投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.>なんでもフリートーク | 画像 ] [ 検索 ]

全1999件の内、新着の記事から20件ずつ表示します。 60  61  62  63  64  65  66  67  68  69  |  《前のページ |  次のページ》 

原発に頼った(頼らされた)地域の行き着く先

 投稿者:反原発久我山町内会  投稿日:2009年 3月15日(日)22時01分57秒
返信・引用 編集済
   「核のゴミ」の最終「処分」場として、ついに福島県楢葉町=原発立地市町村が立候
補です。

 これって、恐れていた事態でしょう。何せ、原発の交付金に頼り、反対運動はおろか、
もとより原発への反対や懸念の声すら封殺されている地域ですから、最終「処分」場も
「スムーズな立地」が実現しかねません。

 今回も、東電を筆頭に「国策推進を」と相当周到な根回しが行われていたことを伺わ
せます。

 原発にも、核兵器にも未来はない。最終「処分」場建設反対!直ちに全ての原発・核
施設を廃棄せよ!


http://www.asahi.com/national/update/0315/TKY200903150005_01.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090315-00000620-yom-sci
 

自由と生存の家 サポーターズクラブの呼びかけ

 投稿者:T  投稿日:2009年 3月15日(日)02時03分54秒
返信・引用
   すいません。2点目です。

・・・転送転載大歓迎・・・

自由と生存の家 サポーターズクラブの呼びかけ

 今年度末には派遣切りや大量解雇で住居を失う人々が予想されています。しかし、貧困な居住政策の影響もあって、とくに都内では貧困者が安心して自律的な生活を営む空間を確保することが困難です。そこで私たち「自由と生存の家実行委員会」は、現在、四谷にある古いアパートの改装作業を急ピッチで進めています。

 作業はフリーター全般労働組合の組合員が中心となってまったくのボランティアで進めてきました。しかし、人が安心して住めるようにするには配管や床張り、窓枠の修理などが必要となり、これら専門的な技能を要する部分については、どうしても業者に外注せざるを得ません。建築士の見積もりではおよそ 500万円の資金が必要とのことです。

 それだけの資金を私たち実行委員会だけでまかなうことができません。そこで居住問題に関心のあるみなさまに助力を仰ぐべく、このたび自由と生存の家(仮称)サポーターズクラブを設立することにしました。つきましては、サポーターズクラブに加入をここに呼びかけます。

呼びかけ人:雨宮処凛(作家・反貧困ネット副代表)
      稲葉 剛(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい)
      清水直子(フリーター全般労働組合・執行委員長)
      原田隆二(有限会社一水社不動産部)
      湯浅 誠(反貧困ネット事務局長・派遣村村長)

名称:自由と生存の家サポーターズクラブ

活動内容:
1 自由と生存の家の設立に賛同する会員を募る
2 会費およびカンパによって自由と生存の家の改修・円滑な維持運営を実現する

運営:
1 「自由と生存の家実行委員会」が運営事務を担う
2 活動の現状はは毎月末に呼びかけ人と会員に事務局が報告する

会費:一口10,000円(可能な方は複数口の加入をお願いします)
その他:寄付、カンパも随時受け付けています。

◆自由と生存の家設立趣意書

 現在、国内労働者の約20%が年収200万円以下という生活保護基準ギリギリの生活を強いられています。更に、不安定な生活を強いられている仲間は派遣切りや雇い止め、解雇とぼろ屑のように使い捨てられ、住処までも奪われています。

 労働者はやられてばかりなのか?こんな仕打ちを受けても、生きるためには忍従しなければならいいのか?そんな馬鹿な話はないというのが私たちの考えです。解決のためには、労働組合に加入する、労働組合を結成する、政治的な運動に加わる/起こす、専門家・専門団体に相談するなど、さまざまなアクションが必要です。

 私たちは、自らの生活の土台である住宅を自分たちで確保し、運営し、人々が支え合い、出会い、相談し合える場をつくる取組みを提案します。過去20年以上にわたり行われてきた新自由主義政策により、私たちが奪われ、ズタズタにされてきた人と人の繋がりや地域を自治を再生する「自由と生存の家」を設立します。

2009年3月1日
自由と生存の家実行委員会




***********************************************************
上記呼びかけ・趣旨に賛同しサポーターズクラブに入会します。

氏名:
所属:(あれば)
住所:〒
メールアドレス:
**********************************************************
返送先:(FAX)03-3373-0180 (メール)freeter.jutaku@gmail.com

●振込み口座:ゆうちょ銀行 記号:10250 番号:48022861
  名義 自由と生存の家実行委員会
○他金融機関からの振込み:ゆうちょ銀行 店名:〇二八
 店番:028 種目:普通預金 口座番号:4802286
 名義:自由と生存の家実行委員会

◆お問い合わせ:自由と生存の家実行委員会
〒160-0023 東京都新宿区西新宿4-16-13 MKビル2階
電話/FAX: 03-3373-0180
実行委員会ブログ:http://jyutaku.yunegoro.lovepop.jp/
メールアドレス:freeter.jutaku@gmail.com
 

