日本経済をボロボロにする人々

 偽善を装う自称弱者、総合的に見て強者であるにも関わらず弱者を演出して年金や医療費を通して若者の報酬にたかろうとする強欲の高齢者、そしてこういう弱者を装う税金泥棒達を擁護し食い物にするマスコミや評論家や政治家など、日本を滅茶苦茶にする既得権受益者達の跋扈をこれ以上見過ごすわけにはいかない! 日本全体をミスリードする馬鹿どもを徹底的に叩くために作ったブログ。  リンクフリー。反対意見も歓迎。但し教材屋のトラックバックは内容に関係なく問答無用で削除する。

教育

募金詐欺を未だ続けるあしなが育英会

 あしなが奨学金 寄付打ち切り倍増 「高校無償化で誤解」

 病気や災害、自殺などで親を亡くした遺児を支える奨学金事業などに取り組むあしなが育英会(玉井義臣会長)によると、同会への寄付を打ち切った人が3月1日〜4月20日の期間、全国で121人となり、前年同期の65人を大きく上回り、ほぼ倍増した。同育英会は「高校授業料無償化で『奨学金は不要』との誤解が広がっている。あしなが奨学金を受けている高校生の約6割は既に授業料減免を受けており、無償化の恩恵はない」と寄付の継続を求め、新規の寄付者も募っている。
 県内では4月24日から第80回あしなが学生募金が那覇市の沖縄三越前、パレットくもじ前、北谷町のミハマ7プレックス前などで始まった。2日も行われる。三越前では遺児大学生やボランティアら約15人がたすきをかけて街頭に立ち、協力を呼び掛けた。
 同学生募金県代表の山内陽平さん(琉球大2年)は「あしながと出合って進学できた。県内はまだ認知度が低く、親を亡くして精神的、経済的な支えを失い、夢を追うことができない人が多いかもしれない」と道行く人々に訴えた。
 同育英会によると沖縄は奨学金を受けている人数が全国6位、九州では最も多い(3月1日現在)。前回の第79回学生募金は県内で94万円余が集まり、全額を奨学金として同育英会に寄付した。
 同学生募金は今春で40周年を迎えた。93年に同育英会が発足して以降、全国で約2万8千人、県内で約730人の遺児が奨学金を受け、進学に生かした。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-161581-storytopic-7.html
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 募金詐欺というのは大繁華街でもよく行われているが、あしなが募金はJRの主要な駅でどうどうと募金詐欺をやっているのが現状である。
 だいたいこの手の募金は天下った官僚が私服を肥やしているのが相場だ。多くの人はそれを見透かしているし、あしなが育英会に募金するからと称して1億円を日教組の活動費に使っていたりと、もはや募金行為への信頼は地に落ちている。
 天下った理事の高額な年収のために学生が大声で寄付を募る姿は正直痛々しい。あしなが育英会の理事は知らないが、そういう募金詐欺は正直頭にきている。自分達では集めないで近所の住民同士で集めるという赤十字のなんかの募金なんて許せるもんじゃない。集めるなら自分達で集めてもらいたい。近所の人を使うなんて汚い真似をするのだから悪代官もビックリな悪行だ。
 そもそもあしなが育英会についても何の役割があるのか不明だ。高額の収入を得ている糞どもの組織を無理やり維持しているだけにしか見えない。
 高校無料化になるようだから、早く解散して残りは国庫に渡して解散してもらいたい。もはや存在意義もない。善意でやっている学生や高校生に募金詐欺の片棒を担がせるなんて最低な行為だ。恥を知った方がいい。

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ゆとり教育では教科書を教えていなかった!?

 古い本(週間エコノミスト2005.7.19)を読んでたら向山洋一というカリスマ(?)教師によるゆとり教育の実態が書いてあった。引用すると、

 算数では、小学校教師のほぼ半数が教科書をきちんと教えていません。20年ほど前から、算数で大事なのは問題解決学習、つまり自ら問題を解く力を教えることが大事だということになったからです。

 問題解決学習っていうのはよくわからないが、考える力を養うという意味だと思われる。あまり詳しく書かれていないが、以下に次のことが書かれている。

 それは一つの考え方としては正しいのですが、各地の教育委員会がこれを推進し、学校現場で定式化された結果どうなったかというと、授業の初めに教師が問題を一つ黒板に書き、10分〜20分、子どもに考えさせる。できる子は1分でできてしまうし、できない子はまったくできない。とにかく時間がくると10〜15分の話し合いタイム。できる子が適当に気の利いた答えを発表し、他の子は聞いている。最後に先生がまとめておしまい。1時間の授業でさらにもう1問できればいいほうで、たいていは1問で終わり。できる子にとっては退屈な時間だし、できない子はできないまま終わってしまう。これが良い授業だとされているのです。

