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まっぺんさま!削除を依頼するメールの表現がわかりにくく,残してほしい投稿が削除
されてしまったようです。なにぶん,初心者のため,このことはひとえにこちらのコミ
ュニケーション能力不足です。(削除対象は,最初の「ネイルの会からの挨拶」でした)
そこで,再投稿します。
わたしたちネイルの会は,学生として70年代後半から80年代の「時代」を共有しています。
同世代にはここで論議されていることが,「痛恨事」として様々な思いを胸に秘めつつ
「生き延びて」きた者も多いと思います。
このことに直接関係ないかもしれませんが,わたしたちの記事を紹介します。
[希望はあるのか -現状はすでに「予感」されていた-]
吉沢 省吾
読売新聞のアンケート調査(2008年7月30日)
「派遣社員やパートなど非正社員が,雇用者の3分の1を占める現状について,『働く人の
立場が不安定になった』という印象を持つ人 が 82%、『多様な働き方ができるように
なった』が15%となった。」
人びとは,すでに「予感」していました。まだ好景気感が残っていた,
昨年の暑い夏に。
契約期間の細切れ状態など「派遣切り」の予兆はありました。しかし,グローバリゼーショ
ン・新自由主義・資本主義がここまで残酷だと思っていなかったでしょう。たしかに,格
差社会,貧困が語られない日はないというメディア状況は続いていました。でも,それは
どこかよそよそしく,よくて「気の毒な就職氷河期世代」への同情,ひどい場合は「自己
責任」という言葉に集約されていました。
ここは,わたしと同世代の浅田彰について語りましょう。ニュー・アカ(アカデミズム)と
もてはやされ,学術書としては異例のベストセラーになった「構造と力」と「逃走論 -ス
キゾ・キッズの冒険-」についてです。
そこでは,正規終身雇用者(会社人間)のパラノイア=パラノVs軽やかに世間を渡り歩くス
キゾフレーニー=スキゾと対比して,後者の生き方をドゥルーズのいうところのノマドへ
つながる道として肯定的に描かれていました。読んだときは,なるほどと感心したものです。
※ノマド=自由に移動・越境する放浪者
この「パラノ」「スキゾ」は,なんと1984年度流行語大賞(新語部門 銅賞)に輝きました。
まあ,「バラノ」「スキゾ」「ノマド」という言葉を駆使したドゥルーズ・ガタリ「ア
ンチ オイディプス-資本主義と分裂症-」や続編「千のブラトー」のあざやかな浅田解釈
ですが。
いま振り返ってみれば,これは,「フリーター・派遣労働者万歳」ですよね。結局,「自
己実現」「自己啓発」「キャリアアップ」を実現する自由な働き方という美辞麗句に彩ら
れた能力主義,競争主義に包摂されていったのではないかと思うのです。新自由主義イデ
オロギーの勝利宣言が聞こえてきそうです。
80年代のアクティビスト(活動家)たちが,労働戦線へ身を投じたとき,重宝する労働力と
して歓迎されていたという証言と重ね合わせてみると,
わたしは(たぶん浅田も)「貧困」「生存権」がリィアリティーをもって語られ,
「蟹工船」がベストセラーになる時代がくるとは,夢にも思っていなかったのです。
これは,わたしの思い込みかもしれませんが,まともな本が1冊も書けなくなった浅田
の「苦悩」も,わかるような気がするのです。
2008年金融危機・世界恐慌で,人びとの予感や不安は想像以上の形で的中しました。
わたしたちは,そのなかで翻弄され絶望感にさいなまれています。
何に希望を見いだしたらよいのでしょう。「資本論」でしょうか。共産主義でしょうか。
「マルチチュード」でしょうか。
たぶん,それらを含めた人類の苦闘の歴史そのものでしょう。そのなかには,歴史の闇の
中に埋もれているものもあるでしょう。失敗としか言えないものもあるでしょう。歴史の
屑籠から,投げ捨てられていた「希望」とともに「闘いの歴史」を奪還しましょう。そ
して,過去への郷愁や回帰ではない新たな共同性を見つけ出しましょう。
そんなことができるのかという戸惑いはあります。
しかし,人類はあるDNAを持っていると思うのです。
それは,協同・協業のDNAです。
※人間がアトム化され繋がり,連なりが失われつつある時代に,過去への憧憬や回帰では
ない「新たな共同性」を模索しています。最近の「ネット規制について」の記事もあり
ます。
まだ見ぬ仲間たちへ ネイルの会より (文責 吉沢 省吾)
http://yoshishougo.blog81.fc2.com/
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