投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.>なんでもフリートーク | 画像 ] [ 検索 ]

全1999件の内、新着の記事から20件ずつ表示します。 33  34  35  36  37  38  39  40  41  42  |  《前のページ |  次のページ》 

Re: 蓮池薫さん

 投稿者:イレギュラーず  投稿日:2009年10月 3日(土)20時50分0秒
返信・引用 編集済
  > No.6552[元記事へ]

三浦小太郎さんへのお返事です。

> 一部引用します
>
> 蓮池さんは受賞の挨拶で大要こんなことを語った。
>
> 《今回の受賞で、拉致問題への関心が依然高いということが証明され、うれしく思っている。私が、北朝鮮について知っていることをまだきちんと話していないと言う人もいるが、話すべきところには話している。24年間を奪われた者として、おおっぴらに言えないことは悔しい。しかし、公開した方がいい情報だけではない。北朝鮮との交渉に使うべき情報、ウラ取引のために取っておく情報、北朝鮮には知らせない方がよい情報などさまざまある。情報は明らかにされた瞬間に意味がなくなってしまうことがある。情報を公開すべきかどうかの基準は一つ、拉致問題解決に役に立つかどうかだ。その判断は私にさせてください》
>
> これは大変重い言葉。
> 私は、最近の蓮池透さん(薫さんの兄上)に対し、今は批判的な立場にありますが、このご兄弟の人格に関しては全く疑っていません。薫さんが著述家、翻訳家としても、今後さらに評価され成功して欲しいと思います。

同じように,2009年6月25日付け河北新報朝刊に手記(「半島へ,ふたたび(新潮社)」)出版の記事がある。

記事を一部引用すると,

帰国後,北朝鮮での経験を単に否定することはやめた。「日朝関係が進展した時,自分が大きい役割を果たせるのでは」。そんな気持ちを胸に,朝鮮語という言葉を武器に,翻訳家として,大学講師として道を切り開いた。
 蓮池さんは「まだ向こうにいる拉致被害者が帰国し,自由を享受できる喜びを味わうために自分に何ができるか考えたい」と力を込める。
 

蓮池薫さん

 投稿者:三浦小太郎  投稿日:2009年10月 3日(土)10時27分47秒
返信・引用
  蓮池薫さん(拉致被害者)について、ジャーナリストの高世仁さんが興味深い記事を書いています
是非下記をクリックしてお読みください

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20091002

一部引用します

蓮池さんは受賞の挨拶で大要こんなことを語った。

《今回の受賞で、拉致問題への関心が依然高いということが証明され、うれしく思っている。私が、北朝鮮について知っていることをまだきちんと話していないと言う人もいるが、話すべきところには話している。24年間を奪われた者として、おおっぴらに言えないことは悔しい。しかし、公開した方がいい情報だけではない。北朝鮮との交渉に使うべき情報、ウラ取引のために取っておく情報、北朝鮮には知らせない方がよい情報などさまざまある。情報は明らかにされた瞬間に意味がなくなってしまうことがある。情報を公開すべきかどうかの基準は一つ、拉致問題解決に役に立つかどうかだ。その判断は私にさせてください》

これは大変重い言葉。
私は、最近の蓮池透さん(薫さんの兄上)に対し、今は批判的な立場にありますが、このご兄弟の人格に関しては全く疑っていません。薫さんが著述家、翻訳家としても、今後さらに評価され成功して欲しいと思います。
 

それ。いい。

 投稿者:トチロー  投稿日:2009年10月 2日(金)01時53分37秒
返信・引用
  > No.6546[元記事へ]

バッジ@ネオ・トロツキストさんへのお返事です。

> 価値認識の人類的共有に努力することが自らの責務となる

 前段の丁寧な説明もさることながら、この表現は、とても説得力あります。ロマンもある。少数派をすくい取るというときにも、この大前提が生きるでしょう。思想統一は必要です。一般に訴えるとき、これは不可欠でしょう。正当性も妥当性も持てる。
 これなら、私刑反対、死刑反対を、大上段で構えることができるように思える。そうして、被害者感情もまた同様に癒してゆくという補策を考えればいい。実に美しいと思いました。
 

>そんな元社会党だか元社民党

 投稿者:伊達 純  投稿日:2009年10月 1日(木)15時18分35秒
返信・引用 編集済
   当時、旧社会党は、そんなんばっかりでしたよ(憮然)。

 旧社会党内で明確に小選挙区制反対だったのは、國弘正雄さん、田英夫さん、翫正敏(いとうまさとし)さんら「青票議員」と呼ばれた少数派でしたよ。

 小選挙区制が通過した当日、私たちは国会前に押しかけていたのですが、通過直後、疲れ果てたふうの國弘さんが、私たちに握手を求めてきたことをおぼえています。
 

Re: 千葉景子法相について

 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト  投稿日:2009年10月 1日(木)14時30分53秒
返信・引用
  > No.6547[元記事へ]

伊達 純さんへのお返事です。

>千葉さんは社会党の中でも小選挙区制の推進派でした。結果、小選挙区制は成立し、(その後しばらくは社会党⇒社民党にいたものの)彼女は社民党を泥船と見捨てて民主党へ入党し、現在に至った訳です。

>  そういう訳で私は千葉景子法相に対して過剰に期待していません。


ははははっ、そんな元社会党だか元社民党もいたんだぁ!!!!