自由と生存の家設立記念シンポジウム

 投稿者:T  投稿日:2009年 3月15日(日)02時02分10秒
返信・引用
  みなさん、こんにちは。今回は2点、宣伝させてください。

//転送転載大歓迎//

◆ 自由と生存の家設立記念シンポジウム(第一部)
ハウジング・プアから見えるもの
「生活の場を奪われた者のたたかいと自治的空間の創造」 主催/自由と生存の家実行委員会
◆ プレカリアート運動の今後とメーデーに向けて!(第二部)主催/4.4集会実行委員会

第一部
 ハウジング・プアから見えるもの
「生活の場を奪われた者のたたかいと自治的空間の創造」

 日時・場所:2009年4月4日(土)
 [シンポジウム](開場13時00分)13時30分〜15時30分

 神宮前隠田区民会館1F(渋谷区神宮前6─31─5、JR原宿駅下車6分)

資料代:カンパ制(収益は自由と生存の家建設に活用させていただきます)

◆シンポジスト紹介
雨宮処凛(作家・反貧困ネット副代表)
湯浅 誠(反貧困ネット事務局長・派遣村村長)
藤堂 悟(派遣ユニオン・日産ディーゼルユニオン書記長)
大平正巳(フリーター全般労働組合・副執行委員長)
司 会:菊地 謙(自由と生存の家実行委員会)

主催:自由と生存の家実行委員会
連絡先:〒160-0023 東京都新宿区西新宿4-16-13 MKビル2階
    電話/FAX: 03-3373-0180
    実行委員会ブログ:http://jyutaku.yunegoro.lovepop.jp/
    メールアドレス:freeter.jutaku@gmail.com
(よびかけ)
 現在、国内労働者の約20%が年収200万円以下という生活保護基準ギリギリの生活を強いられています。更に、不安定な生活を強いられている仲間は派遣切りや雇い止め、解雇とぼろ屑のように使い捨てられ、住家までも奪われています。

 さて、労働者はやられてばかりなのか?こんな仕打ちを受けても生きるためには忍従しなければならいいのか?そんな馬鹿な話はないというのが私達の考えです。ではどうすればよいのか?労働組合に加入・結成する。政治的な運動に加わる・起こす。専門家・専門団体に相談する。すべて良い考えだと思います。

 その上で、私達は自らの生活の土台である住宅を自分達で建て、運営するという取組みを提案します。支えあいもあり、出会いや相談も出来る場、過去20年以上にわたり行われてきた新自由主義政策により、私達から奪われ、ズタズタにされた人と人の繋がりや地域を自治のもとに再生することを目指します。

 今回は、各闘いの現場で活躍するシンポジスとの方をお招きし、議論と今後の闘いについて展望したいと思います。みなさん、振るってご参加ください。

第二部
 プレカリアート運動の今後とメーデーに向けて!

時間:15時40分〜16時50分
司会:鈴木 剛(フリーター全般労働組合・副執行委員長)

【よびかけ】
 3月末の大量解雇・雇い止めを受けて各界のアクティビストを招き闘いの現状と展望を語る70分。全国の独立系メーデー・自由と生存のメーデー、及び各地ユニオン運動や反貧困ネット、派遣村などの闘いと連携しつつ、現状をどう打開するか?
 みなさんも議論にご参加ください!

 主催:4.4集会実行委員会
 

「年度末派遣切り」に抗して

 投稿者:キューポラ  投稿日:2009年 3月13日(金)17時45分10秒
返信・引用 編集済
  【日比谷から全国5カ所へ 広がる派遣村】
http://72.14.235.132/search?q=cache:4qZ0j9TcqjUJ:www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009022890071008.html+%E6%B4%BE%E9%81%A3%E6%9D%91&hl=ja&ct=clnk&cd=10&gl=jp

 『多くの企業が決算を迎える三月は労働者の新たな大量解雇が予想される。このため、各地の派遣村は中旬から下旬にかけ、仙台市、さいたま市、浜松市、愛知県岡崎市、大阪市で開かれる。』

ということですが、全体を把握しているところがないようです。
さらに多くのところで取り組まれるようです。
わかったところだけを告知します。

【東京反貧困フェスタ】
http://www.k5.dion.ne.jp/~hinky/festa2009/festa2009.html

★ 反貧困フェスタ2009概要
日時:2009年3月28日(土)10:00〜16:30
 *雨天の場合は校庭企画を中止します。
場所:千代田区立神田一橋中学校
東京都千代田区一ツ橋2−6−14(神田神保町、岩波書店となり)
地下鉄「神保町」または「竹橋」より徒歩5分

★ 注意事項
* 使用時間は、設営から撤収の時間を含みます。時間内の原状回復にご協力ください。
* 車椅子の方は、1〜2Fはエレベーターにて移動できます。
* 校庭はゴム加工されています。
* 飲食物は校舎内にもちこめません。
* スリッパ等、上履きをご持参ください。
★ ブース出展の受付は終了しました。

