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Re:中核派でも

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 4月27日(月)00時37分41秒
返信・引用 編集済
  うん。ある程度、それは言えると思います。ただしその組織が「どういう組織であるか」によって違ってくると思います。後から入った者が、その組織の主張なり、過去についても一定程度責任を負うべきなのか、それとも責任を負う義務はないのかは、その組織のあり方によって違ってくるんじゃないでしょうか。

●党の公式見解に異論が言える自由

もしも一定の異論の自由を認めるような民主的組織なら、その組織のメンバーであるからといって、その組織の過去にすべて責任を負う必要はないと思います。自分が賛成できる部分で組織と共に行動し、組織の公式見解に異論があるなら「自分は反対だぞー!」と言えばいいんですから。しかし、中核派の場合は「一枚岩」の組織であって、党内での異論はほとんど認められていません。また現在も「第四インターは反革命」というのが中核派の公式見解となっています。という事は、例え後で加盟した者であっても中核派に所属するものは全て「第四インター=反革命」という党の見解を受け入れていることになります。本音がどうであろうと「あの襲撃は正しかった」と言うと思いますよ。聞かれれば。

●中核派中央派にその自由はあるか

もしも、「いや違うんだぁ!オレはあの内ゲバには反対なんだー!」と言うなら、なによりも党内でその主張を貫徹し、議論するべきではないでしょうか。「直接手を下した世代ではない」としても、それを公的に表明せず容認しているという事は「同じ罪をかぶる意志がある」とみなされて当然ではないでしょうか。でもおそらく党中央に異論を唱えるなんてことは「恐ろしくて」できないんじゃないでしょうかね? 彼らの「一枚岩の団結」が近年ますます極端になっているように思いますから。「後戻りできない」状態に自分たちを追い込んでしまったんじゃないでしょうかね。ブレーキもバックも壊れているんじゃないかと思うね。

●個人の本音と組織の見解とのズレ

そんな中でのわずかな「個人的つぶやき」がTAMO2さんに聞こえてきたということなんでしょう。しかしそれは政治的には無責任なつぶやきでしかありません。組織の見解に違和感を持つ個人が本音をいえず、組織とのあいだで摩擦をおこし、きしんでいる、その結果としての「個人的つぶやき」なんじゃないでしょうか。そのようなつぶやきが聞こえたということは、つまり個人が本音を隠して「組織者として」行動している、という事になります。「組織人としての自分」と「個人としての自分」の意見が対立している。大衆に嘘をついている。個人が自由に本音を言えない組織なんて信用できますか?

●再建協議会の自己批判が示すもの

それに対して、再建協議会の方は、内容は到底認めることはできませんが、少なくとも「自己批判」を出したということは、組織の内部で柔軟な対応が始まったんじゃないかな?と期待できます。中央が何もかも統制するのではなく、さまざまな可能性を求めてメンバーが自由に意見を言える環境が、どの程度かはわからないけど、彼らの中に芽生えはじめている。「自己批判書」はそれを示すものだったんじゃないか。ということは、まず中央派は相手にもできないけど、再建協議会の方はもっと別の対応をしてもいいかな? いや、もちろん組織として認めているのではありません。しかし、メンバー個人となら腹をわって話してもいいかな〜・・・
 

中核派でも

 投稿者:半さん  投稿日:2009年 4月26日(日)01時42分3秒
返信・引用
  20代〜アラフォーくらいなら
その当時の加害に加わってなかったでしょうから
歩み寄るのもアリかもしれませんね
 

因みに「恩讐の彼方に」とは

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 4月26日(日)00時42分27秒
返信・引用 編集済
  かつての加害者が改心し「善行」をしたから起こった事なんじゃなかったかね?
中核派諸君は、改心し、何か第四インターの許しを得られるような事をしたかね?
なんにもせず、相手を「反革命」「公団の手先」呼ばわりしたままで許してもらおうとは、
ムシが良すぎる話しじゃないかね?
 

恩讐の彼方に・ですか?