小選挙区制を支持する社会党員とは、こりゃ「小選挙区制を支持する民主党」以上に漫画ですねぇwww

やっぱ、さもありなんかなぁ。
 

これは他の板でも書いたが

 投稿者:三浦小太郎  投稿日:2009年10月 1日(木)11時44分28秒
返信・引用 編集済
  この事は他の板でも書きましたが、私個人は、死刑制度に現在は賛成しています。
ただ、千葉法相は個人の政治的信念は廃止論であることは公言しておられる。そうであるなら、賛成派の私のような人間からの批判は覚悟の上で、間接民主主義のルール上、法相としての判断と権限でモラトリアムを行うべきでしょうね。

これは保守の側もそうなんですが、役職に着くとそれまでの信念を変える、もしくは「憲法に従う以上やむおえない」などと理屈をつけて信念を事実上棚上げにしてしまう人が多すぎます。そして今度は破れて議員に戻ると昔のメロデイを歌い出す。それでは政治家の言葉がただただ軽くなるばかりでしょう。その意味で、改憲論者の鳩山首相が、その信念をどう表現するかは私は注意していたいと思います。

死刑に関しては、賛成派も、反対派も、それぞれの論理も、また感情も、人間観もあると思います。新右翼の野村秋介氏は、獄中の永田洋子氏と面会し、哀感のこもった文章を残しています。あえて誤解を恐れず「彼女はたった14名しか殺していない。スターリンやヒトラーに比べればアマチュアの殺人者に過ぎない」「我々の側(右派、民族派)の思想や運動に、彼女等をひきつけるだけの理論も理想もなかったからこそ、彼女は左翼に行くしかなかった。我々の側の責任でもある」という意味の言葉まで残しています。

野村氏は他にも、宣伝する事はありませんでしたが、多くの死刑囚と文通したり、時には差し入れなどをしていたようでした。私は死刑制度賛成派ですが、こういう心は持ちたいものだと思っています
 

千葉景子法相について

 投稿者:伊達 純  投稿日:2009年10月 1日(木)11時10分58秒
返信・引用 編集済
   一度、1991年のことだったと思うけれども、まちづくり情報センターかながわ(アリスセンター)の総会後のレセプションでお会いしました。その際、彼女は「わが社会党も明日があるやら無いやらわかりませんが」と言ったのですが、それに対して私は「無い」と小さな声で言ったつもりが、地声が大きいもんで会場中に聞こえてしまった(苦笑)。神奈川ネットワーク運動の横浜市議会議員(当時)である渡辺光子さんから「あら、大きな声ね」と揶揄されてしまいましたよ(苦笑)。

 ちょうど湾岸戦争への自衛隊の海外派兵が焦点化した統一地方選挙で、土井たか子委員長の社会党が惨敗した直後のことだったと思います。それが彼女の「わが社会党も明日があるやら無いやらわかりませんが」という発言につながったのでしょう。

------<追加挿入>------

 また、このとき社会党は、左派と右派との間の綱引きで「ダッチ・ロール」状態でした。私は、「さて、この人は、はたして左右どちらの立場から『わが社会党も明日があるやら無いやらわかりませんが』と言っているのだろうか?」ということも内心で思っていました。

------<挿入ここまで>------

 その後、1993年から1994年にかけて、小選挙区制の導入が国会で焦点化しました。千葉さんは社会党の中でも小選挙区制の推進派でした。結果、小選挙区制は成立し、(その後しばらくは社会党⇒社民党にいたものの)彼女は社民党を泥船と見捨てて民主党へ入党し、現在に至った訳です。

 そういう訳で私は千葉景子法相に対して過剰に期待していません。

■追補
 小選挙区制ということで言えば、前千葉県知事の堂本暁子さんも推進派でした。やはり、少なくとも私にとっては、その時代を生きた者として、小選挙区制に賛成したか/反対したかは大きなメルクマール(指標、判断基準)なのです。その後は、彼女も旧社会党を泥船と見捨てて離れています。また千葉県職員による不正経理問題は堂本さんが県知事の時代に行なわれたものです。私の知り合いに堂本さんの選挙を手伝った人たちがいるので、あまり悪く言いたくはないのですが、いくら何でも彼女自身が不正経理に直接関与してはいないだろうけれども、だとしても彼女に責任があるには違いないことは言っておかなければなりません。

↓私は森田健作・現千葉県知事に対しては何らのシンパシー(政治的にも思想的にも)も感じませんし、「完全無所属」を騙って千葉県知事選挙で当選したことについても問題だと思っていますが、前任者のもとで行なわれた不正に対して自分のこととして謝罪したことについては、当たり前のことに過ぎないけれども、潔さを感じてしまいましたね。

森田知事、声荒らげ「職員の誇りどこへ」 千葉不正経理
(朝日新聞 2009年9月9日22時38分)
http://www.asahi.com/national/update/0909/TKY200909090393.html

森田健作知事「完全無所属」告発、不起訴に(読売新聞 2009年9月30日20時32分)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090930-OYT1T00953.htm
 

