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もしもし削除@CIAさんヾ(^o^;)

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 4月14日(水)11時22分37秒
返信・引用
  茶畑さんの↓投稿は短いのばっかり3つ程度じゃないスか。
超々長大な文章だったら3つもあると「大メイワク」ですが、
まぁ、そう目くじらたてずにね。(=^^=)/

※・・・といったところで、お知らせとお願い投稿します。
 

管理人様

 投稿者:茶畑進  投稿日:2010年 4月14日(水)06時15分10秒
返信・引用
  すいません。どうも最近気分の上下が激しくて何書かないと落ち着かないのです。

しばらくはブログに専念します。
 

>茶畑さん

 投稿者:削除@CIA  投稿日:2010年 4月14日(水)02時38分21秒
返信・引用
  連投はご遠慮をお願いします。
タイミングとか色々あるだろうけど、1日1度くらいにしてくださいな。

すげい激しい文体で書いて、反省しとるんでアレなんだけど、
バッジ@ネオ・トロツキストさんもよろしう。

各氏のお気持ちは尊重しますよ。おれも連投したいときあるもん(自爆)

http://

 

茶畑ブログ

 投稿者:茶畑進  投稿日:2010年 4月13日(火)06時11分3秒
返信・引用 編集済
  アクセス中増加中です。あれってそんなに面白いのだか自分でも分かりません。

まっぺん様 イレギュラーず様 セクトno.7様
ご回答有難うございます。もう大丈夫ですよ。「新左翼崩れで女癖最悪」と言われるのが目的ですから。「趣味者界の石田純一」を目指します。

しかし「不倫は文化」ってなんか違うような・・・、
 

活動家にも友人がいた

 投稿者:茶畑進  投稿日:2010年 4月13日(火)05時35分30秒
返信・引用
  某郵政ユニオンの友人がさりげなく「サッカー行きませんか?」と誘ってくれました。なのでワールドカップ見に行きます。

しかしその友人は毎日絵文字満載のメールを僕とやりとりしてるのです。39歳独身男と
●●歳独身男が女子高生みたいな事をやっている。

左翼も崩壊するわけです(爆)
 

茶畑さん

 投稿者:セクトNo.7  投稿日:2010年 4月12日(月)20時01分17秒
返信・引用
  >「もうひとつの世界は可能だ!」

と言い切ることは私はできない。
ただ現在の世界の存続は不可能だという考えは、少しものを考えるようになった頃から変わっていない。そして社会の流れに身を任せ諾々と生きていくことは、私には不可能なだけだ。
生きているうちに見ることはできるかどうか知らないが、そうした視座に立って生きていることが生きる証にはなりはしないだろうか。
もちろん人には人それぞれの生き方があるし、どんな生き方が正しいかなんて問う気はない。

もっとも大それた事をしているわけではなく、ささやかな抵抗をしているだけだから、大きな口はたたけないが。
何をしたいのか、しているのかは個々人で違うだろうし、みんなが鉄パイプと火炎瓶で『武装』しなければならないとも思わない。落とし穴を掘る人、署名活動にがんばっている人、労働相談に汗を流す人、好きなことを、できることをやればいいだけだと思う。

いつも思うのは、何でみんなマラソンを短距離や中距離のスピードで走りきろうとするのか?もっとゆっくりでもいいんじゃないのかな。
息切れする人みていると毎度そう思う。

たしか書記長も「お前はいい加減にやってるから長持ちしている」と言われたと書いていた。このいい加減さのレベルが私とはえらく違うんだが、(書記長は文化的、おいらは博打うち)昔の人間に「何でお前が!」とは毎度言われている。

銀英伝の中から私が好きなセリフ「どんなに頑張っても、だめなときはだめ」そして「それがどうした」
私の座右の銘「お前はただの現在に過ぎない」なんちゃって。

もうしばらくは好きなことをしながら、持久戦を続けるしかないと思うよ。そう簡単に「もうひとつの世界」は見えませんよ。
100人の裏切り者がいようと、一人の信用できる仲間がいるならそれもいいじゃないの。
だって私らがやってきたのは『長征』そのものなんだもの。(うーん?私に似合うセリフじゃないのは自覚しているから突っ込むなよ)


