コラム
中澤佑二、2度目の夢をつかんだ気高い“反骨”
5月27日 9時27分配信
小林智明(インサイド)(ISM)
2大会連続の出場となる中澤。4年間で日本代表の“顔”に成長、ドイツ大会の雪辱を果たしたい 【Photo:Getty Images】
5月10日14時。ワールドカップ(W杯)日本代表のメンバー発表が行われた。その直後の同17分、中澤佑二は自身のブログを更新。選出された喜びを早々とファンに報告している。
当日の会見では記者から「これを聴くと気持ちが高まる曲はなんですか?」という質問が飛び、即座に「安室奈美恵さんの曲です!」。いまや日本代表のキャプテンを務める重鎮とは思えないテンションの上げようで、会見場を和ませている。
中澤にとってW杯は特別なもの。けれど、少年時代からその夢を抱いていたわけではない。友達に誘われ、小学6年からサッカーを始めたけれど、当時は「義務でやっていた」。ミスをすれば怒られ、試合に負ければ罰走が待っていたからだ。監督のあまりの怖さに「辞める」とも言い出せない。
中学時代も同じような状況が続き、本気でサッカーを辞めようと考えていたことも。だが、父親に「男が一度始めたことは最後までやれ」と諭されて思いとどまる。また、中学3年の時にJリーグが開幕。これが大きな転機となり、プロを目指すことを決意する。しかしながら当時の彼は、3校しかない地域の選抜チームにすら入れないレベルだった。エリートコースからは完全に逸脱していたのである。
高校入学時の身長は170センチ弱。それが牛乳を毎日2リットル飲んだ影響もあったのか急成長を遂げ、3年時には185センチに。実力的にも伸長した。「プロになりたい。そのために全国高校選手権に出る」という一心で黙々と練習に励み、最終学年には主将に就く。とはいえ母校の三郷工高は、埼玉県内で16強を争う程度の無名校。最後の高校選手権への挑戦も、県の1次予選で敗れた。
それでも中澤はプロ入りをあきらめない。なぜなら、この年に2002年W杯の開催地が日本と韓国に決まったからだ。それを知った中澤は「そこに出場することを目指す」。この時に初めて、W杯出場が大きな夢となった。
「夢」を持つことは誰にでもできる。中澤がすごいのは「夢」を漠然としたものにせず、「目標」としてとらえたこと。「2002年から逆算して、そこまでに何をすべきかを考えた。1996年にブラジルに留学。何年にJリーガーになり、何年までに日本代表入りする……。そんな将来のスケジュールを書き出した」
自らのタイムスケジュールと向き合い、「夢」への挑戦が始まる。
高校卒業後、1996年の春にブラジルへと渡り、武者修行を敢行。1年後に帰国すると、サクセスストーリーの階段を一気に駆け上がる。ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の練習生からスタート。午前はトップチーム、午後は若手主体、夜はユースとそれぞれの練習に参加し、まさに「サッカー漬け」の毎日を過ごす。しかも、埼玉から片道2時間かけて通いながら。
1999年に念願かないプロ契約を果たすとその年の新人王を獲得し、日本代表デビューも果たした。2000年にはシドニー五輪に出場。当時、U-23日本代表を率いたトルシエ監督は中澤のことを「前向きな選手。将来への大きな可能性を秘めている」と評している。
ところが、だ。「夢」は、あと一歩のところで成就ならず。トルシエは中澤を2002年日韓W杯の日本代表には選ばなかった。中澤はこの年、横浜F・マリノスに移籍したが、力を100%出し切れずにいたのが理由だ。
中澤を再生させたのは、岡田武史監督その人。2003年から横浜FMの指揮を執った岡田監督は、彼にこんな言葉を投げかける。「ヘタでもいいから積極的なミスをしてくれ。そうすれば、いずれうまくなるんだから」。これがきっかけとなり覚醒した。「“積極的”がおれの身上」と思い起こし、再び階段を昇り始める。2003、04年シーズンはJリーグ連覇に貢献し、04年にはJリーグMVPを受賞。日本代表でも、ジーコ監督から不動のセンターバックとして厚い信頼を得た。04年アジアカップも制し、「アジアでは特にすごいと感じるFWはいないと思う。世界基準で考えたら、アジアレベルで驚いている場合ではない」と、頼もしさも増した。そして、ついに「夢」がかなう――。
06年ドイツW杯。そこには厳しい現実が待っていた。中澤の想像を超えるほどの……。特に1-4で完敗した6月22日のブラジル戦では衝撃を受けた。中澤はFWロナウドと対峙していたが、わずかに空いたシュートコースを突かれ、ミドルを決められる。
