2010年5月30日12時19分
ラッシャー木村さんの思い出を語るアニマル浜口さん=台東区浅草3丁目
木村さんは大相撲から転身し、64年に日本プロレスに入門。その後、東京プロレスを経て国際プロレスに移籍した。頑強な体を生かすため打ち出されたのが「金網デスマッチ」だった。81年の国際プロレス解散後はライバル団体に殴り込み、悪役に徹した。
「ジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんに対抗するため、必死だったんだろうね」
そう話すのは、大日本プロレス(横浜市)社長で同じ北海道出身のグレート小鹿さん(68)だ。「ぼそぼそとしゃべるマイクパフォーマンスも、朴訥(ぼくとつ)で誠実な彼の人柄がにじみ出ていた」という。
木村さんは2000年、故三沢光晴さんが旗揚げしたプロレス団体「ノア」に参戦。61歳まで活躍したが、脳梗塞(こうそく)による体調不良を理由に療養に入り、04年にビデオ映像で引退を表明。車いす生活となってからは、かつての仲間たちとも会わなくなった。
「衰えた姿を見せたくないという彼の美学だったんだろう」と小鹿さんは話している。(小泉信一=大衆文化担当)