国労問題は闘争団の正式声明がでてから、
 

Re: 助けてくれる友人はたくさんいます

 投稿者:イレギュラーず  投稿日:2010年 4月12日(月)19時21分21秒
返信・引用
  > No.7119[元記事へ]

茶畑進さんへのお返事です。

> ただ、静岡の「活動家」にいないだけです。

♪ないものねだりの子守歌〜(el「東京ララバイ」)

ときには、「急がば回れ」「道の謂うべきは常の道にあらず」です。焦ることはありません。産業社会から地域社会に「復帰」するとき、人に往々にして見られる症状です。運動場面だけが人の生活ではありません。
 

助けてくれる友人はたくさんいます

 投稿者:茶畑進  投稿日:2010年 4月12日(月)16時01分7秒
返信・引用
  ただ、静岡の「活動家」にいないだけです。  

脱北 逃避行

 投稿者:三浦小太郎  投稿日:2010年 4月12日(月)10時42分58秒
返信・引用 編集済
  北朝鮮難民救援基金の野口孝行氏から来たメールを紹介します
ぜひご一読ください

(以下転送)
このたび、脱北者支援活動の内実と中国での看守所生活を
綴った書籍を出版いたしました。
今週から書店に並んでいると思います。
お手に取っていただけますとありがたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。

「脱北、逃避行」新人物往来社

http://www.amazon.co.jp/%E8%84%B1%E5%8C%97%E3%80%81%E9%80%83%E9%81%BF%E8%A1%8C-%E9%87%8E%E5%8F%A3-%E5%AD%9D%E8%A1%8C/dp/4404038437

北朝鮮難民救援基金
野口
 

茶畑さんへ

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 4月12日(月)10時32分13秒
返信・引用
  ♪あなたは疲れた お眠りなさい というように・・・

僕の好きな歌の出だしです。機会があったら聴いてみてください。
その疲労感、「なんとなく」わかります。

これまでのたくさんの闘争の敗北の中で
それこそ無数の人々が挫折して行きました。
僕にも高校時代に一緒に闘った仲間がいますが、
大半は政治活動から遠ざかっています。
そして僕に会うと言う。「お前、まだそんなことやってるの?」

ねえ茶畑さん。
僕たちは何のために「左翼」になったんでしょう?
まぁ、僕はいつも「せいいっぱい」じゃなく、どこかに余力を残しているような動き方でしたが
いちおう「口先」とともに少しは活動もしてきました。
そういう活動、「なんのために」やってきたんだろう?

「勝つこと」を目指してきたのはもちろんです。
でも「必ず勝つ」という保証はない。
大きな目で日本の政治を見ると、左翼運動は大負けです。
世界の左翼運動の中でも特に後退しているほう。

永いながい敗北の末に、時たまちょっとだけ勝利することがある。
僕の場合、それは3・26だったし、その元被告たちへの連帯基金運動だった。
そういう勝利をつかんだとき
「ああ、やっぱり左翼やっててよかった」(^^)って思う。

きっと静岡の運動は東京よりもっと展望が薄いのでしょうね。
疲れた時はゆっくり休んでください。
どこか旅行にいってみるのはどうですか?

ぼくはいま「沖縄・意見広告」に取り組んでいます。
カンパが集まり、大きな新聞広告を出すことができたら
少しは日本の世論も動かせるんじゃないか? と期待して。

ひとが挫折すること、ひとが後退すること、ひとが裏切ること・・・
それは茶畑さんに失望感を与え続けているんでしょう。
でも、それは「ひとの事」。あなたじゃない。
「ひとりになってもがんばれ!」とか言うつもりはありません。
僕もそんなに強い人間じゃないし、周りに大いに助けられてます。

助けてくれる人、きっといますよ。
あまり気張らずに「てーげー」にね。
 

疲労感だけが残る

 投稿者:茶畑進  投稿日:2010年 4月12日(月)05時56分51秒
返信・引用
  運動はじめて19年余り、静岡に帰って16年。余り優秀では無かったけどそれなりに集会やデモに参加し静岡空港反対運動は一時期事務局までやりました。

1047名現職復帰も空港建設阻止も本当に可能だと思ったのです。「まとも」に考えれば勝てたはずの闘いでした。

しかし2つとも外から見れば訳の分からない「解決」で、運動を指導していた人たちは何事も無かったかのように次の課題を見つけています。日本の左翼運動はそれの繰り返しで、失望した人たちが去っていき縮小再生産されていく。とにかく疲労感だけが残ります。

これまでレスをくれた人たちに全共闘〜3・26世代はいないように見えます。本当はあなたたち(もちろんまっぺんさんも)に聞きたいのですよ。

80年代〜90年代に運動を始め後退に次ぐ後退戦の中で、必死に自分を鼓舞し運動を続けていても現実は氷のように冷たい。

大学自治会も労働運動も崩壊しつつあり唯一の闘いの現場であるストリートも窮屈です。

何を信じて生きていけばいいのでしょうか?
 

