最終章 シトは何の為に存在したのか
最初の問題に戻ります。なぜ、シトの血は青いのか。また、なぜ、BLOOD TYPE BLUEという判別方法により、シトと認識されるのか。
このBLOOD TYPE BLUEというのは、「ブルークリスマス」から来ております。
そして、この「ブルークリスマス」とエヴァは、物語の構造として同一であることも確認しました。
そこでは、
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ヒトは、自分と異質なものを区別し、負のイメージを与え、敵とみなしがちである。
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ヒトは、他人の言葉に流され、自分を見失ってしまいがちである。
以上二つの、ヒトの心の問題がありました。(以上、第二章)
そして、この二つの点を上手く突いたのが、ゼーレであり、他のヒトもシトも彼らに利用されたにすぎないということ。(第一章)
さらに、この二つの点に気づき、他人の真実を完全に拒否し、自分が自分に誠実であることを目指したのが、The End Of EVANGELIONにおけるシンジであること。(第三章)
エヴァンゲリオンとは、他人の言葉に流される恐怖(理由もわからぬシトの殲滅。その結果起こるサードインパクト。そして何よりも、最も大切な人を殺すこと)と、それを拒否して見失った自分を取り戻すための決意を描いた物語だったと言えるでしょう。
結局、青い血による判別される、シトを登場させることで描かれたのは、ヒトの心だったわけです。シトは何を目的としているのか、人類にどう脅威なのか、どういう存在なのか、これらの疑問が作品中であまり明確にならなかったのは、それらが作品にとってどうでもいいことだからであり、問題なのはあくまでもヒトだからです。
シンジ「これは?」
「何もない世界」
「何もない空間」
「僕のほかには、何もない世界」
「僕がよくわからなくなっていく」
「自分がなくなっていく感じ」
「僕という存在が消えていく」
テロップ「何故?」
ユイ「ここに、あなたしかいないからよ。」
シンジ「僕しかいないから?」
ユイ「自分以外の存在がないと、あなたは自分の形がわからないからよ。」
シンジ「自分の形?」
テロップ「自分のイメージ?」
ミサト「そう、他の人の形を見ることで、自分の形を知っている」
アスカ「他の人との壁を見ることで、自分の形をイメージしている。」
レイ「あなたは他の人がいないと、自分が見えないの」
シンジ「他の人がいるから、自分がいられるんじゃないのか」
「一人はどこまでいっても一人じゃないか」
「世界はみんな僕だけだ」
ミサト「他人との違いを認識することで、自分をかたどっているのね。」
レイ「一番最初の他人は母親」
アスカ「母親はあなたとは違う人間なのよ」
シンジ「そう。僕は僕だ。」
「ただ、他の人達が僕の心のかたちを作っているのも確かなんだ」
ミサト「そうよ、碇シンジ君」
アスカ「やっとわかったの!!」
「バカシンジ!!」
他人が存在することで、初めて自分を認識することができます。
同じように、シトという他者が登場することによって、ヒトは自らの心の問題点に、気づくことができるのではないでしょうか。
そして、これこそ、血が青いという、わずかそれだけの違いでヒトと区別され、皆殺しされたシトが、エヴァンゲリオンという作品に必要だった理由ではないでしょうか。
だからこそ、シトの恐怖から始まったこの物語で、ヒト(赤い血)とシト(青い血)の最後の会話は、以下のようなものだったのです。
シンジ「でも、僕の心の中にいる君達は何?」
レイ 「希望、なのよ。」
レイ 「ヒトは互いにわかりあえるかもしれない、ということの。」
カヲル「好きだという言葉と共にね。」