鳩山由紀夫首相が迷走したことで、日米同盟のいびつな姿がより鮮明にあぶり出された。
結局、すべてがNIMBY(Not In My Backyard=ニンビー)である。自分の家の裏庭はやめてくれ、という考え方だ。多くの政治家が「安保は大事だ」と言うが、負担については口をつぐむ。
「抑止力」「地理的優位性」という検証不可能な言葉を隠れみのにしながら、現状維持にしがみつこうとする。米国の戦略に従って沖縄に基地が集中している、と勝手に理解し沖縄の過重負担を容認する仕組みがある。
日本は自らの安全保障の責任を負わない「ただ乗り」を米国から批判されることがある。国内では沖縄に多くを負わせている現状の中で、米軍施設のない多くの本土の地域は「ダブルのただ乗り」となる。このような不公平が許されるわけがない。
日々の生活、経済活動の基盤として安全保障がある。戦後日本は米国に安保を委ね、国防を最低限に抑えながら高度経済成長を成し遂げ、今日の繁栄を築いた。それは沖縄の犠牲の上に成立した。
27日の全国知事会では米軍基地を抱えていたり、在沖米軍の移転訓練を引き受けている地域が「すでに責任は果たしている」と主張するなど、鳩山首相が呼びかけた沖縄の負担軽減には非協力的な態度が目立った。
「米兵の犯罪、不祥事が多く何の手当てもせず全国にばらまくのか」(大分県知事)「この時期に知事会を招集して全国に火の粉を分散するつもりか」(千葉県知事)。
心ない言葉だ。沖縄ならいいのか。くやしく、むなしい気持ちになる。全国に存在する米軍専用施設の75%が国土面積の0・6%に集中する現状を固定化する差別的な構造が堅固にある。これが日米安保の実態なのだ。
この国は自前の安全保障議論を怠ってきた。日米安保をめぐる論争が繰り返され、沖縄に負わせた過重負担の中身について十分な検証はなされなかった。
沖縄にある基地の7割強を米海兵隊が使っている。普天間飛行場も海兵隊のヘリコプター基地であり、もっぱら基地問題の議論は海兵隊を沖縄に置く必然性があるかどうかとなる。
実に単純なことだが、政治家、外交・防衛の官僚たち、大手マスコミもほとんど議論しない。政府は議論のベースになる情報を持ち得ていないのか、まったく開示しない。
まず海兵隊の体制、任務、活動について「学べば学ぶほど」沖縄でなくてもいいことに気付く。いま現在、沖縄から1600人の海兵隊員がイラク、アフガンなど対テロ戦争に派遣されている。
残る部隊はタイ、フィリピン、韓国、オーストラリアなど同盟国と共同訓練するために遠征している。6カ月のローテーションで米本国から派遣され、長崎県佐世保に配備されている強襲揚陸艦に乗船して巡回している。
今年は2月にタイでの共同訓練があり、グアムで訓練した4月にかけて、普天間に残っていたヘリコプターはたったの2機しかいなかった(宜野湾市の目視調査)。
この状況を知れば、「抑止」とか「地理的優位性」という言葉がまやかしであることが分かるはずだ。
中東や中央アジアへ展開するなら米本国から直接派遣すればいい。船がある長崎を軸に沖縄までの距離で円を描くと、九州全域はもとより平野博文官房長官の大阪府、岡田克也外相の三重県、北沢俊美防衛相の長野県のいずれも移転地になり得る。元防衛大臣で自民党の石破茂氏の鳥取県あたりも北朝鮮をにらむにはナイスロケーションだ。
鳩山首相の北海道もかつて有力な候補地として日米が検討した経緯が現にある。
沖縄問題の「パンドラの箱」は開けられた。抑止力とか北朝鮮の脅威といった重しではもう閉じられない。