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株式会社アイエヌエイチ
株式会社ウェーブマスター

2009.10.14

 
音楽よりもアニメ・ゲームに夢中だった少年時代
運命のイタズラ(?)でタイトーに入社
「サイバリオン」でコンポーザーデビュー
ZUNTATA時代の代表作「メタルブラック」制作秘話
 
 


「GA-CORE編集人の大野善寛です。いつもGA-COREをご愛顧頂き誠にありがとうございます。先月掲載した「GMCD20選!」いかがでしたでしょうか?きっとみなさんも思い入れのある作品がたくさん登場したことと思います。これに連動したGA-CORE初のレア中古GMCDを1点もので販売する「GMCDフェスティバル」が現在展開中です。毎日貴重なレアものが入荷されています。ぜひこちらもチェックしてくださいね。さて今回からサウンドクリエイターインタビューがその名も「Game Music Core special interview NEO」となり装いも新たにスタートとなります。隔週の月2回の更新となりますが、その分よりディープにへえ~ネタを満載してまいります。リニューアルの1回目は、みなさんおまちかねのあの人、Yack.こと渡部恭久さんがいよいよ登場です。ではお楽しみください。」

みなさんこんにちは。ゲーム業界歴16年の生きた化石こと、鴫原盛之です。 著書に「ファミダス ファミコン裏技編」「ゲーム職人 第1集 だから日本のゲームは面白い」(ともにマイクロマガジン社刊)のほか攻略本、ムックなどの共著も多数……なのですが、ここ最近は紙媒体での仕事が減り、それに代わってwebページ上で記事を書く機会が大幅に増えており、時代の流れを痛感しています。(本当は攻略本の執筆もまだまだやりたいんですけどね……)


   <出席者紹介>
渡部恭久(Watanabe Yasuhisa)
1987年にタイトーへ入社。ZUNTATA草創期からの主力メンバーとして、「サイバリオン」「メタルブラック」「カイザーナックル」など数多くのサウンド制作を担当。その後アリカ、スーパースィープを経て、現在はフリーランスで活動中。代表作に「ボーダーダウン」「テクニクティクス」「旋光の輪舞」シリーズなどがある。
   

 
●音楽よりもアニメ・ゲームに夢中だった少年時代
   
鴫原: まず初めに、渡部さんが少年時代に音楽に興味を持ったきっかけからお聞かせいただけますか?
   
渡部: それが全然ないんですよ……いきなりつまんないお話になっちゃってホント申し訳ないんですが。
   
鴫原: エッ!? じゃあ好きなアイドル歌手のレコードを買ったりとか、ピアノとかを習ったりしたこともまったくないと?
   
渡部: 全然ないです(笑)。当時はアニメとかSFが大好きだったので、たとえばアニメの音楽であればレコードやソノシートとかで聞いてはいたんですけどね。まだビデオとかを持っているような家庭環境じゃなかった時代でしたから、ソノシートやサントラで音楽を聞きつつ、「ジ・アニメ」や「アニメージュ」とかのアニメ雑誌を見ながら、自分の頭の中でその作品を想像しながら楽しんでしました。昔でいうところのアニメマニアみたいな状態だったのが、今になっていろいろ生かされているのかなあと思うことはありますね。
   
安藤: 「アニメージュ」とか「アニメディア」じゃなくて、「ジ・アニメ」が先に出てくるところがまたマニアックですね(笑)。
   
鴫原: 今までご自身が見たアニメの中で、特に影響を受けた作品はありますか?
   
渡部: 自分は大分県の出身で、放送局が民放だと2チャンネルしかなかったんですよ。だから地元で放送されていたものに関しては、もうそれこそ全部の作品に感化されていたようなかんじです。当然、「ガンダム」とかの日本サンライズ系は普通に観てました。
   
大野: じゃあ、ホントに楽器とかも全然やらなかったんだね?
   
渡部: ええ、音楽ではなくて絵のほうに興味を持っていたので、アニメ雑誌に載っていたアニメのイラストとかを見ていろいろ絵を描いてました。あ、それから自分でサランラップとかを使ってセル画に起こしたりとかもしてたかも? 実を言いますと、当時某雑誌の常連投稿者をやっていたんですよ。掲載されると2万円ぐらいもらえてすごくギャラがよかったですから、そのお金を使ってアニメのサントラとか、中学生になってからはパソコンも買いました。音楽に関しては、テレビのベストテン番組をカセットテープに録音して後から聞いたりするぐらいかなあ……。
   
鴫原: ちなみに、買ったパソコンの機種は何だったのですか?
   