★ ボランティア研修会
日時:2009年3月16日(月)18:30〜20:30
場所:岩波セミナールーム(神保町駅1分、岩波ブックセンター信山社3階)
講師:湯浅誠(反貧困ネットワーク事務局長、自立生活サポートセンター・もやい事務局長)

★ 貧困ジャーナリズム大賞2009募集のご案内
自薦・他薦を問いません。貧困報道に携わるジャーナリストたちを顕彰する「貧困ジャーナリズム大賞」にふるってご応募ください。しめきり:2009年3月23日(月)。

★ ご賛同のお願い
団体・個人とも賛同金3000円以上をお振込みください。通信欄に「フェスタ2009賛同金」とお書き添えいただけますと幸いです。
振込先:〈銀行名〉ゆうちょ銀行
〈金融機関コード〉9900
〈店番〉019
〈店名〉0一九店(ゼロイチキュウ店)
〈預金種目〉当座
〈口座番号〉0594755
〈受取人名〉ハンヒンコンネットワーク
または、郵便振替でお願いします。
口座番号:00170−5−594755
加入者名:反貧困ネットワーク

反貧困ネットワーク事務局
162-0814 東京都新宿区新小川町7-7 NKBアゼリアビル202
Tel&Fax 03-6431-0390
Mail hanhinkon.net@gmail.com

【埼玉派遣村】
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000000903060001

★3月21日(土)、22日(日)朝10:00〜
★さいたま市大宮区桜木町1丁目「鐘塚公園」(かねづかこうえん)
 (大宮駅西口・ソニックシティ前)
★宿泊テント・炊き出し・各種相談

★反貧困ネット埼玉
048・757・4511


【大阪】
「反貧困・春の大相談会in大阪」(21・22日)
開始日時 2009年 3月 21日 (土曜日)   10時00分 (GMT+09:00)
終了日時 2009年 3月 22日 (日曜日)   17時00分 (GMT+09:00)
場所 大阪市北区中之島の市役所南側
連絡先 06・6361・1143
詳細 「反貧困・春の大相談会in大阪」

「派遣切り」などで職を失った人の相談に応じ、暮らしや仕事を支援しようと、「反貧困ネットワーク大阪実行委員会」(委員長=木村達也弁護士)は21、22の両日、「反貧困・春の大相談会in大阪」(大阪弁護士会共催)を大阪市北区中之島の市役所南側で開きます。

 期間中は午前10時から午後5時まで、法律家や医師らが常駐。貧困や借金、解雇など労働問題、健康問題など、生活全般にわたる相談に対応する「ワンストップサービス」を実施します。

◆専用電話(0120・158794)では午後8時まで相談を受けます。

※会場で宿泊はできません。

 1日250食限定の弁当も配ります。女性も安心して相談できるよう専用コーナーも設けます。住まいをなくすなど困窮している人には、法律家らが生活保護の申請に同行します。木村委員長は「できる限りの支援をする。貧困の広がりを多くの人に知ってもらいたい」と話しています。

     ◇

◆相談への対応や会場設営を手伝うボランティアを募集しています。
申し込みは平日午後1〜5時に大阪いちょうの会(06・6361・1143、ファクス6361・6339)へ。

◆運営費にあてる募金も受け付け中です。
振込先は、りそな銀行柏原支店(普通預金0174511、名義=反貧困ネットワーク大阪実行委員会)


【愛知・岡崎「反貧困・愛知三河のなんでも相談会」】

3月21、22日の2日間
愛知県岡崎市内で実施


【浜松トドムンド浜松派遣村】
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20090228/CK2009022802000185.html

★3月29日午前9時−30日午後3時まで
★浜松市中区中央 アクト通り東側にある東ふれあい公園
★生活保護支援ネットワーク静岡
 

Re: うーん・・・。

 投稿者:セクトNo.7  投稿日:2009年 3月10日(火)14時33分15秒
返信・引用 編集済
  > No.5990[元記事へ]

kamakazuさんへのお返事です。

>@その頃の第4インター。増長していたのか、あるいは追い詰められていたのか

80年代中盤以降(3・8分裂以降に)インターの学生が生きていたところあったとしたら、非常に珍しい大学だったろうね。マル共的に言うならば『絶滅危惧種』だったんじゃないのかな?

草加さんとインターの話をしたとき「(東北のインターは)そんなのインターじゃない」とか言ってました。確かに70年代に統一するまでは別組織だったから、というんじゃなくてボルシェビキとギリシビキの違いがだったかもしれません。もちろん個人差はあります。特に学生はね。
インターのメンバー個人を組織人間の一般論として語るのは、はっきり言ってどっかに『無理』があると思う。お互いに「あんなのと一緒にするな!」なんてね。(この皮肉的表現がわかるのはここでは数人いると思いますが?)

