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Re: ちょっと一言だけ

 投稿者:セクトNo.7  投稿日:2009年 3月 5日(木)02時14分35秒
返信・引用
  > No.5973[元記事へ]

岡爺さんへのお返事です。

> もちろん中核派の襲撃による直接の被害者はすべてインターの活動家なのですが、「党派闘争」は事の半分だと思います。

家庭訪問とか朝の挨拶とか、いろいろあったようですが、おいらは襲われなかった。
「党派闘争」というにはあまりにも。下劣だよ。
『一坪』を鍋やんも書記長も『しらんぺ』だもんな。何でおいららが?
『僕の青春を返せ』などと言ってみたい。

これはもちろん酔っ払って書いてるから、余計なレスはqするんじゃないよ。
 

ちょっと一言だけ

 投稿者:岡爺  投稿日:2009年 3月 5日(木)00時13分25秒
返信・引用
  > これ、元はまっぺんさんだっけ?

いえ当時の私の意識です。それ以外にイチャモンをつける理由が思いつかなかったですよ〜

中核派にとっては「第四インターに対する党派闘争」だったのでしょうが、
「熱田派」反対同盟にとっては「成田用水をめぐる反対同盟の内部矛盾」を、「用地内」と「用地外」の対立として最大限に煽り立てる反対同盟の私物化との闘いだったと思います。

もちろん中核派の襲撃による直接の被害者はすべてインターの活動家なのですが、「党派闘争」は事の半分だと思います。
 

同じくナナメですが(=^^=)

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 3月 4日(水)21時50分57秒
返信・引用
  > これ、元はまっぺんさんだっけ?

いえ、違いますよ。だって「一坪再共有化運動」の事を当時は知らなかったんだから。
第二次決戦(駒井野、天浪なんかの要塞戦)のころには完全に中核派のイニシアティブだったのに、
77年の鉄塔破壊報復戦のころからイニシアティブは第四インター派に移りつつあったわけです。
そして管制塔占拠はその転換を決定的にする象徴だったと、そう認識してます。
だから、あの分裂は中核派によるかなり強引な「第四インターに対する党派闘争」であったと考える点で
鍋山さんとはだいたい認識が一致しますね。

前にも言ったけど、中核派が党派のエゴイスティックな目的のために
大衆運動を分裂させたのはこれが初めてじゃないんですから。
僕が学生インターに加入してまもなくでした。各戦線を中核派が分断し
自分の周りに「反革命カクマルセンメツ」を掲げる大衆組織を作っていったのは。
だから「大衆運動よりも党を優先する」という本質において、
中核派は同じ反スタ主義の革マル派と同じ「素質」を持っています。
ただ、革マル派よりは大衆運動に依拠しようとする分
(恐らくブント的な傾向の流入によるものだと思うけど)まともだと言えるかな?・・・と。
 

もう少し

 投稿者:鍋山  投稿日:2009年 3月 4日(水)19時59分9秒
返信・引用 編集済
  四トロにいる頃から「三里塚」にナナメで(大汗)、
「三里塚はそれとしてしっかり闘わなければならないが、やっぱり労働運動だろ〜」
なんて言っていた私が議論するのも気が引けるが、もう少し〜
あぁ〜思い出した、そんな私らに地区指導部の一人は「おまいら民同か〜」なんて言われて、
全てを三里塚へという方針に「じゃインターは戦旗になるのか〜」なんて返していた若かれし頃・・・

これ、元はまっぺんさんだっけ?
え〜と、これを強調するのはどうかと思う〜
>「内ゲバ戦争をやっている身では住所・氏名を権力側に明らかにすることが出来ず、
>運動のイニシアを取れないからだろう」と納得しておりました。

中核派だって、メンバーではなく周辺の文化人や市民運動家を出せばいいわけで、数百人
は提出できただろうと思う。

やはり、問題の本質は三里塚闘争の主導権を「インター〜連帯する会」に完全に奪われた
中核派による一坪再共有化を口実とする反対同盟の分裂という事態だと思う。

71年強制代執行によって一期工事の土地は基本的に収用され、岩山などの周辺土地での
「妨害」しか実力阻止は残されていない中で、三里塚闘争は全人民にその大義を訴える
運動にはいる。

中核派は、70年8月「革マル派海老原リンチ殺人」を口実とする革マル派の反撃の中で
その「内ゲバ戦争」の土俵に引きずり込まれ大衆運動・労働運動をほとんどやらなくなる。
温存された動労千葉を例外として。
「やった」のは、革命軍によるほとんどカンパニアでしかないゲリラだけ。

