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国策会社にあるまじきRCCの取り立ての手口にさらされ、個人や中小企業が追い詰められている現実があり、その一方でそのRCCの横暴を看過し、あまつさえ法的に正当だと認定してしまう裁判所がある。
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京都市左京区の鎌倉時代の名刹、南禅寺と隣り合わせに高い塀がある。その中には美しい庭園が広がる。明治時代の初めに、江戸時代の茶人・小堀遠州の一番弟子だった小川治兵衛が手掛けた庭園「何有荘(かいうそう)」だ。 |
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「さみしいがしかたない。決心はついている。ただ、RCCの汚いやり口で、一方的に悪者にされたのが悔しくてなりません」 |
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何有荘の元所有者だった、大山進氏は無念そうな表情で話す。大山氏が何有荘を取得したのは、1984年のことだった。1991年には、大山氏が主宰する形で、宗教法人「大日山法華経寺」を設立。同時に、何有荘をその本山として宗教法人に寄付したのである。 |
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何有荘をめぐってRCCとの間に争いが始まったのは、三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)の系列ノンバンク、ダイヤモンドファクター(現三菱UFJファクター)の債権をRCCに買い取られたことがきっかけだった。この債権には、何有荘が担保に付けられていた。 |
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じつは、ダイヤモンドファクターも、もともとの債権者ではない。元の債権者は、京都の信販会社だ。ダイヤモンドファクターは、1987年にこの信販会社から債権を買い取っていた。ダイヤモンドファクターの社長は、何有荘をグループの迎賓館にほしがっていた。大山氏が断っても、「190億円ではどうか」と言って、買い受け申込書までよこすくらいであった。 |
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しかし、いくらお金を積んでも、大山氏が首を縦に振らない。そこで、ダイヤモンドファクターは、一転して何有荘に競売を申し立ててきた。1998年のことだった。 |
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何有荘の入札を希望する者は多かったが、落札に至る者はいなかった。何有荘には宗教法人があり、その一部に大山氏が居住していたからである。それに、何有荘の敷地内には多数の建築物があり、登記、未登記が錯綜している状態だった。そのため、競売手続きだけでは処理できず、係争が長引くおそれがあった。入札者たちも、莫大な資金を投入するにはリスクが大きすぎると判断したに違いない。 |
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じつはこの頃には、ダイヤモンドファクターにとっても、大山氏らの債権は"お荷物"になっていた。金融再編の流れの中で、その当時すでに、いずれダイヤモンドファクターも統合・整理されることが予測されていた。経営陣としては、そのためにもこの問題は解決しておいたほうがよい、と判断したのであろう。2001年から、ダイヤモンドファクターと大山氏側との間で和解交渉が始まることになった。 |
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しかし、宗教法人側も、また大山氏も、問題の解決のためには、和解金として最低でも何有荘の競売価格、約10億5000万円の支払いが必要だった。大山氏らは資金の調達に奔走したが、当時は金融機関の貸し渋りが広がっており、難航した。 |
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そのような状況で、大山氏がかねてから懇意にしていたFさんが、2002年3月に満井忠男氏らを連れてきたのである。2007年6月に、朝鮮総連中央本部の移転登記をめぐる事件で、元公安調査庁長官の緒方重威被告とともに、詐欺事件の容疑で逮捕されたあの満井被告である。 |
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満井氏側は、何有荘を「38億円で買い取る」と言ったが、内金1億円を支払ったのみで、残金は用意できなかった。そして後に、この内金1億円の支払いをめぐって、満井氏が大山氏やFさんらを詐欺容疑で京都府警に告訴することになるのである。 |
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大山氏側は結局、期限までに資金調達ができなかった。そこで、2002年5月になって、ダイヤモンドファクターとの和解交渉は打ち切りとなった。同年9月には、ダイヤモンドファクターの債権が、最終的にRCCに買い取られた。 |