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 4月26日(日)00時38分48秒
返信・引用 編集済
  TAMO2さんとこ見てきました。
>「組織が変わることのむずかしさ」

> いい話として読むべきか?

http://red.ap.teacup.com/tamo2/194.html
http://www.geocities.jp/housei_kougi/data/03_25_04.html
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1213757812/l50
http://marukyo.cosm.co.jp/forum/index.cgi?id=7&stat

つまりこういう事ですよね。中核派諸君の気持ちは「おれたち、ホントは悪かったと思ってるんだよ。でも組織的になかなか難しいんで、簡単に自己批判するわけにもいかなくて、今も『呻吟』してるんだよ。そこんとこ分かってくれよ」って、そう言いたいわけですね。そこで被害者である第四インター諸君には「うんうん。わかるよ。君たちもたいへんだね。じゃあ、仲間はずれにしないで見守っていてあげるから、君たちも自己批判できるように頑張ってね」ってやさしく言って、うまく自己批判ができるように教えてあげてほしいわけなんですね? 「加害者」の気持を「被害者」諸君にはもっと分かってあげてほしいという事ですね?・・・・・・・・

ばかやろー!

ふつーは「被害者」の気持を「加害者」が分かってあげるのがまず先決なんじゃないですか? 全く逆さまじゃないかね! 君たち中核派諸君は「被害者の気持ち」を、「被害者のいたみ」を、いままでどれだけ理解しようとしたのかね? 頭蓋骨骨折させられた人のことを、今も足に鉄棒をはめている人のことを、あれから25年も経った今も車いす生活をしている人のことを、彼らの気持ちをどれだけ理解しようとしたのかね? 君たちの「次はお前の番だ」という脅迫が相手にどれだけ恐怖を与え、今も忘れられない深い傷を与えたのかを、君たちは考えた事があるのかね? この25年間、被害者たちがどんな生活をしてきたのかをちょっとでも思った事があるのかね?

君たちにとっては過ぎ去った「過去の一時」に対する悩みだろうが、被害者にとっては、今現在も続いている問題なんだ。その事をどれだけ重く受けとめているのかね? そんなことばを君たちから、ただの一度も聞いたことがない。被害者に対して自分たちがどれだけひどい事をしたのかを、まず考えてほしい。それもせずに自分たちの「悩み」をひけらかすのかね? 甘ったれるのもいい加減にしてほしい! まず被害者への謝罪と償いがあって初めて、被害者は加害者に心を開くものだ。それもせずに第四インターを非難するのはスジ違いの逆ギレというものだ。そうではないかね? なにが「いい話」だ! 何が「恩讐の彼方に」だ! ふざけるな! ちょームカツキマス。
 

火炎瓶は

 投稿者:半さん  投稿日:2009年 4月26日(日)00時30分30秒
返信・引用
  使用してパクられたら
放火罪ですからね
せめて接着剤くらいにしといたほうが良いかと・・・
 

戦術論として

 投稿者:セクトNo.7  投稿日:2009年 4月25日(土)23時33分21秒
返信・引用
  半さん

>黄金爆弾は「ぼくの村の話」を思い出したんで・・・
住宅地では近隣住民に迷惑かかるから

これは現在の機動隊には一番効くでしょうね。オラも子どものとき肥料は、ウンコだったな。
ま、これだけは『におい』があるからな。
火炎瓶よりも効果はありそうと思うのだが、連中も訓練してたりして?

ちなみに、火炎瓶は都会のアスファルトでしかも燃え上んないんだな。
まぁやらないのが常識ですがねw
 

つまり

 投稿者:半さん  投稿日:2009年 4月25日(土)21時21分18秒
返信・引用
  今回の在特会の「犯罪者」という主張は
完全な誤りってことになるな
役人もそんなことわからないもんかねぇ・・・

一方法政大学のほうはブログを読むと
逮捕者100人達成を目指してるふうにもとれるが・・・
おまわりさんも大変だわw
 

難しい言葉使うんですね

 投稿者:かめさん  投稿日:2009年 4月25日(土)12時16分46秒
返信・引用 編集済
   難しい言葉使うんですね。「違法性の阻却」なんて。
 「違法性の阻却」という議論は、例えば、「人に怪我をさせたけど、それは襲われたので自分を守ったので正当防衛だ。正当防衛は違法性が阻却される。」という類の議論ですね。
 私は法曹でも法学者でもないので難しい言葉を使って、厳密に正しいことを言う自信はありませんが、無視して返答しないのもなんなので一応お話しましょう。スマイスさんと私との2人だけのやり取りに終始する必要は無いので、皆さんもどうぞ割り込んで下さい。
 でも、難しい言葉使って法律論の藪の中に分け入っても、「人としてどうすべきか」の正しい答えは出ないと思いますので程ほどに。


