「新常用漢字表(仮称)」に関する試案が、16日の文化審議会国語分科会の漢字小委員会で明らかになった。漢字が「書く」ものから「打つ」ものになりつつある情報化時代への対応をめざす、平成の漢字表の世界を紹介する。
■情報機器の普及で制限緩和
「……目があつても瞳なく、瞼(まぶた)もなければ眉もない。鼻があつても頬(ほお)がない。舌があつても唇がなく、額があつても顎(あご)がない。……」
漢字制限に反対した洋画家の林武が、「当用漢字ないないづくし」という歌(竹内輝芳作)を著書(71年)で紹介している。当用漢字表で日常的な漢字がもれているのを、痛烈に皮肉ったものだ。
林が試案を見たら、ほんの少し首肯するかもしれない。「瞳」や「頬」「顎」が入り、岡山の「岡」さえなくて「これで果(はた)して教育できるのか」と憤った都道府県名も、すべて常用漢字で書けるから。
漢字を教育や文化、社会生活の発展を妨げるものとして、制限すべきだとする主張は、幕末までさかのぼれる。敗戦後、同様の声が高まり、当用漢字表(46年)は「漢字の制限」をうたった。
その後、「漢字使用の目安」とされた常用漢字表(81年)を経て、10年秋に内閣告示をめざす新常用漢字表へと、漢字制限を緩和する流れは強まっている。今回、「怪しい」と「妖(あや)しい」、「恐れる」と「畏(おそ)れる」、「作る」「造る」と「創(つく)る」といった使い分けができるようになるのも、その表れだろう。
■日常生活を重視
試案では新常用漢字表は2131字。05年秋から審議する小委員会では、情報機器が普及して多くの漢字が扱えるのに対応して、常用漢字をもっと増やすことも検討した時期があった。総字数がかなり多くなった場合、常用漢字と別に準常用漢字、つまり、必ずしも手書きできなくても、情報機器を利用して書ければよい漢字を設けることも視野に入れていた。
準常用漢字とは、戦時中に国語審議会(国語分科会の前身)が答申した標準漢字表(2528字)に出てくる名称だ。この漢字表は(1)常用漢字(2)準常用漢字(3)特別漢字という構成だったが、反対があって3分類はやめた。
小委員会は結局、なるべく単純明快な漢字表をめざすことにした。「総字数が3000になったりしたら、学校教育への影響が心配だ」「今でもどれが常用漢字なのかわかりにくいのに、二つに分けたら国民が混乱する」。そんな声が強かったからだ。
追加予定の191字の中で、手書きできない漢字の代名詞のような「鬱(うつ)」などの選定には、準常用漢字的な発想がうかがえる。
現行の常用漢字の音訓の見直しも、私たちの生活にとって重要だ。追加されるのは「育(はぐく)む」「応(こた)える」「関(かか)わる」「旬(しゅん)」「要(かなめ)」など32例。削除される「疲(つか)らす」は漱石の「吾輩(わがはい)は猫である」に登場するような古い言葉だった。
「私」の訓「わたくし」に「わたし」が追加されるのは意外だった。「わたし」の方が実際にはよく使われているから。二つの訓の入れ替えも検討されたが、現状では難しく、併記することにした。
「世界中」とか「町中」と言う時の「中」の音「ジュウ」は、実は常用漢字表になかったので追加される。
「十」の音も「ジュウ」と「ジッ」だけで、「ジュッ」はなかった。常用漢字表の約束事だけに従えば、「十回」は「ジュッカイ」とは読めないわけだ。新常用漢字表では「ジュッ」という音も認めることを備考欄に注記する。
当用漢字(1850字)の音訓3122(音2006・訓1116)、常用漢字(1945字)の音訓4087(音2187・訓1900)に対して、新常用漢字の音訓は現時点で4385(音2352・訓2033)になる。
常用漢字表は告示以来28年間、改定されていない。試案では、見直しが遅れたことの反省などから、今後、漢字表を定期的に見直して、必要があれば改定する、と明記している点も見逃せない。
■「広場の言葉」へ
新しい漢字表の名称について小委員会ではまだ具体的な議論はない。昨年5月から追加字種、音訓、最も厄介な字体の審議が続き、余裕はなかった。漢字の専門家によるワーキンググループ内では「標準漢字表」「通用漢字表」といった名称が挙がっている。
当用漢字表の「当用」には「さしあたって用いる」という意味合いがある。漢字節減論の立場で今後さらに漢字を減らすのだ、という意思が感じられる。一方、常用漢字表の「常用」はあいまいだ。日常性をうたいながら実際には、追加される「頃」や「誰」のような字が入っていなかった。
小委員会では、新漢字表の基本的な性格を表現するのに「広場の言葉」がよく使われている。みんながわかる漢字の集合。共通して使える漢字の土俵。そんなニュアンスが伝わる名称を期待したい。(編集委員・白石明彦)