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選挙のたびに思いつめてたら、身がいくつあっても持ちませんね。
現状大勢に影響ない話ですが、我が愛しの本物の左翼、革命的左翼、新左翼、「過激派」だか元「過激派」だかは、おーい、どこへ行ったんだ。民主党にろくでもない奴がいるとか、共産党が政治センスが無いとか、社民党が風前の灯みたいだとか、そういうのはたしかにそうなんだが、しかし、そうやって他所のこと話題するのはいいんだが、我が愛しの左翼自身はどうなっているのか?
「革命的議会主義」を掲げて果敢に立候補するという話も聞かず、「社労党」とか「マル青同」とかみたいに共産趣味的に萌える候補(応援したいという意味ではない)もいない。「元何大全共闘の誰々さんが出る」ってんで左翼同窓会主義的に盛り上がっているという話も聞かない。
エコエコエコと世間では五月蝿くってしょうがないんだが、しかし反原発住民運動の闘士が立候補するとか、「路上生活者やネットカフェ難民の怒りを国会へ」と貧困当事者自身が立候補する(「生活保護受給中に立候補しちゃいけない」という法律はない)とか、そういう「おっ!」ってな話も聞かないしな。
a.だらだらと社・共に投票し続ける b.だらだらと棄権し続ける c.たまに無所属などを候補に担ぐけれど、一度落選するとすぐ諦め、後が続かない一過性の選挙闘争。
我が愛しの本物の左翼がこのa.b.c.あたりを延々とやっているうちに、情勢はとうとうここまで来てしまったということなのであって、まず、我が愛しの本物の左翼は自分たちで深刻に反省してみなければいけません(私自身も含めて)。
落選確実の候補を立てる日本共産党がすばらしいわけではないが、しかし、日本の我が愛しの本物の左翼は、今のところそれすらも出来ていないのです。「俺たちは、日共のような議会主義ではない、真の革命運動を前進させている」と胸を張れるのなら、そんな落選覚悟の候補を立てることなんか出来なくていいわけです。が、正直、そう胸を張れるほどの運動実体があるわけでもない。そういうなかで、小選挙区で共産党候補が得票率わずか数パーセントしか取れなかったとしても、自前の候補を出せず、候補者がいないのだから得票率0パーセント確定である我が愛しの本物の左翼に、その共産党候補を「単なる意地のため」とか「泡沫」とか言う資格はありません。
我が愛しの本物の左翼は、“勝ち目のない小選挙区にもめげずに候補者を出し続ける信念や決意や執着心”を共産党から学び、議会外の闘いと結ぶ真っ赤な労働者派の独自候補を出すべきだと思います。それをしないうちは、しょせん限られたクソ面白くない選択肢の中から適当に選ぶしかないでしょう。
そして、選挙については、今はお互いにつまらない限られた選択肢の中から我慢して選んでいるだけなのですから、そこで違う選択肢を選んだ人とは、論争は大らかにやっても、それ以上の対立はしないようにお互いに心掛けるしかないでしょう。
追記:田中康夫がろくでもない人だというのは国籍法改正反対騒動の時によくわかりました。お暇なときに過去ログ読んでくださると嬉しいです。
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