 上の文章を読むと、ゆとり教育は学校の教師が楽するための温床になっているのがよくわかる。本当にこんな授業やっているとしたら、親や塾あたりに勉強を教えてもらっていない子どもが明らかに不利である。
 小学校レベルの算数がいくら簡単とはいえ、数学へと結びつける基礎なのだから、教科書で習う定義をきちんと教え込むべきだろう。
 これでは事前に予習していた子どもには時間の無駄だし、学校だけで学習しようとする子どもは算数ができるようになりにくいという気がしてしまう。
 次に国語についても書いている。

 国語の場合も似たようなもので、多くの教師が授業中にきちんと漢字を教えず、宿題任せにしている。これでは学力が低下しないわけがない。

 俺の時も授業中に漢字を教えてもらった覚えはあまりない。漢字練習はほとんど宿題だった。漢字はあくまで暗記であって、授業でやるものではない気がするのだが。
 漢字検定などで学習意欲を持たせた方がいいと思う。
 更にADHD(注意欠陥多動性障害)についても詳しく書いてある。

 教師にとって一番大変なのは、授業についていけない子たちが騒いで授業が成立せず、学級崩壊に至ることですが、往々にして、軽度知的障害の子がその中心にいます。軽度知的障害とはADHD、自閉症の一種であるアスペルガー症候群、LD(学習障害)などで、あわせて全体の7%程度と推定されています。30人学級で1人か2人はいる計算です。
 私は小児神経科の専門化とも情報交換しながらこの子たちの指導方法を研究してきましたが、教師なら誰もが知っておくべきことは、この子たちの多くは決して不注意なのではなく、注意が1つに集中してしまうのだということです。例えば「教科書を出して23ページの5番をやりなさい」という指示は、三つのことを同時に記憶しておかないと実行できない。この子たちは「教科書を出す」ことだけしか記憶できず。「先生どこやるの?」と聞きます。多くの教師は「いま言ったでしょ! 聞いてなかったの!」と叱ることになる。
 また、この子たちの多くには微細運動障害という障害があります。専門家に言わせれば「手袋を二つはめているような状態」だそうで、当然、鉛筆はうまく握れないし、小さな算数タイルなども扱えない。専門家の指導で訓練すれば、3ヵ月ほどで他の子並みになれるのに、たいていは放置され、不注意だと叱られてばかりいることになる。
 障害を理解されず、理不尽に叱られ続けた子どもは、往々にして3〜4年生で何にでも反抗するようになる。それでも3〜4年生なら適切な対応によって改善しますが、放置されたまま高学年、さらに中学生になると、もうどうにもならない。
 教師がこのことを理解し、指示は一つ一つ出す、その子たちにも扱いやすい教材を使うなどすれば、それだけで解決する問題なのです。

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 こういうADHDを持つ子供達への対処法などの再教育を、教師にもしやっていないとしたら、今すぐにでもやるべきだろう。少しでも学級崩壊が減れば、教師への負担も軽減されるはずである。

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携帯電話に偏見を持つ和田秀樹

 Voice9月号(P222〜)を読んでいたら目が点になってしまうことが書いてあった。
 俺も小学生時代からゲームをやってきたし、夏休みには1日中ゲームに集中して遊んでた口だ。携帯電話やゲームを否定する和田の偏見は看過することはできない。
 和田は携帯電話やゲームについて次のように解釈する。

 実際、携帯やゲームの普及は、子育ての常識を変えてしまった。
 昔であれば、子供を塾通いなどさせずに、あるいは小学生くらいのうちはガミガミ勉強のことをいわずにノビノビ育てるという考え方もあった。
 すると子供のほうも、のび太くんのように原っぱで野球をし、運動能力もコミュニケーション能力も、あるいはルールを守るという点で社会性も身についた。
 しかしいまは、子供に勉強しないでいい、というと携帯やゲームに走ってしまう。
 すると、塾通いをする子のほうが、歩行時間や勉強時間が長いので運動能力も高くなるし、友達が学校と塾の両方にできるのでコミュニケーション能力や社会性も身に付きやすい。