Re: えっと

 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト  投稿日:2009年10月 1日(木)10時25分54秒
返信・引用 編集済
  > No.6542[元記事へ]

トチローさんへのお返事というだけではないんですが・・・・

> 問題は、死刑制度の是非ではなく、左翼のオピニオンリードの方法についてです。


そうだよね。より正確には「死刑制度の是非(だけ)ではなく、民主主義者のオピニオンリードの方法について」だろうけど。

ただ、左翼も含む民主主義者とは、価値認識のプルラリズム(複数主義・相対主義)を否定しないけれども、事実認識については共有努力をする人種のはずだよね。じゃないと、歴史の改竄みたいなものさえ許容する思想態度に堕落してしまうことになるから。

また、価値認識の相対性(複数主義)についても、そのことを絶対化だけはしないはずでしょ。じゃないと、民主主義という価値認識への敵対・破壊行動さえ許容することになってしまう。ドイツやヨーロッパ諸国がナチズムを実践行動のみならずその思想も含めて取り締まることも、民主主義思想が絶対化された相対主義とはハッキリ一線を画すことの証明じゃないかな。
「民主主義」とは、民主主義という価値認識・規範意識を否定するような思想(価値認識)までは許容しないような価値認識でしょ(学校教育などではここが肝心!)。
だから、価値認識の相対性(複数主義)を許す民主主義という思想(価値認識)も、万民の価値認識の一致・共有の努力を自らの責務から全く除外してしまうわけではない。
「死刑制度」のように、民主主義という価値認識の主体に直接重大な影響を及ぼすような問題については、民主主義者は、価値認識の人類的共有に努力することが自らの責務となるんじゃないかな。

千葉さんは民主主義者を標榜し死刑制度に反対する権力者なんだから、なおさらのこと自らがすすんで死刑制度をめぐる価値認識の国民的(人類的)統一に積極的な努力をはらうべきだと思いますよ。
オレは、権力者(執行者)である千葉さんは、モラトリアムの実施だけじゃ民主主義者としての十分条件を満たすことにはならないと思うのですよ。
「権力をもった民主主義者」には、それ相応の「何をなすべきか」が伴う。
 

たはは。そっちへ振りますか。

 投稿者:トチロー  投稿日:2009年10月 1日(木)07時50分11秒
返信・引用
  イレギュラーずさん、どうもどうも。

 わざわざ言うまでもないと思うのですが、内ゲバも、どうしようもなかったから、なかなか止まらなかった。ただ、そこにあったのは復讐心だけだったかというと、僕は違うような気がする。主体は組織として動いていたから政治的判断だったと思うからです。組織に復讐心があるわけがない。あるのは、個人の胸の内だけです。当事者がどう思って動いていたかは、人によって違うと思うのです。
 あと、ちょっと意味がとれなかったんですだけど、こういう話でいいのかしら。内ゲバは、天に変わって(代わったつもりで)お裁きしたのでしょう。だから、私刑です。国家がやったわけではない。国家が仕向けていたわけしゃないでしょう。国家や国家の法なんか関係ない〜という話です。自分らのみの倫理です。だから、それを忘れろといっても、忘れられる人もいれば、忘れられない人もいる。そうして、実際に復讐すべきだという人もいるだろうし、復讐はやめるべきだと言う人もいる。両者とも間違っているとは思わない。但し、僕にとっては、内ゲバは邪魔です。それでも、もし自分が当事者だったら、ダイナマイトでも拳銃でも持ってゆきます。倍返しなどという甘いことは言いません。あとのことなんかどうでもいいでしょう。
 

民主最悪

 投稿者:k  投稿日:2009年10月 1日(木)07時39分1秒
返信・引用
  日本崩壊の序曲
外国人参政権反対署名を!!匿名で署名できます。
ttp://www.shomei.tv/project-1300.html

こんなに危険!ネコでも解る外国人参政権
ttp://www.youtube.com/watch?v=iHz2gCYOv0c

沖縄ビジョン、人権擁護法案etc
 

Re: えっと

 投稿者:イレギュラーず  投稿日:2009年 9月30日(水)22時14分6秒
返信・引用
  > No.6542[元記事へ]

トチローさんへのお返事です。

> 問題は、死刑制度の是非ではなく、左翼のオピニオンリードの方法についてです。
>
> 復讐の感情は、遺族にとってどうしようもなく存在し続けるもので

そこで,いわゆる「内ゲバ」ですが,どうしようもないですか?これは,国家の外にありますか?
 

えっと

 投稿者:トチロー  投稿日:2009年 9月30日(水)21時57分54秒
返信・引用
  問題は、死刑制度の是非ではなく、左翼のオピニオンリードの方法についてです。

復讐の感情は、遺族にとってどうしようもなく存在し続けるもので、復讐を国家が行うというのは遺族からみた社会ですし、復讐を法的に認めるという方法は、主張としてありえるというだけです。江戸時代では、仇討ちした遺族は罰せられないという細かな取り決めがありました。そして、現代の死刑制度は復讐のためではなく、私刑を廃止した近代法で成り立っています。
 

国家は「怨み屋本舗」か?

