人の生き方とも又違う家庭における幸せとは、幸せな嫁と言われる彼女の幸せとは・・・。


「わたしや彼女にとっての結婚生活が生まれて初めての家庭生活である事実を踏まえて、色々考えていきたいね」とお互いに話し合った。

「わたしが持っているイメージは養護施設の世界観」しかないので、本当に幸せかどうかは判らない。それと同じように「温かい家庭」のイメージもわからない。分からないが本を読んだり夫の意見を聞いたりしながら、とりあえず「普通の家庭の基準」を自分の中に作りながら、日々生きている。


しかしこれもある意味施設世界しか知らない自分たちにとってはリスクの高い事といえる。もし嫁いだ先があまりに個性的すぎる家庭の場合でも、そこに自分を合わせようとしていくだろう。でも今度は世間一般の平均的な考えからはかけ離れてしまう事がある。それとも、嫁という立場についてはみな、ほぼ似たようなものだろうか。それさえもわからない。

自分が家庭で育てられてはいないので家庭ごとの比較対象がない。ぶっつけ本番でここまでやってきたが・・・。彼女は嫁いだ先で、人間としてどう考えるかじゃなく、嫁としての行動が必要だと言われてるようだ。でもその違いがわからないから困る。

嫁としての行動は(学んでいる最中の)人間としての価値基準に基づいてはいけないの?と悩みたくなる事がある。

里親さんを勝手に応援しながら、時々出てくる「家庭のぬくもり」も実はよくわからなくて、ふと立ち止まる事がある。家庭のぬくもりというものがイメージできない。施設のぬくもりという表現は誰もしないのに、家庭のぬくもりだけを、表現する事について、施設にはなくて家庭にはある筈のものが、おぼろげながらに理想像として見えるような気がする。だから里親家庭は必要なのだ。

でもそのカンジが、まだ心にフィットせず、又しても定義について悩みまくったのだ。

カラス

|  養護施設を出てからの問題 | 10時20分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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