国労の思い出

 投稿者:じゅごん  投稿日:2010年 4月12日(月)02時01分9秒
返信・引用
  1987年10月9日、僕は朝早くから「国鉄分割民営化」に反対するビラ入れをしていた。良く晴れた秋晴れの日だった。清清しい風に吹かれながら一軒、一軒ビラを入れた。
僕は当時、町工場で旋盤工をしていた。中学を出て印刷工、三菱自動車の臨時雇い、そして旋盤工と転々と職を変わった。
内心、国鉄なんて恵まれているんじゃないのと思ったが、同じ青いナッパ服を着た国鉄労働者に共鳴した。同じ年頃の青年部の労働者が京都駅の前で座り込みをしていた。赤い旗が林立し、ブルーのナッパ服に妙に親近感を感じた。政治のことはよく分からなかったが
何かもし負ければとんでもないことになるような気がした。
ビラを巻きながら、修善寺大会はどうなるのだろうという不安が脳裏を過った。しかし、秋晴れの中、夕方まで一軒、一軒ビラを巻きつづけた。

僕は旋盤工といっても毎日、毎日同じ部品を加工し、うだつのあがらない仕事をしていた。
しかし、職場は和気藹々としていた。一度、町工場だけれどストのようなことも起こった。
課長が親方に無理をつきつけた。
親方が怒鳴った。
「機械を止めろ」
「ラッキー」と僕らは笑った。今では考えられない話だが当時、労働者はまだ強かった。
課長が謝りに来るまで結局、機械は動かなかった。
旋盤も汎用で少し慣れないと使うことは出来ない。僕は毎日、くわえタバコで鼻歌を歌いながら油まみれになって真っ黒になって仕事をした。
工場に入ると油のすえた匂いが漂い、むっーとする。クーラーはあったがほとんど効かなかった。

ビラを巻き終わって家にかえって早速、テレビをつけると妥協派の山崎執行部が破れ、六本木委員長が団結ガンバローを三唱しているシーンが写った。
目頭が熱くなった。当時政治経験のなかった僕は、これで勝てると思った。しかし、国労はその後も連戦連敗だった。
そして、いつしか分割・民営化は強行されていた....。

それから総評が解散し、連合が発足した。やがてバブルが弾け僕も運動どころではなくなった。勤めていた会社が倒産、その後は派遣やガードマンをしてなんとか生きてきた。
国労の運命は日本の労働者階級の運命と軌を一にして進んだ。

今ではかつては考えられないことが労働現場で起きている。非正規雇用は当たり前、というかそれしかない。三菱に派遣で働いていた頃のことだが正社員-組合員が平気で派遣をいじめた。そうしないと正社員も生き残れないからだ。
この間、ハローワークに行ったが解雇されて離職票を持った労働者が延々と列を作っていた。といって求人があるわけではない。去年の秋から同じ求人ばかりが並んでいる。

国鉄闘争が和解したことをニュースで知った。国労にまつわる様々な思い出とともに戦後労働運動の終焉を見たような思いにかられた。闘争団にはせめてご苦労様といいたい。

戦後、未曾有の恐慌が押し寄せている。労働者は筆舌には尽くしえない悲惨な状態に陥っている。こんな時に戦後労働運動はほぼ壊滅したが、労働者はもうたたかわなければ生きていけない。プロレタリアートの辞書に敗北という言葉はない。生きるためにたたかうのだ。そして、壮大なゼロから再出発するしかないだろう。よく闘われた敗北は、安易に得られた勝利よりもはるかに勝る。
 

『「もう一つの世界」は不可能か?』

 投稿者:電産東京久我山変電所分会  投稿日:2010年 4月12日(月)00時45分26秒
返信・引用 編集済
   ただひたすら寒かった、吹雪の社文会館前。ここ(ネット上)だけで出会う人々とも、
偶然の出会いが実はあったのですよね、この日は。

