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養護施設で身に付いた事柄と身に付かなかった事柄をすり合わせる

養護施設出身者に向けた、「巣立ちプロジェクト」というものがあるようだ。個人的にすでにプロジェクトの命名がぴんとこない。でも鳥は自分が育った巣に戻る事はないのだから、無理があるとは言い切れないけれど・・・。

で、そのプロジェクトも、やらないよりはやった方がいいのかどうかかなり微妙な気分だ。きっとやらないよりはマシなのだろうけれど・・・。

でも何か不安な内容だ、なぜかというと、たとえば日本の地域社会で根付いている「回覧板」を回す作業を教えるとする。

自分の家の玄関に地域の情報が詰め込まれた一冊のフォルダー。それを手に持って、わざわざ自分の足で歩いて次のお宅へ届けるのである。一見簡単そうだけど、わたしはかなりてこずった。

無駄話と感じる近所の人との会話、それを避ける為にインターネット回覧板を考え付いた。それなのに夫から却下された。

「自分の足で歩いて顔を見せて話をする事が回覧板を回す作業の隠れた目的」だからだそうだ。わたしは、唖然とした事を今でも思い出す。

養護施設をもうすぐ出る子にそれらを教える事はないだろう。

何故なら、養護施設の子へ教えたい事柄とは、今すぐ役に立つことが優先されるから。病院のかかり方、勤め先へ病気連絡をする際の電話のマナー、その他もろもろ、あ、料理も少しばかりの手ほどきがあるようで、自分が施設を出た頃よりは少し良くなったのか?

詳しくは、Mariaの戦いと祈り に記事があるのでお読み下さい。

何を学んでも「本格的に家庭生活をするには絶対数が足りない」18歳くらいで施設を出て20代の半ばで結婚するとしても、年齢のわりには何も知らなすぎる嫁に相手側の親族は厳しい。

自分の身内の不幸などあれば、自分が式の舵取りをしなくてはいけないと思っていて間違いはない。などなど・・・。

葬式の為に不祝儀袋を用意してはいけない、毛筆は「悲しみで、文字が見えません」の意を込めて「薄いインクの筆」を選ぶ、カラスの濡れ羽色の和装ならば「亡くなった人の死を待つかのような感じが抑えられて、出来るだけそのような色のものを選ぶ」だの、枚挙に暇がない。

・・・・ここまで引っ張ってきて言いたい事はただひとつ。

「家庭生活を勉強する」のにどこかの会館を借りてやらなくとも、家庭で育てられれば反面教師的な事も含め、ゆっくり時間を掛けて「来るべき社会生活への順応へ向けて」無理なく身に付いてゆくものだと思う。

今、わたしは家庭を勉強している。それは仕方ない、家庭を体験した事がないのだから。そして無自覚でも動けるほどには身に付いていない事柄が多すぎるから。

自ら「至らない嫁でございます」と言わねば角が立つ。事を最近知った。

角が立たないために、嫁は周囲に配慮せねばいけない。養護施設を出たばかりの15歳や18歳は「この世界に生まれたてに等しいほどの知識しかない」のだ。

家庭を知らないという事の現実は、施設育ちの男子よりも女子に重くのしかかっているとわたしが言うのは、このような現実を嫁として生きねばならない側面があるからである。施設全部育ちは結婚が初めての家庭生活。そしてその家庭生活の立場は嫁である、けして里子ではない。子どもとして受け入れられてるのではないという現実の中、しっかりと嫁をやらないとかなり厳しい事になる。

家庭を知らないという言葉は最近、わたしにとってさらに重量感を増している。家庭を知らないという事をもう一度深く思索すべし(自戒を込め)

|  整理中の課題&記事 | 20時03分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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