今でも新左翼はどの組織でも人間的にはいい人が多いのですよ。個人的にはね。じゃ無ければ『人民の解放』なんて貧乏くじは引きません。でもね、組織の人間として立場はとなると、いい人でいられるのは『逆らわない限り』という大前提があるんですね。
逆らったらんじゃないの?つうか、インターから見たら戦旗は「裏切って中核に尻尾を振った」風にも見えるかもね。


> あのとき感じた、非常に不幸な感じが、現在において、再生産されないことを願っています。

そりゃ無理だ。程度の差はあれ『何か』はあると考えるべきでしょう。全世界で唯一の前衛党である革共同が「反革命」規定をしてるんだから、よほどの外圧(大衆的圧力)が無い限りにおいてはね。中核派を見損なってはいけません。
その外圧の一部にはなりたいと思うのよ。一坪共有者の一人としてね。
だって、今度何かがあったら熱田派とか北原派関係なく、三里塚闘争そのものが吹っ飛びかねませんよ。『内ゲバ温床=三里塚』という宣伝文句が流布することでしょうからね。
 

うーん・・・。

 投稿者:kamakazu  投稿日:2009年 3月10日(火)05時24分52秒
返信・引用
  >こう書くと〜
>草加さんからは、「何言ってんねん。二期工事を粉砕する実力闘争を貫けば
>廃港できるじゃろが〜」という声が聞こえてくるような気がする・・・

と、鍋山さんはお書きですが、80年代中盤になると、「実力闘争はアナクロだ」とか「彼らのやっているのは、真の実力闘争ではない」とか・・・あたかも「3.26は偉大であったが、それ以外はクズ!」みたいな悪罵が投げつけられておりまして、そういう感覚の流布によって、我が寮の戦闘力は極端に低下しました。歪んだ非暴力主義とか非党派主義みたいのが万延してしまいました。三里塚に行っても、そんな気分を感じて帰ってきたらますますダメになるなぁと判断した私は、山谷に行け!と後輩に指導しておりました。(自分は党派関係で行きにくかったにも関わらず)山谷に行ってきた後輩たち、今でもよく闘っております。私から見れば、害悪以外の何物でもないと感じた存在でした@その頃の第4インター。増長していたのか、あるいは追い詰められていたのか、「折り合いをつける」という政治に乏しい戦旗もある意味、そうでしたが。(もう辞めてたのでなんとも意見の挟みようもないの話です)

あのとき感じた、非常に不幸な感じが、現在において、再生産されないことを願っています。
 

Re: しかしその頃第四インター内部では…

 投稿者:鍋山  投稿日:2009年 3月 9日(月)23時47分34秒
返信・引用 編集済
  > No.5975[元記事へ]

3.26以降2年間位、弾圧対策・救援・解雇撤回闘争などで大わらわで、
総括どころじゃなかったというのが実情じゃないかな。

昔のことなので知らない人のために書いておくと。
逮捕された労働者に対して、会社・当局による「即刻懲戒解雇」が発令された。
特に公務員は、デモなどでの逮捕でも「起訴休職処分」が慣例であったのが、
この時は即刻だった。
そして、公務員を中心にして「三里塚へ行くための年休」を認めない処分に対する闘いも
解雇撤回闘争とともに取り組まれた。
イレギュラーずさんが書いた当時電電公社をはじめとする闘いだね。

総括ねぇ〜今だから言えることはいくらでもあるわけだが、当時どうだったかは
よくわからない。

まあインターの情況は岡爺さんの書いているとおりでしょう。

>インターが「ABCD問題」の乗り切りのために「一坪共有」「3・8分裂」を強行したという非難について言えば、
>「一坪再共有化」は「ABCD問題」の発覚以前から始まっております。むしろ発覚の中でBだったかCだった
>かを「一坪再共有化」の担当責任者から外さなかった事が女性側から追求されています。「3・8分裂」に至
>る過程では、もはや現地体制は混乱の極みで何らかの積極的なイニシアを取れる状況では無かったと認識しております。

>むしろ成田用水問題をめぐって反対同盟の分裂を最小限に抑えようとする、青年行動隊を中心にした「熱田派」と
>後日呼ばれるようになった反対同盟員が中心となった動きであったと思っております。
>当時のインターはそれについていくのが精一杯の組織状態ではなかったでしょうか?

今だから言えることは、それこそそれぞれの立ち位置によって違うよね。
インター三派でも違うだろうし、戦旗派を引き継ぐ草加さん、まっぺんさんと私でも違うだろうね。

まっぺんさんが書いたように〜
インターで言えば、「全人民の急進化」が情勢把握だったけれども、
スト権ストの敗北から明らかに後退局面だったわけだから、見誤ったんだろうね。

私は、【4.17集会陣形】の強化と拡大の中からしか展望は無かったと思うが、
反対同盟の分裂と中核派の襲撃によって破壊されてしまったわけだよね。

こう書くと〜
草加さんからは、「何言ってんねん。二期工事を粉砕する実力闘争を貫けば
廃港できるじゃろが〜」という声が聞こえてくるような気がする・・・


【生き字引@藪さん】
サンキューです。「3」だけ頭に残ってたんだよな〜
 

大衆ストライキさんへ

 投稿者:  投稿日:2009年 3月 9日(月)21時24分50秒
返信・引用
  沖縄返還と労働者の闘いhttp://rentaifan.at.infoseek.co.jp/aozora/book/okinawa_henkan.htm
参考までに。

