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またも横やりですが、ぼくはBI(ベーシック・インカム)を補完する所有のあり方として「財産私有の一代限定」が導入されるなら、ありじゃないかなと思っています。それを資本主義と呼ぶかどうかはともかくとして ;-)
北米のリバータリアンが絶叫してきた「自分の稼ぎ(労働)は自分のもの」を地でいくなら、「機会の平等」を阻害する財産の私的相続は、「自由」にも「平等」にも反することになります。生存の保障を前提としたうえで所有に断絶(あえて廃止とはいわない)をもたらすことこそ、「自由主義」の使命ではないかとさえ思うことがあるのですが、ほとんどの人は財産の私的相続を当然だと思っているようです。金持ちの子は金持ち、貧乏人の子は貧乏という理不尽をなんとも思わないわけですね。このウソつきども、「所有の一代限定制導入」こそ「自由主義」における美徳の最大限綱領であると知れ。なんちゃって。
なお、たしか経団連は「基礎年金の財源を税金にする」という構想をもっていたかと思います。その受給資格の年齢制限を外し、「基礎」の額が「文化的に生きられる最低限」をクリアするならBIとなります。たしかに資本制における究極の「勝手にしろや」がBIでもあるということはできそうですね。雇用と社会保障の問題を統合してとらえるいわゆるフレクシキュリティの考え方にも通じるところがあると思います。
しかし「勝手にしろや」は、しつこいようですが、財産相続が是としたままの資本制社会にあっては、階級政治がもたらす言い草でしかありません。現状において「階級はない」はウソです。
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