74年、「戸村参院選」において、私の知っている関東ではほとんど中核派は運動しなかった。
30万票(だっけ?)で落選したものの、この選挙を通して先に書いた【4.17集会陣形】
形づけられた。
【4.17集会陣形】で中核派が貢献したのはしたがって動労千葉だけだった。
ジェット燃料貨車輸送阻止闘争で動労千葉は活躍するわけだが。

現地実力闘争においても、岩山鉄塔破壊に対する「5.8戦闘」から3.26開港阻止決戦に
至るまで、中核派がやったのは大衆集会・デモと非公然部隊による周辺ゲリラだけだった。

3.26の頃には、「中核派はなにもやらない」という認識が定着していて、党派だけでなく
ノンセクトの人が「お前らなんにもやらないのか!」とヤジっても中核派は沈黙するだけだった。

3.26で三里塚における中核派の主導権は最終的に奪われた。

繰り返しになるけれども、3.26戦闘自身が【4.17集会陣形】があってこそのものであり、
三里塚闘争〜二期工事阻止闘争の勝利の展望もその中からしか生み出すことしかできなかった
のではないかと思う。その中での「一坪再共有化」は有効な戦術であったと思う。

現地周辺にいた岡爺さんの認識と違っていなかったので、ホットした〜〜

中核派や、特に元中核派の人が誇りに思っているようなので言いにくいが、
「85年10.20戦闘(だっけ?)」をテレビで見て、三里塚の主導権を奪い返すために、
中核派でも大衆的実力闘争ができるんだぞと無理してるなと思ったもんです。

「反対同盟分裂」〜「インター・熱田派への襲撃」〜「大衆的実力闘争」は、
三里塚闘争の勝利や階級闘争への貢献のためではなく、
ただ、「闘う中核派」の確保のためだったのではないか。

その後、草加さんなんかが大活躍した「成田用水」の頃のことは全くわからない。
成田シンポのころ、すっかり「改良主義者・民同」になっていた私が、
「農民の意向でなら三里塚闘争が終わってもいいんじゃね〜の」と言って、
インターメンバーに絶交されたことがあったっけ・・・

いずれにしても「3.8分裂」以降の事態は、三里塚現地だけでなく、あらゆる戦線
に破壊的な打撃を与えた。当たり前だが、分裂というのは「5:5」「7:3」になる
わけではなく10あったものが「5:1」とか「3:1」になるし、運動そのものが全て
崩壊したものもあった。

こうした意味で、中核派の行為は犯罪的であった。

【余談】
3.26のあと、地域に帰って来てあるノンセクトの労働運動活動家にこう言われました。
「よくやったな〜、完全に中核派を抜いたな〜、新左翼のチャンピオンになったな〜」
「でもよ、それだけでいいのか? 聞くところによるとインターの活動家で職場をやめて・
整理して三里塚へ行ったのが少なくないっていうじゃね〜、おかしいんじゃね〜の?」
「革命はよ〜やっぱり労働者がやるもんだろ〜」

私には、かなりショックな指摘で・・・インターを抜けた遠因になった・・・
 

Re: まずまずだと思う。

 投稿者:岡爺  投稿日:2009年 3月 4日(水)15時25分8秒
返信・引用 編集済
  > No.5966[元記事へ]

イレギュラーずさんへのお返事です。

> その当時の印象(確かな情報ではない)では、
> 「60年代から行われてきた一坪運動での所有者が三里塚から遠ざかっていることもあり(社会党総評構造のひとが多かった)、一部切くづされているので再共有化し(さらに別の土地も)、3.26開港阻止決戦の成果を全国に大衆的に広げるため」と提起されていたように(思)う。

現地の周辺にいた私も基本的に同じ認識でおりました。
ですから「一坪再共有化」といっていたと思います。

中核の「土地売り渡し運動」なる非難は正直いってアッケにとられましたが、
「内ゲバ戦争をやっている身では住所・氏名を権力側に明らかにすることが出来ず、運動のイニシアを取れないからだろう」と納得しておりました。
用地内農民の反発も承知しておりましたが、中核の非難が渦巻く中では、運動の前進の中で理解をしていただく以外にないと考えていました。

インターが「ABCD問題」の乗り切りのために「一坪共有」「3・8分裂」を強行したという非難について言えば、「一坪再共有化」は「ABCD問題」の発覚以前から始まっております。むしろ発覚の中でBだったかCだったかを「一坪再共有化」の担当責任者から外さなかった事が女性側から追求されています。「3・8分裂」に至る過程では、もはや現地体制は混乱の極みで何らかの積極的なイニシアを取れる状況では無かったと認識しております。

むしろ成田用水問題をめぐって反対同盟の分裂を最小限に抑えようとする、青年行動隊を中心にした「熱田派」と後日呼ばれるようになった反対同盟員が中心となった動きであったと思っております。当時のインターはそれについていくのが精一杯の組織状態ではなかったでしょうか?
 