鍋山さんへ
戸村選挙の獲得票数は「30万票」じゃなくて「23万票余」です。
 

ご指摘ありがとうございます

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 3月 9日(月)13時20分34秒
返信・引用
  大衆ストライキ さん。すいません。すぐには直せないと思いますが、いずれ直します。
ネイルの会さん。そうでしたか。「一番上の」とか言わずに、
題名とか投稿年月日・時間で指定してくれれば間違いが出ませんでした。
こんどからそうしてください。よろしくおねがいします。
なお、ここは削除はできないように設定したんでした。訂正だけ自分でできます。
 

関西生コンへの権力弾圧を許すな

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 3月 9日(月)13時06分14秒
返信・引用 編集済
  2009年3月4日

全日本建設運輸連帯労働組合
中央執行委員長 長谷川 武久

全日本建設運輸連帯労働組合
近畿地方本部
執行委員長   戸田ひさよし

全日本建設運輸連帯労働組合
関西地区生コン支部
執行委員長   武   建一

新たな権力弾圧=「関西宇部事件」に抗議する声明
〜労使協定順守を求める正当な組合活動への介入を許さない〜

 3月2日、大阪地方検察庁は、先月12日に不当逮捕した、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部の5人の組合役員らのうち、2人を起訴猶予で釈放する一方、他の組合役員ら3人を威力業務妨害罪で起訴した。
 この事件は、近畿地方で最大手の生コン会社、関西宇部に対し、労使協定の履行を求める正当な組合活動を、むりやり刑事事件に仕立て上げたものである。大阪府警と大阪地検が一体となったこの暴挙に対し、われわれ連帯労組は、まずもって全組織の名において強く抗議の意思を表明するものである。

 事件の舞台となった株式会社関西宇部(大阪市東淀川区。代表取締役・木村貴洋)は、大阪、兵庫に6工場を持つ業界最大手の生コン会社で、セメントメーカー宇部興産株式会社の子会社である。関西宇部はまた、代表取締役が大阪広域生コン協同組合の副理事長と大阪兵庫生コンクリート工業組合の理事を、そして、副社長が神戸地区生コン協同組合の副理事長と大阪兵庫生コンクリート工業組合の理事を務めており、業界の指導的立場にある。
 2006年以降、関西宇部は、人員補充や日々雇用労働者の就労問題に関する労使協定を守らず、不当労働行為をくりかえすようになっていた。08春闘においても、同じように反組合的な行動を重ね、それが今回の弾圧事件の発端となった。その経緯は次のようなものだった。

 2008年4月2日、「大阪兵庫生コン経営者会」と、3つの労働組合(連合・交通労連生コン産業労働組合、全港湾関西地方大阪支部、連帯労組関西地区生コン支部)は、「08春闘協定」を交わした。関西の生コン業界では、経営者団体と関連労組との集団交渉で賃金・労働条件などを決めており、「経営者会」と3労組の協定は、経営者会加盟の生コン業者及び生コン輸送業者75社を拘束する業種別協定となっている。
 ところで、「08春闘協定」には、賃上げ6,500円の実施(日々雇用労働者は日額400円)や年間一時金、福利厚生資金の支給のほか、輸送運賃の引き上げに関する条項が含まれていた。
 生コン業者の多くは生コン輸送業務を輸送会社に下請化しているので、その下請輸送業者の労働者の賃上げは、元請の生コン業者が運賃を引き上げないと原資が生まれない。加えて、原油価格が07年から暴騰し、輸送会社の経営が極度に圧迫されていたことから、輸送運賃の引き上げは08春闘の重要なテーマになっていた。そこで、労働側が輸送運賃の引き上げを生コン業者側に強く求めた結果、大阪兵庫生コン経営者会は要求を受け入れ、運賃引き上げの必要性を認めたのである。
 具体的には、「08春闘協定」の第7項は、「燃料高騰、NOX対策、賃上げ等の要因による運賃引き上げについての指針を出す」と明記。同年7月8日には、大阪兵庫経営者会が、「輸送運賃引き上げについての指針」を作成した。そして、「製造会社においては、輸送会社からの求めに応じて、当事者間で輸送運賃引き上げについての交渉を行い、輸送業の現状を十分理解した上で、運賃を引き上げる設定を行うべきである」と各社に提示した。
 こうして08春闘協定が締結され、次いで指針が作成される過程で、労働側は経営者会加盟各社に対し、いっせいに輸送運賃の引き上げを申し入れ、大半の業者が運賃を引き上げる措置を順次とっていった。