渡部: FM-7ですね。当時はゲームに徹する人はだいたいPC-8801のほうに進むんですけど、自分は昔からみんなと同じ方向には進みたくないという性格だったもので(笑)。それで、買ったからにはちゃんと使いこなせるようにしなきゃいけないなと思って一生懸命使い方を勉強しました。今思い返すと、昔の自分はアニメーターになりたかったのかもしれませんね。
   
鴫原: で、それで描画性能の高いFM-7を買ってBASICを覚えた、と。
   
渡部: いえ、BASICよりも先にアセンブラとマシン語のほうを覚えちゃいましたね。
   
鴫原: それはスゴイ! 普通の人と順序がまったく逆ですよ(笑)
   
大野: ゲームセンター通いとかはしてたのかな?
   
渡部: ええ、もちろんゲームはずっと好きでした。
   
鴫原: ちなみに、当時ハマッたゲームのタイトルは?
   
渡部: ちょうど小学生のときがインベーダーブームの真っ盛りだったので、「スペースインベーダー」はかなり遊びましたね。ちょうど実家の近くにあった養鶏場のオジサンが、趣味で筐体ごと買った「スペースインベーダー」が置いてあったので、そこでタダで遊ばせてもらっていたんですよ。もっとも、「インベーダー」は多分デッドコピー版だったと思います。白黒モニターの上に色セロファンを貼ってカラーに見せかけたヤツだったので(笑)。あとは「ムーンクレスタ」なんかも、当時かなりやったような記憶があります。
   
安藤: 「ムーンクレスタ」は、あの自機に描かれた(I、II、IIIの)ローマ数字がカッコよかったですよね~。
   
渡部: そうそうそう。
   
鴫原: 「ムーンクレスタ」の時代は、駄菓子屋ゲーセンみたいなところで遊んでいたのですか?
   
渡部: はい。実家が山の上のほうにあって、お店がある場所はそこからずっと下のほうにあったので、行きは5分ぐらいなのに帰りは40分ぐらいかかるんですよ(笑)。ものスゴイ遠かったんですけど、その道をワンプレイ分の50円玉1枚を握り締めながら毎日のように通っていました。
   
鴫原: では、ゲームミュージックの存在自体を最初に意識したゲームのタイトルは?
   
渡部: 同業者のみなさんからよく耳にするのは「グラディウス」なんですけど、私もその例に漏れず、音楽として意識するようになったのはやはりこれだったと思います。効果音そのものを意識したのは、さっきも出てきました「ムーンクレスタ」になりますね。
   
鴫原: カセットテープに録音できるプレイヤーをゲーセンに持って行って、好きなBGMを録音したりとかしませんでしたか?
   
渡部: ええ、やりました。当時はまだ風営法の規制がなかった時代でしたから、夜中になってゲーセンの客が少なくなってきたのを見計らって、当時仲良くしてもらっていた大学生の兄ちゃんたちに頼んで、基板をテストモードに変えてもらってから録音したり聞いたりして楽しんでいましたね。で、そのうちに自分で直接曲を記憶するのがだんだん早くなってきまして、別に音楽とかを習ったりとかもしていなかったのですが、いつの間にか全部耳コピーできるようになっちゃいました。
   
安藤: ちなみに、渡部さんが一番最初に買ったレコードって誰のものですか?
   
渡部: 確かスティービー・ワンダーのレコードだったと思います。高校時代は放送部に入っていて、部員のみんなが持ち合ったレコードを聞いたりしてずっと気になっていたからですね。あと、NHKで昔放送していた「600こちら情報部」っていう番組でカシオペアなどの曲がかかっていたのを聞いて、こういう曲の流れっていいなあとか、いわゆるクロスオーバー系に感化されていたところはあるかもしれません。あと、これはこぼれ話になるのですが、元コナミの竹ノ内裕治君とは高校時代の同級生だったんですよ。学年も部活もいっしょだったんですけど、お互い幽霊部員でしたので普通に知ってるぐらいだったんですけど、つい最近になって並木(学)君にツッコこまれてこの事実を知りました(笑)。当時、彼が学校の文化祭でキーボード演奏をやっていたのを見た覚えはあったんですけど。

