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ま まさか

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月18日(火)23時35分38秒
  コシャマインの戦いが江戸末期だと思ってたのか!
うそーーーーーーーーーーーーー
信じられなーーーーい。
 

安東政季は室町時代の人だけど

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月18日(火)23時34分15秒
   いやあ、まいったな。

 本当に…なにが江戸時代の北海道なんだか…はあ。
 

猫君は本当に日本史音痴なんだろうか?

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月18日(火)23時32分17秒
   そもそも北海道統治をしたのは幕府なんだけど。
 そして、日本書紀に北海道が出てくることだって知りはしないんだろ。
 まして鎌倉幕府の流刑地だったことも知らない。

 だからさ、本当に歴史については黙った方がいいと思うんだ。(社会学一般についても。)

 文学ならほら、基本趣味だからいいんじゃね。
 

無知蒙昧

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 5月18日(火)22時34分1秒
  江戸を印象操作的に出した。

ならば、そのとき北海道はどうだったかを同時に考えないとならない。

>慣習
>繰り返されること。伝搬していくこと。継承されること。

何かと聞いても何もない。

出てきたのは、関西を上方と呼ぶとか、化粧がどうとか、どうでもいいことばかりだ。

>変形されること。

社会はあらたにデザインされるべきだと言いたいのか?

関西を上方と呼ぶ
 

だから、慣習がとてつもなく

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月18日(火)22時28分28秒
  大きな力になってしまう。

 繰り返されること。伝搬していくこと。継承されること。変形されること。
 どれもが観念でとらえようとすると雲のようにつかみどころがない。

われわれはただ、「である。」「をした。」としか記述できなくなってしまう。
 

歴史=出来事と観念

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月18日(火)22時25分51秒
   人間は観念で行動する。
 けれども、行動は出来事である。出来事は観念を超越している。
 したがって、歴史は常に観念を超越している。

 ただ、歴史を観念で見たがる人間がいるだけである。
 

うーんっ、もう

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 5月18日(火)22時19分21秒
  まっぺんさん

>平和な江戸時代に

日本なんてなかったしねえ。
天皇も将軍もどうでもよかったんですよね、江戸って。


お願いなんですが、
あ法の相手ばっかしてないで、できれば当方を叩いてください。できるだけ多弁で。

こいつ、どうしようもない奴だ。懲らしめてやろう。
そういう思いはないですか。あ法よりは、まだ使えますよ。
 

トホホ

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 5月18日(火)22時15分0秒
  足らんティーノ

>やっと朝日の書評が更新されました。

なんや、新聞やないのかいなorz


ネーション=ステートと近代までを行ったり来たり、ほんまアカデミズムを全く無視する阿呆やのう。

言いたいことはたくさんあるけど、萎えるわ。

江戸がどうとか、それが近代以降においてどうかという考察はなしに、現代にワープしてくる粗雑さにはまいる。

で、江戸のときに北海道はどうだったのか、同時に考えてくれ。

足りない頭でも努力はしろ。
 

えっとまっぺんさんそれ本気ですか?

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月18日(火)20時31分15秒
  どう考えても違うと思いますよ。
少なくとも江戸中期にはもう国学において天皇こそが日本の中心なのだという
考えは見出されています。

(歴史の主体とは何かという問題ですけどね。本当は。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 むしろ、江戸自体が平和だったからこそ出自そのものに目がいったんじゃないですか?
 アメリカ型って議会政治ってこと?

あと私は庶民なんて相手にしてないって何度言ったら気づいてもらえるんでしょうか?
どう考えても日本の歴史の主体は庶民なんかじゃなかったですよ。
むしろ、庶民は反歴史の主体だったんじゃないですか?
 

ないない

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 5月18日(火)20時08分0秒
  >それこそ空気としての尊王があって

平和な江戸時代に、そんなものがどこにあった?
尊皇どころか天皇などほとんど誰も知らなかったと言っていい。
幕末に至って尻に火がついて初めて武家政治に代わる「何か」を探したら出てきただけ。
だから天皇じゃなく別のものでも良かった。例えば徳川慶喜などは
アメリカをモデルにしたプレジデントによる政治を構想していたのを知らないのか?

