きまぐれな日々

読売新聞のサイトから。

米国の健康食品会社が米国政府に損害賠償を求めた訴訟の嘱託尋問で、読売新聞記者が取材源に関する証言を拒絶したことの当否が争われた裁判で、東京高裁は14日、取材源を明かすよう命じた東京地裁決定を取り消し、証言拒絶を全面的に認める決定を出した。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060614it03.htm

ほっとした気持ちだ。

例によって、読売の記事を引きながら、適当に改変して書くが、今年3月に、藤下健裁判官が、取材源が公務員の場合について、「守秘義務に違反したことが疑われるような取材源について証言拒絶を認めれば、犯罪行為の隠蔽になる」として、取材源の秘匿を認めなかった、との決定を下したと知って、暗澹たる気持ちになったものだ。この馬鹿げた決定がくつがえされて、本当に良かった。

それにしたって、ニュース・ソースを秘匿する権利なんて、ジャーナリズム論のイロハではないだろうか。
私は理系の人間だが、その私でさえその程度のことは知っている。こんなことは常識だ。
しかし、その「常識」さえ簡単に覆す、目を疑うような決定を、この藤下とかいう基地外裁判官は下したのだ。
なんで、こんな男に裁判官が務まるのだろうか。
もちろん、この決定が出た時、読売新聞は猛反発した。この東京地裁の基地外決定を非難する社説を掲載し、第三社会面でも大きなスペースを割いて詳しく論じた。
ジャーナリズムとして、当然の行動だろう。

しかし、当時、他のジャーナリズムは、この件に対してきわめて冷淡だったのだ。「ひとごと」扱いで、ジャーナリズム全体の問題ととらえる視点が全く見られなかった。

かつて、「西山事件」で「知る権利」についての大キャンペーンを張りながら、権力による問題のすり替えの前に敗れ去った毎日新聞さえ、鈍い論調の記事しか載せなかった。朝日新聞に至っては、我関せずに徹していた。このところ、当ブログはしょっちゅう朝日新聞を罵倒しているが、朝日新聞の堕落は、目を覆いたくなるほどひどい。

東京高裁の当然の決定で、裁判所にも少しは良心が残っていたのだな、とは思うが、マスコミには良心などほとんど残っていないのではないか。

良心のあるメディアだったら、「安倍晋三の統一協会への祝電打電問題」を取り上げるだろう。

果たして、どのメディアに良心が残っていて、どのメディアが腐敗し切っているのか。大いに注視していきたい。

(追記)
読売新聞は、6月15日付で「おかしな地裁決定が覆った」と題する社説を掲載したが、朝日、毎日はスルーした。安倍晋三の祝電問題を黙殺し、自己報道規制を敷いているようなメディアだから予想はしていたが、やはり失望させられる。












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