■行政処分は、刑事や民事や戦時国際法とは違いますので。

 世間で「強制送還」と呼ばれている退去強制処分や、法務大臣による在留特別許可は、行政処分の一つです。行政処分というのは、例えば保健所が飲食店の営業を許可したり停止したり、公安委員会が運転免許証を発行したり停止したりするようなこと、つまり行政機関が決める処分です。
 行政処分は、刑事事件(裁判所が有罪無罪と量刑を決める)とは違います。また、戦時国際法での「これこれは戦争犯罪にあたる」というのとも違います。また、「誰々に悪いこと(不法行為)をされて私が損害を蒙った」という人が、自分に償えと求める民事事件とも違います。

 行政処分は、「違法性の阻却」の要件が厳密に問われるというのとは違うのです。
 そうでなくて、もう少し広く諸般の事情を考慮して、行政処分の裁量の幅がある権限があるところ(この場合は法務大臣)がその判断するということなのです。その諸般の事情を考慮するときの思考の中身は、「違法性の阻却」の要件を満たすかどうかという思考とはちがっていて、「行政処分の理由となる事実」と「その行政処分で予想される結果」とを天秤ばかりにかけるようにしてなされるはずです。

 私は、あえて言えば、少女の日本滞在には生後二ヶ月過ぎからは、形式的にせよ違法性があったと考えています。もちろん今は違法性はもうありません。そして、過去には違法性はありましたが、刑事罰をうけるような犯罪性はまったくないし、他人から償えといわれるような不法行為でもありませんでした。
 生後二ヶ月過ぎの赤ちゃんが、犯罪をすることはあませんね。しかし、赤ちゃんでも、その在留の違法性が問われ行政処分の対象になることはあるのです。ここが、刑事事件と違うところです。〔そうすることが妥当かどうかは別の話です。〕現に入管は、赤ちゃんや子どもに対しても、退去強制処分の対象にしています。だからこそ、そういうときにあまりにむごいことにならないように、「法務大臣の裁量で、退去強制処分をやらずに在留許可処分にすることもできるようになっているのです。
 入管法50条の四「その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき。」
 この条文は、「違法性阻却の要件に当てはまるかどうか」を判断せよと言ってはいなくて、「いろいろな事情を考えて許可することもできますよ」と言っているのです。

 あ、「今の法律は間違ってる! 改正すべきだ」という議論は別にしましょう。私だって今の法律は悪法だと思いながらも、しかし、「今の法律にてらしてどうなのか?」をあえて論じているのです。
 

どちらにも反吐が出る思いですね。

 投稿者:スマイス  投稿日:2009年 4月25日(土)09時14分12秒
返信・引用
  >>かめさんへ(2)

>入管法の第50条の四で決められた裁量で法務大臣がこの少女に「日本にいて良い」と許可したのです。

この少女に違法性はありませんから、入管法の第50条の四でなくとも、
日本に滞在するのは認めるべきでしょう。
ですから、この少女に対する法務大臣の裁量は当然であり、
A) の違法性がB)の理由で阻却されたわけではないでしょう。
かめさんは、この少女に違法性があると考えられるのかな?


>「法律違反か、違反で無いか? 違反はすべて強制送還」というような二者択一の硬直した制度

戦時国際法を見ても、二者択一ではなく違法性の阻却事例が述べられています。
また、戦数論という考えもあります。
論点は、その違法性が阻却されなかったのは「当然」と私は述べているのですから、かめさんはその反証をするべきでしょう。


>この「追い出しデモ」に法務大臣は怒るべきだと思います。

左も右も少女を前面に出して「稚拙で」「卑劣な」主張を繰り返しているわけで、
五十歩百歩の世界としか私には思えませんが、
この「追い出しデモ」に関しては、私は賛同できないし、
(左、右)どちらにも反吐が出る感情しかもてません。
 

Aの違法性はBで阻却されるのか?

