真夜中に、施設に一台しかないテレビの前に張り付く職員
ある日「レイちゃんって○○のドラマに出てる○○ってアイドルに似てるよね」「その顔、その表情、そっくり」と言われるようになった。(今は成長したその人とは全然似てないよ)きっとこっそりみんなが見ているドラマのアイドルに似てるんだろう。その為、ますますテレビを見るのが嫌になった。その子は苦難が多いドラマの主人公だから。
同じ年齢の子でNちゃんは別のアイドルに似ていると言われていた。今思うと違うタイプのタレントに投影されていたのだ、だから何かと比べられてしまった。今考えれば2人ともいい迷惑だったと思う。でも不思議な事にNちゃんは、髪型などそのタレントの真似をしているように見えた。
今ならわずかに気持ち判る。
自分という芯に繋がる顔の似てる家族を持たない施設の子にとっては、○○というアイドル・タレントに似てるねと言われる事は、自分とその子の間で何かが繋がったような気持ちになるのかもしれない。
一方わたしは自分がそのタレントに似てると言われても気持ちが動かなかった気がする。その子は知らない芸能人の女の子だし、不遇の生活も役をしているだけであり本物じゃないと思ってたのかもしれない。顔が似てるだけじゃダメ、それだけは判ってた。(不思議な事に学校では言われなかったと思う)そのタレントはいつも伏目がちのどこか暗い影のある表情の子で、わたしはNちゃんが似ていると言われてる華やかなタレントについ、目が向いてしまっていた。
これも微妙な女ごころっていうものだろうか。
とはいえ、基本的には図書室が良い。わたしは密かにアンケセナーメンが好きだったし、ツタンカーメンが好きだったから、考古学の本を離せなかった。いつか考古学者になるぞと心に決めていた。だから、Nちゃんにとってわたしはライバル視もできないつまらない存在だった。
真夜中になると、男の職員がテレビの前に立ちはだかっていた。
その職員は「これは子どもには良くない映画だ、だから絶対に見せないように立ちはだかってるんだ」と言った。
「は?」と思った。
他は記憶が脱落しているけど、その職員がテレビの前で子どもの害になる映画を見せないようにしている姿が、妙に不釣合いというか、こっけいで不思議な印象わたしにもたらした。何故か欺瞞というか偽善にすら思えたような気がする。
そんなわけで、テレビというものは養護施設の娯楽の少ない子ども達にとっては唯一外の世界を知るチャンスになるのだろう、何しろ本のように古くなってしまわない、いつも新しいソースが外からやってくる。でも今思うと、職員が有害番組を子どもに見せないようにがんばっていたけれど、何か、外の世界を必死になって見せないようにしているようにも見えた。
養護施設が隠す外の世界、今、その外の世界にいてもそれほど有害と感じないのは何故だろう。
| 整理中の課題&記事 | 08時37分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑
きっと今も同じような状況と思われる
100人に一台ですか、わたしにいた施設はおそらくその半分の人数で一台だと思いますが、寝室には当然テレビはないし、やはり食堂に一台でした。でもテレビを見ながら食事をする事はありえないので、見る時間はすごく限られていました。
少なくとも15年前も今もあまり変わっていない気がします、特に大舎制施設の場合は、旧態依然としていると思います。今年もよろしくおねがいします。
| レイ@Kasumiさんへ | 2007/01/05 11:23 | URL |