2006年11月20日

【沖縄知事選、仲井真弘多氏が初当選 糸数氏ら破る】

これは本当に残念だなあ・・・でも糸数慶子さんは参議院の議員なんだからそちらの方で頑張って欲しい。じゃなくて「沖縄県知事選への立候補に伴い、公職選挙法に基づき糸数慶子参院議員が自動失職となった」んだって(ここを見た)そりゃそうか。結果論だが残念。しかしこれからも沖縄のために活動して欲しい。

沖縄知事選、仲井真弘多氏が初当選 糸数氏ら破る
2006年11月20日00時02分
 沖縄県知事選が19日、投開票され、自民と公明が擁立した前県商工会議所連合会長、仲井真弘多(なかいま・ひろかず)氏(67)が、民主や共産、社民などが推した糸数慶子(いとかず・けいこ)氏(59)らを破り、初当選した。焦点の米軍普天間飛行場移設問題で、仲井真氏は名護市辺野古崎にV字形滑走路を造る政府案に「現行のままでは賛成できない」としながらも、県内移設は容認する姿勢を示しており、移設に向けた政府と県の協議のパイプは当面保たれそうだ。

 稲嶺恵一知事の任期が12月9日に満了するのに伴う選挙。

 仲井真氏は当選が決まったあと、普天間問題について、政府がV字形案を沖縄の頭越しに決めたことに抗議するとしたうえで、「現行のV字形案は認められないと言ってきた。協議会に参加し、政府とよく協議したい。ストンと胸に落ちる答えを探りたい」と述べた。普天間の危険性の除去を日米両政府に要請するとも語った。

 選挙戦で仲井真氏は、こうした公約を掲げる一方、V字形案の問題点や政府に求める修正内容は明示してこなかった。

 基地問題より経済振興を前面に掲げた。約8%に上る失業率の半減や1000万人の観光客誘致を公約。身近な問題への有権者の関心を背景に、得票を伸ばした。

 糸数氏は普天間の国外移設を主張。共産、社民、沖縄社会大衆各党から、民主や保守系議員の多い地域政党そうぞうまで幅広い政党の支援を受けた。だが候補擁立の過程で各党の意見が食い違い、しこりが残った。

 県選管によると、当日有権者数は103万6743人で、投票率は64.54%。過去最低だった前回02年の57.22%を上回った。

     ◇

 確定得票は次のとおり。

仲井真弘多氏 347303

糸数慶子氏 309985

屋良朝助氏 6220

落選の糸数氏「票を結集」手ごたえも 沖縄知事選
2006年11月20日01時32分
 「これだけの票を結集できたのは、新しい基地を造らせないという県民の思いがあったから」

 糸数氏は硬い表情で敗戦の弁を述べると、那覇市郊外のホールに集まった支持者らに頭を下げた。県民が経済振興を選択した結果か、という問いには「重く受け止めたいが、経済も基地も同時に取り組んでいかないといけない」と答えた。

 参院議員の任期が4年残り、今回の立候補は固辞し続けた。だが、野党側が候補者を一本化できずに惨敗した4年前と同じ状況になりつつあるのを見て、決意した。

 沖縄本島中部の読谷(よみたん)村生まれ。高校3年の時、近所の少女がパラシュートで降下した米軍の大型車の下敷きになって亡くなり、基地を意識した。

 高校を卒業してバスガイドに。「多くの人が、お国のために命を落としました」。沖縄戦を美談に仕立てて語るのが当時のスタイルだった。

 30年ほど前、母の三回忌の席で親類から沖縄戦の話を聞かされた。母は山中を逃げまどいながら、2人の子どもを飢えで亡くした。自分の兄と姉だ。母は遺体に何日も語りかけていたという。

 同じころ、生き残ったひめゆり学徒隊の一人から「あなたのガイドは真実と違う」と指摘された。沖縄戦を学び、「平和ガイド」の草分けに。「戦争につながるすべてのものに反対」が信条だ。04年の参院選では「自公」候補に圧勝した。

 戦いを終え、「仲井真さんは(基地反対の)私たちの声を県政に採り入れてほしい」と訴えた。そして、孫を抱きかかえて会場から姿を消した。夫の隆さんは「これで終わったわけじゃないが、今は少し休んでもらいたい」と、妻の健康を気遣った。

posted by 鷹嘴 at 14:10| Comment(1) | TrackBack(0) | 政治ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
残念な結果ですね。
でも、多数のサイレントマジョリティを考慮にいれて
当選ということにしましょう。

めでたしめでたし。
Posted by 哀哭芯 at 2006年11月20日 15:57
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