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現実に対する謙虚さの問題ですな(^◇^)

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 5月22日(土)10時49分38秒
  >け。もともと左翼自体が政治家っていうものを否定しないってところに間違いがあるっての。

あ法の脳みそには自分の脳内既定からはみ出すような理解不能な「左翼」は「左翼」と認識できない。
それは「左翼の側がまちがっているから」と思い込む。「現実」より自分の妄想の方が正しい。www
 

ヤマさん 経済の問題じゃないんですよ。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月22日(土)10時03分31秒
  酪農や畜産農家にとって育てている動物は商品でありながら、商品ではない。

 身を切るということばどおりに、気もちの問題が多いのです。

畜産農家にとっては、肉にして売っても、焼いて保証金を受け取っても経済的には変わりません。

 問題となる良質な肉を生み出す遺伝子も冷凍精液があるのでこれから再生産が可能です。

勿論、畜産農家はゴネ得を望んでいるわけでもありません。
今回の病気が道路沿いに移動していること。
そして、道路封鎖がなされないこと。
取材陣があまりにも無神経なこと。

いろんなことで自分たちが理解されていないという現実に直面しているのです。
これは基本的に金で解決はできません。
 

マニュアル問題

 投稿者:ヤマさん  投稿日:2010年 5月22日(土)08時39分13秒
  今回の宮崎における口蹄疫に対する危機管理をどう考えるか?

、危機管理マニュアルがある。

、そして、想定内の事例に過ぎないとのこと。

マニュアルはマニュアルに書かれていないことを拒否する。

事務的にマニュアルに従って淡々と手順が尽くされる。

マニュアル通りだから問題はない。

問題はない。

じゃ、何故、宮崎の畜産農家は悲鳴を挙げるのか?

感染を最小限に食い止めるかどうかではない。

畜産農家の生活の問題なのだ。

生活手段が失われる。

その補償がどうなるかが問われている。

そこが揺れているから畜産農家は不安を払拭することができない。

その不安を取り除くことが政府のあるいは国家の役割である。

感染を拡大させたくないのは国家の補償を少なくしたい国家の側の都合である。

ならば、国家は何故早く手を打たなかったかが問われる。

囲碁もそうだ。

定石だからそれでいいわけではない。

全局的な判断のもと変化する。

それができるのは、定石を疑いもなく打つ素人ではなく、定石を時と場合によって創り上げる玄人の責任である。

玄人ならば素人を唸らせる一手を選ばなければならない。

つまり、今の政府は素人の集まりと言える。

政治家は、官僚ではない。

官僚に騙される政治家は政治家とは呼ばない。

政治家の質を決めるのは国民個々の民度による。

民度の低い国民には質の悪い政治家が相応しいのかも知れない。
 

うわ言

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 5月22日(土)07時57分9秒
  寝言との会話
ご苦労様です。
 

ケンジさんへ

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月22日(土)05時00分31秒
  アノミーってことばを知ってますか?
ケンジさんみたいに考えていると、つまり、政治家はある勢力の代表でその勢力のために
政治をするのだ。という考えですね。

現実的には政治家は国家の課題を解決するために働くしかないので、
最終的にはそういう人たちは「誰がなっても同じ」という感想をもつようになります。

政治ということのとらえ方が間違っているんです。
(け。もともと左翼自体が政治家っていうものを否定しないってところに間違いがあるっての。
 純正の左翼は政治家を否定するしかないはずなんだよ。改良主義だ!ってさ。
 そういう左翼も結局は国際連盟体=世界同時革命みたいな宗教を作り出すしか方法がない。
 それこそ発展史観だって。人類一万年を甘くみてるってば。)

アノミー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%83%BC
 

妄想の戯言をくりかえしてもねえ

 投稿者:ケンジ  投稿日:2010年 5月22日(土)01時23分21秒
  あ、さん、、、。あなたのはねえ、私はこう思うんですよ、だからこうなんです。
 ええ、だから、こうなんです。ハイ、こうなんです。  と妄想の戯言を繰り返して
いるだけですなあ、、。

