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「親としての機能を果たせない親」を求めさせられる事

わたしは独自の考えを持っている。それは、子育てをした事がない人間なので僭越なのだが、子育てというのは、「将来、社会的な生活を営む事が出来る人間に育て上げる事」だと思っている。親の手を離れても、自分で考えを組み立てて行動し、社会的な生活を順風に送る事ができる大人として成長できるようにスキル・サポートできる人を「親的な役割の人」と捉えている。

わたしは、養護施設で職員から「たった一人の母親を大事にしろよ」や「お母さんはお前と暮らせる日を楽しみにしているよ」だの。血縁の親が生きている為に、何かしらいつも血縁親を思うよう、気持ちを強制されていたのではないかと感じつつある。そのように言葉を掛ける職員は知っていた筈。この子どもの血縁親は精神病を抱え、これから先もまともな親的機能を果たせない。

それでも血縁親神話に後押しされてもいるので、養護施設へ捨てた親を思い続けるように、子どもへ心理的な操作にも等しい物言いを続ける大人たちばかりいて、本当は、たった一人の親だという割には親としてきちんと子どもを育てていない現状を問い掛ける事もできなかった。

施設の子どもたちは宛てもなく「いつか迎えにくる親」を待ち続けた結果、たった一人の大人に出会うチャンスを失い、大人になった時、絆のない者となる。病気の実親しかいない子どもたち、酒乱の親しかいない子どもたちに、里親家庭というセーフティネットも用意せず、機能不全親だけを求めさせる。

たった一人の親との関係性というオンリーワンの考えを押し付けられるため、未来のある子どもがさまざまにチャンスを失い、施設だけで集団養育される現実を皮肉な事だと思う。

でも、そうしておけば施設は安泰。機能不全親を子どもに求めさせれば、子どもの意思を尊重し、実親を施設で待ち続けることになる。子どもは実親を選択したのだという印象付けにもなる。その結果、子どもの頭数は確保され、施設は安泰という流れ。他の道を閉ざし、その道だけを求めさせる。

子どもだった自分なので「親を大切にしなくてはいけないのか」と、道徳的に考えようとしていたが、大人の今は改めて彼女を「たった一人の生物学的な親」かもしれないが、「親の機能を果たせる親」ではないと思っている。

一度目の施設から、二度目の施設の間、実親と意味もなく過ごした数ヶ月。児童相談所で「お母さんの側がいいよね、じゃあ、ずっと学園で待ちましょうね」「いい子にして待ちましょうね」という職員の言葉に不安を感じたが、うまく反論できない。

本当に実親を求めているのかさえ分からないというのに、そうあるべきだと強制する周囲の大人。

血縁親は精神病の病を持っていて、社会的な世界に住む自己判断できる大人ではなかった。子どもながらに、社会性を身につけた普通の大人に育てられるならば誰でもよかった。※でも社会的な大人を見た事がなかったので、これは大人の自分がその当時の心理を補強している可能性はあるが・・・。

「たった一人の親を大切に」という一見まともそうな言葉は、養護施設に捨てられた子どもたちに強制すべきものじゃないと思う。機能しない、やる気もない甘え放題の血縁親しか選択肢がなく、施設へ捨てた親しか選べず、里親家庭へ行けず、チャンスからも遠く離される。

養護施設へ一年以上預けっぱなしでも、実親に対して甘いこの国は、親に親の仕事を求める事をせず、ウェットな感情論に追従し、本来なら一番の被害者である子どもに対して、親の気持ちを理解しろと責め続ける。

機能不全な親をそのままにしておけば、子どもは卒園まで養護施設に居続けなくてはいけない。わたしは「機能不全親を何でも大事にしろという言葉の背後」にあるものを意識せずにいられない。

|  養護施設を出てからの問題 | 09時59分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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