Re: まずまずだと思う。

 投稿者:セクトNo.7  投稿日:2009年 3月 4日(水)01時05分22秒
返信・引用
  > No.5966[元記事へ]

イレギュラーずさんへのお返事です。

>「ギリシビキ」

宮城インターらしい=東北人派らしいと言うべきかな?
いまだに東北の人芸関係が今でも続いているのは、所以があるのかね?
職場の前で馬鹿中核に掴まれたとかいう武勇伝は?聞いたことがあるような?なにせ25年も前だからな?個別についてはどこまで覚えているのか?
俺も耄碌した。ということにいておくか?

いろんな人が声を上げるのはいいのですが
で、『一坪共有者』はどうゆう立場を取れるというのでしょうか?

それについては誰か言ってます。(爆
正しい答えとして「脱落派は土地を売るな」でしょうか?


俺は人が悪い人間ですから、言ったことには責任を取ってもらわない限り、だあれも認めません。
ま、何も語っていない関西派?未来派?にしても、現実に革命軍の残党を抱えて過去を総括できるとは思ってないけれど、やっぱ革命とかにはかかわって生きたいんだろうから、これからどうするんだろうね。
たぶんこれで「とりあえず」の社交辞令だったと思う。ですが、それを許す関西左翼の歴史を、どう総括するのかという問題は私の仕事ではない。
 

ところで自己批判書への評価ですが

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 3月 3日(火)23時59分42秒
返信・引用
  再建協議会(未来派っていってもいいかな?)が機関紙の25号に自己批判を掲載してからおよそ1ヶ月半近くたち、「かけはし」がそれに反論してから1週間たちました。今後、彼らが果たして何らかの反応を示すのでしょうか。「かけはし」も指摘するように、あの自己批判書は被害者に対しては全く謝罪していません。また僕が指摘したように、「闘う者への自己批判」となっているわけですが、一坪再共有化運動推進者は「脱落派」なんですから自己批判の対象にもなっていないわけです。この点についてどう考えるのか。また、ここでも一連の議論が起こりましたが、そもそも一坪再共有化運動をめぐる評価については「意見のちがいはあって当然。ただインターを襲撃した行為だけを批判すれば良い」という事で済まされるようなものではない事が解明されてきたと思います。再建協議会はこれらの点についても明らかにしなければならない立場に立たされた、という事なんじゃないでしょうかね。

もしも、あれで「ミソギを済ませた」ことにして終わらせたとすれば、自己批判を出さない中核派中央と何の違いもない、ただの居直り文書になってしまいます。僕は中央派と比べて「自己批判を提出した」事実を評価しましたが、中身についての評価はゼロなわけで「自己批判のための入口へやってきた」ことへの評価であるわけです。これからその門をくぐり、真摯な議論のやりとりをする覚悟があるのかどうか。注目しましょう。
 

ぼくも当時の事は全然知りません

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 3月 3日(火)23時37分59秒
返信・引用 編集済
  81年か遅くとも82年5月には共青同を抜けてたんで。
だから一坪再共有化運動を巡る中核派の行動なんて、全く知りませんでした。

ある日、仕事から帰ってきたら、アパートの前に車が止まってたんですよね。
男が二人くらい(三人だったか?)近寄ってきて
「あのー、ここに××さん(まっぺんのこと)という方は…」
「はい、私ですがなにか?」
するとKサツ手帳を見せて、インターが襲撃された事を教えられたんですよ。(@@;;;)
「心配だから来たんですが、守ってあげますから協力してください」……ってわけ。

冗談じゃない。組織やめたって、Kサツに魂売るつもりはありませんからね。
丁重にお断りしてお帰りいただいた。
まぁ、こっちが辞めたことを中核派が知らなくても、
下っ端の自分のところになんか間違っても来るわけないから、何の心配もしてなかったし。
ところが翌日もまたきやがった!しつこいねー!
ドアのところに足はさんで、閉められないようにして「守ってやるから」って。
市民を守るのはおまえら警察の「仕事」だろうが!恩着せがましく言うなって思ったね。
「あんまりしつこいと警察呼ぶよ!」って言えばよかったか?(^◇^)