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「最終的に」というのは、不思議なことに、ダイヤモンドファクターはいったん三菱銀行に債権を売却し、その同じ日に、RCCが三菱銀行から買い取っているのだ。RCCもサービサーなのだから、直接ダイヤモンドファクターの債権を買い取ることは可能だ。にもかかわらず、なぜ、わざわざこのような"迂回"をして債権を買い取るような方法を取ったのか。 |
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その理由は、RCCが、ダイヤモンドファクターから直接買い取った場合と、三菱銀行から買い取った場合とでは、債権買い取りの性格が違ってくるからだ。 |
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RCCが、直接ダイヤモンドファクターから債権を買い取った場合、これはあくまで民間サービサーの売買という扱いになり、RCCの回収の"伝家の宝刀"ともいうべき「預金保険機構の財産調査権」は使えない。また、サービサーとしての買い取りは、公的資金は入らないから、RCCが強引な債権回収を正当化するための「国民の血税を無駄にしない」との"マジックワード"も使えない。 |
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債務がある人や会社にとって、債権の回収に動くサービサーはどこも怖いだろうが、RCCがそれ以上に恐れられているのは、預金保険機構と組んで、「公的資金の最小化」をうたい、強制力を使って隠匿された財産を見つけ、「刑事告発」を乱発するからだ。そして、RCCがこの伝家の宝刀を使うには、その対象が金融再生法五三条にもとづいて「金融機関(健全行)から買い取った債権」でなければならないという縛りがある。だからこそRCCは、ダイヤモンドファクターの債権をいったん三菱銀行に移し、三菱銀行から買うという"迂回取引"をしなければならなかったのだ。はっきり言えば、「金融再生法五三条の債権譲渡」を偽装したのである。 |
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金融再生法五三条二項三号には「金融機関等から資産の買取りの申込みがなされた場合」とあり、あくまで、金融機関からRCCへ買い取りの申し込みがあって可能なプロセスであることが規定されている。したがって本来ならば、三菱銀行側から持ちかけていなければならない。しかし、現実には、RCCから買い取りを持ちかけるケースも多いと聞く。この大山氏のケースにおいても、RCCが持ちかけたのではないか。 |
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RCCは、大山氏が経営する日本工業に対する旧住専の債権の回収のために、預金保険機構の財産調査権を使って、大山氏らの弱点を徹底的に調査し、その過程で、満井氏が大山氏らを詐欺事件で告訴するらしいとの情報をキャッチしたとしか思えない。同時に、ダイヤモンドファクターが「何有荘」をもてあましていることも知った。 |
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この詐欺事件をうまく利用して大山氏を逮捕に持ち込めば、大山氏を何有荘から排除できる。大山氏が何有荘からいなくなれば、何有荘の競売も円滑に進み、莫大な回収がはかれる。RCCはそう考え、ダイヤモンドファクターの債権を買い取ったのだろう。実際、この詐欺事件と、その後RCCが起こした裁判によって、事態はRCCのもくろみどおりに展開していった。 |
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不動産取引をめぐる詐欺事件の被害者だとして大山氏を告発した満井氏の肩書は、不動産会社元社長。有名な不動産業者であり、不動産取引についてはプロ中のプロである。しかも、何有荘をめぐる取引には、当初から満井氏の顧問弁護士だった緒方重威元公安調査庁長官が立ち会っている。この二人が、主に公共事業を請け負っていた建設会社の経営者・大山氏から騙されるなどということがあるのだろうか。 |
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しかも、1億円の授受は2002年4月のことで、大山氏らが逮捕されたのは2005年2月26日。3年もの間が空いていることからも明らかなように、当初は警察も、「民事事件くずれ」として、取り合っていなかったのだ。 |
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満井氏の告発によって、大山氏とFさん他一名が共犯として逮捕されたが、起訴されたのは大山氏だけであった。犯罪の成否はともかく、もともと満井氏らに何有荘の話をもちかけ、この件において中心的役割を果したのがFさんであることは明らかであった。だが、Fさんは、約一ヶ月後の3月20日に釈放されている。 |