 そこから一歩も出てこない、いや出て来れない。

 まあ、あなたがいくら戯言を繰り返してもね、

 今の世の中、制限選挙でもなく、労働者大衆は政権奪取を繰り返していますよ。
もっとも、資本家諸君も政権奪取を繰り返していますがね。ww
 

ぽかーん

 投稿者:ヤマさん  投稿日:2010年 5月21日(金)22時36分27秒
  φ(°°)ノ°  

いや、どっちかというと仏法の方。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月21日(金)21時01分48秒
   息を止めてみよ。死ぬのは苦しい。されど、息を止めるのを止めれば極楽の思い。

そういう技術だよ。

 あと親を教育なんかしたくないよ。ただ子どもを守るなんてことを考えると中には
 子どもの害になっている親というのもいる。(血のつながりが何の保障にもならない
 んだね。養育ってことのさ。母性本能とか父性本能なんて嘘だね。そうありたいと
 願うものだけがそうなだけ。)

単に子どもに力をつけるにはという観点からだけの要請にすぎないよ。大人は根、子どもは枝
なんだから、大人が変われば子どもなんてすぐ変わる。当たり前の話。

 自己実現とかいってるようじゃだめなんだよね。(仏教徒は自己ってものが無化できると
 言わなくちゃいけないでしょ。)
 

コミュニティーの問題でしょ

 投稿者:ヤマさん  投稿日:2010年 5月21日(金)20時54分1秒
  >幸せになる技術なら誰にも負けないよ。

あさん

幸せにさせる技術でしょ、それ。

しかも、他人に認められることまでの幸せでしょ。

すかんが、マズローの欲求5段階説の底辺だよね、それ。

自己実現なんて言葉、使いたくないけど、あさん、ホント、“幸せ”ってなにか考えたことある?

ないでしょうね。

この世の中、苦しかないんだから、あさんには。

> 学校を変えるのは簡単だけど、先生や親を変えるのは大変なのだ。

学校が親の責任にしてどーすんのよ。

つまり、親も教育したいってことかなぁ、あさんは。

で、先生も教育し直すってこと?

そうすれば、カリキュラムがしっかりしてるからうまく行くはずだってことになっちゃうよ。

それは、個人を無視したカリキュラムによる全体主義でしょ。

あさんが求めている自由はどこにあるの?

結局、自由(個人)主義と全体(集団)主義の【バランス】あるいは【擦り合わせ】をどうするかで、個々の集団内の【対話】もしくは【話し合い】の場(コミュニティー)をいかに構築するかって実践でしょ。

まぁ、家庭訪問もままならない学校の苛立ちもわかりますよ。

ですから、

まずは、地域コミュニティーの構築ですよ。

しかし、コミュニティーに入らない自由もあるしなかなか難しいのかなぁ・・・ねぇ、neluさん。
 

ケンジさんへ

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月21日(金)19時17分52秒
  うーん。大ヒントを出しておいたんだけど。

 制限選挙であるほど二大政党制は機能する。

 これは、個人と国家が即に繋がるのではなく、個人がまず自分が国家以外の社会のつながり(中間社会)においてその暮らしを得ているという仕組みがあるからだ。

 むしろ、この仕組みがなければ、民主主義なぞ機能しない。

だから、日本の民主主義は偽ものなのだ。

 第一、議員のリコール、大臣のリコール、総理大臣のリコール、衆議院の解散を
 国民の意思でできない。(そもそもが総理大臣の選出すらできない。)

これらは中間社会が多数あればとてもじゃないが今のままであれるはずがない。
(なぜなら、自らの基盤を自らが放棄せよと宣告されているようなものだからだ。)