それから情報収集を始めたんですよ。元の仲間たちからいろいろ聞いて。
それで一坪再共有化運動のことを知ったようなわけです。
そんなわけで現場の厳しさについての実感を持ってはいませんね。
体験者の方の体験談など聞きたいなぁ。
 

まずまずだと思う。

 投稿者:イレギュラーず  投稿日:2009年 3月 3日(火)23時06分6秒
返信・引用
  >その当時の印象(確かな情報ではない)では、
「60年代から行われてきた一坪運動での所有者が三里塚から遠ざかっていることもあり(社会党総評構造のひとが多かった)、一部切くづされているので再共有化し(さらに別の土地も)、3.26開港阻止決戦の成果を全国に大衆的に広げるため」と提起されていたように(思)う。

もともと,この再共有化にあっては,闘争継続のための相続は認めるが,いわゆる「私有財産」相続は認めないということであった。まあ,それはどのように担保されたかは別問題としてある。

またそれは,運動に連帯してきたものとしては,いかに諸事情で現地に行ったり,なんだりかんだりできなくなったばあいでも,再共有化をとおして「ギリシビキ」でいられるしね。少なくとも,矜持にかけて,売るつもりはない。
 

「一坪運動」

 投稿者:鍋山  投稿日:2009年 3月 3日(火)21時40分54秒
返信・引用
  「明治土地収用法」による強制収用の初適用は、足尾古河鉱毒事件の谷中村だった。
そして、「一坪運動」もこの時初めて行われた。
【以上ウンチク】

砂川〜沖縄〜三里塚が有名だが、道路・鉄道など公共事業に反対するあらゆる運動の
中で行われてきた。

目的は、裁判・手続き等を煩雑にする、闘争資金を集めるなどがあるが、
最大の目的は運動の大衆的広がりを作ることにあると思う。

この点で、中核派の「土地の売り渡し」とか「金儲け」はバカバカしいとしても、
GO@あるみさん引用の、農民が反対した理由がよくわからない。

>現在の北原派反対同盟事務局次長の萩原進さんは昨年出版された
>「農地収奪を阻む」の中でも「しかも敷地内反対同盟がその方針
>に強く反対していたのに、強引に大地共有化委員会なるものをつ
>くった。重大な反対が同盟内にあるにもかかわらず、一方的に強
>行した。事実上の分裂の強行だ。」(p92)と記述し、「脱落派」
>と規定しております。

この本は、買わないとね。

さて、三里塚「一坪再共有化運動」、よく知らない(汗)。
80年には、インターを抜けていたし、三里塚にも遠ざかっていたので、伝聞やたまに見た
党派機関紙からの情報しかわからない。

まっぺんさんも当時の様子はよくわからないんじゃないの?
現役か当時を知る人じゃないと。
あとは、実際に共有者になっている人だね。

その当時の印象(確かな情報ではない)では、
「60年代から行われてきた一坪運動での所有者が三里塚から遠ざかっていることもあり(社会党総評構造のひとが多かった)、一部切くづされているので再共有化し(さらに別の土地も)、3.26開港阻止決戦の成果を全国に大衆的に広げるため」と提起されていたようにう。

誰のどこの土地が「一坪」になってるんだろう?

これに行けば、わかるのかな。
4・12三里塚・東峰現地行動〜2010年3月平行滑走路供用を許すな
!東峰住民の追い出しをやめろ!一坪共有地を堅持しよう!
http://solidarity.blog.shinobi.jp/Entry/452/
(一坪用地の調査をやるよう)

3.26の前年(?)、1977年の4,17集会には公称2万3千人(1万人は超えていたと思う)が結集した。
その広がりは、文字通り全戦線・全国住民運動を糾合するものであった。
部落解放同盟、障害者解放運動、水俣病を告発する会、動労千葉をはじめとする労働者が会社・当局・組合官僚の統制と闘って結集した。
横浜貨物線反対運動をはじめ全国各地の新幹線・道路反対などの住民運動も結集した。

3.26〜開港阻止決戦で切り開いた地平を打ち固めるために、このような全国陣形を
さらに強固に大衆的にするために、「一坪再共有化」はごく自然で普通の戦術だっ
た思うが。
 

やはり、84年の一連の襲撃は相当ひどかったんだね

 投稿者:鍋山  投稿日:2009年 3月 3日(火)19時58分0秒
返信・引用 編集済
  > No.5890[元記事へ]