 ところが、関西宇部は、経営者会の加盟会社であり、業界のリーダー的立場にありながら、「運賃協定の履行は経営権の問題である」と主張して、協定履行を拒否するに至った。
 こうした関西宇部の不誠実な姿勢に抗議して、2008年7月2日以降、組合は主要工場で相次いで抗議行動を実施した。
 そして、この抗議行動をふまえて、同年7月14日には改めて団体交渉の実施を申し入れたが、関西宇部は、「現時点は団体交渉を行う状況ではない」として団交を拒否した。
 同年7月31日、組合は、08春闘協定に明記された輸送運賃引き上げを守らず、団交すら拒否する関西宇部の一連の行為は、労働組合法第7条第2号違反であるとして、大阪府労働委員会に対し不当労働行為救済を申し立てた。

 これが関西宇部事件のあらましである。ここにあるのは、交渉で協定を交わした、ついで労使協定を守れという申し入れをした、そして、協定を無視して団交すら行わない企業に対して抗議行動にとりくんだ――だれがみても、そうした、ごく当たり前の組合活動にほかならない。
 それにもかかわらず、大阪府警は、本年2月12日、組合が昨年7月2日に関西宇部吹田工場でとりくんだ抗議行動が「威力業務妨害」容疑にあたるとして、関西地区生コン支部の執行委員3人、組合員2人の合計5人を不当逮捕したのである。同時に、5人の自宅や武建一支部執行委員長の自宅、組合事務所などを捜索。その後も、業者団体や業者団体役員らの自宅など事件とはおよそ関係のない場所にまで次々に家宅捜索を行った。そして、一昨日の3月3日、5人のうち2人は起訴猶予で釈放したものの、3人の組合役員らを起訴したのである。

 団体交渉に応じて誠実に労使で話し合う。合意したことは労使協定にまとめ、誠実に履行する。これは憲法と労働法が明示する経営者の初歩的義務にほかならない。その義務を侵しておきながら、労働組合の正当な組合活動をなじる権利は関西宇部には一切ない。
 そもそも、関西宇部はこの間、労働組合敵視の政策をとる一方で、環境破壊などの違法行為がしばしば摘発され、社会問題となってきた。
 一昨年の2007年3月には、関西宇部の堺工場が、100トン以上もの生コン汚水を2年半にわたって大阪湾に不法投棄(廃棄物処理法違反)していた件で書類送検されている。これに懲りず、2008年にも、ミキサー車の汚水を路上にばらまいたり下水口に垂れ流した件で、各自治体から立ち入り調査や行政指導を受けている。大手セメントメーカーの子会社であり、業界の模範たるべき立場にありながら、これほど企業モラルの欠如した事業主も珍しいといわざるをえない。

 大阪府警と大阪地検は、こうした企業に肩入れして、正当な労働組合活動をあえて刑事事件に仕立て上げたのである。
 なぜ警察と検察はこんな異常な行動をとるのだろうか。
 振り返ってみれば、かれらは2005年1月以来、立て続けに権力弾圧を仕掛け、関西地区生コン支部を壊滅させようと試みた。その目的は、ゼネコンやセメントメーカーという大企業が支配する生コン業界を民主的に改革しようとして、労働組合と中小企業が結束してすすめる政策運動をつぶすことにあった。しかし、これは多くのジャーナリスト、学者、弁護士たちから「国策捜査」として厳しく批判された。一連の弾圧の最終場面でおこされた斉藤建材事件(07年)では、暴力団を使った明々白々な組合つぶしにまで介入して、かれらは逆に強い社会的批判を浴びた。無謀な国策捜査は、結局のところ失敗に終わった。
 今回の新たな弾圧は、つまるところ、この失敗の汚名返上を焦る大阪府警と大阪地検の、まさに極めつけの権力の濫用というほかない。

 しかし、われわれ連帯労組は、こうした権力弾圧に挫けるものではない。これまでもそうであったように、われわれは意気高くたたかい、3人の仲間の早期釈放と無罪を勝ち取る決意である。もちろんのこと、関西宇部の無法なまでの労働組合つぶしも完膚無きまでにうち砕くつもりである。
 今後のたたかいに対する全国各地の組合員、家族の結集をよびかける。      以上

http://www.com21.jp/news/09/news090308danatsu.html より
 

Re: 沖縄返還運動

 投稿者:青ヘルがんばれ  投稿日:2009年 3月 8日(日)21時10分26秒
返信・引用
  > No.5984[元記事へ]

> 沖縄の返還について、中核派は「沖縄奪還」を掲げ、解放派は「返還反対」の立場だったと思いますが、どなたでも結構ですのでこの辺り詳しく教えてくださいませんか

反対ではないでしょう。解放派は宮下ブロックといわれ「沖縄解放=(沖縄独立?)」と言っていたのではないでしょうか?この点で中核派とは沖縄闘争は一緒にできないと言っていたはずですが。
 

沖縄返還運動

 投稿者:大衆ストライキ  投稿日:2009年 3月 8日(日)09時38分23秒
返信・引用
  沖縄の返還について、中核派は「沖縄奪還」を掲げ、解放派は「返還反対」の立場だったと思いますが、どなたでも結構ですのでこの辺り詳しく教えてくださいませんか。  