※竹ノ内裕治氏は、コナミ時代に「スペースマンボウ」「クォース」などの作曲をしている。
   
鴫原: 偶然にしてはあまりにも劇的かつ出来過ぎですね! 何か大分には個性的なサウンドコンポーザーが育つ土壌があるのかもしれませんね(笑)。
   

 
●運命のイタズラ(?)でタイトーに入社
   
鴫原: では、将来ゲーム会社で仕事をしたい、と思うようになったのはいつ頃からですか。
   
渡部: 意識するようになったのは高校に入ってからですね。でも、当時は実家から離れて都会に出るのがすごく嫌だったんですよ。工業高校にいましたので、3年生になると就職活動が始まるのですが、あるとき先生から「お前に向いた就職先がふたつあんねんけど……」って求人を見せられたのが、地元にあったソフトハウスとタイトーの2社だったんです。
   
鴫原: 当時は地方の工業高校にも求人をしてたんですね!
   
渡部: 実を言うと、最初はタイトーに行くつもりは全然なくて、本当はナムコに行きたかったんですよ。当時はホントもうナムコ信者だったので、ナムコの作品やNGとかが大好きでかなり感化されていましたから。だから最初にタイトーって聞かされたときは、「ゲエエ、タイトーとかダリィ!」って素で思ってました。(一同爆笑) ただ、ちょうどその頃に発売された「ダライアス」をゲーセンで見て、この会社もスゴイもの作れるんだなあって、あらためて見直したことで気持ちが揺らぐようになりました。
   
鴫原: 最終的に、タイトー志望に決めた理由は?
   
渡部: 三者面談の場でも結局決められなかったので、家に帰ってから2枚の紙(2社の資料)を扇風機の風に当てて飛んだ方をやめればいいかなぁ~って考えました。で、いざ風を当ててみたら、最初に飛んでったのが実はタイトーの紙だったんですよ(笑)。じゃあ地元のソフトハウスに決めようと思ったら、後で先生から「アカン、あの会社つぶれるかも?」という情報を聞かされまして、それならタイトーを受けてみようかということになりました。
   
安藤: 結局、そのソフトハウスはその後どうなったんですか?
   
渡部: つぶれちゃいました(笑)。
   
大野: それ以外の会社の入社試験とかは受けなかったの?
   
渡部: 受けたのはタイトー1社だけですね。もし落ちたら、まあ運がなかったということでもういいや、家業の土建屋でも継ぐかなあなんて思ってました。
   
鴫原: 入社試験はどのような形でやったのでしょうか。
   
渡部: 他の高校の受験者といっしょに東京の本社で受けました。確か、面接と筆記試験で合否を判定していたように記憶しています。
   
鴫原: で、無事に合格して採用になったと。
   
渡部: ええ。もうヤッター、ゲーム会社に入ったぞ~って。それで、これを足がかりにして後でナムコに行ってやれって思ってました(笑)。
   
安藤: タイトーに入社を決めても、ナムコ信者という想いは変わらなかったんですね。
   
渡部: ええ、もう全然変わってないですね。
   
  (一同爆笑)
   
大野: 入社したときは、もちろん開発志望で入ったわけだよね?
   
渡部: はい。そうなんですけど当初は工場に配属される予定だったんですよ。新人研修が終わってから、「明日から工場に行ってもらう」って言われたので、エッ何それって驚いちゃって。それで、自分はゲーム企画の仕事がしたくて入ったんだ、自分は工場で働くために入社したんじゃないって会社に直訴しました。
   
鴫原: 高卒の新人がいきなり直訴ってのはスゴイですね!
   
渡部: 会社がちゃんとゲームの企画や開発の適性検査をやったうえで、「お前に適性がないから落ちたんだ」って言ってくれればまだ納得できたのですが、いきなり何も選択肢がない状態なのが嫌だったんですよ。会社にそういう話をした後に、実は自分以外にも似たような境遇の同期の人が何人かいたので、後でみんなで会って進路の話し合いをしようということになりました。その結果、最終的に自分も企画の研修を受けられるようになりました。
   
大野: じゃあ、もしそのまま工場に行けということになっていたら?
   