 投稿者:スマイス  投稿日:2009年 4月25日(土)08時51分7秒
返信・引用
  >>かめさんへ(1)

私(スマイス)への横レスのようですから、回答いたしましょう。

私の主張↓
>不法入国・不法滞在ですから日本から強制送還されるのは当然です(スマイス)
の後には、不法入国・不法滞在した夫婦が「強制送還」されたという事例の明示となります。

かめさんの主張↓
>「不法入国・不法滞在ですから日本から強制送還されるのは当然です」というのは乱暴すぎる話です
と述べられてその根拠を明示されます。
A) 「不法入国・不法滞在という法律違反の重さ」
B) 「十数年もくらし、まじめに働き子どもを産み育て家族でなじんだ日本から追い出されることの重さ」
平たく説明すれば、A)の違法性がB)の理由で阻却されるか否かであり、
その法的根拠は「出入国管理及び難民認定法の第50条の四」であるという説明でしょう。

かめさんの主張は、「出入国管理及び難民認定法の第50条の四」に基づいて、
不法入国・不法滞在をした人でも、日本政府を訴えることができるという根拠の明示にすぎません。
私は、今回のA)の違法性はB)の理由によって阻却されないのは、『当然』と
主張しているのですから、反論されるのであれば『当然でない』根拠、
すなわち過去の同じ様な事例を明示しながら、かめさんは論じていく必要が
出てきます。
では、その証明をお願いしますね。

それと、
『当然』の主張にたいして、「乱暴すぎるお話」との反論は、いま一つピンボケですが、ここで問題にするには枝葉末節ですから止めましょう。
 

法律の範囲内での

 投稿者:半さん  投稿日:2009年 4月25日(土)08時26分18秒
返信・引用
  活動・主張は不可能なんですか?
在特会の例のデモには大いに疑問ですが
少なくとも合法でしょうから
逮捕者が出ずに終わったのでしょうが
なぜわざわざ捕まる口実を警察に与えるのかが不明です
 

法大逮捕弾劾!

 投稿者:GO@あるみさん  投稿日:2009年 4月25日(土)01時52分41秒
返信・引用 編集済
  MELTのこともなんかあるのですが・・・申し訳けない

職場の人達と酒を飲み、カラオケを歌って「草なぎ状態になるなよ^^)」とか冗談言って帰ってきたら、
法政大学でまた逮捕かよ!
2.24速報 恩田/倉岡、逮捕
http://08bunren.blog25.fc2.com/blog-entry-492.html
激闘の一日だった。
今日、4月24日に開催された、法大解放総決起集会は尋常一様でない結末を迎えた。
集会の最中、目算300名超の警官隊が動員され、文化連盟副委員長・恩田亮、社会科学研究会・倉岡雅美が逮捕されたのである。
当連盟からの逮捕者は恩田倉岡の2名だが、その他にも全国学生3名が集会中に、1名が集会後の麹町署前弾劾行動にて、獄入りとなった。
逮捕容疑は「東京都公安条例違反」ないし「公務執行妨害」である。
恩田倉岡両名は前者だ。

とにかく、異常である。
法政大学における2006〜2009年の逮捕者数はこれで94名を数えるに至った。
・・・100名まであと6人。


マル共連でも話題になっている。
へっぷばーんさんの投稿
http://marukyo.cosm.co.jp/forum/index.cgi?id=7&stat

私は4・24集会に賛同した。カンパもした・・・
文化連盟のブログは、えげつない表現もある、しかし、法政大学当局はもっとえげつないことをやっている。

法政大学の闘争を支えている人達の中には、「中核派」という人達、現代における資本主義を打倒する「革命」なんぞは、到底「ふさわしくない」思想・路線で「ごまかされている」人達がいる。しかし

あるみさんは、絶対にこれを、許さない!