 投稿者:かめさん  投稿日:2009年 9月30日(水)14時51分39秒
返信・引用
   こんちは。もう他の方が書かれていることですが。

 「AさんがBさんを殺した。Bさんの遺族がAさんを殺した」のであれば、それは復讐や仇討ちです。
でも、「AさんがBさんを殺した。『Aは悪い奴だ』と別のCさんが自分で判断して決めて、CさんがAさんを殺した」のは、復讐や仇討ちにはならないと思います。
 「Aさんが逮捕され起訴され、死刑判決があり確定し、死刑が執行される」というのは、Bさんの遺族がAさんを殺すことではないのです。そうではなくて、国家がAさんを殺すことなのです。
 テレビのドラマで『怨み屋本舗』というのがあります。
http://www.tv-tokyo.co.jp/uramiya/
 「怨み屋」というのは、闇の稼業で、お金を受けとって復讐の代行を請け負う業者です。「怨み屋」は「こいつは悪い奴だから殺す」と自分で独自に判断するのではなくて、お客さんからお金と引き換えに請け負うのです。
 この場合ですが、「AさんがBさんを殺した。Bさんの遺族が『怨み屋』に頼んだ。『怨み屋』は復讐の代行を請け負った。そして『怨み屋』がAさんを殺した」のであれば、それは復讐や仇討ちです。Bさんの遺族と「怨み屋」との間に「闇の請負契約」が結ばれ、代行されたからです。
 さて、死刑をする国家は、この「怨み屋」なのか? 国家は、Bさんの遺族の代行・請負なのか? Bさんの遺族の為に税でまかなわれている無料の代行・請負の公共のサービスなのか?

 私は違うと思います。Bさんの遺族が、「代行・請負を頼みたくない、自分自身の手ででAさんを殺したい」と言っても、国家はそれを認めません。そんなことしたら、今度は国家はBさんの遺族を殺人罪で捕まえてしまう。また、Bさんの遺族が「死刑執行をやらせて欲しい。執行の際には、Aさんの首のロープを自分自身の手で引っ張りたい」と言っても認められない。逆にAさんが「私は、ぜひBさんの遺族に殺されたい」と言っても、それも認められない。何故でしょう?
 また、Aさんが「死んでBさんの遺族にお詫びしたい。死んでつぐないたい」と遺書を書いて自殺を図ったらどうなるか? 国家は自殺を止めさせます。拘置所の職員が自殺しないように監視していて、Aさんが首吊りしようとすると駆けつけて阻止する。死刑囚のAさんがもしも自殺未遂で重体になったらどうするのかというと、わざわざ無理矢理にでも治療して、それからあらためてAさんの死刑を執行するのです。不謹慎な喩えですが、故障して廃車予定の自動車をわざわざお金かけて一度修理してから廃車にするような面倒なことを何故するのでしょうか。
 それは何故かというと、死刑制度では、Aさんを殺す主体(主語)は、あくまで国家でなければならないからです。Bさんの遺族が殺したり、Aさんが自殺したりしては、死刑にしたことにならないからです。Bさんの遺族は、あるいは私たち諸個人(犯罪被害者や遺族になる可能性はある)は、国家と「闇の請負契約」を結んでいません。またBさんの遺族や私たち諸個人は、国家と一体のものでもありません。Bさんの遺族も私たち諸個人も、国家とは区別される人格です。だから死刑は復讐や仇討ちではないと思います。

 「死刑は復讐である」という理屈は、「いや、日本にいる人は出生と同時に自動的・強制的に「闇の請負契約」を日本国家と結んでいるんだ、そういうことになるんだ」という理屈なのでしょうか? あるいは「日本にいる人(というのは、日本国籍に限りません。犯罪被害者や遺族は日本人とは限らない。外国人を殺したって、日本の刑法で殺人罪なんですから)は、すべて日本国家と一体とみなす」という理屈なのでしょうか?
 どちらの理屈も成り立たないと思うのです。 「国家観」が問われる。
 あ、これは死刑だけに限りません。懲役刑や罰金刑も同じです。懲役の囚人は刑務所で働きますが、犯罪被害者や遺族の利益為に働くのではない。また、罰金は国の歳入になるのであって、犯罪被害者や遺族の収入にはなりません。
 

Re: Re: 死刑廃止に関していくつか

 投稿者:伊達 純  投稿日:2009年 9月29日(火)22時15分55秒
返信・引用 編集済
  > 国民的議論を積極的に組織する恰好のチャンスじゃないの?

 それは「しかし一方で、アムネスティ・インターナショナルなどの運動は、死刑廃止を常日頃から言っている訳です」「とりあえず千葉景子法相に死刑執行のモラトリアムを求めつつ、原則的に死刑廃止を訴え続けるということでよいのではないでしょうか?」という個所でも書いていることです。

 原則的に死刑廃止を求めてきても、「国民的」議論をまき起こそうとしてきても、死刑制度は存置し続けたし、執行もされてきた。そうこうしているうちに次の刹那には誰かの死刑が執行されるかもしれない。ならば次善の策として死刑執行のモラトリアムを求める、もちろん死刑制度の廃止を原則的に求めていくということも続ける、ということではいけないのでしょうか?

