第2章 シトの血はなぜ青いのか
<血が青いということ>
NERVがシトをシトとして判別するのには、常にある種の分析を行っています。
それが、
マヤ「パターン青!シトです。」
という、有名な判別法です。
そして、この時、コンソールには
[BLOOD TYPE BLUE]
と表示されています。
文字通り解釈すれば「血液のタイプが青」ということです。実際にはシトの血液は青色だけではないのですし、血液以外の要素(例えばATフィールド)も含めて判別しているのかもしれませんが、上記の表現は意図的に用いられていると思いますので、あえて単純に<血の色>という解釈で話を進めます。
<ブルークリスマスとの比較>
ところで、血液が青い(BLOOD TYPE BLUE)とはどういうことでしょうか。
「血液の中のヘモグロビンの構造が人間の場合とちょっと違います。」
「人間の場合では、ヘモグロビンはタンパクと鉄の結合体ですが、イカの場合には、その内容が、タンパクと銅の結びついたヘモシアニンです。」
「それは、具体的にどう違うんですか」
「具体的に、そうですね、一番具体的にはイカの血液は青いです。」
これは、BLOOD TYPE BLUEの副題をもつ映画「ブルー・クリスマス」における、青い血の説明です。
これは、庵野監督がもっとも影響を受けている岡本喜八監督による作品のひとつです。
おおまかに言えば、UFOを目撃したヒトの血が青くなるという事件が起きます。
各国政府は、調査しますが、血液が青いからといって、それがどう人類に影響を与えるかは理解できません。しかし、青い血液の親から生まれた子供も青い血液をもつため、彼らの人口は急激に増加しはじめます。
そこで、各国の権力者達は、手遅れにならないうちにと、様々な方法を用いて、青い血液の人々を抹殺していきます(ナチスのユダヤ人迫害のイメージに重ね合わせられます)。
「青い血は人類の敵なのですか。」
「そんな証拠はどこにもない。だが、そうでない証拠もどこにもない。」
「つまり青い血に関する限り、将来への予測は全くついていない。そのとき、地球の指導者達は最小限安全な手をうつしかない。つまり、青い血を敵視する。人類全体が青い血に対して恐怖をもつようにしむけていく。それがこれまで歴史的に見て、政治家達がとってきたやり方じゃないですか」(「ブルークリスマス」より)
青い血とは何であり、何を意味するのか。本当に人類に危害をもたらすものなのか。この映画では語られることはありません。ただ、青い血ゆえに恐怖と偏見をもつ、人間社会だけが描かれます。
「宇宙のどこかの侵略者により、人類はおかされつつある。
侵略者は、青い血液をしている。そういうウワサが意図的に流され、青い血液に対する恐怖が全世界につくられつつある。」(「ブルークリスマス」より)
シンジ「ねぇ、シトって何なのかな?」
アスカ「何よ。こんな時に」
シンジ「シト、神の使い。天使の名を持つ、僕らの敵、なんで戦うんだろ。」
アスカ「あんたバカ?。わけわかんない連中が攻めてきてんのよ。ふりかかる火の粉は取り除くのがあったりまえじゃない。」
シンジは、自分がなぜシト(青い血の生物)と戦わなくてはいけないのかを疑問に持っています。しかし、このような疑問をもつのは、物語中で彼一人です。他のヒトは、疑問も持たずに、「人類への侵略者=シト」という視点で、シトを殲滅させようとします。
カジ「やはり死ぬ時はここにいたいからな。」
シンジ「死ぬ?」
カジ「そうだ。シトがこの地下に眠るアダムと接触すれば、人は全て滅びるといわれている。サードインパクトでね。」
「ブルークリスマス」において、青い血が意味するものを知っているものは誰もいません。しかしながら、それが、いわゆる「ヒト」とは異なるために、青い血に関する恐怖と警戒が広がっていきます。