GWには個人旅行でロシアに行く、GW後も仕事で忙しい・・・しかし・・・もう黙ってはおられない。

http://tatakauarumi.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-aad3.html

 

これだけ読むと

 投稿者:半さん  投稿日:2009年 4月24日(金)20時44分36秒
返信・引用
  中核派の謝罪は
「返事に25年も待たせて皆さんゴメン」
と制限されたもので

「でもあのときの我々の考えは間違ってなかったと思ってるよ」
「当時はスターリンのやり方しか思いつかなかった」
という意味にもとれますね
 

MELTも反論してたんですね

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 4月24日(金)14時57分16秒
返信・引用
  今まで気づいてませんでした。転載します


月刊ニュースレター『インターナショナル』号外 2009年3月10日発行
------------------------------------------------------------------------

革共同再建協議会の「自己批判」とわれわれの見解

第四インターナショナル日本支部再建準備グループ


 革命的共産主義者同盟再建協議会(=中核派の関西グループ)は、1月20日付けの「革共同通信」に、「1984年の第四インターに対する軍事的せん滅戦にかんする自己批判」を掲載した。
 わたしたちはその「せん滅戦」なる行為によって、少なくない同志たちを傷つけられ、中には障害を抱えてその後の人生を送らざるをえなくなった同志や、その後も長期の心的外傷性ストレスに病む同志を身近に見せつけられてきた者として、この「自己批判」がまったく受け入れ難い内容であると考え、以下の見解を表明する。

       *

 全6項で構成された「自己批判」は、その5項で「84年第四インターせん滅戦は、労働者階級・人民大衆の闘争の内部で生じた路線的対立を、相手を『反革命』とまで規定し、組織的な暴力を行使することによって、決着をつけようとするものだったのであり、そこには、われわれがいまだにスターリン主義の『粛正の論理』を真に乗り越えていないという問題が突き出されている」と述べ、つづく6項では「第四インターせん滅戦を総括し、その自己批判を明らかにするまで25年もの歳月を要したことを、反対同盟をはじめ、これまで三里塚闘争に心を寄せ、いまもたたかいを担っているすべての人々に謝罪する」と述べている。
 ところが同じ「自己批判」の前半2-3項は、「第四インターせん滅戦」に至る経緯について、当時の一坪共有地運動や反対同盟の「3・8分裂」を含めて、彼らの、「・・・基本路線を、反対同盟とともに守り抜いてきたことの正義性」を再確認して強調するために費やされ、つづく4項で「以上の経過を踏まえるからこそ」、「『一坪再共有化』推進グループによる三里塚闘争からの逃亡とその破壊を圧倒的な弾劾の声で包囲」する「・・・広範かつ強固な大衆闘争陣形を形成するという闘い方をするべきであった」のに、「『軍事的せん滅戦』によって代行しようとした」のは「誤り」だったと述べるのである。
 この論理構成は、素直に読む限り、中核派の基本路線は一貫して正義だったが、大衆闘争の内部対立を「軍事的せん滅戦で代行的に決着させようとしたのが誤り」で、それは「スターリン主義の『粛正の論理』を乗り越えていない」からだったと言うだけで、83年当時の反対同盟の分裂や一坪共有地運動の展開は、「三里塚闘争からの逃亡とその破壊だったのだ」という当時から今にいたる彼らの主張は、まったく変更される余地はないのだと理解するしかない。

       *

 まず確認したいのは、「闘争からの逃亡とその破壊」という、対立する見解をもつ人々に対する規定は、「粛正の論理」と一体だということである。
 なぜなら、大衆闘争であれ革命であれ、そこに生じる内部対立を組織的暴力によって決着を付けようとする行為は、対立する人々に対して、必ず「革命からの逃亡」とか「闘争の破壊者」というレッテルを張ることから始まるのは、あらゆる歴史的教訓に照らしても明らかだからである。
 さらに、当時の第四インターを「『反革命』とまで規定」し「せん滅戦」の対象にしたのは、わたしたち第四インターが「三里塚闘争から逃亡し、さらには闘争を破壊しようとしているからだ」という当時からの見解を「正義」と断言し、それでも「組織的な暴力を行使」したのは誤りだったと言う「自己批判」は、理論としては一貫性を欠いている。
 なによりも、「組織的暴力」を行使するには「組織的意志決定」が欠かせないし、その意志決定は、その組織の「理論と戦略」にもとづいて行われる以外にないが、この「自己批判」は、まさにこの理論・戦略と組織的行為の関連を無視し、「理論と戦略」を擁護して「行為」だけを誤りとするという、一貫性を欠くものだからである。
 もちろん、論争中に激高して「つい手が出てしまった」という、偶発的事態まで理論と戦略の欠陥に帰すことはできないが、問題となっている「せん滅戦」は、彼ら自身が認めるように、「組織的暴力の行使」以外の何ものでもなかったのである。