希望はあるのか -現状はすでに「予感」されていた-

 投稿者:ネイルの会  投稿日:2009年 3月 8日(日)02時46分12秒
返信・引用 編集済
  まっぺんさま!削除を依頼するメールの表現がわかりにくく,残してほしい投稿が削除
されてしまったようです。なにぶん,初心者のため,このことはひとえにこちらのコミ
ュニケーション能力不足です。(削除対象は,最初の「ネイルの会からの挨拶」でした)
そこで,再投稿します。

わたしたちネイルの会は,学生として70年代後半から80年代の「時代」を共有しています。
同世代にはここで論議されていることが,「痛恨事」として様々な思いを胸に秘めつつ
「生き延びて」きた者も多いと思います。

このことに直接関係ないかもしれませんが,わたしたちの記事を紹介します。

[希望はあるのか -現状はすでに「予感」されていた-]
                                                                    吉沢 省吾
読売新聞のアンケート調査(2008年7月30日)

「派遣社員やパートなど非正社員が,雇用者の3分の1を占める現状について,『働く人の
  立場が不安定になった』という印象を持つ人 が 82%、『多様な働き方ができるように
  なった』が15%となった。」

人びとは,すでに「予感」していました。まだ好景気感が残っていた,
昨年の暑い夏に。

契約期間の細切れ状態など「派遣切り」の予兆はありました。しかし,グローバリゼーショ
ン・新自由主義・資本主義がここまで残酷だと思っていなかったでしょう。たしかに,格
差社会,貧困が語られない日はないというメディア状況は続いていました。でも,それは
どこかよそよそしく,よくて「気の毒な就職氷河期世代」への同情,ひどい場合は「自己
責任」という言葉に集約されていました。

ここは,わたしと同世代の浅田彰について語りましょう。ニュー・アカ(アカデミズム)と
もてはやされ,学術書としては異例のベストセラーになった「構造と力」と「逃走論 -ス
キゾ・キッズの冒険-」についてです。

そこでは,正規終身雇用者(会社人間)のパラノイア=パラノVs軽やかに世間を渡り歩くス
キゾフレーニー=スキゾと対比して,後者の生き方をドゥルーズのいうところのノマドへ
つながる道として肯定的に描かれていました。読んだときは,なるほどと感心したものです。
※ノマド=自由に移動・越境する放浪者

この「パラノ」「スキゾ」は,なんと1984年度流行語大賞(新語部門 銅賞)に輝きました。
まあ,「バラノ」「スキゾ」「ノマド」という言葉を駆使したドゥルーズ・ガタリ「ア
ンチ オイディプス-資本主義と分裂症-」や続編「千のブラトー」のあざやかな浅田解釈
ですが。

いま振り返ってみれば,これは,「フリーター・派遣労働者万歳」ですよね。結局,「自
己実現」「自己啓発」「キャリアアップ」を実現する自由な働き方という美辞麗句に彩ら
れた能力主義,競争主義に包摂されていったのではないかと思うのです。新自由主義イデ
オロギーの勝利宣言が聞こえてきそうです。

80年代のアクティビスト(活動家)たちが,労働戦線へ身を投じたとき,重宝する労働力と
して歓迎されていたという証言と重ね合わせてみると,

わたしは(たぶん浅田も)「貧困」「生存権」がリィアリティーをもって語られ,
「蟹工船」がベストセラーになる時代がくるとは,夢にも思っていなかったのです。

これは,わたしの思い込みかもしれませんが,まともな本が1冊も書けなくなった浅田
の「苦悩」も,わかるような気がするのです。

2008年金融危機・世界恐慌で,人びとの予感や不安は想像以上の形で的中しました。
わたしたちは,そのなかで翻弄され絶望感にさいなまれています。

何に希望を見いだしたらよいのでしょう。「資本論」でしょうか。共産主義でしょうか。
「マルチチュード」でしょうか。

たぶん,それらを含めた人類の苦闘の歴史そのものでしょう。そのなかには,歴史の闇の
中に埋もれているものもあるでしょう。失敗としか言えないものもあるでしょう。歴史の
屑籠から,投げ捨てられていた「希望」とともに「闘いの歴史」を奪還しましょう。そ
して,過去への郷愁や回帰ではない新たな共同性を見つけ出しましょう。

そんなことができるのかという戸惑いはあります。
しかし,人類はあるDNAを持っていると思うのです。

それは,協同・協業のDNAです。

※人間がアトム化され繋がり,連なりが失われつつある時代に,過去への憧憬や回帰では
  ない「新たな共同性」を模索しています。最近の「ネット規制について」の記事もあり
  ます。

まだ見ぬ仲間たちへ      ネイルの会より                   (文責 吉沢 省吾)

http://yoshishougo.blog81.fc2.com/

 

間違いの指摘

 投稿者:大衆ストライキ  投稿日:2009年 3月 7日(土)17時11分27秒
返信・引用
  http://redmole.jp/sosialism/tosyo.html
これですが、sosialismではなくsocialismが正しいです。
また、やたらと英語を使うのをやめて、syakaisyugiと訓令式ローマ字で書いてもらいたいと思います。
 

「前進」縮刷版

 投稿者:岡爺  投稿日:2009年 3月 7日(土)04時29分33秒
返信・引用
  「前進」縮刷版って78年〜81年の4年間だけ発行されてないんですね〜
http://www.zenshin.org/syuppan/syuppan.htm#syuku
 

一段落でしょうか?