認識不足でした
私はすでに組織にいなかったので、断片的な伝聞情報しかなかったので。

>4.しかし、大衆の見ているところ・いるところでは(三里塚集会等はのぞいて)そんなことはできなかった。
> 私の知っている公務員職場(インターが主流ではない)では、中核派活動家に対する襲撃糾弾会も開かれた。
 中核派活動家は、終始沈黙していたと聞いています。

と書いたが、公然と職場や自宅に押し掛けるようなこともあったんだね。
以下、かけはし派声明と関西三里塚連帯する会集会の模様から引用

■声明:革共同(中核派)再建協の自己批判は受け入れられない
http://www.jrcl.net/frame090223b.html

・一九八四年の一連の内ゲバ・テロを、八三年の五月仙台、七月大阪の三里塚大衆集会での暴力的介入へのわれわれの集会防衛行動、三里塚現地での反対同盟や青年行動隊などに対する昼夜問わない暴力的「説得活動」

・当時、中核派は、大衆集会に潜り込み、声を合わせてシュプレヒコールを行い、壇上に駆け上がって集会妨害を試みた。また、職場や学園におしかけてはビラをまくだけでなく、メンバーを呼び出して当局・管理職の前で暴行を加え、「死刑判決」を突きつけた。駅頭などでは、「おまえの職場、家は分かっているのだ」「次はおまえだ」と脅し、夜な夜な居宅に押しかけて近所迷惑をし、脅しの電話などあらゆる卑劣な行動をくり返した。
 その対象は、われわれのメンバーやシンパに止まらず、三里塚闘争に連帯する会に参加する他の党派のメンバーやノンセクトの人びと、彼らが熱田派と見なす人びとのところでも同じだった。それは、三里塚での反対同盟員や青行隊員にも行われた。

【関西では特に激しかったのかな】

■関西三里塚闘争旗開き
http://www.jrcl.net/frame090223c.html

・革共同(再建協)自己批判への批判
 第二部の旗開きでは、革共同(中核派)再建協議会の自己批判が出された直後ということもあって、参加者の発言はその問題に集中した。参加者の少なくない人が当時、中核派のメンバーによって職場や自宅に押しかけられ、恫喝され、暴力をふるわれる中で一坪共有地運動を担ってきた仲間であり、この自己批判書に厳しい評価を下したのは当然のことだった。
 発言者の多くが中核派からかけられた自らの内ゲバ体験を語り、中核派による内ゲバが第四インターにのみかけられたのではなく、運動全体にかけられたものであることに言及した。
 そして、この自己批判書にはそうした視点はおろか、こうした内ゲバ被害者に対する謝罪の言葉が一言もないことや、一坪共有化運動を脱落派の土地売り渡し運動とする従来の彼らの立場をいささかも変えていないことを指摘し、この文書が自己批判書にはなっていないとする発言があいついだ。
 

大丈夫みたい?

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 3月 2日(月)19時28分21秒
返信・引用
  ほっ! でも、一部見えないところもある、ってことですかね。  

倉賀野にあるまん喫からアクセス

 投稿者:よねざわいずみ  投稿日:2009年 3月 2日(月)05時22分41秒
返信・引用
  redmole.jp も、ついでに hakenmura.alt-server.org も asou.taose.jp も、問題なく閲覧できています。  

どうもありがとうございました

 投稿者:GO@あるみさん  投稿日:2009年 3月 1日(日)21時18分51秒
返信・引用
  まっぺんさん、草加さん、どうもありがとうございました。
お二人の書かれたことを良く読んで、これから考え、行動していきたいと思います。

それはそうと「レッドモール党」がネカフェで閲覧禁止ですか、許せんですね。
 

Re:国家と革命

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 3月 1日(日)20時58分6秒
返信・引用
  初めまして。(=^^=)/
読んでいただいてありがとうございます。そうですか。読みにくいですか。
了解しました。まだまだ技術的に稚拙なところがいっぱいあります。
改善して読みやすいように直します。ご指摘ありがとうございました。
ちょっと時間くださいね。
 

国家と革命

 投稿者:大衆ストライキ  投稿日:2009年 3月 1日(日)19時54分14秒
返信・引用
  はじめまして。大衆ストライキと申します。
http://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/kokkaku1.html
これですが、極めて読みにくいです。1章づつしか先に進めないので、目的の章に到達するのに時間がかかります。
表紙を設けて、そこから各章へのリンクを張るという形にしていただけないでしょうか。そうすれば目的の章へすぐ飛べますので便利です。
「国際革命文庫」も同じです。フレームなしで、表紙から各章へ飛べるようにしていただきたいです。
よろしくお願いします。
 