       *

 このことから、ひとつの疑問が生じる。6項にある、「・・・反対同盟をはじめ、これまで三里塚闘争に心を寄せ、いまもたたかいを担っているすべての人々に謝罪する」という文言の「謝罪の対象」には、いわゆる「3・8分裂」のために、以降は「熱田派」と呼ばれるようになった反対同盟と、その「熱田派」と共に三里塚闘争を担いつづけてきたわたしたちのような「人々」は、はたして含まれているのだろか。
 もし含まれるなら、今もなお「三里塚闘争からの逃亡とその破壊」を行ったとされている人々に「謝罪する」という行為は、どのような整合性をもつのか、少なくとも「自己批判」からは読み取れない。
 だが逆に、謝罪の対象にこれらの人々が含まれないとすれば、それは「三里塚闘争に心を寄せ・・・るすべての人々」が望んでいるであろう両反対同盟の和解と、それにともなう支援戦線の和解すなわち「相互信頼の回復」を、彼らは望んでいないのではないか?という疑念が生じるのである。
 この問題は、第四インターに対する「せん滅戦」と無関係ではないし、決して瑣末な問題でもない。
 ひとつは、彼ら自身も認めるように「『3・8分裂』の直接の契機は、前年の年末に・・・浮上した『一坪再共有化運動』」であり、当時の第四インターがこれに積極的に関わったことで「せん滅戦」の対象にされたことは、彼らが、一連の襲撃の前に一坪共有地運動に関わる同志たちの家に集団で押しかけ、脅迫まがいの「抗議行動」を行った事実からも明らかだからである。
 さらに反対同盟の相互和解は、それこそ三里塚闘争を担いつづける「すべての人々」の間で「相互信頼を回復する」ために、ぜひとも必要な条件だからである。
 ところが「自己批判」は、「すべての人々に謝罪する」という表現で、かつて「対立した人々」への謝罪、とりわけ襲撃によって重症を負い、障害を抱えてその後の人生を送らざるをえなくなった人々への謝罪を巧妙にすり抜けているのではないか、という強い疑念を抱かせるし、だからまた人民大衆の闘争内部で「相互信頼を回復する」という、最も肝心な点が曖昧にされていると受け取らざるをえないのである。
 相互信頼の回復に関する曖昧さと、謝罪に関する強い疑念とは、この「自己批判」を受け入れ難いと表明するに十分な、然るべき理由であると考える。

       *

 中核派による第四インターへの襲撃に対して、これを強く批判する「共同声明」が588名・4団体の連名で発表されたのは、1984年の10月である【『労働情報』号外(84年10月15日発行)に掲載】。
 その「共同声明」には、「大衆運動の論理は、一党、一派の見解、論理のみによって支配されるものではなく、それに参加する勢力、個人の間に運動上の見解の差異があることを前提とし、相互に批判の権利を認めつつ、しかし自らを絶対的正義とみなすことなく、自由、平等、反戦、反抑圧、反侵略などの大きな目的のために提携しあうことである」という一節がある。
 ここに表明されている見解は、大衆運動に参加する党派、個人は「相互信頼」を基礎にして、「自らを絶対的正義とみなす」ことなく、それぞれに「批判の自由を保証しなければならない」という、しごく当たり前の考え方である。
 だからわたしたちは、この「共同声明」に表明された当たり前の考え方を、今後も断固として堅持する。
 という以上に、こうした相互信頼と批判の自由の保証なしには、「広範かつ強固な大衆闘争陣形を形成する」ための、多様な人々との協働は絶対に不可能だということを繰り返し肝に銘じ、グローバル恐慌と言える後期資本主義の危機が生み出す、「人間の尊厳」に対する侵害と全力で闘うであろう。
 

やはり

 投稿者:半さん  投稿日:2009年 4月23日(木)20時28分50秒
返信・引用
  悪いのは
あの練り歩きを認め警官侍らせた役人ってことになるかな?