「ブラジルはけた外れの強さだった。これまでの10年間の努力が、全然通用しなかった」
世界とのレベルの差を痛感したショックは、あまりにも大きかったという。帰国後、ひざと腰に慢性的な痛みを抱えていた影響もあり、サッカーを続けることを優先し、自ら代表から身を引くことを決意。しかしながら、どうにも気分が晴れない。半年ほど悶々とした日々が流れた。
そんな時、街で偶然見かけ、中澤から声をかけて知り合ったのが、日本バスケットボール界のパイオニア、田臥勇太(現リンク栃木ブレックス)。彼との出会いが、中澤に化学反応を起こした。田臥のNBAへの挑戦を続け、日本のバスケを変革したいという思いを聞き、ようやく目が覚める。「恵まれた環境の中にいるおれは何をやっているんだ。挑戦しなければ」と。
あのブラジル戦から275日、07年3月24日の親善試合ペルー戦で代表に帰還。試合前、ロッカーにある青いユニホームを見て、再びそれを着て戦えることの幸せを感じたそうだ。キックオフ直前には、左胸に右手を添え、10秒間ほど瞑想(めいそう)していた姿が印象深い。2-0で勝利した試合後には「自分にとって非常に貴重なゲームになった」とコメント。中澤に笑顔が戻った。
それ以後は、安定感あふれる守備で日本代表の揺るぎない大黒柱に。実力、人気ともに岡田ジャパンの「顔」と言える存在にまでなった。
しかし、09年9月5日にその「顔」を久々に強烈なパンチが襲う。欧州遠征でオランダと対戦した日本は0-3で完敗。中澤自身も失点シーンに絡んでいる。後半28分、敵の素早いパス交換からMFスナイデルがペナルティーエリア手前でボールを受ける。中澤は彼の動きにしっかり対応したかに見えたが、ぬかるんだピッチに左足を滑らせ、体がぐらつく。その刹那、スナイデルは右足を振り抜きゴール。だが、中澤はネガティブにならず、「自分たちの力を練習で上げていければいい」と前を向く。
帰国後すぐ、マリノスタウンの砂場でダッシュや反復横跳びを繰り返す彼の姿があった。滑りやすいピッチでもバランスを崩さないようにと、体幹を鍛えるトレーニングを実践していたのだ。さらに、思い立ったが吉日。フィーリングが大事なスパイクを6年ぶりに新調する。滑りにくい最新モデルを履くことにした。
目標に向かって愚直なまでに突き進む姿勢は、プロを目指していた時代から何ら変わらない。そういえば、昨年1月に仕事で、好きな言葉を色紙に書いてもらったことがある。彼は勢いよくペンを走らせ、こう書いた。
「できる、できないじゃない。やるか、やらないかだ!!」
迎えたW杯イヤー。中澤は今シーズンここまでリーグ戦、ヤマザキナビスコカップともに全試合フルタイム出場している。特に3月23日からの過密日程では、日本代表のセルビア戦をはじめ7連戦をこなし、練習を含めて26日間無休だった。見ているこちらが心配になるほどの働きぶりである。その最終日。4月17日のモンテディオ山形戦後に記者から、「明日は久しぶりに休みですね?」と振られると、事もなげに「いや、明日も走りますよ。何かやっていないと不安なんで」と笑った。
中澤佑二、32歳。2度目の「夢」舞台に向かい、真っすぐに走り続ける。
<了>
中澤佑二
Yuji NAKAZAWA [横浜 F・マリノス] DF
1978年2月25日生 187cm/78kg
・前所属チーム:三郷工高-FCアメリカ/ブラジル-東京ヴェルディ1969
・Jリーグ初出場:1999/03/13 1999Jリーグ ディビジョン1 1stステージ 第2節 V川崎(vsC大阪@等々力)
・Jリーグ初得点:1999/04/10 1999Jリーグ ディビジョン1 1stステージ 第6節 V川崎(vs名古屋@等々力)
小林智明(インサイド)(こばやしともあき) 東京生まれ、埼玉育ち。1986年メキシコW杯をテレビで観て、サッカーに魅せられる。初のスタンド観戦は釜本邦茂氏引退試合。マラドーナ、都並敏史氏にあこがれ、小中高とサッカーを続ける。高校時代は選手権・埼玉県予選決勝に進出するも敗退(ベンチ入りならず……)。その後、記者を志して日本ジャーナリスト専門学校を卒業。スポーツライターのアシスタント、情報誌の編集プロダクション勤務を経て、2006年からフリーランスに。2008年より(株)インサイドと契約、横浜F・マリノスのオフィシャル媒体、Jリーグ公認ファンサイト「J's GOAL」に執筆。著書に『スポーツまるかじり事典』(ひかり出版) |
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