指導員になつく事は「取り入る」事だった
わたしは「指導員と仲良くしている子」を勝手に「職員に取り入っている子」という意訳をしてしまう。おそらくその子は本当に、誰かに愛されたくてなつこうとしているのだろう。でも、指導員は指導員、親ではなく、どちらかというと「看守」に近い存在として認識していた。
そんな彼らに可愛がられるという事は、何か裏があり、何か大人に取り入っているのではないかという噂が子どもの間で立ってしまう。実際にこういう噂を立てられるのが嫌で、大人に近づけない子ども達もいたように思う、自分もそうだ、いや、自信がないけれどきっとそうだ。
これは子ども同士のけん制なのか、それともある意味、真実を映した噂話なのか、その部分ははっきりしないけれど、これはわたしの内面にもとても鋭く釘を刺している。家庭ではえこひいきは当たり前。自分の子を愛せなくて他人を愛する事はできないというように、まず自分に直接関わる人との関係性を軸にして愛着を広げてゆく。
でも、養護施設という場所は独特。
卑怯者になりたくない、大人に取り入るような人間になりたくない、又、ボスのような人にも取り入りたくない、自分は影でこそこそえこひいきされるような事をしたくない。そして、その結果、断れなくなり、もっと下の子ども達を力で抑えるような人間になりたくなかった。・・・などなど、自分に色んな制約を課して子ども達は、自分も含め何とか、その現実に意義を見出そうとしていた。
でも、今考えてみればみな子どもだった。たんに愛されたいだけの子どもだったのに、閉鎖的な集団世界、軍隊的な、いや、軍隊は人間的だ、もっと収容所の看守と囚人に自分の気持ちをなぞらえる方がたやすい世界の中で、自分を律しつづけた。
誰にも甘えない、愛着を作らないことは、集団を裏切らないという意味合いもあった。そして集団世界での卑怯者とはもう一つ種類があった。それは集団のオキテの中で、誰かをみんながいじめている時に止めたり、その仲間に加わらない事も卑怯者とされる事だった。
それは「ええかっこしい」「自分だけきれいごと」という卑怯者の汚名を着せられることだった。
大人から関心を得て、取り入る子も卑怯者なら、集団のオキテにそむいて集団イジメに加わらない子も卑怯者だった。わたしはどちらもしなかったから卑怯者としては中途半端かもしれないが誰の事もいじめなかった。ただ、大人から可愛がられる事を避け続けなくてはいけないのも施設の子どもたちのけん制の影響なのではないかと思う。
その結果、自分は集団の子ども達との仲間意識や、暴力的で支配的な指導員や配下のボスとの愛着関係も一切育てなかった。
白鳥や悲しからずや
空の青
海の藍に染まず
ただよふ
という詩がとてもとても好きだった。
自分は漂ってはいない、自分で全てを決めている。でもほんの一瞬、精神的な戦いもしなくてはいけない集団生活に疲れてしまう事もあった。
それでもたとえ、世界から捨てられても、自分がした事の責任も取れないような関わり方をするくらいなら、1人で、ずっと自分の獣道を歩く事を選んでいた。だから、今も1人だけど悪いと思わなかった。
・・・しかし、絆相手が出来た今は。
| 整理中の課題&記事 | 19時16分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑
ふふふ…
この写真は、2年前、sidoさんから戴いた写真なの。
すっかり忘れていたの。
洋上クルージングに行ったときに、大海原から昇る朝日を撮ったんですって。残念ながら、初日の出ではないけど、昇る朝日は、縁起物ものだからいいか〜、って使ったのよ。
あら、「縁起物」なんて言葉が出てくるほど、俗化してしまったわね、あたしって…
| Maria | 2007/01/02 13:18 | URL | ≫ EDIT