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養護施設内部の子ども同士の出来事は「イジメ」と認識してはいなかった

飛ぶ


わたしも小学校で、よくいじめられた。よくある事。
臭いと言われる事はなかったけれど(たぶん、覚えてないから)

「一生税金で暮らす方法を教えてやる」

と男の子に言われた時の気分は白い頭。

「あのなあ、大人になっても悪い事をして刑務所に入れば一生税金で暮らせるよ」

と言われたけれど、大人にならなければ謎を解く事ができない種類の言葉だった。そんな知識を仕入れている現状に気づける筈もなかった、大人が施設の子はどういう立場の子であるかを、きっと彼の親は丁寧に教えたのだろうと思う。

一方で、今度はイジメっ子じゃなくて優しいWくんの事。

何故か学校の行き帰りに、待ち合わせてくれるWくんがいて、その子とわたしは何故かカップルになった。それなのに彼はそれを隠そうとする。

「ボクたちは、身分の違いで許されないんだ・・・」と。

黒板に相合傘という、2人で一つの傘を持つという表現の傘のイラストが書いてあった。

わたしは、

ますますわけがわからなくなった。なんでだろう、一緒に手を繋いで帰り、お話するのに何故ミブンチガイ??アイアイ傘がどうして重要かも・・・。確か彼は黒板のイラストを消さなかったので、自分の方から消したような気がする・・・定かじゃないが。

施設には小学生低学年でも彼氏いる子が他にもいたような・・・。だけど施設の子が好かれると同じクラスの他の子がいっせいに蜂起するという側面がありWくんはとうとう去っていった。

「あんたが何でWくんから優しくされてんのっ!」っと。かなりなバッシング・・・。

さて。

今、大人になった自分はあの頃の記憶の断片から想像してみる。養護施設しかしらない子ども達は、養護施設の事を知っている親たちによってイジメられても仕方ない環境作りをされているような気がするのだ。

でも学校のイジメはアリスさんがおっしゃるように、子どもを使う別の存在も見えるような事がある。それがその子たちの親御。だから何となく、その子自身の迷いも感じられる時がある。親が「あの子はね、親がいなくてね・・・」と言っても子ども自身は別の人格。

やはり、多少話し合えば気が合ってしまう事もある。私の親はそういうけれどイジメていいものだろうか?という迷いが、不思議な事に言語化できないように感じられるクラスメートもいた。そういう時、わたしはさりげなく距離を置いて立ち去った。別に深い意味はないけれど、迷いも悩みも、その子には荷が大きすぎるように感じたように思う。

学校では、一人でいる子を、そうではない集団の子達が絶えず気に病んでいた側面もある。と感じていた。

施設の子は、学校でも確かにいじめられているのだろうけれど、学校でいじめられても又施設へ帰れば集団生活が待っている。学校という集団と施設の集団、同じようだと思うかもしれないが、全く性質がちがうと思う。

養護施設で一人でいると決めるには、それなりの決意と覚悟と自己責任が絶えずつきまとった。学校での一人ぽっちと違い、施設では孤高の域に達しなくては自己を守れないという側面があった。学校ではその生育環境によりなし崩し的に孤独へ追いやられるけれど、児童養護施設では、一人で物事を考えた結果、一人で歩く事を選んだと思う。

だから、養護施設の子が今も集団の目・集団のけん制を背中に感じて生きている事についてはとても理解している。でも集団の中で生きるという事は常に「ヤル側」に回る事になる、学校で集団の中にいると「イジメる側」に回るのと似ている。

何故なのかまだ言語化は危ういけれど、養護施設内部のそれは「いじめ」とは感じられなかった、何故なのか考えても考えても答えが出ない。それにどうして学校のそれはイジメなのに、施設内部のそれは言語化できない気がするのだろうか、何が違うのだろうか、自問自答。

|  整理中の課題&記事 | 10時27分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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