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げんなり

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 5月20日(木)23時38分4秒
  >理とは自分を律するためだけにある。と私は言った。他人を支配するためではない。

そうかそうか
じゃあ、なぜお前は嘘やハッタリで自己主張をくり返すんだ?

で、長年見てきたけど、誰一人として賛同者が現れないのはなぜだ?
仰山板やここ食堂だけではない。2ちゃんでも観察してると、ほんと誰一人として友だちができないのが分からない。

たまに出てくる「敵の敵は味方」っていうのが、またお前の人間を浮き彫りにしてしまうんだけど。類は友を呼ぶ、糞はカスを呼ぶ。
 

さあ、それではまとめてみよう

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 5月20日(木)23時33分37秒
  足らんって言うの

慣習、天皇、無意味、国家

これだけにしとくから、短くまとめてみよう!




なお、思わず支配でもって国家にした罪と罰は次の問題としておきます。
 

あんたの「無意味」は

 投稿者:半蔵  投稿日:2010年 5月20日(木)22時37分57秒
  それまでのマヌケ投稿を周囲に指摘されたときに
よく出るよねwww
 

慣習はもともと無意味なものなんだけど…

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月20日(木)20時12分51秒
   無意味だから…という議論は常に一方で意味というものがあるということを前提にしてしまう。

 そうではない、全てが無意味なのだ。(というよりも、そもそもある事態や事実、行為の全ての
 意味=価値=関係を認識することはできない。)

 われわれがしているのは「まじない」をし、「お守り(チャーム)」を身につけることである。

 あと、国語を相対化するというか、そもそも、完璧な国語なんて誰も身につけてないのだし、自分のことばが自分にとって自明なのかと問うこともまたすごく難しくそして徒労なんじゃないだろうか?


 理とは自分を律するためだけにある。と私は言った。他人を支配するためではない。
 

紙派ですので

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 5月20日(木)19時10分52秒
  私のところでは載っていませんでした。

それですね、アエラ今週号の内田樹のコラムをご覧下さい。彼にしては(?)、なかなかはっきりとした発言でいいですよ。どうやら、ポチは日本だけになってしまったんでしょうかねえ。

基地にしろ、何にしろ、政治的発言をタブー視する善良な市民がまだまだたくさんいますね。英語やアメリカをプロパーにしている人間でさえもそういう輩がたくさんいます。若い頃は左翼にかぶれないと一人前ではないにもかかわらず、政治的なことに鈍いんです。

>>
日本にいるだいたいの学習者にとっては、アメリカもイギリスも、英語圏の国のひとつというとらえかたでしかないし、それでいいのではないかと思います。それに、アメリカの悪いところのとばっちりを受けているのは米国内の移民でしょうから、アメリカの悪いところを言っても、はあ、そうですね、、という風にしかならない、というか。
>>

この後のやり取りは省略します。

こういうのがアメリカ通?とか国際派?になると思うとうんざりします。

まっぺんさんは、ミク水はされるんですか?

2ちゃんでもいいんですけど、なかなか手配が消えません。
性根が腐った奴がいつまでも邪魔するし。

少し前まで、公言してました。
「英語を勉強する理由は、将来アメリカを占領して植民地化するためである。プランテーション農業でワスプを酷使するときに英語で指示を出せないと困るから、しっかりと身につけないといけないと」

いわゆる一流大学に行く(中で)まともな人間は、こういうメッセージを正しくしっかりと受け止めます。

第二言語を学ぶ理由はもう二つあります。

国語というおぞましき人工物に憤怒するまともな感覚を知るためです。だから、外国に行かなくても関係ないんです。自らの相対化、自明性への懐疑。

最後に、思考の練磨
敷衍する必要はありません。言語論的展開(ウィト)、思想とは文法(ニーチェ)などなど。


バルトの「象徴の帝国」などを紹介するのはアカデミズムの圏内ですからね。

立派な思想教育できますわw
 

朝日新聞読書欄の隣のページは

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 5月20日(木)17時40分55秒
  これですよ。猫さん。5月16日号15ページ。
http://www2.nikkanberita.com/okinawaiken/
 

表徴の帝国

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 5月20日(木)12時26分4秒
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E5%BE%B4%E3%81%AE%E5%B8%9D%E5%9B%BD
>>
大都会である東京の中心に、皇居という、空虚な、何もない森だけの空間が広がっていることに着目
>>

