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そーいや「noiz」って「氏」(うじ)つけると変だよな?

 投稿者:noiz  投稿日:2008年 6月24日(火)03時04分42秒
返信・引用
  かつて「いずみ一派」とどこかでいわれたことがあるような… それはともかく、

「被差別部落差別を否定していないという恐るべき前提」というのは、「特殊部落」という表記を括弧つきであれ使う新宿の女さんの書き方に対応してんじゃないすかね。それにポイントは固有名としての戸籍上の表記についての評価ではなく、「氏」をつけるところなのでは…?

しかし「固有名+氏」の場合の「氏」が、「名前の最後につける敬称」となってきたのって、いつごろからなんですかね?

で、あえてオカマっていってんなら、確かに新宿の女さん、ちとハラグロですね。第三波フェミニズム云々ってことをひっぱってくるくらいなら、そーいうこというなよって思うんですけど、あえてする挑発なのかなこれ。

それに、「女性、男性」と書かれないべきということの補足として、LGBT/LGBTI認識の「国際的な空気ぶり」についても先にふれられてるわけでしょ。「女性、男性」表記批判が、この認識を踏まえる書き方をもって対置するということであるのなら(それはよねざわいずみさんに聞かないと分かりませんが)、綱領改訂における「個の存立」議論と対立するものでもないと思うのですが、いかが。

じゃあどう書きゃいいんだよ!という場合には、一つの「差し当たり」としては「n性」でいんじゃね?という。とか「女性、男性、そのどれでもない性」とか。丁寧に書こうとするとどうも長たらしくなってめんどくせーなーという思いを持つ人もいるかもしれませんけどね。でも、セクシャルアイデンティティをあえて規定したくないという人としての潮流もあるわけだから、それは「歴史的に構成されてきた社会的関係に規定されるアイデンティファイ」の尊重ということで。

よねざわさんが指摘されてることって、芸風問題で片付けてすむことじゃないと思うんですよね。
 

Re: 米澤氏に答える

 投稿者:よねざわいずみ  投稿日:2008年 6月24日(火)02時55分40秒
返信・引用
  > No.5484[元記事へ]

他者の発言をまともに読まずに自らの結論ありきで一方的主張をするというのはまったく議論以前の態度ですな。

> 米澤氏は、戸籍上の表記で呼ばれること自体を「被差別部落差別を否定していないと
> いう恐るべき前提」と定義づけている。つまりいずみちゃんとでも呼べば、差別問題は
> 表層化しないというのか(笑)

…だれが戸籍上の表記で呼ぶことを問題にしてます!?!?(驚)
この人、相手の発言を読むことすらしてないんですね。本気でびっくり。

まぁこの話は私も無自覚で、たとえば「キツネ目のスパイ宮崎学」(社会批評社)では私も使ってますよねこの呼称。で、共著の津村洋さんは全員をさんづけで書いていて、「なんでだ?」とそのときは私もわからかったのです。で別の機会(確か反住基ネットの枠の会議)で署名用紙の表記をめぐって平和フォーラムのIさんから指摘があってはじめて理解できたことなんで、さも当然の如く言えた立場でもないのですが。

> もはや裸の王様ならぬ、裸のオカマぶりには唖然とさせられるがこの構造は、戸田氏と
> 極めて類似している。戸籍上の表記の一点をもって、他者を批判するという異常性は、
> 自己顕示欲の高さを指し示しているだけである。

そもそも前提が成り立っていませんけど、もしそうだとしても、相手の言い回し(まさに言い回し)を否定することが「自己顕示欲の高さ」を示すこととつながる論拠は、まったく明確でない。
この論理で言えば、昨今行われてきたいわゆる「差別糾弾」の多くは「自己顕示欲の高さを指し示しているだけ」であるということになります。「糾弾」を批判している側すら主張したことがないような、少なくともこの掲示板では自明でもなんでもない「独自の論理」を一方的に展開されても、説得力はまるでありません。

ところで「オカマ」などと勝手に使ってますが、これどういう意味ですかね?(たぶん単にこの後述べるレベルの話だと思いますが)

> そして『「当事者にしかわからないことがある」からというきわめて合理的理由』という
> 氏の発言こそが論証がなされていないのである。

「当事者にしかわからないことがある」のでその当事者が主張をする。
これをこれ以上どうくだけばよいのか…苦笑
もちろん、「当事者にしかわからないことなんかない」という特定の社会観はあり得るでしょうし、「当事者の主張に誤りがあることだって多い」というのは事実です。しかしそれは「当事者が主張をすること」が「合理的でない」という根拠にはどう考えてもならないでしょう。「当事者の言うとおりにしろ」などとは言っていませんし。