 はっきり言って、全く根拠がない偏見である。とくにコミュニケーション能力なんて数字では計れないものだ。和田は学歴面でエリート街道まっしぐらの勉強オタクだから何もわかっていない。
 俺の経験で言えば、例えば小学校や中学校、あるいは高校の時なんてドラクエの話題をきっかけに、今まで話したこともない人と仲良くなれたものだ。ドラクエは一種のコミュニケーションツールとなっているから売れるのだと思う。
 ドラクエ6でアモスというキャラクターが仲間になることを知った時なんか、ショックを受けた人も多いのではないか? なんというひどいことをしてしまったのだとうと。しょせんバーチャルとはいえ、人の気持ちを学べた気分にもなれたものだ。
 今の小中高校生だって、ポケモンを通じて今まで話したこともない人と仲良くなれたという経験の持ち主は多いだろう。
 ゲームを通じてコミュニケーション能力を学べるし、幻のポケモン、ミュウをもらうためにあちこちのイベント会場に行って運動能力を身につけた人も多いはずだ。
 イベント会場に行くことが運動能力につながったという表現は強引なこじつけかもしれないが、ゲームではコミュニケーション能力など身につかないという偏見めいた強引なこじつけを和田もやっているのだから、俺が強引にそう解釈しても文句はあるまい。
 そして敬語についても和田の若者に対する偏見が見て取れる。

 昔であれば、子供の友達が、子供に電話をかけてくる際には固定電話が基本だった。当然、親が出ることが多い。すると取り次いでもらうために、それなりの敬語を使うようになる。子供のうちはともかくとして、中学生、高校生になってそれができないと、どんな育てられ方をしているのかと言われてしまう。とくに異性の友達にはなしかけるときは、言葉には気を使う。かなりの緊張もするだろう。こうして、大人への接し方を身に付けていくことになる。
 ところが、携帯電話があると、ダイレクトに連絡が取れてしまう。当然、この手の社会性を身に付ける機会は失われ、そうでなくても学校できちんと教えない敬語は使えないまま大人になりかねない。


 今のゲーム世代の新卒だって多くは普通に敬語を使えるし、使えない奴は世代に関係なく使えない。ただそれだけの話なのに、固定電話から携帯電話に変わったことをを理由を強引にこじ付けで携帯批判へと持っていく。
 あくまで根拠のない偏見で書くが、和田世代あたりなんて、今はほぼ死語になっている番長とか、公立中学校には学年ごとにいたんではないか? 俺の時代にはそんなのいなかったから、昔の和田世代あたりの方がよっぽど敬語の使えない連中が多かっただろう。
 和田は灘中出身の勉強エリートだからわからないかもしれないが、中学校時代の教師の昔話を聞くと壮絶だ。毎日1枚はガラスが割られ、週に1回は警察にお世話になり、トイレのドアは壊されるなど、今のマナーのよい中学生には信じられない話だろう。それほど昔の中学生はマナーが悪く、そして今の中学生はゲームなどのコミュニケーションツールを利用して礼儀を学んだのだ。
 と、根拠もなく偏見で書いても文句はあるまい。和田も根拠もなしに偏見で携帯電話やゲームを否定するのだから。
 おまけに携帯電話のメールにまで変なケチをつけてくる。

 電話でなく、メールを使うようになって、字を書くことが多くなるように見えるが、携帯メールは乱れた日本語と絵文字のオンパレード。逆に日本語が下手になってしまう。

 携帯電話でメールすると日本語が下手になるって、何を持ってそう断言するのか全く説明がない。むしろ携帯電話での長文はうざいし、短い文章でいかに相手に現在の状況や気分や連絡を伝えられるかの訓練になる。絵文字も馬鹿にしているが、それがあるだけでも心理的には随分違う。和田にはそういう経験がないのだろうか?
 おまけに日本の若者は馬鹿だと言わんばかりのことまで書く始末だ。

 大学生で自宅にPCをもっていないのは、日本人くらいと聞いたことがある。欧米やアジアの若者はそれほどPCに慣れ親しんでいるし、アフリカだってインテリはPCを当然使う。
 いくら携帯のインターネット機能が充実しても、PCとは情報の深さが違う。知識量や思考力への悪影響は大きい。


 よくもここまで書けるとむしろ関心する。俺から言わせれば、PCを駆使しているらしい和田に思考力があるとは到底思えない。東大医学部出身の秀才だから、理系の分野やセンター程度の歴史や地理の知識量はハンパないかもしれないが、今までの言動を見る限り、暗記が得意なだけで思考能力があるとは到底思えない。
 俺からみた和田は、おのれの思想だけで携帯電話やゲームに偏見の目を向けているだけで頭でっかちの硬直した思考しか持ち合わせていないようにしか見えないのだ。
 情報なんて深ければいいもんじゃない。むしろ和田みたいな偏見に満ちた文章という情報に触れて、携帯やゲームにひどい偏見を持ってしまう可能性だってある。
 そもそも本も含めて情報なんてものは半分は間違っていると思った方がいいのだ。とくに思想にかかわる情報になると、感情論が入り混じって歪んだ情報になるのだ。
 それにしても和田というのは本当に精神科医なのか?と疑問に感じてしまう。