もちろん、バルトは天皇(制)を知らないわけではない。
無意味=空虚あるいは意味(による充足)の拒否を支える中心として、まさに 天 皇 (制) を見いだした。

勘違いされると困るんだが、
バルトは、そのような無意味=空虚を絶賛する。

西洋という濃厚な意味の洗浄のために、日本という装置を都合よくもてあそぶバルトも俳句など無知を指摘されている側面もないことはない。
また、彼の身振りがオリエンタリズムであって、ヨーロッパ中心主義を免れてもいないことは押さえておかないとならないだろう。

それだけの慎重な留保を前提にしても、なおかつ ”裸の王様”を指さしたことの意味は大きい。
いつまでたっても、黒船に教えてもらわないと前に進まないことにうんざりする。


ゼロ記号、空集合

権力は、その空虚に勝手な意味を充填する。


空っぽだからこそ、それが好都合なのは権力自身にとってだということを見抜いておこう。
勝手な意味、おどろおどろしい意味で満たそうとする阿呆は

決して自らの足りなさを埋めようとはしない。
 

無知の放言は果てしない

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 5月20日(木)11時43分38秒
  >ロシア革命が大衆革命だなんてずいぶんと能天気な話ですね。
>軍隊の反逆なしにそれがなされたとはちっとも思いません。
>軍人(兵士も含めて)は軍役にあるときは庶民であっては困ります。

軍隊の中にもボリシェヴィキやアナキストが組織され、反戦や軍務拒否を煽動していたのを知らないのか?

>鋤と鎌でロシア皇帝が倒れたのではありません。

なんで「鋤」が出てくるんだ? 「鎚(ハンマー)と鎌」を勘違いしてないか?(大爆笑)
基本的に兵士は農民出身が大多数で「軍服を着た農民」だった。
こういう歴史事実は、ウィキのコピペ以外に何も読んでない薄っぺらな頭には入ってない知識だよなwww
 

アホの三段論法は更につづく…

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 5月20日(木)08時42分55秒
  >いくら待っても、大衆労働者による政権奪取とかは起こりっこないのです。

アホ。誰が江戸末期に「大衆労働者による政権奪取」を想定するかね。
そんな反論しかできないとは、ほんとに貧弱な頭脳しかないのだな。ちゃんと考えてるのか?www

田舎武士の多くは庶民と一緒。黒船に対してほとんどどうしたらいいか考えられなかった。
当時の、相対的には少数であった武士階級の、その又少数者にしか「尊皇」など伝わってなかったのだ。
尊皇攘夷の先に「天皇制」を基軸にした「政権構想」を作れたのは、そのまた少数の
吉田松陰門下を中心にした維新派の中枢にしかなかった、ということであって、
当時「空気のように尊皇があった」などというのはお前の妄想だというのが分からないのか?

>第一、江戸初期において、天皇が都合がいいなんて感覚はなかったでしょう

本気で言ってるのか?
黒船が来たのは江戸初期か? 太平の世に天皇を利用するどんな必要があると思うのかね?
人の動きを「時勢」「時流」の中で考えないでどーする? なんとも幼稚な発想で呆れる。
行き当たりばったりで何も考えてない歴史認識のデタラメさがよく分かるレスだなwww
 

武装した市民という概念があるから

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月20日(木)06時31分44秒
  まっぺんさんも国防の基本としての民兵というものに反対できないのです。

 基地はいらない。平和憲法万歳なのに民兵には批判できない。

それは「革命」が基本的に暴力的な行為でクーデターと何が違うかといえば
市民管理がなされているかどうかだけです。なぜ、ソビエト政権を軍事政権と呼ばないか
それは議会をもち軍人でないものが管理するということがなされているからです。
北朝鮮も軍事政権とよびたいのはやまやまですが形式上はよぶことはできません。

革命なんてろくなもんじゃありません。なぜ、それに希望を見出してしまうのか
まったくわかりませんな。
 

ボルシェビキは大衆じゃないでしょ。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月20日(木)06時23分37秒
   党政権そのものが政党政治に基づくのであって、各国の政党を規制する法律に基づくもの。
 それはただの民主主義でしょ。

 ポピュリズムが全能だなんて恐ろしいことです。朝三暮四どころか、あるだけ食べてあるだけ
 飲んであとの払いはあんたもち。あんたが大将。ってことになるんじゃないですか?