> 1980年代における「フェミニズムの第三
> の波」が要求した「差異の政治」という問題意識は、社会構造は所与のものではなく、
> 歴史的に構成されたものであり、対立や抵抗の水準変化に応じて、構造化の強度や一貫性
> が変化し、それゆえ個人の自己投企、すなわち積極的なアイデンティフィケーションの様相
> も社会的関係に規定されるというものである。

この人は私が第三波フェミ(あんまり「普通」って言いたくないけどフェミでは「の」をつけない言い方が普通かと思ってましたが)を知らないと思っているんですかね…
というかそもそもトランスジェンダーをめぐるアイデンティティの持ち方は、第三波フェミの影響を大きく受けているというのもまた自明ではないかと思ってましたが。このあたり97年くらいには他のフェミ系掲示板とかで私も結構議論に参加していました。ログは残ってないので証拠がないのですが。笑

> つまり「当事者主義」の限界は、積極的なアイデンティフィケーションを閉じ込める”斑
> (むら)”というGesellschaft的な価値しか持たず、現代における「合理性」を有しない。
> それゆえ、綱領改訂における「個の存立」という建設的議論へと移行すべきというのが
> 私の意見である。

結局この人は私の主張の中のどこを批判したいのかがよくわからなくなってきました。苦笑
なぜなら、私は革命21に対し当事者主義的なことを主張した覚えがないからです。
この間、革命21絡みの私の主張は#5450、#5460、#5467の3本です。これらのうち#5450は実質#5460と同じことでレトリックに対しての苦情です。#5467はまさに綱領的立場への疑問ですが、もちろんこれはフェミやセクマイの話*ではなく*、もっと基本的な、民主的な組織運営の実践をしたことがあれば誰もがぶつかる問題についての話ですね。例を挙げれば、「大勢の人の前ではあがってしまいうまく自己の主張を展開できないメンバーの発言機会をどう保障するのか」とかそういう話です。フェミやセクマイの話は、そういう問題にとりわけ注意を払わないとグループ運営ができなかったという「先輩例」として挙げているだけです。
一方、当事者主義に触れているのは#5470と#5478の2本ですが、ここで行ったのは「私が当事者主義をどう考えているか」であり、革命21の綱領なり立場なりに対しそれを直截に求めてなんかいません。

> 氏の温泉場のドサまわり的な芸風を否定するものではないが、それは戸田氏の空回りする
> 革命家なるDon Quixoteにならぬことを祈るだけである。

あぁ、この人、結局自分の世界観以外のものは一切受け入れないのね。
受け入れないのは別にいいんですけど、相手のことを分析しようという努力がまったくないので、相手に対するあらゆるレッテルを平板に並べることで相手を批判した気になっているというおそろしい「自己顕示欲の高さ」のように私には読めました。笑
 

米澤氏に答える

 投稿者:新宿の女  投稿日:2008年 6月24日(火)02時15分57秒
返信・引用 編集済
  米澤氏は、戸籍上の表記で呼ばれること自体を「被差別部落差別を否定していないと
いう恐るべき前提」と定義づけている。つまりいずみちゃんとでも呼べば、差別問題は
表層化しないというのか(笑)

もはや裸の王様ならぬ、裸のオカマぶりには唖然とさせられるがこの構造は、戸田氏と
極めて類似している。戸籍上の表記の一点をもって、他者を批判するという異常性は、
自己顕示欲の高さを指し示しているだけである。

そして『「当事者にしかわからないことがある」からというきわめて合理的理由』という
氏の発言こそが論証がなされていないのである。1980年代における「フェミニズムの第三
の波」が要求した「差異の政治」という問題意識は、社会構造は所与のものではなく、
歴史的に構成されたものであり、対立や抵抗の水準変化に応じて、構造化の強度や一貫性
が変化し、それゆえ個人の自己投企、すなわち積極的なアイデンティフィケーションの様相
も社会的関係に規定されるというものである。

つまり「当事者主義」の限界は、積極的なアイデンティフィケーションを閉じ込める”斑
(むら)”というGesellschaft的な価値しか持たず、現代における「合理性」を有しない。
それゆえ、綱領改訂における「個の存立」という建設的議論へと移行すべきというのが
私の意見である。