せめて特定の家族名を掲げ糾弾することを避けたうえで
在特会に「不法入国反対」を主張させるよう促すべきだったと思うが・・・
それを怠っても役人はおとがめを受けないように
出来てるんでしょうね
 

やっと出たか

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 4月23日(木)18時04分41秒
返信・引用
  随分待たせるね。そんなんじゃ情勢に乗り遅れるよ
『かけはし』より全文引用します
http://www.jrcl.net/frame090427a.html

JRCL21回全国大会コミュニケ
「労働者の力」と機関紙共同編集を決定
日本革命的共産主義者同盟(JRCL)中央委員会書記局

 日本革命的共産主義者同盟(JRCL)は三月末に第二十一回全国大会を開催し次の四点を決定した。
 (1)週刊「かけはし」を日本革命的共産主義者同盟(JRCL)と国際主義労働者全国協議会(NCIW)全国運営委員会=「労働者の力」社との共同編集体制に移行する。
 (2)機関紙名「かけはし」、週刊8ページ発行体制を継続する。
 (3)今夏の共同編集・発行体制への移行をめざし、支局体制、機関紙財政などの諸課題を今後両組織で討論していく。
 (4)両組織の共同編集・発行を通して、未だ残されている「組織統合」のイメージ、組織の機能(複数制と「連合党」、左翼再編の展望など)についても討論を継続していく。その中でどのような綱領的・組織的性格をもった「統合」なのかを確認していくとともに、女性差別問題、分裂の総括などにも何を合意し、何を今後の課題として残すのかを含め、両組織の統一を課題とする大会を準備する。
 もちろんこの取り組みは、われわれが挑戦すべき反資本主義左翼オルタナティブ潮流の形成にとってのほんの初歩的な出発点に過ぎない。しかしそれはわれわれにとって避けて通れない任務である。この一歩を踏み出すことが、情勢の要求する「党」とは何かを主体的に探り出す道であることを確認する。

 第二十一回大会はその他の議題として、「情勢の歴史的転換とわれわれの任務」、「当面する大衆運動」、「来年に予定される第四インターナショナル世界大会について」も討論した。そして新しい中央委員を選出し、中央委員会は書記局体制を確認した。
    二〇〇九年四月
 

こう゛ぁ氏は

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 4月23日(木)17時59分25秒
返信・引用 編集済
  こういうチャカシしか言わない人なので、いつもは人民食堂に追放してますから。
本気で相手にする価値ありません。(=^^=)
誰が読んでも、カメさんの方が背後ににじませる人間性と共に
説得性があるのは一目瞭然。
 

Re: ↓こういうときだけ

 投稿者:かめさん  投稿日:2009年 4月23日(木)16時47分57秒
返信・引用
  > No.6081[元記事へ]

KOVAさんへのお返事です。

>  偽造パスポートを使って入国したこと自体、日本とフィリピンの両方の法律に違反してるじゃないか!

その通りですが、何か?
そのことを前提に論じています。
私は「法律違反ではない」なんて書いてないんだけれど…。よく読んでください。
 

↓こういうときだけ

 投稿者:KOVA  投稿日:2009年 4月23日(木)14時51分36秒
返信・引用
   アメリカを引き合いに出すんだよな。ご都合主義も極まれりだ。
 偽造パスポートを使って入国したこと自体、日本とフィリピンの両方の法律に違反してるじゃないか!
 まあ法律を守るに値しないと考えているヒトモドキには何を言っても無駄か。
 

今の法律に照らして、そして「日本が好き」という感情に照らして

 投稿者:かめさん  投稿日:2009年 4月23日(木)13時23分25秒
返信・引用 編集済
  > No.6074[元記事へ]

> 不法入国・不法滞在ですから日本から強制送還されるのは当然です。

「不法入国・不法滞在ですから日本から強制送還されるのは当然です」というのは乱暴すぎる話です。いや、私が勝手に「乱暴すぎる」と言っているのではないのです。そうではなくて、今の日本の法律にてらして乱暴すぎる話なのです。

■彼女の両親の事件
 「不法入国・不法滞在という法律違反の重さ」と「十数年もくらし、まじめに働き子どもを産み育て家族でなじんだ日本から追い出されることの重さ」を秤(はかり)にかけるとどうなるかが、論争点だったのです。
 両親は法律にもとづく許可を求めた。入管法には、法務大臣の裁量で、たとえこれまでに法律違反があっても「日本にいて良い」と許可することができる(「できる」と言うのだから、裁量の範囲で許可しないこともできる)ように規定があるのです。(出入国管理及び難民認定法の第50条の四)。
 別に法律違反を居直って法律を曲げてやってくれと言っていたのではなくて、法律のこの条文にもとづいて認めて欲しいといったが、法務大臣は認めなかった、だから両親は帰国したというのが、両親の事件です。