労働者なんて階級が労働者という社会を形成してない。ただ、使用人にすぎない。
案外使用人は主人ではなく、同じ使用人を差別し抑圧するだろう。そこに社会はない。
 

学校の中から学校を変えるのは案外簡単。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月21日(金)18時55分59秒
   教育課程(カリキュラム)ってのがあってそれをきちんと作るだけでOK。

 カリキュラムは学校が学校の教育計画として策定したものだからこれを無視し
 独自の実践とやらを個人の教師がすることはできない。個人の教師にその権利
 は法的にないからだ。

 学年として教育計画の改訂をすることは許される。それとても、きちんとカリキュラム
 を管理している部署への連絡報告は必要になるが。

 学校を変えるのは簡単だけど、先生や親を変えるのは大変なのだ。
 常連客がいるラーメン屋は営業努力を従業員はしない。
 すると忙しくなるし、もっと仕事が増えるからだ。
 そのあたりをどうするか?楽して儲けるのは一番なのか?という問題がついて回る。
 (でも苦労して報われないはもっと嫌だろう。)
 

ヤマさん違うよ。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月21日(金)18時51分0秒
  むしろ十分に幸せだと思ってる。
幸せになる技術なら誰にも負けないよ。

 じゃないと、児童にそこ実はいいところだからという指摘ができないでしょ。
 針小棒大。どんな小さなことでも「お前だって捨てたモンじゃない」という
 メッセージを送り続けるのが教師の一面の仕事なんだから。

幸せになるなんてその程度のことなんだよ。ヤマさん。

 むしろ、何かに目につぶることかもしれない。目が開いてれば、一切苦に間違いはない
 からね。一切苦ならこれ幸いだよ。同じ地獄を生きていると思えば大抵のことは許せる
 でしょ。

猫君が結局、同じところをぐるぐるしているのは「俺はこんなもんじゃない。」という自縛
自縛霊だよね。友達がいるとかいないとかネット上で何を言ってるんだか。
英語が得意ならFACEBOOKでつながりをつくればいいんだよ。

 国語の自明性って自分の考えが無明瞭だってば。

っていっても柄谷はそんなところフォローはしてるんだけどね。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0955.html

 ネーションが国語という問題をもつというのは日本だけの問題じゃないんだね。
 

あさんがなぜ幸福を追求しないのか?

 投稿者:ヤマさん  投稿日:2010年 5月21日(金)18時16分40秒
  過去のある一点に“幸せ”を取り逃がしたという想いが強すぎるのではなかろうか?

どうしても拭いきれぬ過去。

夏目漱石『こころ』の“先生”が持っていたような「暗い過去」。

その時点で、あさんの辞書から“幸せ”が消えた。

逆に言えば、あさんは“幸せ”を感じると過去に申し訳なくなるのかも知れない。

“俺は幸せを感じてはいけない人間なのだ。”

そうだ、“幸せ”なんてないんだ。

俺には・・・

てな感じなのだろうか?

あさんが僕を勘違いしている点は、僕の“幸せ”の追求は僕個人のものであって、他人の為ではない。

他人の為になることが、自分の“幸せ”ならばそれもあるだろう。

基本、自分が良ければいいのであって、それが他人の為かどうかは知ったこっちゃない。

問題はそれが集団化するときにある。

個人の“幸せ”=集団の“幸せ”

なんてものは“幻想”に過ぎない。

結局は、隣の他人との【バランス】に過ぎない。

集団なんてものは集団の外に出なきゃ分からんだろうに。

だから、“缶切りは缶の中”なんて言われるんだ。

学校の中から学校を変えてみろってんだ!

できやしまい。

だったら、せめて自分の“幸せ”くらい追求しろ!

