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今回の宮崎における口蹄疫に対する危機管理をどう考えるか?
、危機管理マニュアルがある。
、そして、想定内の事例に過ぎないとのこと。
マニュアルはマニュアルに書かれていないことを拒否する。
事務的にマニュアルに従って淡々と手順が尽くされる。
マニュアル通りだから問題はない。
問題はない。
じゃ、何故、宮崎の畜産農家は悲鳴を挙げるのか?
感染を最小限に食い止めるかどうかではない。
畜産農家の生活の問題なのだ。
生活手段が失われる。
その補償がどうなるかが問われている。
そこが揺れているから畜産農家は不安を払拭することができない。
その不安を取り除くことが政府のあるいは国家の役割である。
感染を拡大させたくないのは国家の補償を少なくしたい国家の側の都合である。
ならば、国家は何故早く手を打たなかったかが問われる。
囲碁もそうだ。
定石だからそれでいいわけではない。
全局的な判断のもと変化する。
それができるのは、定石を疑いもなく打つ素人ではなく、定石を時と場合によって創り上げる玄人の責任である。
玄人ならば素人を唸らせる一手を選ばなければならない。
つまり、今の政府は素人の集まりと言える。
政治家は、官僚ではない。
官僚に騙される政治家は政治家とは呼ばない。
政治家の質を決めるのは国民個々の民度による。
民度の低い国民には質の悪い政治家が相応しいのかも知れない。
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