借りは作りたくないと思わせたクリスマスの出し物
真夜中まで何度もやり直しさせられる劇のワンシーン。そこ、悲しむべきシーンだから、悲しそうにやらなくちゃいけないのに、笑いを取ろうとする。すると怒られる。「そこは出来る限り、悲しくさびしく可哀相に演じなさいよ!」と。早くやめたい他の子の冷たい視線。演劇部のくせに・・・。
「カール!しなないで、僕をひとりぼっちにしないで、僕はまた捨てられてしまうの?お願いだよ死なないで」
兄に近いほど慕うカールという年長の少年が死んでしまうシーンで、レイは彼の弟分として街の嫌われ者の役だった。親がいないという事で・・・。カールはレイをかばって死んでしまう。そのシーンで何故か笑ってしまうのだ、泣かなくちゃいけないのに笑ってしまう・・・。
泣かなきゃいけないんだ、泣かなきゃ・・・。
でもそれがなかなかできない。
笑って自分の人生を切り抜けてきたせいか、どうしても笑いを取ってしまう。
なかなか嘆きのシーンがうまくいかなくて困ったことがあった。嘆きっていうものは見せるためのものじゃない、悲しいシーンが本心に沿ったものじゃなくてはいけないのにクリスマスだからといって、かわいそうな子を演出させようとする大人との間に、どうしても壁ができる。
本当に悲しい時は悲しめないものだ。喜怒哀楽が微妙におかしいとクラスメートから言われた。養護施設の子はお礼状を書き、演劇をし、歌を歌い、スポーツをさせられる。その中で「それらしく見せる事」が第一優先させられ、本当の意味で嘆けない、それは本当の意味で笑えない事へも繋がる。
養護施設の子ども達が、その結果、能面のようなロボットとなってゆくのを、誰が責める事ができようか・・・。ふと、そんな事を考えたクリスマスの憂鬱。
クリスマス本番の写真が一枚あった。白いセーターに半ズボンの男の子の扮装の自分が舞台で、クルスを首から下げてうつむいているシーン、客席の職員の笑った顔も同時に写っていた・・・。 劇中にはカールという兄がいたけれど、現実は誰もいなかった。
と言いながらも、自分の為でなく、困った人のためにお金を使ってしまうタイプの人を発見。全くもう・・・。そういう人の心の動きもよく分かるから、借金したことがない事が自慢だと嘯いているあたりは、まだまだだ・・・と分かった。
| 整理中の課題&記事 | 16時03分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
Maria、コメントをありがとう。この劇の事をすっかり忘れていたけれど・・・。ずいぶん前、フランダースの犬の話がキライだと言ったけれど、この劇に似ていた。
死んでからじゃなきゃ分かってもらえないんだ、死んでからじゃなきゃ受け入れてもらえないんだ、今思うとシュールだよね、だって舞台の上で児童養護施設の子が、町の嫌われ者のみなし子を演じていて、最後に子どもが死んでしまう。
そうしてやっと、街の人たちはどれほど意地悪だったか気づいて、涙を流して、名誉市民として彼を受け入れるんだよ、たしかそんな話だった。これ、実はマンガがあったような気がする。内容をかなり忘れてるんだけど。
| レイ@この劇とフランダースの犬の共通点 | 2006/12/20 08:35 | URL |