 今日も懲りずにラジオで喋っていたタケナカヘイゾウという希代のペテン師が、我が
世の春を謳歌していた2001年。この先一体どうなるのか、という「重い」想いで、バリ
ケードの先の機動隊を凝視してから、はや9年ですか。。。

 当事者にとっては、あまりに重い9年だったのだろうと。そう思います。

 争議は、争議当該がその帰趨を全て決定する。4者4団体の決定も、動労千葉の決定
も、どちらがどうなどと言える立場にはありません。
 ただ、「お疲れ様。逆にこちらが、みなさんに励まして貰ったんです、ありがとう。」
それだけをいいたい。

 仮に、JR各社が妥協して一定の雇用を受けたととしても、ある年齢以下の限られた
人だけであって、ほとんどの人がこのまま鉄道の職場を(場合によれば、闘争団のある
地域も)去ります。
 闘争団員とその世帯が人口の数パーセントも占める北海道のある闘争団の所在する自
治体などは、「人口減少」が加速するかもしれません。

 とりあえず、今後とも続く物販だけは支えようと思っています。「もう一つの世界」
は「本当に不可能なのか」を自問しつつ。
 この闘争のことを色々な人に伝えることとあわせ、僕にできるささやかな「支援」に
ほかならないので。

http://stop-kaminoseki.net/

 

アドバイス求む

 投稿者:プレカリアート  投稿日:2010年 4月11日(日)20時22分16秒
返信・引用 編集済
   ご議論中失礼します。「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」というブログを書いています。ここへは久しぶりに投稿させていただきます。
 私は、業務請負会社の契約社員(早い話が下請け企業のバイト)として、今は某大手スーパー物流センターで働いています。この間の職場の急激な労働環境悪化を機に、組合のない職場でも一人から入れる個人加盟の労働組合に加入して、ささやかながらも、職場での実践に一歩踏み出しつつある所です。
 下記が、その顛末を記した私のブログ記事です。お手数ですが、是非とも下記の記事をお読みいただき、アドバイス等も在ればお寄せいただきたいと思っています。何卒宜しくお願いします。

・この間の経過を簡単に記した「今後の闘い方について」
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/d0cab16fd8854f6c3b700a86e86548ae
・以前からの経過も含めて一まとめに表示した「職場人権レポート」カテゴリー
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/c/c935ffff43319d248b80e839278fb25d
 

およそ不可能

 投稿者:noiz  投稿日:2010年 4月11日(日)10時31分53秒
返信・引用
  「雪の中の続開大会」、それまで「支援者」でもなんでもなかったけど、これはやばいとかけつけて、バリケードの外にいました。「合意」をきいて、ある意味での日本の労働運動は終わったのだと思いました。ひたすら寒かった。

茶畑さんが問われているモチベーションはぼくにはまったくありません。なんだろう、ぼくが街頭に出たりするようになったのって、やっぱり戦争が大きかったんですよね。なんらかの期待や希望を持ち続けようとすると逆に苦しくなるので、最悪の事態ばかり想定する習性が身についてしまったのかもしれません。この習性でいけば、やはりアナキズムなんて理想にすぎない。

そんなしょぼくれた人間にとって、「もう一つの世界」は「およそ不可能」なものとしてはるかかなたの彼岸にあるような感覚です。仲間がいようがいまいが、この感覚って実は変わらないです。
 

「もうひとつの世界は可能だ!」

 投稿者:伊達 純  投稿日:2010年 4月10日(土)10時29分30秒
返信・引用 編集済
  というスローガンは、私の関わっている団体のホームページにも使っていますが、言われてみれば色あせていますねぇ(苦笑)。そして私もモチベーション下がりまくり(苦笑)。やはり「エサ」なしにモチベーションの持続は無理だと思うようになりましたね(苦笑)。その意味では、まことさんが言うところの「飯を食う/食えない」というのは、やはり大切だとも思いますね。

 論争の不在って、広島でもその通りなんですよね。共産党のスターリン主義、党派性に批判的な自称「市民派」が、実は共産党以上に「スターリン主義」的、党派的、閉鎖的、「ムラ」的、上(学者などのインテリ、いわゆるエラい人)にはこびへつらい、下には威張り、見下すという権威主義だったりするという(苦笑)。

