高遠菜穂子リポート〈米軍の「残虐性」直視を〉の1週刊金曜日5月26日(水) 18時27分配信 / 国内 - 社会
米軍の「残虐性」直視を――ファルージャから沖縄へ、ワセックさんの思い 「あの米軍がこの美しい島から来ていたなんて想像もしなかった」 イラク最激戦地ファルージャから来日したワセック・ジャシムさんは、沖縄の辺野古の海岸でそうつぶやいた。鉄条網の向こう側は、ファルージャ総攻撃の主力部隊、米海兵隊キャンプ・シュワブ。それにまつわる記憶はあまりにも残酷なものであったため、この五年は彼の心の奥底に封印されていた。 ワセックさんは、「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」の招聘で来日し、全国五都市(名古屋、広島、東京、大阪、沖縄)を回るスピーキングツアーを行なった。彼の映像と体験談は、イラク戦争を検証する上で非常に貴重な証言となった。 米軍とアルカーイダの二重苦 ファルージャの混乱は、市内に侵攻してきた米軍の学校占拠をきっかけに始まる。これに抗議して、市民二〇〇名ほどがデモを行なったのだが、米軍は市民の訴えに耳を貸さず、いきなり銃を乱射し始めた。"ピースウォーク"は死者二〇名・負傷者七〇名以上を出す流血の惨事となった。この事件の三日後に、ブッシュ大統領(当時)が「大規模戦闘終結宣言」を出すのだが、ワセックさんたちイラク人にとっては「本当の戦争の始まり」だった。 その後、"武装勢力"がこのファルージャを中心に台頭する。イラク人は"武装勢力"をきっちり分ける。イラク戦争以後、米軍の攻撃によって肉親を殺された遺族から成り、イラク市民を標的にしないのが"レジスタンス"。戦争以後、外国から流入し、イスラム原理主義を唱え、イラク市民を標的にするのが"アルカーイダ"。ワセックさんはファルージャの状況を「米軍とアルカーイダの二重苦だった」と説明する。 二〇〇四年、ファルージャは大規模な総攻撃を二度も受け、その名を広く知られることになる。 三月末日、ファルージャ市内で"米民間人"四名が殺害され、遺体が橋に吊り下げられるというショッキングなニュースが世界を震撼させた。ファルージャは一気に"テロの巣窟"と位置づけられ、米国内ではファルージャへの報復を支持する世論が盛り上がった。 では、ファルージャ市民にとって"米民間人"はどう映っていたか。ワセックさんは言う。 「彼らは軍服を着てはいないが、重武装をして米軍に同行し、その残虐性は米兵と何も変わらない」 ワセックさんは米軍に拘束された経験がある。手錠をされ、頭に黒い袋を被せられた状態で炎天下に二時間近く晒された。その間ずっと米兵は歌を歌いながら、彼に石を投げつけていたという。尋問官には椅子を投げつけられ、鉄製ワイヤーでむち打たれ、武装勢力メンバーだと自白するよう強要された。ワセックさんの友人の場合、これが米兵ではなく民間傭兵によるものだった。(続く) (高遠菜穂子・イラク支援ボランティア)
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