 まっぺんさんは大衆庶民なんていうけど、大勢の左翼系の人は市民っていうわけでしょ。
 顔の見える責任を取ると公言し得る人(人々になるかは微妙)結局、左翼も蒙昧な大衆や
 庶民は数としては使えるがそもそも主体たりえないときちんと認識していますよ。

 三里塚で抵抗した地の人は村人であって大衆ではありません。だからこそ、自分の基盤である
 村が消えることに抵抗したのです。それを彼らは「土地」ということばでしか表現しえなかった
 だけで実体としての土地以上のものがを含んでいたのです。

ロシア革命が大衆革命だなんてずいぶんと能天気な話ですね。
軍隊の反逆なしにそれがなされたとはちっとも思いません。軍人(兵士も含めて)は軍役にある
ときは庶民であっては困ります。鋤と鎌でロシア皇帝が倒れたのではありません。

 むしろ、その後のロシア皇室に対する対応でその鋤と鎌が暴走したように思います。
 

大衆による政権奪取はない??じゃ労働党政権ってのは

 投稿者:ケンジ  投稿日:2010年 5月19日(水)23時10分40秒
  なんなんだろうね。??
 各国に労働党政権や社民党政権や人民戦線政権なんてのがあるんだけどねえ。ww

 そもそもロシア革命なんてのは1917年だったよなあ??ww

 ひょっとして知らなかったとか、、かな?
 

墓穴

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 5月19日(水)21時47分22秒
  王の崇拝が国家の根拠
天皇の崇拝が日本の根本


そういうイカサマで一体何をたくらんでいるのだろうか。

さて
>>
猫君は本当に日本史音痴なんだろうか? 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月18日(火)23時32分17秒
    そもそも北海道統治をしたのは幕府なんだけど。
 そして、日本書紀に北海道が出てくることだって知りはしないんだろ。
 まして鎌倉幕府の流刑地だったことも知らない。
>>

ほほー
国家というのは権力の支配が及ぶ圏域ということを言ってるわけだwww

統治ねえw


当時、北海道で世論調査したわけではないんだよなあ。
天皇マンセーかどうかなんてw

天皇が国家なんて、馬鹿ウヨでも言わないw

鈴木が聞いたら卒倒しそうだね。
あれは筋金入りだ。君が代?お前が毎日歌ったらいいんだ。それ以外何があるって。
なかなかポイントをついてる。

間抜けはいつもはずす。
左右ではなく、知能の問題。また、露になったなw
 

水戸学は史学であって国学じゃないけど

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月19日(水)21時33分30秒
  まっぺんさん。ドグマもそこまでいっちゃうと変を通り越して引いちゃいますよ。

 庶民は反歴史なんです。これは大衆がそもそも歴史の担い手にはなり得ない。
 (それは大衆という定義そのものからくるものです。大衆は群であって組織ではありません。)

いくら待っても、大衆労働者による政権奪取とかは起こりっこないのです。
それは、大衆でしかも労働者(労賃生活者)だからですよ。

 その大衆に歴史主体を求めることは、現に目の前にいる群れとしての大衆ではなく想像された
大衆を根拠にしているだけです。

 (第一、江戸初期において、天皇が都合がいいなんて感覚はなかったでしょう。)
 

武家政権が屈服したから、屈服(外交)とは無縁だった

 投稿者:ケンジ  投稿日:2010年 5月19日(水)11時03分44秒
  天皇の権威なるものを、持ち出したわけで、単に国学のような大和心なるものが共感を
よんだわけじゃない。 対夷敵の感情からくるものだったわけだ。

 たまたま、天皇と言うものが政治的には無力で無視されていた存在だった、ということ
が天皇公家にとっては千載一遇の好都合だったに過ぎない。

 もし、天皇公家がむしろ、蘭学研究の中心的存在だったなら、むしろ暗殺された佐久間
象山や勝海舟のように当時の武士階級から敵視された存在になったかもしれない。

 現に姉小路公麿(だったかな)のように夷敵の実力と進歩性に気づいた公家は暗殺され
ている。

 暗殺の対象、それが天皇公家だ、、、となれば徳川氏を新王朝とする体制ができたか
もね。www
 

庶民は知らなかったのを認めるわけだ

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 5月19日(水)09時13分26秒
  では明治維新が相対的には少数者による政変であったことは認めるわけだな?