GO@あるみさんへのお返事のつづき

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 3月 1日(日)19時37分25秒
返信・引用
  さて、1番目の問題には答えたと思います。続いて2番目の問題について。

●もしも再共有化運動をやらなかったら

>先に引用した萩原さんの言葉を見るまでも無く、敷地内に強固に「この方針はやめて欲しい」という人達が居る中、「反対運動のために良かれ」と思って推進したとしても、それは「多数の横暴(再共有化がいいという同盟員が多数いたとしてもです)」であり、結局は同盟の分裂に繋がるのではなかったのか

これは「もしも」という仮定を前提にした設問ですね。反対同盟の分裂は一坪再共有化運動が「きっかけ」というか「原因」であったと思います。「だからそんな運動さえしなかったら分裂はおこらなかった」といって共有化運動推進派に運動破壊の責任を追及するべきでしょうか。私はそうは思いません。というのは、分裂の真の原因は「一坪再共有化運動をやったから」ということよりも、中核派がその運動を「土地の売り渡し」というデマゴギーによって徹底的に敵対・妨害を繰り返し、「共有化運動派=反革命」のレッテルを貼ったからだと思うのです。そのため、反対派農民も「どっちかの側につく」ことを迫られる事になったからではないでしょうか。「どちらの立場を選択するか」を「革命と反革命」とにまで極端に分断したのは中核派です。

●もしも中核派が妨害をしなかったら

だから「仮定」を基に考えるなら、「もしも中核派があのように激しく一坪再共有化運動に敵対しなかったら」という仮定をもとに考えるべきなんじゃないでしょうか。その場合、はたして反対同盟は一坪再共有化運動を巡って分裂までしただろうか? と思うんです。例え同盟の一部がこの運動に賛同しなかったとしても、その運動に賛成しない人も「自分はやらないけど、やりたい人はどうぞ」という段階に止まっていたのではないでしょうか。果たして「土地売り渡しだ!権力に加担する運動だ!」などと言ったでしょうか? 言わなかったんではないでしょうか。なぜならあの運動は、どう考えても同盟を分裂させるほど深刻な「敵対矛盾」を同盟内に持ち込むような運動ではないからです。沖縄でも「一坪反戦地主会」運動として現に進められている運動なんですから。それをここまで深刻な「敵対矛盾」にまで拡大した責任は中核派にあると私は思います。

●今後どうするのかが重要

以上はいずれも「仮定」のはなしです。すでにふたつの反対同盟が存在しているんですから、その存在をお互いに認め、それぞれ方針は違っていても、お互いに協力しあい助け合っていく事ではないでしょうか。もっとも、離れているあいだに、おたがいの目的などが大きく離れてしまったら、それも不可能かも知れません。しかしいずれにしてもお互いが近づくための努力は重要だと思います。その際、お互いの反対同盟同士の事には、支援者があまり関わるのはどうかと思います。すでに言ったように、主体は「反対同盟」なんですから。しかし客観的に見て、今のままでは中核派がそんな事を容認するようには思えません。反対同盟に対してさえ「革命派」と「反革命・脱落派」とを決めつけて敵対・妨害してきた党派ですからね。

●草加さんのレーニン主義について

最後に。草加さんがちょっと言ってくれていることですが、論としては正しいとぼくも思います。そのうえで、その論を現実の三里塚闘争にどう適用していくのか。そういう部分で、中核派はやはり反対同盟農民に対しても「革命か反革命か」の二者択一をせまり、去っていく者を罵倒してきたという歴史があります。これはレーニン主義の党としても失格ではないかと思うのです。極端なはなし、三里塚闘争の主体である農民が、もう運動をやめようと言うなら、それを強引に運動に連れ戻す権利は「革命党」だろうがなんだろうがありません。その土地に住み、そこでくらし、人生を歩んできた人たちにとって、運動の出発点は自分の生活をまもる事だったんじゃないでしょうか。農民たちは国家権力による凄まじい生活破壊に40年間よく耐え、闘ってきたと思います。運動の限界を突破できなかったとしたら、その責任を大衆に押しつけるのではなく党がみずからの限界として総括するべきだと思います。