つまり、自分はなにが自分の“幸せ”なのか考えるということになる。

それは、縛られているとは言わない。

あさん、あんた学校に縛られてるよ。
 

いつものインチキ

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 5月21日(金)14時39分36秒
  ゲロや糞までも利用し言い切る。さすが性根が腐っている。

>>
猫君へ。再び。 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月21日(金)06時56分56秒
   やっとこ柄谷も私のところまできたらしい。最新の討論の発言がこれらしい。

でもこのネーション、国家は同時に「想像の共同体」でもあるわけで、表象にすぎない。
要するにすべてが階級とかだけでは説明できない、
経済とネーションは別の問題ではなく、微妙に複雑に絡み合っているのだ、と。
例えば1930年代の日本におけるマルクス主義が躓いたのは、何よりも天皇をめぐる問題にならない、と。
つまりこれは天皇に負けた=ネーションに負けたことにほかならない。
ドイツにおけるマルクス主義のナチへの敗北も同様。
マルクス主義的な考えでは、まず経済的な下部構造があり、
その上に上部構造としての国家やネーションがある、と。
だから経済的な過程がかわれば国家やネーションも変わる、
というのだけれど、逆にマルクス主義がつまずいたのはこの国家やネーションの問題だという。

 今頃かよ。……形式主義の検討が全然いかされて無いと思うけど。

でももって家族的共同体の復活がそれぞれに行われる世界同時革命しか結論はないんだってさ。
衰弱っていうか呆けてんじゃないか?(というより左翼にものをいうとしたら、それしか残って
ないことはよくわかる。だって、それだけができてないことなんだから。)
>>

与太話をパクッタだけ
http://c203.2ch.net/test/-/philo/1263267954/269-c
 

ははあ、労働党政権も人民戦線政権も

 投稿者:ケンジ  投稿日:2010年 5月21日(金)10時49分46秒
  この日本のことじゃないんだがね。ww
 ロシア革命にしろ、スエーデンなどの社民党政権にしろ、世界史の上でのできごと
ですな。

 ホラ、民主主義の制度したがって、労働者大衆が政権奪取してるよ。ww

 同じように、資本家階級諸君も保守党を通じて政権奪取してるけどね。

 もちろん、保守党のもとでの労働者大衆保護策もありうるし、労働党、社民党のもと
での資本擁護策もありうるだろうけどね。

ま、政権奪取なんて政権交代の勝った方からの言い方なんで、ごく普通にありふれたこ
とだね。
 

猫君へ。再び。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月21日(金)06時56分56秒
  やっとこ柄谷も私のところまできたらしい。最新の討論の発言がこれらしい。

でもこのネーション、国家は同時に「想像の共同体」でもあるわけで、表象にすぎない。
要するにすべてが階級とかだけでは説明できない、
経済とネーションは別の問題ではなく、微妙に複雑に絡み合っているのだ、と。
例えば1930年代の日本におけるマルクス主義が躓いたのは、何よりも天皇をめぐる問題にならない、と。
つまりこれは天皇に負けた=ネーションに負けたことにほかならない。
ドイツにおけるマルクス主義のナチへの敗北も同様。
マルクス主義的な考えでは、まず経済的な下部構造があり、
その上に上部構造としての国家やネーションがある、と。
だから経済的な過程がかわれば国家やネーションも変わる、
というのだけれど、逆にマルクス主義がつまずいたのはこの国家やネーションの問題だという。

 今頃かよ。……形式主義の検討が全然いかされて無いと思うけど。

でももって家族的共同体の復活がそれぞれに行われる世界同時革命しか結論はないんだってさ。
衰弱っていうか呆けてんじゃないか?(というより左翼にものをいうとしたら、それしか残って
ないことはよくわかる。だって、それだけができてないことなんだから。)
 

猫君へ

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月21日(金)06時45分35秒
  仲間探しじゃないだろ。

君は仲間探しなのか?

