アイヒマン実験に想う事
わたしは確かに虐待施設としては全く名を連ねていない、むしろ良好と言われている養護施設を出た施設出身者、しかも高校まで出ていて何を文句があるかと言われる施設出身者当事者だ。
でも、そんな良い施設だったのに、わたしの記憶の断片にある彼らは、時々子どもを殴る時に笑う。実はわたしは、笑う彼らの気持ちを知っている。今は言語化できないけれど知っている。殴られている子どもを見てるその他も薄笑いを浮かべる。緊迫した状態になればなるほど笑う。この笑いに埋没し始めると人は狂っているのかもしれない。
しかし、指導の名の元ならば狂っている事までもが公正明大な指導員としての指導として立場を保つことができてしまう。
アイヒマン実験の事を知ったのは高校時代。誰かからこの本を読めと進められた。そして読んだ。先生役の人を騙すこの実験の事にすっかりのめりこんでいた自分は、この劇をやりたいと思った事があったのに何故か言い出せなかった。すっかり忘れていたのに今、どこかのテレビ局で又この実験名を思い出させられて、絶対的服従とそして先生役の人の壊れてゆく様が、どうにも懐かしい、どうにもそこに麻薬のような作用を感じていた、過去の一部とリンクする。
興味のある方は 上記リンク先を参照されたし。
最初は「少し痛い」と思う、でももう少し痛い事が普通になると、前回の痛みのレベルは感じられなくなる、そして次にもう少し痛い事が行われると、痛みがふしぎと消えてゆく。
痛みにはレベルが上がる機能はあるようだけど、レベルが下がる機能は無いようだ。もっと痛いという事を知る為に外の人から見ると挑戦的な性行為や、挑戦的な暴力に巻き込まれてしまっても、すぐに麻痺する。
そして、相手に痛みを加える方も、痛みを感じる事ができない相手を相手にすると徐々に、徐々に、色々な限界値を越え始める。わたしは養護施設というのはそういう場所だと密かに思っている。
だから、そういう趣味を持つ人がいてもおかしくないと思った事が何度もあった。だから、彼は高校生くらいの?学校から帰ったばかりのわたしの胸倉つかみ、宙に浮いている時に殴りながら泡を吹く気持ちに、哀れみを感じるような気持ちになりながら、スローモーションのように殴られ続けていた。彼はその瞬間至福の時を持っているように見えた。
さて。
何故母親から刺されて痛みを感じなかったかという人がいた。なぜなら、痛覚がどっかぶっとんでいて、お医者さんと刺された痛みの深度を「この部分が一番深いですかね」とお互いに言いながら、緊急手術をするほどの痛みのなさからして、自分にとってさしたるテーマではないという事だ。
お医者さんは、体内モルヒネでも持っているの?と驚いていた。
| 整理中の課題&記事 | 10時39分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑
Maria、今年もよろしくね
その通りねMaria、ごめん。いつもの癖。STOP!に掲載されているのは新聞沙汰になった施設だけだと思う。でも自分の過去が分からないと、その部分でトグロを巻く。今となっては、高校受験も思い出せないことが悔しいかな。
今年もよろしくね、もう東京に戻ったよ。
| レイ | 2007/01/01 18:46 | URL | ≫ EDIT