「特定な関係」「水入らずな関係」ってすごい
家庭のしつけなどでよくある「知らない人の言う事を聞いてはいけない」「付いていってはいけない」という、相手によって態度を変える態度はむしろ、施設で育てられた子ども側視点では馴染みが薄く、そのような不平等な気持ちを持つ事自体、大人や周囲の子から責められるのではないかという不安を持っている為なかなか定着しないと、個人的に感じる。
でも家庭しか知らない親は、そんな施設育ちの子どもの行動が理解でききない。家庭では「自分の親の言う事は聞くが、知らないおばさんのいう事を聞く必要はない」と教えられているので、この子どもが示す態度は「大人だったら誰でもいい」という態度に見えてしまう。でも子どもには悪気はなく「人を差別すること」「人によって態度を変える」事は意識の底の方で悪い事として定着しているだけなのだ。
施設の子にとっては育てられた環境通りの態度を示しているだけ。大人なら誰のいう事も聞くだろうし、誰のあとにも付いていくだろう。そのように指導されているのだから仕方ない。時々、里親さんなどが「自分だけのいう事をきいてほしい」様子を見せているようだけど、養護施設ではどういう生活をするのが通常だったのかを考えないと、その子どもへ怒りが向いてしまうかもしれない。
施設の子にとっては「その人じゃなきゃいけないわけじゃない」し「自分もことさら特別な存在でもない」ので、べた〜っとしてくる大人を見るとかなり気持ち悪いという印象を持つかもしれない。施設での人間関係の距離間がその子の人間関係の距離間として、定まった後に里親になっても、子どもが甘えてくれるわけじゃない。
これは、施設に預けっぱなしだった実親が迎えにきても同じかもしれない。そこに至るまで母子スキンシップを知らずに来た子は、感情過多な親が大仰に抱きしめてきても気持ち悪いと感じるだけではないかと思う。ここまで育ったその子は、もうすでに人間の距離間を作り上げてしまった。
だから、なつかない子はなつかない子になるまで、やはりその子にとっては十分すぎる時間を過ごしているわけだ。やはり子どもというのは原則乳幼児の頃には家庭へいってほしい。施設から里親家庭ではあまりに遅すぎると感じた。
成人し結婚して家庭に入るのも大人の無愛着地獄かもしれないが、これは又別の話。夫と義理母を見ていて「内容はどうであれ、特定の関係ってすごい」と素直に思った。外から見てばかばかしくても、本人同士はすごく幸せな関係、愛しい関係、世界が破滅する日も「きっとあなた達は最後まで共にあり続けるね」と感じる不思議な関係性。
そういう「水入らず」な世界を、施設の子は知らないんだ。だから、濃厚なのはごめんだと思うけど、普通のレベルの愛着を何とか知ってもらいたい。小さい頃にぬくもりに包まれて眠ってもらいたい。言いたい事はそれぐらいしかない。
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あけましておめでとうございます
jtwさんのところのお子さん、1才をすぎてから里親さんに引き取られたのに戻されたんですね。という事は1才で、すでに距離間が出来上がっている可能性がありますね。わたしは、このお子さんが、jtwさんに会えた事を神様に感謝したいです。ありがとうございますって・・・わたしが言うのも僭越ですが、うれしく思います、今年もどうぞよろしくお願いします。
| レイ@jtwさんへ | 2007/01/05 11:37 | URL |