モンテンルパ

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高校時代、受験勉強の合間に気分転換に軍歌を聴いた。たまたま軍歌のカセットテープがあったからである。一番好きだったのはなぜか、「戦友の遺骨を抱いて」。あとは、「加藤隼戦闘隊」、「ラバウル航空隊」、「東海行進曲」などである。

あとは、渡辺はま子が歌っていた一連の歌である。軍歌ではないけれども、「蘇州夜曲」、「サンフランシスコのチャイナタウン」など。

でも、一番好きということはないが、一番印象に残っているのが、渡辺はま子が歌っていた、「ああモンテンルパの夜は更けて」で、理由はよく分からないが、フィリピンで戦死した、会ったこともない母方の祖父への微かな思いのせいなのだろうか。

最近新聞を見るともなく見ていると、どうってことないと思われる人の死亡記事が載っていた。陸軍大尉だった伊藤正康さんで、86歳で死去とある。それがどうしたと見ていると、「ああモンテンルパの夜は更けて」の作曲者とあるので、興味がわいてきた。すると、服部良一のようなプロの作曲家かと思って読み進めると、「死刑囚だからできた」とある。

死刑囚だからできた? どういうことだ、何か犯罪を犯したのか、と読み進めると、モンテンルパ収容所のBC級戦犯の死刑囚だったという。

私の勝手な理解では、モンテンルパ収容所で死刑判決を受けると、速やかに死刑になったと思っていた、そうか特赦されたのか、とドフトエフスキーの場合のことが思い出された。すなわち、ドフトエフスキーは、空想的社会主義サークルのサークル員となったため、1849年に官憲に逮捕される。そして、死刑判決を受けたが、銃殺刑執行直前に皇帝からの特赦が与えられて助かった。ゆえに、ドフトエフスキーと伊藤正康さんは、死刑を待つ囚人の気持ちが真に分かるという点で共通している。

伊藤正康さんは言った、「あれは死刑囚だったから生まれた曲。(生きることを)あきらめていたからできた」と。

裁判資料によると、伊藤正康さんは、住民約70人の殺害を命じ、一部は直接手を下したともされた。「現場に行ったこともない」との主張は退けられ、48年1月に絞首刑を宣告される。実際、こういう裁判で、本当にdue processで裁判が進めれたことはほとんどなかったのではないか。

以下、引用:

同年中に3人、そして51年1月には14人が一晩で処刑された。無罪を確信していた仲間が処刑された悔しさが募り、判決の順番とは無関係に行われる処刑への恐怖が高まった。

51年9月に調印されたサンフランシスコ講和条約。戦争終結の条約なのに、モンテンルパに残る戦犯の処遇に関する記述はなかった。歌作りは「早期釈放を世論に訴えよう」という、派遣された日本人僧侶の発案だった。

作詞は、死刑囚の代田銀太郎さん(06年に92歳で死去)。刑務所内で何度か童謡を作ったコンビだ。伊藤さんは作曲を買って出た。死刑囚の手で歌を完成させたかった。

休憩時間に廊下のオルガンに向かい、詞を口ずさみ、片手で鍵盤をたたいた。部屋で五線譜に音符を走らせる。故郷や家族を思う詞に、出身地である愛知県の知多半島の山々や田畑を重ね合わせた。

刑務所内での発表会は、条約発効の52年4月28日。伊藤さんはオルガンを弾きながら「ドラ声で」歌った。楽譜は日本に送られ、レコード化される。

伊藤さんは、特赦を受け、残る仲間とともに53年7月に帰国した。ただ、ここからの歩みは、どうなのか。すなわち、

戦前に陸軍士官学校を優秀な成績で終えた誇りがあった。54年に発足したばかりの自衛隊へ。ドイツ留学や人事担当の部長、師団長などエリート街道を進み、富士学校長を最後に79年に退官した。
という。

こういうのを聞くと、二度と軍隊に関わりたがらなかった井上成美などとの対比が気になるところである。井上成美は、元海軍大臣の嶋田繁太郎が自衛隊の行事に列席したと聞いて激怒した。ただ、A級戦犯にも該当しえる嶋田繁太郎と、無実の伊藤さんとを同列に扱うことはできない。

私のような戦争を知らない世代がとやかく言うことでもあるまい、と思うのだが、モンテンルパで刑死した遺族の方は、伊藤さんのことをどう思っただろう、というのは少し気になるところではある。

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コメント(2)

私も軍歌は好きです。蘇州夜曲もいいですね。モンテンルパは歌が特赦を生んだのですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ああモンテンルパの夜は更けて

ISSEIさん

> モンテンルパは歌が特赦を生んだのですね。

刑死された人の遺族は複雑な気持ちかも。助かった人がいるというのは。

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このページは、あやたろうが2009年7月15日 06:53に書いたブログ記事です。

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