 アレを「スターリン主義」と言ったら、スターリン、スターリン主義に失礼なくらいの低レベルではないかとすら思ったりして(苦笑)。
 

全国3000万の茶畑ファンの皆さん

 投稿者:茶畑進  投稿日:2010年 4月10日(土)09時02分54秒
返信・引用
  放送時間が無くなってまいりました。それではこの辺で熱狂の後楽園ホールからごきげんよう。さようなら(古舘伊知郎調)  

国鉄闘争「終結」へ

 投稿者:茶畑進  投稿日:2010年 4月10日(土)05時21分46秒
返信・引用 編集済
  言いたい事は色々あるけど、当事者が納得するのならそれで良いというのが私の立場です。

しかし2ちゃんねる共産板の「国鉄労働組合」スレの

430 :革命的名無しさん:2010/04/09(金) 21:59:40
国労がこれからどうなるのか、JRの採用問題がどうなるのか、支援してきた人達には
色々想いはあると思う。>>426さんがどう係わってきたかは判らないけれど当然そういう
思いはあると想う。だけと今日は、国鉄がJRになったときの抗議集会、あの中で国労に
踏みとどまり今も国労組合員でいる人たち、雪の中の続開大会に集まった人たち、諦め
なかった闘争団、今日の日を迎えることなく散っていた人たち、それを最後まで支えたす
べての人たちに敬意を表したい。


読んだら不覚にもなんか涙が出てきました。僕も2001年の1月の大雪の中社文で行われた国労続開大会(四党合意可決)の時に支援の一人として駆けつけました。体の芯まで冷え切り機動隊・国労本部防衛隊に封鎖されたバリケードの前で朝から夜まで「四党合意粉砕」とシュプレヒコールあげていました。組織動員でなく、ただあの時の状況を見るに見かねて上京したのです。帰りの新幹線では疲労だけが残りました。
僕にとっての国鉄闘争はこの日に終わったのです。静岡でただ一人の闘争団の方は昨年の秋に決着を見ずして亡くなりました。

あれから9年経つのですね。あの頃のような情熱を運動に対してもてなくなりました。色々七転八倒しながらようやく趣味者として「再生」できたのです。



ここから。「市民運動家」の皆さんに聞きたい。



冗談でなく、この板の皆さんは将来に展望が見えているのですか?運動を続けれらている方はどうしたらこの絶望的な状況の中でどうやってモチベーションを持ち続けられているのですか?

二十歳そこそこで冷戦崩壊とバブル崩壊を目撃した人間としては「もうひとつの世界は可能だ」なんてF××Kですよ。とにかく毎日がしんどいです・・・・。
 

マジレス

 投稿者:茶畑進  投稿日:2010年 4月10日(土)05時13分7秒
返信・引用
  東京の活動家やここの板の常連さんたちはそれなりに私のアホな投稿にもちゃんと対応してくれるし、間違ったらちゃんと指摘してくれますよ。私だって「あなたのここの部分は違うのではないか?」と書いてくれればちゃんと考えるますけど、静岡の運動家たちはガチンコな討論から逃げて、陰でこそこそ悪口を言うという、極めて日本的な対応ですね。

某全労協加盟組合委員長にも真面目な論争を仕掛けたのですが反論できなくなっちゃったみたいです。かつては某党派にいたのですから、それなりに理論学習したと思うのですが私がちょっと挑発的なメールしたら殆ど反論不能になっちゃいました。私の主張が核心をついたのか、勉強不足なのか分かりませんが「あの程度でなぜ?」との感想です。

かつて新左翼の運動が高揚していた頃は他党派批判の論文がどの党派の機関紙にも乗ったのですが今はそれもありませんね。中核さん達が「体制内派」とか訳分からん罵倒投げつけるだけで。論争の不在が左派の停滞の原因ではないですかね?
 

Re: えー?

 投稿者:某ギャラリー  投稿日:2010年 4月 9日(金)23時03分20秒
返信・引用
  > No.7106[元記事へ]

わたしの主観を脊髄反射で発言しました。

管理人さんの意向が優先的に反映されるべき
ですし、茶畑さんが私の発言に何ら拘束され
ないことは自明の理かと思います。
 

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