氏の温泉場のドサまわり的な芸風を否定するものではないが、それは戸田氏の空回りする
革命家なるDon Quixoteにならぬことを祈るだけである。
 

いずみさんの提起について思うところ

 投稿者:ぴよ丸号  投稿日:2008年 6月23日(月)12時04分3秒
返信・引用
   これって、マルクス主義的にはかなりの難問だと思います。歴史的には繰り返し議論されてきたことに属するのですが、マルクス主義思想の源流であるマルクス、およびその発展に寄与した人の大多数のジェンダーは男性であることにも由来するであろう、思考方法が男性的とされる「序列化、優先付け」がマルクス主義業界では前提となっていますし、「今はこれに注力しろ、フェミニズムとか環境とかは後回しだ」と指図する態度に当然帰着します。(レーニンの文献なんか結構露骨だと思いますね。)革命21さんの綱領案にも同じにおいがします。いくら民主主義云々と言って、従来の党を否定するにしても。

 いずみさんがこういうのに警戒を発するのは、彼女の置かれた状況を考えれば当然と思いますが、しかし、同時に、いずみさんの批判を受け入れた場合、革命21の革命という言葉が政治革命=権力奪取=力の集中という意味であるならば、その位相において、分散的に機能し、政治革命を流産させる方向に機能するのではないか、という懸念もまた、存在し得ると思います。レーニンの経験に照らせば、政治革命というものは、奇跡的な、一度限りの、得がたいチャンスでなされるものです。その場合は、力の集約と他の諸問題の後景化を余儀なくされるものと私は思います。

 勿論、いずみさんがマルクス主義的綱領に従属せよ、と言っているわけではありません。政治革命よりも、社会革命のほうが本質的な問題ですからね。

 さて、革命21さんとしては、この辺の問題について、「私たちには受け入れられない批判です」とか、正直に述べておくほうがいいと思います。でないと「海つばめ、日本共産党、スパルタカス、革マル」のように欺瞞を弄することになるでしょう。

 私個人は、革命21さんには期待します。いずみさんの批判は正当と思うけど、それに対する対応ってのは難しい、と示すにとどまります。すいません。



別件。

三浦小太郎さん:
>サパテイスタ民族解放戦線とかはそれほど評価対象ではないのかな?

真左翼と私が勝手に思っている三浦さんらしい、素晴らしい突っ込みと思います。ただ、私が前の書き込みで挙げたネグリの言う「マルチチュード」と同じく、彼らも国家権力の奪取に到っていないですね。それはそれでいい、と彼らが考えている可能性も大と思います。この辺の発想で、サパティスタと革命21さんの発想は「対立」するかも知れませんね。
 

三浦さん、いつも情報ありがとうございます

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 6月23日(月)11時30分34秒
返信・引用 編集済
  三浦さんの活動・主張を拝見すると、全てに賛成とはいえないまでも共感するものが多々あり、「右翼・左翼」(特に自称の)というカテゴライズの矛盾を感じます。今、新党「革命21」関連の議論に入っている中で三浦さんの投稿は「びみょぉ〜」な位置にありますね。三次会にうつした方がいいのか、このままでもいいような、迷うところです。(=^^=)

東トルキスタンの問題を初めて知ったのも三浦さんの情報からでした。クルド民族にも似たところを感じますね。それから、サパティスタ民族解放戦線は世界中で注目されています。「革命21」との関連でいえば、その構成団体のひとつである協同・未来の新聞『未来』85号にサパティスタのウエブサイトが画像で紹介されています。「前衛党」批判との関連で取り上げられているようですが、文章中には何も書いてありませんね。
 

YUKIさんに質問

 投稿者:KS(55歳、未組織、非正規雇用)  投稿日:2008年 6月23日(月)10時08分26秒
返信・引用 編集済
  >ただ、今回の件は、大目で見られる範囲だと思います。

>批判は結構だが、それは「相手に対する共感」というベースがなければ、単に対立を煽るものにしかならないという点です。

>「相手を理解した上でさらに前に進める」視点も必要

ではいずみさんは批判をどのようにして表現すればいいのですか?まさか、視点が異なる批判はもう少しだまっってなさいとか、メールで非公開にしなさいとか言うじゃないですよね。
私はいずみさんの視点はすごく重要と思うし、これらに対する「革命21」の回答を見てみたいですね。僕自身は男根世代でなかなか抜け出せてはいませんが・・・
 