その時、少数者の中で将来の政体を想定し行動してゆくなら可能性はいくらでもある。
徳川慶喜が提案した制度も、長州勤王勢により推進されていった制度も
可能性としては同等だったと言える。
ただ軍事衝突の結果が明暗をわけただけだ。
徳川方が勝ったとしたら、まったく違う政体が生まれただろう。

維新後、ただちに天皇制が作られたわけではない。海外視察や資料文献から
プロイセン型政治に近い体制を選択したのが明治天皇制だった。
つまり天皇制は「ドイツ的」と言える。それなら「アメリカ的」やり方もあり得た。
またアメリカ式に「庶民を取り込む」「庶民に主権を託す」ことになれば
軍部の独走による侵略と殺戮の近代日本史は大きく変わってきた可能性もあっただろう。
 

みんな知ってた、だって(^◇^)

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 5月19日(水)08時58分1秒
  >少なくとも江戸中期にはもう国学において天皇こそが日本の中心なのだという
>考えは見出されています。

こういう論法を「循環論法」というのを知らないのかね?
「国学」とはそもそも「学問を日本の古典から見直そう」という運動であり、
とくに本居宣長以後、神道と結びついて尊皇主義を強めていった、そういう学問だ。
だから「国学において」天皇中心なのはあたりまえ。

お前のことばを言い換えれば

>少なくとも江戸中期にはもう天皇中心の学問において天皇こそが日本の中心なのだという
>考えは見出されています。

という事になる。これを循環論法という。

それが水戸藩のような天皇主義者によって武家社会の中で浸透していったのは事実。
だが学問は国学だけではない。
要するに「主流となるか反主流となるか」の違いにすぎない。

お前も森元首相と同じだな。始めに結論ありき。
結論によって結論を「論証」してみせる。
阿呆の三段論法www
 

藩校へ行くような武士はみんな知ってた

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月19日(水)07時08分21秒
  と考えるのが妥当じゃないかね。

 庶民?庶民なんて歴史を作ってないよ。むしろ、歴史を停滞させる。
 (保守は案外庶民に起源するはずだ。保守主義自体がフランス革命の反省が出自でそのとき
  元になったのは庶民の生活が崩壊したことを目のあたりにしたことだろう。)

 歴史が前進することが正しいという発展史観はまさにマルクスが生み出したものでその下地は
 ダーウィンの進化論の俗流の受け止め方社会ダーウィニズムにある。

 だから、変革を望む庶民というのは空想上の想像された生きものだと私はいう。
 大衆と彼らをよんだ哲学者は量としての人に堕落した人間が何を求め、何をするのかをすごく
 疑ったんだろう。


オルテガによれば『大衆というものは、その本質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、ましてや社会を支配統治するなど及びもつかないことである』とされる。しかしけっして愚鈍ではなく、上層階層にも下層階層にも大衆はおり、その全体として「無名」であることを特徴とする。大衆の特権は自分を棚にあげて言動に参加できることであり、いつでもその言動を暗示してくれた相手をほめ尽くし、またその相手を捨ててしまう特権を持つ。大衆とは「心理的事実」であり、大衆にはどこまでいっても罪はない。ゆえに大衆の動きや考えが何かに反映され、それが社会の「信念」だと判断すると重大な問題が生じる、とする。
 

ケンジさん

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月19日(水)06時59分7秒
  朱子学を学んだら天皇の地位や役割、武士の役割みたいなものはみんな知ってたよ。
名分論をもってたせいだよ。朱子学→水戸学で光圀が書いたもん「大日本史」があるってことはさ。
史だよ史。しかも光圀はさ。石狩国(現在の北海道)建国にも関わってる。

最初に天下の際限を決めたのは光圀じゃねえのかね。江戸初期には琉球国を除く地帯が幕府が治める
べき領域として構想されてたってことだよね。

大日本史(この名前がさっと出てこないってことは私もそうとう焼きが回ってることは確かっていうか
皇国史観否定以後これを正当な文献として扱ってこなかった影響はでかい)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2
 

吉良上野介、遠山左衛門尉、、

 投稿者:ケンジ  投稿日:2010年 5月19日(水)00時06分16秒
   主水、主税をシュスイ、シュゼイと読んだ女性アナがいたなあ。ww
 必殺仕事人の中村主水(ナカムラモンド)がナカムラシュスイになったってわけだ。

 これらは全て律令官職名に由来しているけど、当時の武士たちはごく漠然としか歴史事情
を認識できていなかったようだ。

 もちろん、京都にいた公家たちは良く認識していたハズだが、武士たちはさあてね、
自分の名前は〜〜左衛門だが、あいつは〜〜の丞だしなあ、というくらいの感覚だったの
だろう。

 遠い過去の律令官職から切り離されて既に数百年の歳月が過ぎ去っていれば、そんな程
度だったのだろうね。

 だから、国学や水戸学などで再発見する、という紆余曲折したやり方が必要だったのだ
ろう。

 そういう武士たちにとっての再発見を促進する社会情勢が黒船騒動ということになる。

 それ以前は一部(上級武士)にのみ意識されていたにすぎないのだろう。
 

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