公立高校の学費を心配する欺瞞

高学費に悩む高校生
4人に1人「家族に迷惑」
定時高生らが調査

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 首都圏の定時制高校生らが全国の高校生(全日制、定時制、通信制)に学費やアルバイトの不安についてのアンケートを実施しました。それによると、夜間定時制公立高校生の8割近く、全日制公立高校生の7割近くが、高校生活の上で経済的な不安を感じていることがわかりました。また、全日制、定時制を問わず、4人に1人が「学費のことで家族に迷惑をかけて申し訳ない」と答えています。

 アンケート調査は高校生自身が実態や思いを交流する「お金がないと学校に行けないの? 首都圏高校生集会」実行委員会の高校生が友達に呼びかけ、日本高等学校教職員組合の協力で、全国10道府県の公立の全日制、定時制(夜、昼)、通信制の1549人から回答を得ました。夜間定時制生徒が815人、全日制生徒は366人。他は昼間定時制、通信制の生徒です。

 夜間定時制高校生の12・1%が「学費が高く高校に通い続けられるか不安」と答えています。また、全日制の22・4%、夜間定時制の20・7%が「進学できるか学費のことで心配」と回答しました。

 授業料や携帯代、娯楽費などをアルバイトをして自分で払っている生徒は全日制で24%、夜間定時制で36・8%でした。

 夜間定時制、通信制では授業料を自分で支払っている生徒は20%を超えていました。

 全日制の7・4%、夜間定時制の13・7%が「奨学金をもらいたい」と答えています。

 学費やアルバイトなどの不安の質問項目に一つも該当しないのは全日制で32・5%、夜間定時制で21・3%でした。

 夜間定時制高校に通う実行委員長の女生徒は「経済的理由で苦しんでいる生徒は定時制も全日制も変わらないのではないかと話し合って実態調査をしました」と述べました。

 アンケートは26日の集会まで集めます。

 高校生の授業料は2007年度の基準額改定で、全日制で年額11万8000円、定時制で3万2400円となっています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-07-10/2009071005_01_1.html

 赤旗(共産党)新聞だからある程度の偏向記事は予想できるが、学費が高くて高校に通えるか不安という内容には違和感を覚えるのは俺だけではないだろう。全日制だってわずか11万8000円で、授業料の支払いが心配なら、事情を学校側に話せばアルバイトの許可ぐらいもらえるだろう。高校の教師だってそこまで悪魔ではないはずだ。
 定時制の授業料3万2400円なんて、ほんの少しバイトすればすぐ稼げるような金額で、いったい何の不安があるのか不思議で仕方が無い。俺が高校生だった頃だって、夏休みにバイトで30万円稼いだ奴だっていたのだ。
 共産党の書く記事は色が着いているから本当に正しい内容かは怪しいが、もし本当ならただの弱者を装うゴネ得プロ市民といったところだろう。

何が必要で何がいらない学問か!?