結局維新派がアメリカ型より英・独型モデルを選択しただけのことで
天皇制が開国後の日本の政体となる必然であったわけではない。
尊皇攘夷が水戸学から広まり、維新を強行した長州藩によって拡大されていった。
さらに明治以後、政府はいまだに天皇などまったく知らない庶民に向けて
大量に写真をばらまき「天皇」の存在をアピールしていった。

庶民の中に「空気」なんてナイナイ!それは維新政府によって恣意的に作られたものだ。
あ法師は「上から作られた政治」に踊らされ、あたかもそれを「真実」と思い込む。
なんとも不自由な「自由主義者」だなぁ〜www
 

やっと朝日の書評が更新されました。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月18日(火)19時00分29秒
  http://book.asahi.com/review/TKY201005180143.html

 でやっぱり、外が先、内が後というかそういうものとしてシオニズムを
とらえてますよね。

 ただ、柄谷が間違ってると思うのは、民族(エスニック)とう表現。

  この文脈なら民族(ネーション)と方であろう。(そもそもエスニックは形容詞で
 名詞ではない。)彼は英語の教師だから、別に含みがあるのかもしれないが、明らかに
 説明不足である。たぶん、エスニックグループと書くべきところだろう。

多民族国家における少数民族集団。一国内のエスニシティーで結ばれた特定民族で形成する社会。しかし、このエスニシティーが曲者で民族性ということになってしまい。ユダヤ教徒=ユダヤ人=ユダヤ民族でもおかしくなくなってしまう。
 

まっぺんさん そりゃ無理があるでしょ。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月18日(火)18時49分39秒
   それこそ空気としての尊王があって、その上で世界宗教のない日本において天皇を中心とする
 (歴史の再現ですよね。)国作りという劇が上演されたのは必死の行為だったと思いますよ。

 結局、外が最初にあって、それに応じて内が出てくる仕組みなんですよ。


  友愛においては何が友なのかが問題です。博愛じゃないのですから。
 

一般民衆にとっては

 投稿者:ケンジ  投稿日:2010年 5月18日(火)11時51分54秒
  鎮守の杜の神さんが身近な存在だったんだろうねえ。

 私の田舎の里山の原風景を思い出すよ。

 神さんで遊ぼう、と言えば近くの神さんの境内のこと。
 そこでさんざん三角野球をしたっけ。
 今じゃそこの老大木も危険になって切り倒されてしまったけどなあ。
 で、卒業したなつかしの小学校も中学校も今や廃校になってしまった。

 神さんの階段を下りたところの正面には駄菓子屋があって、10円のこづかい
 で、駄菓子を買ったりジュースを飲んだりしてまた遊んで、、www。

 まあ、塾なんてなかったから、幸せな子供時代だったかな。

 一般民衆と天朝様との関わりはそんな鎮守の神さんを通しての話になったんじゃ
ないかなあ、と思っているけどね。(学校制度がなかった時代はね)
 

国学の復古的思想が

 投稿者:ケンジ  投稿日:2010年 5月18日(火)11時31分50秒
   利用された、というか前提としてかなりの役割を果したんだろうね。
そこには、もちろん、より古い王朝公家政権の記憶があっただろうし、文化としての
伝統を伝えていた京都の王朝公家文化があった、ということだろう。

 なお、それらは、支配者階級たる武士などの階級内での記憶や伝統であって、当時の
一般大衆はそういう存在自体を知らなかった、と見るべきだろう。
 それでも、国学などというバイパスを通じて、というのはかなり紆余曲折したやり方
で、直接的じゃない。 それは、〜〜左衛門や〜〜の守といってみても、それが王朝公家
政権の伝統から切り離されて数百年の年月が既にたっており、数百年前の王朝公家政権の
伝統との関わりを再認識する手段が武士にとっては必要だった、と言うことだったのだろ
うね。

 また、天皇は幕末期には正確には”てんわう”と読まれていたらしく、”てんのう”
は俗な読み方だったということだ。

 もちろん、そういう呼び方は律令の規定によるもので、通常はみかど、などという呼び方
をしていたらしい。

 また、一般民衆はそういう存在すら知らず、稲荷大明神についているあの正一位という
位を与える偉いお方がいてだな、、それは天朝様と言いなさるんじゃよ、などと身近なお
稲荷さんや八幡さんになぞらえてはるか遠い漠然とした宗教的存在として理解させようと
した、ということだったようだ。

このような、王朝公家を尊重する、という伝統は支配者階級のものだったのだけど、それ
にしても、琉球ですら、王朝交代が起こっているのに、日本で王朝交代が起こらなか
った理由というのはなんだろうね?