「エヴァンゲリオン」においても、青い血を持ったシトとは、何なのか、はっきりしません。それにもかかわらず、ヒトからは、排除すべきもの、そして、人類の破滅をもたらすものと言われます。
判別の方法は、血液型が青であるということだけです。
実際にヒトに何をもたらすのかは話題になることもなく、ただ、恐怖のウワサだけが一部の権力者(ゼーレ)によって、国連及び各国首脳に対し意図的に流されます。
そして、「シト=ヒトを滅ぼす存在」という情報のもと、ヒトを守るために、シンジは戦うことが期待されています。
「ブルークリスマス」において、政府は適当な名目をつけて、全国民の血液検査を実施します。そこで青い血をもつものは、シベリアにつれていかれ、強制収容所で実験台とされます。
「そこに今、約300名のロボトミーをうけた植物人間がいる。彼らは、ほんの1年前までは普通の平凡な人間だった。それがいずれもUFOに出会い、血液がブルーに変化した。」
「彼らは秘密裏にそこに運ばれ、拘禁され、尋問され、そして、手術を受けた。彼らはそこで植物人間にされ、生体実験の材料にされ、そしていずれは、おそらく…」(「ブルークリスマス」より)
「ブルークリスマス」の主人公は自衛隊に所属し、青い血液を持つ人を弾圧していく側にいるのですが、自分のやっていることが正しいことなのか、苦悩します。
「あの人達が何をしました。偶然UFOを見て、そして血液の色が変わって、それが
そんなにいけないんですか。」(「ブルークリスマス」より)
シンジ「何で僕が戦うんだろう?こんな目にあってまで。」
「理由なんていらないのかな?」
「考えちゃいけないのかな?」
「敵、敵、敵、敵、みんな敵」
「ぼくを、ぼくらをおびやかすモノ。つまり敵なんだよな。」
「そうさ、自分の命を、自分達の命を自分を守って、何が悪いんだ。」
シンジ「敵、そうみんなが敵と呼んでいるモノと戦わなきゃいけない。」
レイ「戦って?」
シンジ「勝たなきゃいけない。」
「そう、負けちゃいけないんだ。」
「みんなの言うとおりにエヴァにのって、みんなの言う通りに勝たなきゃいけないんだ。」
「ブルークリスマス」で、組織の命令により、わけもわからず青い血の持ち主を弾圧する主人公。
「エヴァンゲリオン」で、やはり組織(NERV)の命令により、理由もわからずシトを殺しつづける主人公。
自分の行動に確信が持てない2人にとって、行動の根拠は、命令だから、ということと、これが人類を救うかもしれない、ということの2点だけです。
「ブルークリスマス」の主人公は、自分の恋人が青い血の持ち主であることに気づきます。しかし、悩んだすえ、それでもプロポーズします。
一方、各国政府は、12/24に世界中の、まだ強制収容所に送られていない青い血液の人間を虐殺することを決定します(これが、表題の「ブルークリスマス」です)。青い血液の人間が、武力蜂起をおこそうとしている証拠を得たという名目でです(もちろん、でっち上げです)。
主人公には、婚約者を殺すよう指令が出されます。
24話シンジ「うそだ。うそだ。うそだ!!カヲル君が、彼がシトだったなんて。そんなのウソだ。」
ミサト「事実よ、受け止めなさい」
シンジの前には、渚カヲルという、少年が現れます。彼は、シンジが会ったなかで、最も彼を理解してくれるヒトでした。
しかし、カヲルが、実は青い血を持つシトだったとつげられます。シンジはそれを拒絶しますが、結局は、今までのシトと同様に、カヲル殲滅を目指します。
なぜなら、シトとは、人類の敵であり、倒さなくてはならない存在だからです。
「ブルークリスマス」においては、主人公は自分の婚約者を、血が青いという理由だけで殺すよう命令されます。
