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猫君を理論的に粉砕することなんて至極簡単。
ばからしいくらいだ。
そもそも、猫君が自分で考えているほど、完膚なきほどの批判力をもっているなら、とっとと
物書きになって現場に立つことを止めたらいい。
批判で稼げる立場の人間ってどこにどうやっているのかを現実の中でしっかり見ることだ。
その現実ってやつをもっとも端的に突きつけるのは「暴力」という潜在的に危険性である。
権力には抵抗する術がある。権力はその根底に手続き主義があるからだ。これは国民主権を
法で定めるすべての国家においてそうである。
日本国憲法は民主主義の理想として、生まれただけでフランクフルト学派的ではない。
ただその民主主義がアメリカの民主主義を基にして生まれた。つまり、アメリカの民主主義の
中にある病への処方箋が含まれていた。
結果として、日本には民主主義が育たなかった。育たなかったのだ。主体となる国民がいなかった
のだから仕方がない。だから、日本では運動として構築が進まない。構築は噂として構築される。
噂はそして、機能を終えて流れていくだけである。噂を構築して生み出しているもの自体、それが
伝達してくメディア自体は変質していかない。
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