 ま、天皇をかついでもちだした方は、只の飾りのつもりだったんだろうけどね。

誰かが言ってたね、かつぐみこしは軽くてアホな方が良い、、とね。ww

 もしかして、軽くてアホだったから王朝交代が起こらなかった、とか。ww
 

あ法は国家主義者の上に「天皇主義者」だったか(^◇^)

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 5月18日(火)11時09分46秒
  >対外的に日本が国として認められたのは歴史上、天皇中心の統治が行われた時期であり、
>それ以前ではない。(魏志倭人伝には何十ものクニがありと記述されているが、クニは
>邑のことであった。)

邪馬台国は巷間では「ヤマタイコク」と呼ぶのが普通だが、この「台」(臺)は「ト」とも読む。古代史の研究者の中でも(と言っても、この世界はアマチュア古代史研究家も多いので確実とはいえないが)多数派は邪馬台国を「ヤマト」と読み、後の大和政権につながると想定している。とすれば、まだ日本が「クニ=邑」であって「国家」として国際的に認められていない時代から、有力豪族のひとつに過ぎない「天皇一族」による統治が成立していた事になる。もちろんこれは仮説にすぎないが、お前の主張も仮説に過ぎない。「天皇だけが日本国家の中心だった」などという妄想はやめておけ。

>イギリスは植民地だ。朝鮮半島と同じであると言ったら

おや?「朝鮮は植民地ではない、朝鮮人も日本国民として平等に扱われた」とか言ってなかったか?
それは間違いだったと認めるわけだな?www
 

所詮お前は騙されて使い捨てラレルだけw

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 5月18日(火)09時21分50秒
  >近代日本が見出されたのはまさに「天皇への崇拝」が見出されたからじゃないだろうか?

全く逆。日本の近代化へ向かうための「道具」として、天皇が引っ張り出されただけ。
黒船による半恐喝的脅しに屈して日本は開国したが、
列強諸国に対抗していくためには幕藩体制では古すぎる。
「統一政権」が必要となったときに、宗教的権威と「神聖」な神話を持った天皇が
「使えるタマ」として持ち出されただけにすぎない。

実際長州も薩摩もそのために「玉」を巡る奪い合いをしていた。
だから「天皇」などは「おん馬の前にひらひら」させとけばいいシロモノだった。
当時の諸藩がその権威に屈服した事が、維新戦争の勝敗を決したといっていい。
維新戦争を断固推進していった薩長などの指導者にとっては天皇など「自らの崇拝の対象」ではない。
しかし「諸藩の武士の崇拝の対象」であるがゆえに利用したのだ。

幕末の長州の指導者達は。松下村塾で吉田松陰からナポレオン戦争以降の欧州の権力闘争を学び
マキアベリズムを学んでいった。あ法は相変わらずマキアベリが理解できていないようだな。
所詮お前は「ひらひらするもの」に惑わされ、上から使い捨てられるだけ。www
 

本当に左翼は…

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月18日(火)07時16分43秒
  宮さん宮さんおん馬の前にひらひらするのは何じゃいな。
あれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃ…

日本最古の軍歌がこれなんだけどね。
 

クヌート大王の北海帝国は

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月18日(火)05時44分42秒
  友愛が起源で成立した?

 うーん。どう考えても違うと思うよ。私は。(つっこみどころはですね。
柄谷は市民社会の延長上の近代国家はという文脈で語っているんだけれども
ほら、あの人自分の関心は他人の関心だと思うので、そういう説明を一切
しないでしょ。北海帝国は近代国家じゃないじゃないかというつっこみです。

だけれども、その近代国家がそれ以前の絶対主義国家や王による統治システム
を前提にしているということ抜きに語るのはどうかと思うんです。
むしろ、それこそが柄谷のいう友愛の根源だったのではないか…)

アレクサンダー大王は友愛で…性愛か?
 

あれほどイギリス史を読めっていったのに

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月18日(火)05時36分47秒
   イギリスは植民地だ。朝鮮半島と同じであると言ったら猫君はどんな顔をするんだろう。
 英語はピジン語である。といったらどんな顔をするんだろう。

 まあ、あれだ、ノルマンディー公ウィリアム征服王に乾杯ってとこだね。
 

朝日の書評の更新がされないから待ってるだけですが。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 5月18日(火)05時30分12秒
  …いや。猫君。頭痛いよ。まっぺんさん。

 近代日本が見出されたのはまさに「天皇への崇拝」が見出されたからじゃないだろうか?
 対外的に日本が国として認められたのは歴史上、天皇中心の統治が行われた時期であり、
 それ以前ではない。(魏志倭人伝には何十ものクニがありと記述されているが、クニは
 邑のことであった。)

 勤皇攘夷、勤皇開国、幕府においても公武合体。


 だからこそ、近代国家として発展した日本を転覆なんてこと考えると大本のこれを否定する
 という態度に出るんじゃないだろうか?
 

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