「エヴァンゲリオン」においても、主人公は、はじめての自分の理解者を、血が青いという理由だけで殺すよう命令されます。
二人とも、血が青いということが、本当に悪いことなのかはわかりません。しかし、組織の命令は絶対です。
*ここでは、「ブルークリスマス」では、ベートーベンの荘厳ミサ曲が、大雪のクリスマスを舞台に流れます。エヴァでは同じくベートーベンの第9(日本におけるクリスマスソングですね)が、氷ついた地下世界を舞台に流れます。
「ブルークリスマス」の主人公は、婚約者を逃そうとしますが、失敗します。自衛隊の隊員達の監視を受けながら,職務を果たすために、いっしょにクリスマスイブを過ごそうとしていた自らの婚約者に発砲します。
シンジも、カヲルの言葉を理解できないままに、シトとして、殺します。
シンジ「カヲル君が、好きだっていってくれたんだ。僕のこと。」
「はじめて、はじめてヒトから好きだって言われたんだ。」
「好きだったんだ。生き残るならカヲル君の方だったんだ。僕なんかよりずっと彼の方がいいヒトだったのに。」
「カヲル君が生き残るべきだったんだ。」
「青い血を殺すことが人類のため」という偏見と、所属する組織の命令という重圧に負け、確信もないままに自分の最大の理解者を、それぞれの主人公は殺します。
「ブルークリスマス」の主人公は、自分の婚約者を撃ったあと、やり場のない怒りを爆発させ、上司や仲間の隊員たちに向け銃を乱射します。しかし、包囲していた隊員達に、逆にその場で射殺されます。瀕死の、青い血の婚約者は、赤い血の主人公の死体に這いつくばって近寄り、触れようとしますが、力尽きて絶命します。クリスマスの、真っ白な雪の上を、彼女の青い血は流れ、主人公の赤い血にまざり、ふたつの血はひとつに溶け合います。
シンジ「もう嫌だ。死にたい。何もしたくない。」
「カヲル君も殺してしまったんだ。優しさなんかかけらもない。ずるくて臆病なだけだ。僕にはヒトを傷つけることしかできないんだ。だったら何もしない方がいい。」
シンジ「もうやだ。もうやだ」
アンチATフィールドがATフィールドをとかす。
シンジ「そこにいたの、カヲル君」
とけあうヒトとヒト。
とけあうレイ(青い血)とシンジ(赤い血)
シンジ「僕は死んだの?」
レイ「いいえ、全てが一つになっているだけ」
「これが、あなたの望んだ世界、そのものよ。」
「ヒト」と、血の色が異なっているために徹底的に殲滅されたもうひとつのヒト。自分の最大の理解者を、組織の命令と社会の常識(偏見)に負け、ヒトではないと見なして殺してしまった主人公。
死のあとに、一つになった世界。
エヴァとブルークリスマスは同じ構造をもっています。
1.青い血のヒトの登場
2.青い血の所有者が赤い血(人類)を滅ぼすというウワサの拡大
3.主人公による青い血をもつものへの攻撃
4.主人公による自分の行動への懐疑。
5.主人公に最も好意を持つ人間が青い血であることの発見。
6.主人公による、最も好意的な人物の殺害。・・雪の中、ベートーベンの音楽をバックに。
7.主人公の自殺的暴発。
8.死の世界において、赤い血と青い血がひとつになる。
このようなストーリー構造の一致は、当然の事ながらテーマとしても同じもの読み取るとることが期待されます。
「ブルークリスマス」では、
テーマ1.異質な存在に対する「差別」の問題。
これは、寓意的に青い血で表現されていますが、肌の色、宗教、出身の違い…などと同じです。映画の中では、象徴的にナチスのユダヤ人迫害のビデオが流れます。
テーマ2.自分の気持ちを押し殺してでも、社会および組織などの、自分が所属する共同体の見解にしたがって動かざるをえない人間の問題。
これは、実際に軍隊を経験している、戦中派である岡本監督ならではのテーマでしょう。
これらの点について庵野監督はこういっています。