 もうひとつ、以下のサイトを紹介しておきます。

アムネスティ・インターナショナル日本 死刑廃止ネットワークセンター
死刑廃止info 死刑廃止国と存置国
http://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/abolitions&retentions.html

 ここには「殺人のような通常の犯罪に対して死刑制度を存置しているが、過去10年間に執行がなされておらず、死刑執行をしない政策または確立した慣例を持っていると思われる国。死刑を適用しないという国際的な公約をしている国も含まれる」という「3.事実上の廃止国」も紹介されています。

 死刑制度を存置しているが、過去10年間に執行がなされておらず、死刑執行をしないという慣例を持っていると思われる、というのは死刑執行のモラトリアムを行なっている国々ということではないでしょうか?

 死刑執行のモラトリアム⇒×、死刑制度廃止⇒○という「原則」を、これらの国々にあてはめたらどうなるでしょうか?

 死刑執行を行なえということにしかならないのではありませんか???

 また国連人権理事会は日本に対して死刑制度の廃止もですが、死刑執行の停止、すなわちモラトリアムも求めている筈です。

 国連人権理事会の日本に対する要求はおかしいのでしょうか???

■追加
>この犯罪者の発生を抑えるという施策が重要である

 残念ながら、この間、秋葉原連続殺傷事件の加害者が参考にしたとされる土浦連続殺傷事件の加害者、そして大坂教育大学附属池田小学校殺傷事件の加害者などは、死刑を望んでいたと言います。これでは死刑は殺人に対する抑止力たりえません。

 もちろん、そういう人間ばかりではなく、死刑が殺人の抑止力になるような人間もいるとは思います。

 だから死刑制度を無くす前と後とで殺人事件の件数が変わらないかと問われれば、私にも自信がありません。

 ただ言えるのは、秋葉原連続殺傷事件、そして雨宮処凛さんが『排除の空気に唾を吐け』(講談社現代新書)で紹介した1999年に起きた池袋連続殺傷事件の加害者などは、明らかに社会からモノのように扱われ、疎外されてきたということです。

 秋葉原連続殺傷事件の加害者は「(殺すのは)誰でもよかった」と語っていたといいます。しかしそれは、彼自身が「誰でもよかった」と言われ、思われてきたからではないでしょうか?

 自分が疎外され、モノのように扱われた人間は、往々にして他者をもモノのように扱う。

 人をモノ扱いする、人を疎外する社会を少しでも克服することが、殺人を抑止することにつながるのではないでしょうか?
 

みなさんの議論と重なりますが

 投稿者:トチロー  投稿日:2009年 9月29日(火)18時59分21秒
返信・引用
   アムネスティは必要ですし、いっそう強力な力を持ってゆかなくてはいけないでしょう。僕は、闇サイト殺人事件の犯人神田司には、死刑判決後、すぐにアムネスティと連絡をとるようにとメールしました。あいつの言いたいことは、すごくよく分かったから。

 まことさん、ご意見どうもありがとうございます。僕は、いつもまわりから学習が足りないと叱られております。
 私刑はアリですね。単純な近代法くそくらえ論ではなく、立法によって復讐を認め、弱者救済の助太刀を確保する。そうでなければ、ただの弱肉強食の世界です。

 国家権力は、「国家」と「権力」に分けられると思うのです。
 国家を認めないという志向からの死刑反対はアリでしょう。
 他方、権力のほうは事情が少々異なるのではないでしょうか。

 我々が権力を握ったときのことを考えてみて下さい。これは正当化すべきであるので、そうなると権力の是非は状況によって異なるということになります。その意味では、「権力の処刑は認めない」という表現は、不動の論ではなくなってしまう。
 もちろん、現状は「悪しき権力」であるので、「(悪しき)権力は許さない」という言い方はできる。

 また、権力は、民衆の代行機関としての力なので、さまざまな職業と同じように「やれる人がやる」という、いわば、補い合いの分業として機能するものと考えれば、権力そのものは悪くも良くもない。この点からすると、処刑が悪いのは「権力」によるものだからではなく、ただ「処刑が悪いから」という主張にすべきではないでしょうか。そのときおそらくは「人は人を殺さない」という表現になるでしょう。

 そもそも復讐の感情が消滅すれば、「死して償え」という話は無いのであって、死刑に値するような犯罪がなくなれば、死刑など消滅してしまいます。「人は人を殺さない」からです。

 これを「そんなことは無理だ」という考え方こそが保守的思考であり、我々は、死刑が自然となくなるような世界を目指さなくてはなりません。
 そのための施策として、死刑を廃止するという結末からの改革もアリでしょうし、今、被害者に復讐感情がある以上、それに寄り添う道もまたアリだと考えています。

 死刑廃止論が「殺人はよくない」と言うとき、左翼にはそのような配慮が欠けていることはないでしょうか。死刑がよくないのと同じく、殺人を犯した犯罪者もよくないわけです。この犯罪者の発生を抑えるという施策が重要であると考えます。ここを強調すれば、左翼の真意はもっと広く受け入れられると考えます。