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一連の経緯を見ても、大山氏だけが起訴されたのは、RCCが仕組んだ国策捜査である疑いがきわめて強かった。現に、大山氏の捜査を指揮した警察官は、京都府警の捜査二課金融不良債権関連事犯対策室の警察官であった。 |
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大山氏に対する詐欺容疑は、何有荘のための任意売却費用、および立ち退き費用の名目で、宗教法人大日山法華経寺とU学園との間に、何有荘についての売買協定が締結されていないにもかかわらず、これが事実であるかのように装って1億円を満井氏らから騙し取った、というものである。しかし、大山氏は、逮捕後もずっと否認を続けた |
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ところが第二回公判の直前、5月31日になって、大山氏の娘婿が建設業法違反で逮捕された。容疑は、建設会社の工事履歴書に虚偽内容を記載した、というものだった。 |
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接見に来た弁護人は、「このまま否認を続ければ、娘一家は離散になる。事実を認めれば保釈にもなる。警察も、娘婿に対する事件をとりやめると言っているから、事実を認めたほうがよい」と言う。 |
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大山氏の次の公判は間近に迫っていた。大山氏は、接見禁止が続いていて、弁護人以外、誰とも会えなかった。弁護人から聞かされた家族の意見は、「裁判を長引かせて、娘夫婦を離婚に追いやることは避けてほしい」というものだった。大山氏も、三人の孫のあどけない顔を思い浮かべると、それ以上、否認を続けることができなかった。 |
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6月3日の第二回公判では、大山氏はそれまでの否認の態度を一転させ、事実を認めた。その結果、大山氏の弁護士は、検察官から提出された書証のことごとくを同意した。これはつまり、証拠を認めたことになるので、証人尋問など、法廷での証拠調べは最小限のものとなる。 |
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第二回公判では、大山氏の被告人質問が行われただけで、犯罪の成否に関する証拠調べはまったく行われなかった。被告人質問も、大山氏は、弁護人から渡された「問答集」どおりに答えるだけだった。 |
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大山氏が事実をすべて認め、書証も全部同意したことから、一審の京都地裁では、被告人質問のほかには、「情状証人」として大山氏の娘が取り調べられただけで終わった。裁判所も、大山氏が事実を認めたことで、証拠の検討も不十分なまま、検察官の論告で述べられた事実をおおむね認める判決を書いた。しかも、懲役三年六月の実刑判決であった。 |
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大山氏は、大阪高裁に控訴した。 |
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控訴審で大山氏の無罪を立証するには、満井氏や緒方弁護士、Fさんらの証人尋問が必要不可欠である。しかし、刑事裁判は、証拠資料の第一審集中主義のため、控訴審で証人尋問が認められる場合は限られる。 |
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控訴審の第一回公判では、証拠調べの必要性を訴えた。大山氏も、娘婿の逮捕の新聞記事や一審の弁護人が作成した「想定問答集」などの資料を示して、苦渋の選択の結果、事実を認めることにした経緯をこと細かに証言した。 |
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しかし、裁判所は、証人申請をことごとく却下した。 |
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このままいけば、証人尋問はまったく行われずに結審されることになる。大山氏の場合、証人尋問で新たな証言を引き出さないかぎり、一審の判決が取り消されるのは難しかった。 |
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高等裁判長の訴訟指揮は、どう見ても大山氏に厳しかった。大山氏が一審の弁護人を変えたことまで、法廷で難詰した。裁判所は、大山氏が裁判引き延ばしをはかっていると邪推していたのだ。証拠調べの要求も、裁判引き延ばしのためだと考えたのか。 |
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刑事裁判を担当する裁判官に必要なのは、人間に対する温かい目だ。しかし、このとき大山氏を担当した三人の裁判官には、被告人の言い分に耳を貸して真相を解明したいという熱意は、残念ながら少しも感じられなかった。 |