2010年05月30日 16:30 [Edit]
「僕ら」から「みんな」へ - 書評 - 僕らのパソコン30年史
翔泳社外山様より献本御礼。
平成5年の電子書籍: [間歇日記]世界Aの始末書どうだ? いまでも、MS-DOS Ver.2.11 以上が走り、OSが起動した状態でのフリーメモリが550Kバイト以上もあるというハイエンドな PC-9800 シリーズをお持ちの方であれば、いつでもこの電子書籍を楽しむことができる。残念ながら、おれ自身はもはやこの電子書籍を読むことができないのではあるが…
この記事に何らかの感慨を抱く人であれば必ず楽しめる一冊。AAPLの時価総額がMSFTを上回ったというタイミングで上梓されるのもまた絶妙だ。
本書「僕らのパソコン30年史」の「僕ら」とは一体誰の事だろう。それが、本書を読み解く鍵となる。
目次Part 1 パソコン年代記
序章 パソコンの歴史を彩るいくつもの潮流について
- 1971〜1980年 黎明期
TURNING POINT 経営技術的側面から初期パソコン史を読む/ナビゲーター:佐野正博 - 1981〜1985年 市場形成期
TURNING POINT BASICからはじまったパソコン人生/ナビゲーター:矢沢久雄 - 1986〜1990年 PC-9801と一太郎の時代
TURNING POINT ソフトウェアを核としてデジタルな世界に関わり続ける/ナビゲーター:下川和男 - 1991〜1995年 DOS/VとWindowsの時代
TURNING POINT DOS/V総力戦/ナビゲーター:竹村譲 - 1996〜2000年 Windowsとインターネットの時代
TURNING POINT Windows、デバイス独立を実現したOS/ナビゲーター:トム佐藤 - 2001〜2009年 デジタルコンテンツの時代
TURNING POINT これまでのパソコンやネットの歴史は長い準備期間に過ぎなかったのかもしれない/ナビゲーター:中俣暁生
Part 2 パソコンをめぐる時代の変遷
- CPUとPCアーキテクチャで見るパソコンの歴史
- OSの系譜
- パソコン雑誌と時代の流れ
- アキハバラ今昔
写真と図版について
編集後記
その「僕ら」とは、status quoなんて言葉を知らなかった一部の好事家から始まった。その「僕ら」がどんどん増えて、「僕ら」そのものがstatus quoになるまでが、この30年史ということになる。
留意してほしいのは、本書は世界のパソコン史ではなく、日本のパソコン史だということである。よって「僕ら」は主に日本人ということになる。その歴史のはじめにおいて、日本は格別の役割を果たしている。世界パソコン史における「史跡」として、秋葉原の重要性はシリコンバレーの次に重要であることは本書をひもとけばいやでもわかる。そもそも Personal Computer = PCを商品名に使ったのは、IBM PCよりNEC PC-8000シリーズの方が先だし、4004のキックオフカスタマーはビジコン社だった。
そして特別な存在だった「日本の僕ら」が、特別でなくなっていくというのもまたこの歴史である。98と一太郎がDOS/VとWindowsに置き換えられて行く様は、i-ModeがiPhoneとAndroidに、「ガラケー」が「スマホ」に変わって行く歴史とどこか重なる。
個人的には、「僕ら」視点を考慮に入れても、ちょっとWintel色が強すぎるかなとは感じる。Appleの扱いはこれでいい--Apple史であればすでにパソコン史以上に語られているとすらいえる--としても、Unix、特にLinuxの扱いは小さすぎるとも思う。「遊び人」だった「僕ら」のメシの種のかなりの部分は「こちら側」から「あちら側」にあるのだし。
それにしても、何と言う30年だったのだろう。4004の頃には2300個しか必要なかったトランジスターは、今や億を超えている。しかもこれはCPUであって、DRAMであれば100億のオーダー。ムーアの法則は街金より凄まじい。この「凄まじい」が「日常」だったことに改めて愕然とする。
「僕ら」はがんばった。がんばった結果、「僕ら」そのものが「みんな」の中にとけていく。
そして、本書が残った。
ということになるかどうかはわからないけれど、「僕ら」の物語は、「みんな」にも何か意味があるはずだ。それがどんな意味かは各自本書から読み取って欲しい。
それが、「僕」のからの願い。
Dan the Man of the Age