●党がもつべき役割とはなにか

党が大衆に対してもつ役割ってなんでしょう。ひとつは運動とそれに対する弾圧の本質をとらえ、宣伝してゆく事です。それによって、運動に関わる人々は「敵は何か」がはっきり見えてくることでしょう。敵が見えてくれば闘い方も見えてきます。ふたつめには、そうして敵をはっきり認識することによって、味方同士を結束させる事ができることです。「敵」が同じならいっしょに闘えますから。そしてみっつめには、その闘いの本質をえぐりだせば、一地域の運動が、地域だけでおわらず、全国の運動に発展できる、という事です。こうして地方の小さな運動であろうとも、違いを超えていくつもの団体、何千人もの人々が一緒に闘えるし、それは同じ「敵」に向かって連帯する「同盟軍」を全国に組織することができるはずです。中核派は「敵」を間違え、また自分に従う大衆に対して「まちがった敵」を教えてきました。自己批判書ではその間違った敵を修正しようとしていません。ここが問題なんではないでしょうか。
 

我が党への組織弾圧を許さない!

 投稿者:まっぺん  投稿日:2009年 3月 1日(日)18時16分0秒
返信・引用
  えー、そうだったんですか。・・・ちっとも知らなかった。
去年、ちょっとヤボ用で、出かけたついでに
見たことあるんですが。全然別のネカフェ3軒くらいで。
その時は問題なく見ることができました。
弾圧は最近のことですかね。
権力は我が党をそんなに恐れてるのかぁぁあ・・・なんちって。

「自己批判声明」問題とかち合うかも知れないけど、
この問題、二次会でも三次会でもどちらでもいいです。
読者諸君におまかせ。必要なら適当にコピペしますが。
 

構造改革を再検証すべきです。

 投稿者:戦うアルニャ〜のん。  投稿日:2009年 3月 1日(日)15時16分10秒
返信・引用
  ■現状の世界金融危機、世界恐慌の裏側には、世界的な不動産バブル崩壊の爆弾(不祥事)が隠されていると考えます。

○【伝説の借金大魔王 千昌夫】
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8D%83%E6%98%8C%E5%A4%AB&oldid=24298484

■20年前の土地バブルでは不動産投資で破産した投資家が多数発生し、銀行も多量の不良債権を抱える事となった。

構造改革中は、東京、名古屋、大阪などの大都市部では、次々高層ビルが建てられて、まるで土地バブルの再現以上の状態でした。

今回の不況では千昌夫みたいな借金大魔王の噂話は聞かないが、構造改革では『失われた10年』なんて言って、20年前の土地バブルの再現を狙って不動産投資を積極的にしていた連中の中には、隠れ借金大魔王が相当数出ていてもおかしくないはずです。

当然、借金大魔王予備軍にお金を貸したり投資したりしていた銀行や投資会社も不良債権を多量に抱えつつある可能性がある。現在は粉飾決算に腐心しているでしょう…。


参考:【北海道拓殖銀行】
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%8B%93%E6%AE%96%E9%8A%80%E8%A1%8C&oldid=22521463

■構造改革中に、バブル的な投資に絡んだ銀行や投資会社の中には、現在、旧北海道拓殖銀行的にもがいている企業がいるのかも知れない…。


○《保有株買い取り20兆円に、企業の持つ銀行株も対象 政府与党》http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081218AT2C1800J18122008.html

○【Jリート:低迷、時価が純資産割りこむ「異常事態」…回復の兆しはみえず】 http://www.business-i.jp/news/flash-page/news/200902080002a.nwc

■案の定…。
銀行や既得権益投資家が馬鹿をする度に、国が補填をし続け、国の借金がまた増える。

その度に増税や低賃金就労を要求される失業貧困労働者は奴らの金儲けの仕方のいい加減さや図々しさに気付いて、うんざりして怒るべきだ。

■永遠と公的資金注入を要請するだらしない博打打ちのメガバンク。
土地バブルの箱もの投資の呪いから永遠と脱け出せない投資下手のメガバンク。
預金者への預金金利の還元が最低でありながら、高利貸しをする渋ちんバンク。
ゴールドマンサックス等の投資銀行に憧れて、ベアスターンズやリーマンブラザーズの後追いをしそうな政財界直下の資産家御用達拝金銀行。

ここ20年くらい、建設不動産投資資産家とメガバンクのせいで、全国民が苦しんでいるといっても過言ではない。(何故なら赤字国債発行量はアジア、ロシア通貨危機以来高止まりにもかかわらず地方交付税は削減。赤字国債のほとんどは銀行の損失補填に消え続けていると言って過言ではないのでは。)
建設不動産投資家や資産家は早く破綻すればいい。彼らの為に国民労働者達が巻き添えを食らい続けるいわれはない。

