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「里親が本能的に実子を思う事は否定されるべきもの」だろうか

ある1人の施設職員が居たとして、わたしのような児童養護施設の集団の子ども達は、いつも「お前らを大事に思う」とドラマの熱血教師ばりに吼えるその態度をごく普通に受け取っていた。誰も自分だけの大人を持たない世界の住人として(悪)平等が、普通に横たわっていた。


この吼える職員に対して「じゃあ、この中の誰を一番に思ってる?」なんて、申し訳なくてとても聞けそうにない。気持ちよく吼えてる大人はこんな質問をされても実際困り果てると思うのだ、彼だってこの児童養護施設という舞台だからこそ、全ての親のない子にメッセージを発しているつもりだから。自分の問題に直接関与しないからこそ、言える事もあるようだ。わたしは、子どもというのは、お前はかけがえの無い存在だというメッセージがほしいのだと思う。


施設の子は「誰も何も持たない事で力関係を保っていた」ので「誰かがそれを手にいれたら大変」な事になってしまう。「誰にも誰も居ない事が平等である施設という世界」では、誰もが誰かに対して、けして何も持つなと、けん制し続ける。


養護施設の子ども達の世界を「餓鬼道」のようだと例えるのを聞いた事がある、出所忘れたけれど、その言葉に反論もできなかった。全てが飢えを自覚する事なく飢えているのが常態だから。


さて。


でもそんな子が、ある日里子として急に家庭に迎えられたらどうなるんだろう。※上記のような世界観を普通と思う自分だけど、体験してない事を想像してみよう。


里子になった施設児童には、施設で付けられた無愛着があるから、里親はさらに実親と同等の親になろうとがんばるだろう。そのうち、努力が実り、里子の態度に変化が出てきて、この家に居るのが当然のような態度を示すかもしれない。


本来はめでたしめでたし。


なのに・・・そこで、特に実子がいる里親の心にも僅かに変化がおき、やがてそれが強まる。実子を差し置いて里子が自信に溢れているように見えた時、強烈な里子への否定感覚が生まれる。「里親なのに、こんなんじゃいけない、里子の変化を喜ばなくちゃ、実子は後回しでも仕方ない、きっと分かってくれる筈と考えようとしても・・・。その苦しみはいくばかりか・・・。


でももし、わたしが里子なら(if文でごめんなさい)「実子のように扱われたい」わけでなく「自分にとってはたった一人の大人でいてほしいだけ」なのだ。施設の職員のように「今年は誰が担当?」と気をもまなくていい、顔が固定されている大人であり続けている姿勢を大人に求めている。子どもにとって育てている親は怒りの対象にされやすい反面、対象者が顕在化していう事になる。施設のように「無責任な複数の養育者」ではないという事が、とても重要であると感じる。


里親は里親として、里子と関わり続けるという立場を揺らがないでいるなら、実子に対しては実親としての想いを封印しないでほしい。実子を思う気持ちをきちんと大事にしてほしい、実子を優先する権利を里親さんが持ってはいけないのか。里親家庭に生まれた実子は生まれながらに我慢を強いられるべきなのか。里親家庭の小さなスタッフとして里子に配慮せねばならないのか。


親の無い子を迎えるからと、里親さんが自分と実子を犠牲にしすぎる事に不安を覚える。むしろ、実親が実子を優先する事の何が問題だろう。実子に対しては里親じゃない、実親である親として、堂々と我が子を愛してほしい。わたしの目に映る隠れた問題があるとしたら、実子への本能的な思いを封じこめ、里子をまるで実子のように分け隔てなく愛そうとあがく里親の心にあるのではないかと思う。その抑圧が里子への怒りになる前に、これらの事、何となく考えてくれたらと思う。


もし自分が里子なら、自分が此処に居る為に里親と実子が犠牲になっているのを見続ける事は、長い時間を掛けた自己へのマイナスイメージになりやしないかと思う事がある。月並みだけれど、自然体の家庭の姿を見せてほしい。


実子を愛する里親さんは、実子への想いをそこまで封じる必要はないと、わたし個人は思う。だとしたら、なおさら情報がほしいし、必要なレスパイトやケアがほしい、そして何よりも、一見負の感情のように見えるタブー視されそうな、里親の行き詰った本当の心を支えるスタッフを配置した機関必要ではないかと思った。



★補足


やはり自分個人の感じ方としては、実親が本能的に我が子を思うという考えを持てず、多少自分の現実とは乖離している。こういう題名を、他の人の話だからと突き放したからこそ書けたもので、自分の過去の棄てられきった気持ちに沿ったものではない事を申し添えます。


とはいえ、理性というものは、自分とは違う考えも紐解きながら現実を突き進む羅針盤になると思うので、がんばって書きました。そうでなくては、全て子育てをしている人々の問題を考える事ができないと思います。


我ながらとても複雑・・・。本心は、本当にそこまで「実親に向かって、実子を優先してね」と言える里子であるかどうかは、わたしは里子体験が一度もないので、想像の域を出ないし理想でしかありません、引き続き整理作業をしますね。

|  整理中の課題&記事 | 12時47分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

匿名Sさん、ありがとうございます。わたしも実は、わたしの血縁親が血縁親だけに、この親記事のような現実問題にぶつかった事がありませんでした。

しかし、色んな問題が点在している事を少しでも語る為に、テーブルに並べたいと思います。まずは、そこからですから。

匿名Sさんのお話は、自分にもぴたりと合うような無愛着の問題をはらんでいます。情報がほしかったですね、本当に。

| レイ@匿名Sさんへ | 2007/01/17 08:14 | URL | ≫ EDIT

おはようございます、ぞーうさん。わたしも個人的にお知り合いになった里親さんなどと会話をする時、この親記事のような現実にぶつかっている話を聞く事があります。わたしは残念ながら子育てをしていません、養護施設出身者でしかありませんが、もし里子ならばという観点からこの問題を考えて、
想像してみました。ステップファミリーの親たちの現実、ぞーうさんの記事から学ばせていただいています。

| レイ@ぞーうさんへ | 2007/01/17 08:12 | URL | ≫ EDIT

里子一人、生物学的子一人を 育てて(もう二人とも家にいない)、実子への 思いを封じたことは なかったから そういう問題は わかりませんが、愛着障碍・パーソナリティ障碍に苦しむ里子に 専門的治療が 提供されないまま 中学を終え、高校を休学して 社会へ出て しまったのは 心残りです。しかし 中学へ入ってからは 月に一度は 何かあって 児相へ 行ってたから 児相は 治療を提供しなくても 問題は あると 認識したでしょう。一方 施設にずっといる子に ついては 閉じ込められて 何も世間へ 訴えられない状況は もっと困ります。施設は 子どもの代弁を なぜしないのか?

| 匿名S | 2007/01/17 07:10 | URL |

レイさん、こんばんは。

とても気持ちを前向きにさせてくれる記事を書いて下さって、
ありがとうございます。

息子を養育していく前に、実子の実親でもある私が、
実子に対して本能的に想う気持ち。
当たり前に想うその気持ちをやはり封じ込めなければと、
あがき、そのストレスを息子に向ける事は避けたいと思っていました。

実子には実親として、息子には継親として関わる事を、
肯定的に考えられる事はそれぞれの子どもにとっても、
ニーズを満たす事に繋がると考える事が出来ました。

※記事をリンク・引用させて頂きました。

| ぞーうさん | 2007/01/17 00:50 | URL | ≫ EDIT














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