わたしには「何もない」からこそ強く言える発言がある
親の気持ちに配慮しようとする人は、わたしが能力のない親の事を「親の機能を果たせない」と表現する事に不快な気持ちを持つだろうと思う。でもこのブログにはベクトルがある。「親を親であるからという理由だけで甘えさせたくない」「里親として子どもを迎えた人に対して、その質を問う」「児童養護施設の職員が出来る限界があるのに、理想郷の住人のように代替親のフリをしてほしくない」などなど。
わたしは、養護施設の子ども達に本気で起死回生のチャンスを与えてほしいと望む大人だ。ただ「捨てられた施設育ち」で終われないものがある。最後に何かを発信して終えたい。
この国の少子化を嘆くなら、今現在この国で生きる子どもの生育環境を見つめ、本気で子どもたちの問題に向かい合うしかないだろう。その子ども達が税金をきちんと納められる人間として成長するか、はたまた、児童養護施設の頭数をそろえる為に、絆のない子どもを産み落とさせて、施設へ献上させるかのような負のサイクルを容認するか。
ケアリーバだろうがなんだろうが、自分は養護施設を出た後、誰も追跡調査しなかった人間の1人として、どうしてもただでは死ねない思いもある。子どもを産んでない女に何が分かる?と責められたら答えたい。
捨てられ切った者だからこそ、言える気持ちがあるんだと。
| 整理中の課題&記事 | 09時50分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
おはようございます、Maria。わたしにもかなり未整理な発言があるようです・・・。覚えてない事まで分析されるのは面倒だから虐待を受けてないと言ったり、施設は虐待が無くても虐待環境だというつもりで自分は高校まで行った勝ち組だけど(その頃、ネットで、あなたは恵まれてるといわれ続けてたのもあり、面倒になったからいっその事、勝ち組と言ってしまった)、今家庭生活を一切知らない事で問題を起こしている。などと言った事を、一度反省文をまとめないといけないかもしれない。
意図したい方向付けはあったのですが、そのやり方、語り方にとんでもない問題点があり、そこがMariaの語りとわたしの語りの大きな違いなのかもしれません。わたしが絡まれているというよりは、わたしの発言が・・・。これは、めんどくさがりやのわたしの、いけない部分です。「あなたがわたしをそう思うなら勝手にそう思えばいい」と放置しておくのも、後でこうして宿題となって積み重なるんだと思いました。
| レイ@Mariaへ | 2007/01/13 08:29 | URL | ≫ EDIT