「対象者がいない筈はないという考え」は何処から沸いてくるのか
http://bluealice.blog.shinobi.jp/Entry/11/
※ 理性を持って話し合いたいと打診があれば、多少語り合うにやぶさかではありません。でもわたしもこう見えて色々とやらねばならない事があるゆえ、レスポンスが遅れる事をお許しください。
話の流れが見えないので引用させていただきます。
きっと全部の養護施設で育てられたのはLさんよりもアリスの方が該当しますよね。Lさんは一時期とはいえ、実親に育てられたんですものね。 でもこの時期に実親から無視というか放置状態だったのでLさんは誰にもなつかなくなったんじゃないかと思うんです。その部分でアリスと共通しませんか。アリスも実親から捨てられてますから、実親を待ち続けていたので誰にもなつかなかったんじゃないでしょうか。実親が常に心にあるから他の大人の人が入る余地がなかったんじゃないでしょうか、思い当たる事はないですか。 |
一番最初、つまり物心付いた時に何処で目覚めたか?という事じゃないかと個人的には思う。少し過去を書いておこう。わたしは養護施設の集団生活の中だった。一度目の児童養護施設に入る前の記憶はみごとに全て欠落しているので、小学校に入るか入らないかくらいの年齢(実際はそれよりも小さいかも)脱走するシーンから人生が始まっている。
実親と名乗るおばさんが迎えに来た場面も覚えていない。
次に気づいたら(自覚したら)数ヶ月そのおばさんの元にいる事に気づいた。
そして多少の意味不明な断片的記憶があり、数ヶ月後、次の養護施設に措置された。
実親と名乗るおばさんに関するこれが全て。
意味が一切分からない、自分とその人の関連も、行動も「引き取られた」と称するには
生活というものが一切行われていない、生活活動の気配が一切ない。
最初に施設、次に知らないおばさん、単に担当が替わったのか何なのか、そんな低い意識。
そこはアリスさんと比べても仕方ないと思う。それぞれにグラデーションがあると思うし、それぞれの来し方により、施設での子どもの反応も意識も違うだろう。
わたしが言いたいのは、どういういきさつで施設に居ようとも、養護施設は愛着を付ける場所ではないという事。ネグレクトだろうが虐待だろうが環境が悪かろうが何だろうが、児童養護施設は魔法の玉手箱で、子どもの全ての問題が解決する場所では無いし、治療施設じゃないという事、もう一つ言えば厚生施設にもなりえないと思う。そして家庭の代替では絶対にありえない。もし施設が家庭なら、職員に感謝の念が沸いてきていい年齢だから。
アリスさんは実親を求めて会いに行くほど、思慕の念があった事はこれまでの記事で理解している。でもわたしは、自ら親を求め、親に愛着や思慕を感じて追いかけた事はない。すべては福祉のケースワークの問題が浮上したため、接触を強制された事による接点、もうその必要はないので接点は解除している。
ついでに親戚一同一切関わりがない。
という感じなのだけど、アリスさんは乳児院から養護施設まで全てを集団で育てられた、わたしは一時期だけ実親と接点を持った。
そしてアリスさんは実親への思慕があるから、無愛着だと言う。実親への思慕を持つのはかってな事だけど、その実親に引き取られる事もないから、里親さんへつながる事ができたアリスさんは、多少でも愛着が育っているとしたら、迎えにも来ない実親よりも足しげく会いにきた里親さんへの愛着は入り込む余地がなかったといい切れるだろうか。
アリスさんにとってそれほどまでに血縁が全てに優先するのだろうか。
・・・・不思議だ。
「対象者がいない筈はない」という事は具体的に誰かの顔が浮かぶという事だろうか。わたしは残念ながらどれも人間は、一塊の群集にしか見えないのだが。
お返しします、アリスさん。まだうまく文章がまとまらないので、追加で何か書くかもしれません。
| 養護施設を出てからの問題 | 07時49分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
あちらへ誘導したよ
今ね、久しぶりに狼さんと会って呑んでる。でね、Mariaも早く来いってさ。
アリスさんには、答えるべくは答えるつもりだけどこのブログの目的は少し違うから、ソウルプロジェクトのブログでやろう。
アリスさんの言ってる事は多少はムッとするからそれはMariaの言うとおり、忙しいからなかなか応じられない事を理解していただく。
その上で、ひざ詰めて会話できたらと思う。きれい事じゃなく本音でいい、でも、卑怯な揶揄をせず。
| レイ@Mariaへ | 2007/01/10 20:45 | URL | ≫ EDIT