そんなことをネットの「議論系の掲示板」でしようなんて思ったこともない。
考えているのはたった一つ「それは難問ではない。難問になっているのは、解きたくないからだ」という通達が必要だということだ。

 人間はみな幸福になるために生きているという前提がヤマさんを縛っている。
 幸福という得体の知れない状態を万人の目標にすることで、行動の正しさを証明しようとする
 とそれは不可知であるし、結局、誰かのことばを鵜呑みにするしかない。他人の幸福なんて
 知りようもないからだ。

 人間はみな生きている。としか記述できない。ある行為は何が直接的目的だと思われているの
 かを記述することはできる。その結果も。しかし、間接的目標は類推である。

 奴隷解放を目指す思想は奴隷を作り出す思想である。奴隷がいなければ開放などできないのだ
 から。左翼がヒエラルキーを否定する心情はわかるけれども、それじゃあ社会は回らない。
 うまく説明ができない人間が説明をする係になっても困るだけだ。説明できるように教育する
 必要がある。しかし、教育とは立場の上下を作らなければ不可能だ。(そうじゃないという人は結局、上下なのに理解ということばに置きかえているだけでなぜ理解しなければならないのか
という説得が自動的になされていると思ってる。)

 格差はある。格差を縮小できた日本の総中流こそ成功した社会主義であって、それは右肩上がりを続ける経済によって未来を先取り(前借り)することができたからだ。その前提がなければ
社会主義は貧者の平等にすぎない。パレード最適がなされないから縮小再生産になっていく。その結果、全部ダメになる。

 日本においてリスタートする者が過度の不利益をもたらさないような仕組みさえ作ってしまえ
ばいいのだ。それはただ単に生活費のある程度の保証をするという制度だけだろう。
 

ケンジさんへ残念だけどそうじゃないんだよ。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月21日(金)06時32分35秒
   大衆の政治参加なんてなされていない。二大政党なんてどこにもないじゃない。
 二世議員がこんだけいるのに大衆の政治参加なんて絵空事でしょ。

 政党政治が機能するのは、実は制限選挙という条件があってものすごく機能する。
 同じような利害関係を含む層が政党の政策を自分の活動にどうプラスなのかを考えて投票する
 からだ。(つまり、どの党が取るかは大きなビジネスチェンジになるわけでそれが必要かどう
 かという判断になる。)

 それが普通選挙によって(私は実は普通選挙でなければならないと思ってる。)年齢という条件を越えたものが全て選挙に参加するとなると、判断が「だれがよいといってるか」になってくる。そうなると「知らない人より知ってる人」になる。そこに政治判断はない。

 じゃあ、何が選挙で行われているのか、政権の正統・正当性の根拠づけである。
だから、選挙なしで首相がころころ変わると不満が出てくるのだ。(当たり前である。正統性も
正当性も棚上げなんだから。)

 今現在の日本における公職選挙は民主主義にはなってない。人気投票にすぎない。
(ケインズ 美人投票)
http://www.nomura.co.jp/terms/japan/hi/bijintohyo.html
 

党政権そのものが政党政治

 投稿者:ケンジ  投稿日:2010年 5月21日(金)01時09分2秒
  に基づくものであって、、、、それはただの民主主義でしょ?プッww自爆?

 その民主主義の理念が大衆の政治参加、政治的決定権への参加・介入を保障するものと
して作られた制度なんだが?www
 そして、その制度に従って政権交代が行われているのだよね?
で、政権交代ってのは勝利した側から言えば政権奪取と呼ぶのだけど、知らなかったかい?

 つまり、ハイ、民主主義の制度概念に従って、労働者大衆が政権奪取しましたとさ。
 (労働党、社民党、社会党、人民戦線などの政権。)
 

思わず本音

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 5月20日(木)23時44分57秒
  >>
そもそも北海道統治をしたのは幕府なんだけど。
 そして、日本書紀に北海道が出てくることだって知りはしないんだろ。
 まして鎌倉幕府の流刑地だったことも知らない。
>>

鎌倉幕府の流刑地
鎌倉幕府の流刑地
鎌倉幕府の流刑地


慣習なんて関係ない。

自分で断言したことは明記しておこう。
 

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