 そして、バッジ@ネオ・トロツキスト さんより的確な指摘があったことですが、大臣が署名しないまま情勢をみるというオプションもアリだと思います。この戦術こそが、目先の効いた敏感な右翼がもっとも恐れることであると思います。

 さて、僕のような馬鹿は死んでもわからないものである。同様に、多くの人を苦しめる資本家もしかりである。僕は決して許さない。
 諸君。思い出してみようではないか。政権は銃口から生まれるのだ。
 

Re: 死刑廃止に関していくつか

 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト  投稿日:2009年 9月29日(火)17時14分30秒
返信・引用
  > No.6537[元記事へ]

伊達 純さんへのお返事です。

>  とりあえず千葉景子法相に死刑執行のモラトリアムを求めつつ、原則的に死刑廃止を訴え続けるということでよいのではないでしょうか?
>  私は、運動や政治において、死刑執行のモラトリアム⇒×、死刑制度廃止⇒○といったオール・オア・ナッシングの発想こそ有害であると思っています。

それじゃあ「自然成長性への拝跪」wじゃないの?
問題は、「政治の決断」でしょ?
死刑廃止論者が政権党の一員(それも、法務大臣!)ならば、国民的議論を積極的に組織する恰好のチャンスじゃないの?

尊厳死や終末医療、脳死・臓器移植問題なんかもそうだけど、出来合いの教条や「通説」が存在しないような領域の問題については国民的議論を巻き起こす努力をするのが進歩派や左翼、「民主」を名乗るような政党の責務じゃないの?
 

死刑廃止に関していくつか

 投稿者:伊達 純  投稿日:2009年 9月29日(火)14時00分40秒
返信・引用 編集済
   1993年3月27日(土)、ちょうど札幌で行なわれた自衛隊のカンボジア派兵反対現地行動に参加するために北海道へ向かう飛行機に乗る直前の羽田空港で死刑執行再開の新聞記事を見たことを今でもおぼえています。

「1989年12月15日、第44回国連総会で「死刑廃止国際条約」が採択された後、約3年4ヶ月続いていた死刑執行停止状態は、当時の法務大臣・後藤田正晴によってやぶられ、1993年3月26日、3人に対して死刑執行が再開された」と↓以下でも書いてありますね。

http://www.jca.apc.org/stop-shikei/news/82/4.html

 逆に言えば3年4か月のモラトリアムの実績が日本でもあったのですね。

 つまり過去の事例からも、まことさんが書いておられるように「その行政の法務部門のトップたる法務大臣に死刑執行命令権が付与されている以上、執行命令の扱いについては高度の政治的決断が要請されるわけであり、<執行命令書にサインしない>という選択肢もかような決断のオプションとしてあり得る」ことがわかると思います。

 なるほど死刑執行のモラトリアムよりも死刑制度廃止を、という主張はラディカルではありますし、私も御尤もと思います。

 しかし一方で、アムネスティ・インターナショナルなどの運動は、死刑廃止を常日頃から言っている訳です。

 とりあえず千葉景子法相に死刑執行のモラトリアムを求めつつ、原則的に死刑廃止を訴え続けるということでよいのではないでしょうか?

 私は、運動や政治において、死刑執行のモラトリアム⇒×、死刑制度廃止⇒○といったオール・オア・ナッシングの発想こそ有害であると思っています。

 話は変わって↓以下の話題について。

城尾被告、二審は無期=死刑破棄、「選挙妨害目的」認めず−長崎市長射殺・福岡高裁
(時事通信 9月29日10時44分)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090929-00000050-jij-soci

 2007年の長崎市長選挙の際、伊藤一長市長が射殺された事件で、一審の長崎地裁では死刑判決が出されていたのですが、二審の福岡高裁では、一審の事実認定をすべて認め、死刑を選んだ地裁判決について「理解できないものではない」としつつ、被害者が1人であること、金銭や選挙妨害が目的ではないことは軽視できないことから「死刑選択は躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ない」と結論付けたとのことです。

 最初に読んだ際には、死刑制度反対という立場からすれば、死刑⇒無期懲役へと判決が変わったことは良いことなのかもしれないが、何らかの政治的判断が働いたためではないかとも感じました。

 しかし被害者が1人であることなどから二審の福岡高裁の判決が無期懲役であったことは妥当であると考えるようになりました。

 広島の秋葉忠利市長と共に核兵器廃絶を訴えてこられた長崎の伊藤一長市長の生命を奪ったという凶行を許すことは到底できませんが、死刑廃止という立場からは無期懲役の判決を受け容れなければならないということなのでしょう。

■追加
 江川詔子さんについて。

> 江川氏は殊にオウムのことになると、過去の自身の立場性をかなぐり捨てた
> 感情的な意見を展開する傾向があるので。

 御自身がオウムのテロ対象となり、命に別状は無かったとは言え全治2週間の傷を気管支に負ったことを思えば無理からぬことだと思います。

江川紹子(ウィキペディアより)

江川紹子ホスゲン襲撃事件(ウィキペディアより)

 脱線しますが、彼女は『長くつ下のピッピ』『名探偵カッレくん』『ミオよ、わたしのミオ』などの作者アストリッド・リンドグレーンのファンだったようです。NHKの『世界 わが心の旅』でリンドグレーンに会いに行ったことが描かれていました。普段の彼女からは考えられない無邪気な表情を見せていました。彼女のこういうところは好きなんですがねぇ…。