 金融日記にこんなことが書いてあった。なるほど、古文と漢文を無くすアイディアは現実的かもしれないし既得権排除にもなるかもしれない。しかし、金融や経済学を代わりに学ばせるのは正直疑問だ。
 日本人の多くは金融や経済の知識をぜんぜん持ち合わせていない。
 確かにこれは否定できない。しかし、
 それでは中学、高校の時間割に金融と経済を入れると言うことを考えてみよう。
 というのには疑問を感じるのだ。金融なんて学校で習うほど難しいものでもない。主観的な偏見を含めて書くが、経済学なんて本来物理で使うべき微分積分を使って、わざわざ難しそうに見せているだけの学問だろう。
 習うのならバランスシートの定義や基本用語レベルで十分ではないか?
 とはいえ、バランスシートなんか重箱の隅をつつくような勉強でもしない限り、はっきり言って1日あれば覚えられるものだし、基本的な用語の多くも新聞の経済欄を読んでれば常識的なものばかりだ。わざわざ学校でやるほどのものでもないと思う。
 とくに経済学は教える教師の思想(嫉妬や妬み)によっても180度違う見解が出てくるものだ。単なる用語の暗記ならまだしも、社会科学分野を深くえぐろうとすれば思想の問題になってしまう。
 率直に言うと僕は古文と漢文の授業はもう必要ないと思う。
 と書いているが、確かに社会的に全く役立たないのは100も承知で書くと、古文や漢文のような機械的処理の勉強の方が、思想が混じってしまう経済学よりはましな気はするのだ。実際に経済学を学んだところで社会に出て何の役に立つのか考えものだ。金融だって何の意味もないだろう。実際にそういう学問を学んだ人達が、いったいどれだけ企業で稼いでいるのか甚だ疑問だからだ。悪く言えば、難しい用語を使いながら人をかく乱して騙して営業する程度のものだろう。
 野村證券は大赤字だし銀行だって大赤字だし保険会社も赤字だらけである。その裏でBNFみたいに日大の法学部出身者が大儲けしているという矛盾。uoa(ウルティマオンライン飽きた)という慶応SFC出身者が金融市場を通じて大金持ちになったりと、経済学を学べばいいというわけではないことはわかるはずだ。むしろ思想が植えつけられて害の方が大きいという気がしてならないくらいだ。
 こういっちゃなんだが、役に立たないというのなら、体育も実際に役にたっていないし、数学も四則計算以外に役立っている人なんてほんの一握りだろう。
 数学なんて完全な機械的処理である。応用もあるが、応用だってパターンを覚えれば大学受験レベルの基礎ならほとんどが解けるようになる。
 歴史や地理もほとんど意味がないだろう。その地域の名産を知ったところでパンフレット見れば普通に書いてあることだし、歴史なんて勝利者によって常に都合よく中身を変えられているから、どこからどこまでが真実かかなり怪しいものだ。天皇家だってどこかの実力者がこの地位を何代目かで奪い取っている可能性だってある。実際に125代も続いているかも怪しいものだ。
 そんなに古文や漢文みたいに役立たない学問よりも実利にかなう学問を学ばせるということが大事なら、金融や経済学などではなく、もっと身近な家庭で使う薬の知識を覚えたり、英語以外の語学(とくに今後中国人観光客の増加が見込まれるから中国語)を学んだ方が、よほど社会に出て役に立つ可能性が高くなる。

 個人的に言わせてもらうと、古文漢文なんて役立たない学問を無くすことは反対しないし廃止すべきだと思う。ついでに言うと、現代文も不要だろう。せいぜい新聞を読める程度の能力と簡単な文章を書ける能力さえあれば十分だからだ。
 それ以上は大学にでも行ってからやればよい。
 歴史や地理も当然廃止すべきだ。地理などはせいぜい小学生レベルの知識があれば十分すぎるだろう。公民も中学生レベルで十分ではないか?
 数学や理科は微妙だ。実際に社会に出て役立てる人も多いから、将来役立つ可能性があるこれらは必須かもしれない。
 体育や芸術なんて高校生になってまでやる必要はないだろう。そんなのやるぐらいなら家庭科の方が役立つ可能性はまだ高い。とはいえ、今や弁当屋やコンビニがあるし、衣類も使い捨ての時代だから、高校になってまで必要かは微妙だ。裁縫の玉結びだけできれば十分な気はする。料理なんかインターネットで検索すればいくらでも作り方なんて出てくるし、その通りやれば作れるものだから、学校で習う必要性も薄いだろう。
 ようするに高校レベルなら数学と理科と英語以外は不要ではないかということだ。経済学や金融も必要ないだろう。余った時間は、少ない英語の授業時間の増加と中国語と(家庭で使う程度の)薬学で十分ではないかと思う。
 他には実社会ですぐ使える可能性のある簡単なワードやエクセルの基礎を学ばせるとかで十分ではないか。それ以上のコンピューターの知識は大学(専門学校)へ行って勉強すればよいと思う。
 もっと突っ込ませてもらうと、大学も経済学部なんていらないだろう。なにしろ経済学者の言っていることはチンプンカンプンなことが多い。あんなバカ達に学生が洗脳されていると思うとゾッとする。
 法人税増税とか平気で言っている馬鹿(森永や金子)がいたり、財産税(深尾)みたいなことを言っていたり、信じられないような呆れた陰謀論を展開する馬鹿(副島)など、常識では考えられないような馬鹿達が跋扈している世界だ。
 ついでに言えば、文学部もほとんどいらないだろう。いったいあんなの何の役に立つというのか?
 そして文系学部(法律や商学や教育系や特殊言語の外国語系の学部は除く)には国から助成金を出さないようにすることを希望する。理系学部も偏差値低い大学なんていらないだろう。専門学校で十分だ。大学は官僚の天下り先になっているのだから、それを防ぐ意味でも助成金など不要だろう。
 話は大きく逸れたが、金融や経済学は害の方が大きい可能性が高い。少なくとも俺はそう思っている。
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