財政赤字の為に地方交付税や社会福祉予算のカットをされなければならないいわれは無いし、投資家、資産家、銀行は自分達が作った損失の補填の為に大企業に高利貸し的にたかり、大企業は銀行や投資家からの借入れや配当の金利を輩出する為に労働者に低賃金就労を強いるが、そんな銀行や資産家や投資家がバブルで作った負債の補填をしてやらなければならないいわれは労働者側にはないはずだ。

建設不動産の資産価値は下落させて当然だし、銀行も損を計上するべきだ。
投資家も資産家もちゃんと破産すべきだ。
たいして芸術性も無い様な、下らない都心の高層億ション一つの建設にかかる費用や運営費(借入れ金、土地購入費、借地代、建設費、転売経費、運用費等で動く莫大なお金)で、いったい幾つ田舎の公立学校や診療所の建設や運営費が賄えることやら…。
とにかく都心に一般人が購入不能なくらいの程経費のかかる建物を乱立させる事は、国内のお金を都心一点に集め過ぎてしまう弊害以外にも、お金の運用に莫大な経費がかかり非効率で無駄である。

そのくらいなら、地方交付税に回した方がよい。地方交付税を出しても投資経済効果はないが、田舎の社会維持という経済効果がちゃんとあり意味があると考えます。


−−−−−−−−−−−−−−

■政局だなんて言って政治を自分達の玩具にしている政治家、マスコミは職務怠慢で全員刑務所に入れるべきだ。

もし日本に『政局』があるとしたら、構造改革路線について考え、日本の舵取りをどうするかについてだけです。まずはそこから検証、議論しなければ話しにならない。

アメリカの金融投資バブルは崩壊したに等しい。ブッシュ大統領のレッセフェール路線からオバマ政権に変わり国の政策を大幅に変えてくるだろう。
そんな中で、未だにブッシュ路線とコピーくらいの小泉構造改革を問題提起もせずに同じ路線を継承し引きづり続けるのか…?

何も問題提起もせずに国会を連日開いて『政局』を語り改革を進める政治家連中に呆れます。

政府はブッシュ政権と二人三脚で構造改革によって経済、社会のグローバル化を推進し『小さな政府(減税、公共事業削減)』『規制緩和、自由競争、市場原理主義』『企業、金融、投資主体社会、偏重経済』への改革を進めてきました。

日本の構造改革はイギリスに似せたものと言う人達もいますが、アメリカとの年次改革要望書に基づいた規制緩和、自由化、市場開放の改革に過ぎなかったでしょう。

しかし、どのみち投資金融バブルのせいでイギリスもアメリカも多大な被害を受けて投資金融業界は壊滅状態です。
日本のメガバンクも不動産金融投資に手を出していたらイギリスやアメリカの銀行と同じ憂き目にあったでしょう。ただし、日本の不動産業界も既に幾つも潰れており、メガバンクが其処に融資、投資していたとしたらおそらく以前のバブル以上の隠れた損失を抱えてしまっている可能性があります。

とにかく今回のグローバル金融投資バブルの再検証を一度してみるべきです。
 

Re: ネットカフェで閲覧できないレッドモール党

 投稿者:草加耕助  投稿日:2009年 3月 1日(日)12時55分52秒
返信・引用
  > No.5953[元記事へ]

ちくさんへのお返事です。

> 先日、漫画喫茶「ゲラゲラ」でこのレッドモール党を閲覧しようとしたところ、「有害
> サイト」を遮断する「フィルター」によって、閲覧できないことを知りました。

実は私も気がついていました。京都と大阪でもそうでした。広島ではまだ試していないけど。つーか、地域ではなくチェーンの問題なのか?そのあたりを特定したいな。

> 遮断されている理由は、「カルト、テロリズム」に抵触するとのことです。時間がな
> かったのであまりチェックできなかったのですが、左翼党派本体のホームページ
> ([かけはし]と[前進]だけですが)と趣味者系?の[旗旗]は閲覧できました。

なんでレッドモールには検閲かけといて旗旗はOKなんだ?
旗旗をなめんなよ! (−−怒)

まあ、旗旗まで検閲されたら、ネカフェで更新作業できなくて困るけど。
四トロ掲示板は現在でも閲覧・投稿できなくてホント困るし。
だいたいなんで趣味者系でも最も強くテロリズムに反対しているレッドモールだけが「カルト、テロリズム」で検閲されてるんだ?このフィルターは絶対におかしい。

> こんなことは許せませんね。早速、実態を調査して、必要な抗議が必要でしょう。

同意です。
この話題は三次会で続けたほうがいいかな?
判断はまっぺんさんにまかせるけど。

http://bund.jp/

 

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