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> これ、元はまっぺんさんだっけ?
いえ、違いますよ。だって「一坪再共有化運動」の事を当時は知らなかったんだから。
第二次決戦(駒井野、天浪なんかの要塞戦)のころには完全に中核派のイニシアティブだったのに、
77年の鉄塔破壊報復戦のころからイニシアティブは第四インター派に移りつつあったわけです。
そして管制塔占拠はその転換を決定的にする象徴だったと、そう認識してます。
だから、あの分裂は中核派によるかなり強引な「第四インターに対する党派闘争」であったと考える点で
鍋山さんとはだいたい認識が一致しますね。
前にも言ったけど、中核派が党派のエゴイスティックな目的のために
大衆運動を分裂させたのはこれが初めてじゃないんですから。
僕が学生インターに加入してまもなくでした。各戦線を中核派が分断し
自分の周りに「反革命カクマルセンメツ」を掲げる大衆組織を作っていったのは。
だから「大衆運動よりも党を優先する」という本質において、
中核派は同じ反スタ主義の革マル派と同じ「素質」を持っています。
ただ、革マル派よりは大衆運動に依拠しようとする分
(恐らくブント的な傾向の流入によるものだと思うけど)まともだと言えるかな?・・・と。
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