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「成人式」のカルチャーショック

誕生から成人式まで、一切のライフイベントに縁がなかった。

成人式から数日後、同じクラスだった子から呼び出されて会いに行った。彼女は成人式の振袖の話に余念がない。わたしは呼び出されたものの聞き役だった。

「でね、レイちゃんも成人式の振袖を親に見せてあげないと親が可哀想だよ」と話を振ってきた。あれ?この人はわたしが施設を出たという事を知らないのかしら?とかなりムッとした。でも彼女は満面の笑み(だと思う)を浮かべて華やかすぎてついていけない話題を次から次へと・・・。

『そうか、一つ分かった』とその時分かった気分になった。

『成長した姿を見せる事が親への感謝の気持ち』の示し方なのだね、この子にとっては。でも施設を出た自分は行くあてもない、見せる場所もない、見せる相手もいない。着物は高すぎて買えない、レンタルも高い、着付けをする場所も知らない、などなど。あの頃は今よりももっと何かと物価高。

何よりお金がなかった。その日生きるのがやっとで・・・長いパンを買って六つに切って一日一欠けら食べていた頃だから、友だちと喫茶店で会うのも大変だった(プチ怒モード)

一万歩譲っても自分だけの為に着物を着てお祝いをやるという発想がない。というよりはお祝いをしなきゃいけないとは知らなかった。それにしてもあの時、クラスメイトの話を聞きながら思ったものだった。

「なんでこの子の親は、そこまでこの子が一つ一つ何かライフイベントをやるたびに大騒ぎをするんだろう。この子が一つ何かあるたびにこれじゃ大変でしょう、たんに成人の日、単に誕生日、単に・・・」と。

その子を軽んじてるわけじゃない。ただ自分の感覚では何を大騒ぎしてるんだろう、世の中の人は変わってるなあという印象だった。人の為に大騒ぎしたりする事も不思議だったし、何よりも着物姿を見せてあげないと可哀想という発想自体、カルチャーショックだった。

たんに家庭の子は自意識が強いんだろうか。

いやいや、家庭の子はあれが普通なのだろうか、本当に親は娘の晴れ着を見たいかもしれないし。と内面ではすごく不思議な疑問符の繰り返しだった。彼女にとっての普通と自分にとっての普通はあまりに違う。

その子は、それ以降も全てのライフ・イベントをわたしから見ると信じられない程の大騒ぎをしながら周囲に吹聴してまわり(わたしからはそう見えるだけ)生きている。

夫は「それくらい普通」と言う。

それを「異常にしか感じられない」自分の感覚。

カルチャーショックはこれからも延々と続くだろう。この世界は自分をとにかくアピールして生きていくように出来ている。そっとしておいてほしいと家庭育ちの夫にいくら言っても彼もライフイベント大好きな人なので放っておかないだろう。結婚式もそうだった、あんなの書類だけで十分と思っていたから。

お互いに困ったものだ。

|  養護施設を出てからの問題 | 10時00分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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