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ただひたすら寒かった、吹雪の社文会館前。ここ(ネット上)だけで出会う人々とも、
偶然の出会いが実はあったのですよね、この日は。
今日も懲りずにラジオで喋っていたタケナカヘイゾウという希代のペテン師が、我が
世の春を謳歌していた2001年。この先一体どうなるのか、という「重い」想いで、バリ
ケードの先の機動隊を凝視してから、はや9年ですか。。。
当事者にとっては、あまりに重い9年だったのだろうと。そう思います。
争議は、争議当該がその帰趨を全て決定する。4者4団体の決定も、動労千葉の決定
も、どちらがどうなどと言える立場にはありません。
ただ、「お疲れ様。逆にこちらが、みなさんに励まして貰ったんです、ありがとう。」
それだけをいいたい。
仮に、JR各社が妥協して一定の雇用を受けたととしても、ある年齢以下の限られた
人だけであって、ほとんどの人がこのまま鉄道の職場を(場合によれば、闘争団のある
地域も)去ります。
闘争団員とその世帯が人口の数パーセントも占める北海道のある闘争団の所在する自
治体などは、「人口減少」が加速するかもしれません。
とりあえず、今後とも続く物販だけは支えようと思っています。「もう一つの世界」
は「本当に不可能なのか」を自問しつつ。
この闘争のことを色々な人に伝えることとあわせ、僕にできるささやかな「支援」に
ほかならないので。
http://stop-kaminoseki.net/
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