渡部: その場でもう辞めるつもりでした(笑)。
   
鴫原: で、晴れてゲーム開発の道へと進むわけですね。
   
渡部: はい。それで、最初の企画研修のときの講師をしていただいたのが三辻富貴朗さん (※通称MTJ氏。「バブルボブル」「サイバリオン」などの企画者として有名)だったんですよね。
   
鴫原: かの有名なMTJさんが講師でしたか! ナルホド、ここで企画のイロハを徹底的に教わったというわけですね?
   
渡部: いや、それが最初の課題を提出したら、後で三辻さんからいろいろイチャモンつけられたので、新人の分際でついついタテ突いちゃいまして……。ああ、これでもう俺は企画職は落ちたなあと思っていたらなぜか受かっちゃったんです。
   
鴫原: では、企画職として受かったのにサウンド制作をするようになったのはなぜでしょうか。
   
渡部: 同期の友人に、「お前は音とか作る仕事はやらへんの? 音とかやれば、『グラディウス』みたいな曲とかが作れるぞ」って言われて、オッ、それもカッコよくていいかもなんてふと思いまして(笑)。で、後で「お前は何がやりたいんだ?」って聞かれたときに音がやりたいです、って素で答えちゃいました。企画職として内定もらっているのに、もうメチャクチャですよね……。
   
鴫原: 作曲活動とかの経験がまったくないのにサウンド制作ですか!
   
渡部: ですから、そんな話を当時の部長だった今村さん(※ZUNTATAの実質的な初代リーダー)にいきなりしてみたら、もうそれこそ「ハァ、何言ってるんだお前は?」みたいなかんじでしたね。「まあ、そう言うなら1週間ぐらい適性テストをやってみようか」ということになったのですが、具体的に何をどうすれば音が作れるのか、まったくもって何もわからない状態だったんですよ。
   
鴫原: そんな状態から、よくサウンド制作のノウハウを覚えられましたね……。
   
渡部: 昔からなぜか音感だけはあったので、曲のイメージなどは頭の中で出来上がっているのですが、それを鍵盤とかコンピュータ上で形にする方法がまったくわからないんですよね。それで、当時は小倉(久佳)さんにいろいろと助けていただきました。S50というローランドのサンプラーを使って、私がイメージを伝えた音を小倉さんに作ってもらって、「これだと高い?低い?」とか聞かれたのに対し、いやあそれだと高いスね~とか言ったりしながら作ってもらってました(笑)。
   
鴫原: 小倉さんに手取り足取り手伝っていただいたんですね。
   
渡部: そのうち小倉さんから、「サンプラーとかの使い方は全部お前に教えてやるから、後はもう自分一人でやってくれ!」ってことになりました。でも、機械は自分で使えるようになったのですが、結局作曲をするところまでは到達できなかったんですよね……。それで、「これじゃあ試験にならんな。じゃあお前は特例でアルバムを使え!」と言われまして、職場に置いてあった市販のアルバムやレコードを片っ端からかき集めて、それで当時課題として出されていた春夏秋冬をイメージした曲を作ることになりました。まずいろいろなレコードを聞いて、その中から40曲ぐらいを選び出してリールを使って編集したものを提出しました。そうしたら、何とこれがウケちゃって、「ハイ渡部、合格です!」って言われました(一同爆笑)。
   
鴫原: 作曲経験ゼロでサウンド職に採用だなんて、今ではとても想像できないですね!
     
渡部: ええ。これは後で聞いた話なんですけど、他のスタッフからは「アイツは入れたらヤバイことになるからやめろ!」って言われていたのを、小倉さんが私のことをかなり推してくれていたから受かったみたいですね。サウンドの適性はありそうだし、テクニック的なことは後になってからでも覚えられるからってことで。そういう意味では、小倉さんは私にとって命の恩人なんですよね。もちろん、その後は 誰も教えてはくれないので、理論とか作曲をとにかく独学でがんばるという 日々に続くわけですが(笑)。
   
大野: 当時のZUNTATAのメンバーって何人ぐらいいたの?
   
渡部: 確か8人だったと思います。
   
鴫原: ところで、渡部さんの「Yack.」というお名前はどういう経緯で決めたのですか?
   
渡部: 名前が恭久なので、入社した当時に人気があったシブがき隊みたいに略せば「やっくん」になるのですが、それだとちょっと違和感があったので、途中で止めて「やっく」がいいかなあと。ですから、略したという意味で名前の最後にピリオドを入れているんです。

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