■その娘の少女の事件
 日本国内で生まれた日本国籍の無い赤ちゃんは、生後60日を過ぎると在留許可がないなら、赤ちゃんであっても不法滞在になります。超過滞在のご夫婦から産まれた赤ちゃんには許可が出ませんから、大雑把に言うと「生後2ヶ月の赤ちゃんのときから法律違反をしている」という…。しかし、入管法の第50条の四で決められた裁量で法務大臣がこの少女に「日本にいて良い」と許可したのです。法務大臣に認められれば、そこから先は日本にいても法律違反ではないのです。
 「法律違反か、違反で無いか? 違反はすべて強制送還」というような二者択一の硬直した制度では、硬すぎて暮らしている生身の人間のあり様とうまく合わないことがあるので、こういう「大臣の裁量」とかいう柔軟にできる(大臣の頭脳が硬直していなければ、ですが…。)しくみを法律に入れてあるわけです。ですからこれは、「ごね得で法律を曲げた」のではないのです。
 この「追い出しデモ」に法務大臣は怒るべきだと思います。「大臣のオレが法律にもとづいて『日本にいて良い』と許可した娘に、オマエラ何すんだ!」と。

■ほんとうに日本を好きですか?
 私は左翼ですが、日本が好きです。靖国神社は嫌いですが、焼酎と納豆と米飯と畳の部屋が好きです。たとえ日本の国家権力が滅びようとも、焼酎と納豆と米飯と畳は死守せねばなりません。
 さて、愛国心というのは「日本が好きだ」という感情であると同時に、「外国の人にも日本のことを好きになってほしい。好きになってくれると、とてもうれしいし、日本人として誇らしい」という感情ではないのかな?
 「好かれたい」というのは媚びることではないのです。媚びるような卑屈なヤツは尊敬されません。そうではなくて、倫理や道義、礼節と仁義をもって誠の心で接するということです。それでこそ日本は世界の人びとから愛され評価されるのです。
 ですから、外国人に対して乱暴な口のきき方をしたり、こき使って働かせた挙句にポイッと捨てるようなことをする日本人や日本企業がいることに、私は「許せない!」と感じます。日本に来て働いていた外国人が、就労先が無くなり、今続々と帰国しています。わりと日本が嫌いになって帰って行きます。これが私は悔しい。
 世界中に「日本嫌い」をどんどん増やすようなことを主張して、挙句に少女の生活領域に日の丸持ってデモに行く人たちというのは、本当に愛国心があるのだろうか、本当に日本を好きな人たちなのだろうかと、大変いぶかしく思います。

■アメリカだったらどうなったか
 もし、そのフィリピン人親子が日本でなく、アメリカ合衆国にいたらどうなっていたか?と考えたことがありますか?
 もし、アメリカだったら、親が不法移民だったとしても、アメリカで生まれた少女は出生のときからアメリカ国籍になっていました。つまり、少女は許可も要らずにアメリカにいられるのですよ。そういうアメリカなら当たり前のことが、なぜ日本では大騒ぎになってしまうのでしょうか。この点については、アメリカのほうが日本よりも、懐(ふところ)が広い、大人としての包容力があるのです。
 私は、しばしばアメリカ政府を激しく批難する人間です(なんせ左翼ですから)。しかしね、ちょっとくやしいけれど、なんじゃかんじゃ言っても、世界中に「アメリカが好き」という人がたくさんいるということは事実であって、それは羨ましいことです。そのアメリカの「人気」は、カネがあるからとか、カネの力でメディアを支配してるとか軍事的政治的影響力とか、そういうことだけじゃなくて、そういうアメリカの懐の広さや包容力によっても作られていることは、認めざるをえないでしょう。

 懐の広い、包容力のある、世界中に「日本が好き」って言ってくれる人がいる、そんな素敵な日本にしたい―そう思う私の気持ちと、「在特会」とかいう愚か者たちが振り回す「愛国心」とは、どこでどうしてこうも違うものになったのだろうか。
 

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