世界 わが心の旅 スウェーデン 心の扉をひらきたい
http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200090007090130011/
 

Re: 左翼と死刑廃止、政治の決断

 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト  投稿日:2009年 9月29日(火)08時50分21秒
返信・引用 編集済
  > No.6535[元記事へ]

まことさんへのお返事です。

> ベッカリーアの議論にみられるように、死刑廃止論は近代共和主義の歴史の中で深化してきた面があるわけですから、左翼と死刑廃止は<大いに関係する>と思いますね。

> >僕は、現段階においては、復讐の観点から死刑制度に賛成です。(トチローさん)

> 「復讐」の観点から、ならば、私人間における復讐は国家権力による死刑執行ではなく、被害者の関係による「仇討ち」によって行うべきとの議論の方が筋が通っているのではないでしょうか。(※ここは敢えて私人間における復讐との留保をつけておきます。)


オレは「ベッカリーアの議論」なるものを知らないし、先人による「社会主義と死刑制度」といったようなまとまった叙述に眼を通した記憶もないけれど、この問題では「国家」の介在や「犯罪の概念」、「犯罪発生の(社会的)原因」などが外せない以上、社会主義の思想的立場と死刑制度の是非(広義には「刑罰」制度のありよう)は大いに関係すると思いますね。「復讐」の問題についてはマルクスやエンゲルスも書いていたように思うし・・・


> 死刑を含む判決を下すのは司法権を持つ裁判所ですが、その刑罰を執行するのは飽くまで行政の権能です。
> そして、その行政の法務部門のトップたる法務大臣に死刑執行命令権が付与されている以上、執行命令の扱いについては高度の政治的決断が要請されるわけであり、<執行命令書にサインしない>という選択肢もかような決断のオプションとしてあり得るのですね。


ただ、そうであるならば、「司法権の権能」と「行政権の権能」に分けてモラトリアム対応で問題の根本を回避するのも、これまた(社会主義的)哲学と政策の無能を露呈するものだとは思うよね。モラトリアムは、あくまでも暫定的措置にすぎず、早急に「司法と行政の統一」をはかるべきでしょう。分裂状況を放置することは三権分立主義の体裁をとった相対主義じゃないかな?

死刑廃止派は、「死刑の有効性と死刑以外の矯正方法の有効性」の比較というような実証主義的な枠組みをも超克して、もっと大きな、包括的でラジカルな議論を展開するべきではないでしょうか。特に「左翼」はです。マルクス主義は、単なる事実認識じゃないもんね。「科学的社会主義」とは、事実認識に媒介されてはいるけども、あくまでも「主義」(=価値認識・規範意識)なんだろうからさ。
 

左翼性と死刑廃止、政治の決断

 投稿者:まこと  投稿日:2009年 9月29日(火)00時02分37秒
返信・引用 編集済
  >「死刑制度反対は左翼性と何の関係もない」
>正確には、そうではなくて、「関係する」のだと考えます。それは、まさに「人権」や「今を生きる人々の最大限の幸福」「友愛」「共生」などの概念を具体的に追求した結果であるからです。(トチローさん)

ベッカリーアの議論にみられるように、死刑廃止論は近代共和主義の歴史の中で深化してきた面があるわけですから、左翼性と死刑廃止は<大いに関係する>と思いますね。

>僕は、現段階においては、復讐の観点から死刑制度に賛成です。(トチローさん)

「復讐」の観点から、ならば、私人間における復讐は国家権力による死刑執行ではなく、被害者の関係による「仇討ち」によって行うべきとの議論の方が筋が通っているのではないでしょうか。(※ここは敢えて私人間における復讐との留保をつけておきます。)

江川紹子氏の見解についてですが、来年以降はオウムの死刑囚の執行が待ち構えているから、それを意識した意見では無いのかなと思いますね。江川氏は殊にオウムのことになると、過去の自身の立場性をかなぐり捨てた感情的な意見を展開する傾向があるので。

死刑を含む判決を下すのは司法権を持つ裁判所ですが、その刑罰を執行するのは飽くまで行政の権能です。

そして、その行政の法務部門のトップたる法務大臣に死刑執行命令権が付与されている以上、執行命令の扱いについては高度の政治的決断が要請されるわけであり、<執行命令書にサインしない>という選択肢もかような決断のオプションとしてあり得るのですね。

そして、「決断」こそが政治のダイナミズムを生起することがあるのです。
 

裁判所の不法行為について

 投稿者:猛獣文士  投稿日:2009年 9月27日(日)22時28分51秒
返信・引用 編集済
  お久しぶりです。日本の裁判は、政治色がつこうつくまいと、そもそもデタラメに処理されているようです。重要な事件だと思うので、皆様にも紹介します。