 投稿者:セクトNo.7  投稿日:2009年 3月 6日(金)22時32分8秒
返信・引用 編集済
  再建協議会の「自己批判」に関するそれぞれからの意見も、一応の区切りのような感じです。どっかの馬鹿が「革命軍の声明」なんかとか罵ったせいじゃないでしょうが、中央派天田書記長の論文が出ました。

http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no09/f2381sm.htm#a4_1

基本的には昔の焼き写しみたいに感じますが、昔の愚行を繰り返さないことを願います。
少なくても現在の市東さんの農地への攻撃に対して、反撃の足枷にしかならないでしょうからね。
私が心配してもしょうがないことなんでしょうが。

さて、草加さんが「インター系列」見たいなこと言ってたんですけれど、私もそう見られてんだろうな?(爆
当時のことを知っているインターの人間=学生だったら大笑い海水浴場でしょうね。とっても仲悪くやってましたから。(みんな、どっかへ行ったけれど)
まあ、個人的に『指導的意見』を言ってくる学生メンバーもいたし、学生班協では「XXを潰せ」とか言っていたみたいですからね。(これって前も書いたよね)
まあ、もともと寝そべって運動をやってたから、潰しようも無かったんでしょうけれど。

まあ、イレギュラーずさん(彼は千葉へ行ってました)が書いていたギリシビキは東北人には何か共有できるんで、思想信条の毛嫌いを超えて連帯しているわけです。一坪以外でもね。
まあ、私がやっていた運動をテロったことはないし、肯定的に(表面的にも)協力してくれましたから。
中核派はやったことを忘れる傾向が昔からあったようですが。
 

おいでませ〜山口,ハァ…

 投稿者:イレギュラーず  投稿日:2009年 3月 6日(金)00時27分15秒
返信・引用 編集済
  >あの実力闘争をあそこまでやってよかったんだろうか?という疑問が生まれてたんじゃなかったっけ?

あの闘争から,三里塚反処分闘争が起きた。電通労組結成に至る全電通処分撤回闘争で,なぜか山口大会まで旅行しましたね〜

すべて,夜行列車と高速バスを乗り継いでね!まるで三里塚現地に行くのと全く同じでした。しかもそのときわたしは一人で。それが,大阪からなぜか夜行「雲仙」で見たことがある連中と出会いました。

その「雲仙」ももうない…
 

Re: 余計なレス(^◇^) その2

 投稿者:鍋山@小作  投稿日:2009年 3月 5日(木)21時04分44秒
返信・引用 編集済
  > No.5976[元記事へ]

【『一坪』地主とカミサンにはかなわない】

なんで私が地主に成りそこなったというと、簡単な話で〜
当地の組織が、女性差別問題やなんかで、周りの人間に
「一坪オルグ」できるような精神状態じゃなかったのよ。

おかげで(汗)、ぐっすり寝るこ・・・・・(自粛)
 

余計なレス(^◇^)

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 3月 5日(木)11時56分13秒
返信・引用
  >余計なレスはqするんじゃないよ。

「w」を押すつもりで隣の「q」を押したね?(=^^=)
 

しかしその頃第四インター内部では…

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 3月 5日(木)11時54分14秒
返信・引用
  終わった後になっての総括ですが、
あの実力闘争をあそこまでやってよかったんだろうか?という疑問が生まれてたんじゃなかったっけ?
70年代は一方では労働運動が上から抑えられていく時代でもあったわけで、
青年運動の急進化が実現したのは74年頃までだったでしょう?
スト権ストの敗北とかあって、それ以後の反動化を阻止できなかった。
三里塚闘争はその状況を突破するものとして期待された戦術でもあったと思うんだけど
やってみたら、逆に孤立してしまうわけですよ。
管制塔占拠にびっくりした全議会政党が反動的な成田新法に賛成し
「過激派」キャンペーンによる弾圧に手を貸していくという、ひどい状況になった。
だから、あれ以後、より正確には5月の出直し開港阻止闘争以後、第四インターは戦術転換した。
ようするに三里塚などの「拠点」における戦術的闘争によって
全国政治の急進化を牽引しようという路線の敗北に踏まえた転換だったんじゃないかな。

ところが、それじゃ中核派のほうは収まらないわけで。
奪われてしまったイニシアティブの奪回のために、あの頃からゲリラ闘争が再開されていった。
中核派が再び急進化を始めたのは管制塔占拠闘争のあとだったと思う。
だからあのころの状況は、三里塚闘争を契機として全国政治においても
急進闘争の限界を見た第四インターと、更なる急進化によって劣勢挽回を図った中核派
……という構図を僕は見るんですが、こういう見方はどうですか?
 

以上は、新着順1260番目から1279番目までの記事です。 60  61  62  63  64  65  66  67  68  69  |  《前のページ |  次のページ》 
/100