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野中広務氏が『赤旗』の一面にでている。野中広務氏といえば97年の沖縄県・名護市の市民投票を今は落ち武者になった鈴木宗雄といっしょにつぶしにきた自民党のエースだった。市民投票の開票の夜、僕は東海岸の10区の会の事務所を尻目に開票など無視しながら寝ていた。前日の女性たちの道グゥアーで勝利は確信していた。しかし、揺れ戻しがあるぞと考えていた。誰かが『勝った』といって宿にはいってきた。そこで、僕は10区の会の事務所へいった。みんな涙して万歳をしていた。亡くなった豊さんの喜びの顔を今でも忘れることはできない。...あくる日、僕は名護の街を後にして那覇にむかった。名護のことはどこかでこれで終わってはいないと思っていた。那覇に滞在している間に当時の比嘉名護市長辞任のニュースが飛び込んできた。比嘉市長を辞任させたのは他ならぬ野中広務氏だと本土に帰ってからきいた。彼は保守政治家としてはとても有能な名将だった。なんども市民投票の最中、彼には『してやられた』と思った苦い経験があるからだ。あの時、野中が比嘉市長を辞めさせたりしなかったなら、辺野古沿岸沖の新基地建設問題はもう終わっていただろう。
「いま静かに日本の政治を見ると、おかしくなっていく日本を感じます。とくに、小泉内閣の5年は、短い言葉で国民を狂わせて、アメリカ型の市場万能主義をそのまま持ち込み、アメリカの権益がかかっている戦場に自衛隊を派遣して日本の屋台骨を粉々にしてしまいました」そして、01年10月の特措法、03年6月のふたつの特措法の採決の際に棄権したことを話している。
「最近、この国のこれからの平和を考える上で、僕が一番恐れているのは米軍再編です」ともいう。ここまで、読み進めるとおいおい野中君、こうした情況の基盤をつくったのは君ではなかったのかね、といいたくなる。99年の周辺事態法の成立過程で君は自民党の大番頭だったのではないかね。しかし、あれだけの犯罪を積み重ねた老保守政治家が「日本はおかしい」と言い出していることについてはまじめに受け止める必要があるだろう。
右翼からも「アメリカのための憲法改正ならしないほうがいい」という声も聞く。要するにこれらの保守の側からの悲鳴に似た叫びは、改憲がアメリカ発であることに憂いていることがよくわかる。
野中氏は「私自身、憲法について9条2項をかえて自衛隊を認め、海外へはださないという規定にすべきと考えています」
明白に改憲論者である。しかし、二度も三度もアメリカの都合で憲法を変えられてたまるかというのが本音だろう。
彼らの主張はあくまで自主憲法制定であるからだ。しかし、すでに改憲に向けての矢は放たれている。しかも、日本の政局にまったく関係なく静かに日本の民衆の心の奥底に眠る排外主義を利用しながら。
右翼は右翼の論理が、保守は保守の論理がそれぞれにある。そして、左翼には左翼の論理がある。それぞれがそれぞれの論理でアメリカ主導の改憲を阻止していくことが僕はたいせつだと思う。僕は右翼が何をいおうが民族主義や国家主義を認めることはできない。だから、対話する姿勢は必要だが前提が違うのだから共闘する必要はないと思う。
ところが、京都でおっちょこちょいの新左翼が小泉政権の土台をつくった野中氏と共闘するという動きがおこっている。10月に円山公園で行われる集会に野中氏を呼ぶというのだ。もう、こいつら新左翼には笑うしかないのだが、6月の東京で行われた集会では国民新党からアピールをもらっている。国鉄の分割・民営化反対といいながら分割・民営化を推進した亀井静香と手を組むというのだから筋もへったくりもあったものではない。
僕はこういう連中とは決別することにした。そして、左翼とも語らないでおこう。労働者には労働者の論理があり、左翼の論理とはあいいれなくなったからだ。
追記-こいつらはもう左翼などと名乗らずに日の丸を掲げて日本民族・民主護憲連盟と名乗り左翼国民新党をつくればいいのではないか。
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