「戦争映画の作り手も受けても、既に戦争をリアルな追体験として描けず、とらえられない現在にこそ、戦中派の撮った写真(映画)を見なおす意味があるのかもしれない。」(岡本喜八監督「沖縄決戦」LD版への寄稿文。「エヴァンゲリオン完全攻略」より引用)
つまり、「BLOOD TYPE BLUE」青い血のヒトを描いたこの作品は、青い血の人々を描くのがテーマなのではなく、そのような異質なヒトに出会った場合の、一般の(赤い血の)人々の社会的な反応を描くのが目的だったのです。
同様に考えれば、「エヴァンゲリオン」でも、シトの正体がなぜ明確に説明されなかったのかが理解できます。「エヴァンゲリオン」で重要だったのは、「シトとは何か」とか、「シトはなぜヒトを襲うのか」、ではなくて、異質なものが現れたとき、ヒトはどのように反応するのか、がテーマだったのです。
上述の二つのテーマについて、エヴァに対応させて考えますと、
テーマ1.シトとは何であったのか。・・差別の存在理由
青い血であることだけが、シトがヒトと異なる理由です。もしかして、シトとヒトは、お互いにもっと別の関係を結べたのかもしれません。
ミサト「(シトは)ヒトの形を捨てた人類の、ただ、お互いを拒絶するしかなかった悲しい存在だったけどね。」
つまり、シトもヒトなのです。
テロップ「同じ人間なのに」
シンジ「違う。シトだ。僕らの敵だったんだ。」
テロップ「同じ人間だったのに。」
シンジ「違う。違う。違うんだ。」
レイ「私と同じヒトだったのに。」
シンジ「違う。シトだったんだ。」
シトを、ただヒトと違って青い血液を持っているという一点で、「人類の敵」と考えてよかったのでしょうか。
この点は次のテーマと関係を持ちます。
テーマ2.ヒトは、自分の気持ちを押し殺して、社会の常識に流されてしまうこと。
第一章の結論でみたように、サードインパクトを起こそうとして、シト脅威論を唱えたのはゼーレです。ところが、このゼーレが意識的に流した情報に対して、誰一人、疑問を抱かずに引っかかってしまいました.これは、テーマ1で見ましたように、ヒトの異質なものに対する恐怖や差別心をうまく利用したためです。
シンジは、このようなウワサの中で、「人類のため」という名目でシトを殺しつづけます。しかし、その行為に疑問を持つことは許されません。誰からも、疑問を応えてもらえず、ただ、信じることを強要されます。その結果、状況に流され、自分の最大の理解者であるカヲルをも、自分の手で殺すことになります。
<最後に>
ここまで見てくれば、なぜ、シトが青い血であり、BLOOD TYPE BLUEという血液の色によって判別される存在なのか、それによって、製作者が何を言いたかったのかがはっきりしたと思います。
ヘモグロビンの構造の違いを表現したいわけではありませんし、怪物性を強調したいわけでもありません(シトの血液の色そのものは、視覚的には必ずしも青で統一されてはいません。)もちろん、シトがイカの親戚だと言いたいわけでもないでしょう。
シトがわざわざ「BLOOD TYPE BLUE」という表現で判別されることの意味は、
1.
シトはヒトの敵ではないかもしれないということ。
2.
個人は、自分の意思を抑圧して、自分が属する共同体の(多数派の)見解に流されてしまうこと。
この2点が、エヴァの隠れたテーマであることに気づいてほしいからではないでしょうか。
<結論2>
シトが、BLOOD TYPE BLUE(「ブルークリスマス」のサブタイトル)により、「敵」と認識されるという設定は、襲いくるシトを判別する過程を描くためではない。
自分たちと異質なものを、ただそれだけで排除しようとしたり、周囲の意見に流されて行動せざるをえない、ヒトの心を描くためである。
シトではなくヒトが問題なのである。