--------------------------------------------------------------------------

千葉県警察本部記者クラブ御中

作成、公共問題市民調査委員会、代表 国本 勝

 公共問題市民調査委員会、会員の大高正二氏、橋本和憲氏及び山野
咲子氏が千葉興行銀行から名誉毀損で告訴され逮捕された。
 大高氏は東京地裁、高裁前で約5年間にも渡って、裁判所の違法判決
に対する街宣活動をしており、その逮捕は裁判員制度の前に大高氏の
身柄を拘束する目的で行われたものである。
 平成20年11月21日にも東京高裁の総務課所属、庶務課の伊藤氏が、
わざと転び、(公安が良く使う手口で、わざと転び公務執行妨害で逮捕、
通称、転び公妨)丸の内署員達に逮捕させ、証言者が出た為に、21日間
の勾留で釈放せざるを得なかった等の経緯で明らかである。
   それらの事実に関しては下記のホームページ
http://www.justmystage.com/home/kunimoto/のトップページ、
公共問題市民調査委員会の会員コーナー、大高正二氏の関連番号、00、
01、02、03に詳しく事実を掲載をしている。
 千葉興行銀行から3人に対する『街宣活動の仮処分の提訴が千葉地裁
に提出され』大高氏、橋本氏、山野氏は千葉地裁に30日に山野氏の答弁
書を提出する為、警察から街宣許可をとり、平成21年6月29日と30日に
千葉興銀本店への街宣を行った。
 千葉西署は30日に大高氏を公務執行妨害で逮捕、それから10日後に
橋本氏と山野氏を名誉毀損での逮捕は、千葉興銀が既に告訴していた
のであれば、千葉興銀が『街宣活動の仮処分の提訴』をする必要は無く、
29日でも30日でも3人を逮捕できた筈で、明らかな矛盾点であり、29日
大高氏を先ず逮捕して、橋本氏、山野氏逮捕迄の10日間に千葉地裁主導
による大高氏身柄拘束の為、千葉興銀に対して告訴状の提出をさせたと
考えるのが、全ての状況から妥当である。

            逮捕の経緯

1 平成21年6月29日は千葉興銀本店前には千葉西署の警察官が1人だけ
 で警戒にあたっていた。
  この日の東京地裁、高裁前の正面には、大高氏の街宣に対する警戒
 の為ガードマン及び所員等の十数名が、相変わらず貼付いていた。

2 平成21年6月30日午後1時45分頃に、橋本氏と山野氏は山野氏の答弁
 書を千葉地裁に提出する為、大高氏を千葉興銀本店前で降ろして約30分
 程して千葉興銀本店前に戻ると、大高氏の姿が無かった。
  大高氏の話では、パトカー内に4〜5名の警察官がおり、午後2時前後
 頃、私服と制服の10名程が千葉興銀本店横からあらわれ、大高氏に対し
 て、電話の苦情がありと言いながら、拡声器を持っている右手を掴んだ
 ので、大高氏が右手を下に降ろした途端、警察官はすかさず『公務執行
 妨害と言いながら逮捕』した。
  この日の東京地裁、高裁前の正門では、朝からガードマン及び所員等
 は1人も居らず、もぬけの殻の状態で静まりかえっていた状況は、大高
 氏の支援者達の証言及び写真撮影等で明らかである。
 (上記1の東京地裁、高裁正門前の29日と30日の状況を目撃している方
 の多くの証言者からの連絡は、代表国本迄、ファックス及びメール等
 にてご連絡戴ければ幸いです)

3 平成21年7月10日橋本氏と山野氏は千葉西署の警察官達によって自宅
 で千葉興銀への名誉毀損で逮捕、一方、大高氏は西署で一旦釈放された
 が、西署門を出た所で千葉興銀への名誉毀損で再逮捕された。
  山野氏は、頻繁に千葉興銀の資料外が盗まれる被害にあっており、
 地元警察に被害届けを出しても無視さて続けた為、橋本氏が鍵を3重に
 付け、防犯カメラを設置していた。
  山野氏の夜8時頃の逮捕時には自宅の電源を全て切られ、眼鏡を床に
 放り投げられ一円の金さえ持たされず、手錠と腰縄をされ、同じ頃、
 橋本氏も同様であった。
  大高氏は西署に勾留、橋本氏は市川署に勾留、山野氏は木更津署に
 勾留され、この日から、3人の面会は禁止、面会禁止が解かれたのは
 平成21年7月末日であった。

4 橋本氏は保釈申請をしたが、千葉地裁は保釈を却下、同じ頃、合成
 麻薬事件で逮捕された押尾 学は400万円での保釈が認められている。
  大高氏は平成21年8月12日橋本氏は平成21年8月31日に千葉刑務所
 の未決囚として収監され、裁判は平成21年9月30日千葉地裁にて午前
 10時804号法廷にて行われる。

 別資料として大高氏の陳述書(実際は供述書)と大高氏からの裁判日程
のお知らせ文を添付致します。

     公共問題市民調査委員会(略、PCR委員会)代表 国本 勝
     事務所&自宅 〒299-5211 千葉県勝浦市松野578
      事務所 電話/0470-77-1475  Fax/0470-77-1527
     自宅 電話/0470-77-1064  携帯/090-4737-1910
                       メール/masaru.k@ray.ocn.ne.jp

http://www.ootakasyouji.com/

 

以上は、新着順720番目から739番目までの記事です。 33  34  35  36  37  38  39  40  41  42  |  《前のページ |  次のページ》 
/100