「労働運動再生の地鳴りがきこえる」の件

 投稿者:YUKI  投稿日:2008年 6月23日(月)09時41分8秒
返信・引用
  要するに私が言いたいのは、批判は結構だが、それは「相手に対する共感」というベースがなければ、単に対立を煽るものにしかならないという点です。

全日建関生支部(以下関生支部)はその歴史を紐解けばマッチョな組織です。しかし、ジェンダー問題に全く無関心かと言えばそうではありません。
その理由は、第一に「労働運動再生の地鳴りがきこえる」(社会批評社)に「ジェンダー平等」の項目がある点、第二に全日建関生支部(以下関生支部)の武委員長はかなり以前より同一価値労働同一賃金や男女平等に言及している点、第三に関生支部には女性役員もいる点がある、などが挙げられます。

確かに、それでもまだまだ至らない点は多いです。
だからこそ、批判する意味はあるものの、批判するなら、単に対立的な視点から批判するのではなく、「相手を理解した上でさらに前に進める」視点も必要ではないでしょうか。
 

議論中なので

 投稿者:三浦小太郎  投稿日:2008年 6月23日(月)07時55分36秒
返信・引用 編集済
  議論中なのでお邪魔なようなら三次会に移動してくださって構いません
以下宣伝です

1、大変いい映画だと思うので是非観にいってあげてください
チベット問題は長野で終わるものでもオリンピックで終わるものでも勿論なく、チベットに自由がもたらされるまでは続きます。

タイトル「チベットチベット」上映@渋谷アップリンクX
日時2008/06/13 〜 2008/06/27

『チベットチベット』

チベットがグッと身近になる、素直な作品。
旅を通じて見えてくる、チベットの“声”と“民性”——。
ノンフィクションロードムービー『チベットチベット』。

●作品概要
この作品に描かれているのは、一個人の目線による素顔のチベット。在日コリアン三世というアイデンティティを持つ監督は、モンゴル遊牧民のテントでダライラマ14 世の写真を見かける。導かれるように北インドへ行き、チベットの人々の想いと現状を知る。そして、チベットへ——。ダライラマ14 世や亡命者の声に「民族性」を考えながら、やがて自分自身の問題とも向き合っていく。

【日時】
上映中 〜 6 月27 日(金)
時間:6/7〜20 11:00、16:30  6/21〜27 16:30

【会場】
渋谷アップリンクhttp://www.uplink.co.jp

2、これは東トルキスタン支援デモ。知人が頑張っているので応援してあげて欲しい。平日なので難しいとは思うが・・・

世界ウイグル会議主催:世界同日開催デモ@東京都六本木
●世界同日開催デモ
皆さんは東トルキスタンと言う国をご存知でしょうか?国と言っても国連に加盟もしていなければ地図にも書いてありません。現在は「中華人民共和国新疆ウイグル自治区」とされている地域です。「東トルキスタン共和国」として成立していましたが、ソ連と中国国民党の間で交わされたヤルタでの密約により、中国の新疆省政府に合流させられ、その後指導者達は殺害され、この国は消滅しました。チベットや内モンゴルと同じく、中国共産党による激しい弾圧によって、数多くの東トルキスタンの人々の命が奪われてきました。

6月25日から「新疆ウイグル自治区」に北京オリンピック聖火リレーが入ります。これに合わせ、世界ウイグル会議が世界各地で同時に抗議デモを行う計画を立てています。日本では東京で行われます。日本での東トルキスタン関連者が主催する初のデモになりますので、ご支援の程どうぞよろしくお願いいたします。

【集合場所】港区六本木三河台公園〜笄(こうがい)公園
【実施日時】平成20年6月25日(水) 雨天決行
13:00〜13:30  集会  (三河台公園)
13:30〜14:30  デモ
14:30      笄公園到着

いずれも、情報はhttp://www.geocities.jp/t_s_n_j/にカレンダーの形式で載っています
チベット問題は沈静化したとか関心が遠のいたとかはマスコミの決めつけでね
やる人は地道に広げていこうとしてます。私もペマ先生の下働きやってますしね。

革命21について私はどうこう言う知識も立場でもありませんが、サパテイスタ民族解放戦線とかはそれほど評価対象ではないのかな?名前がない気がするけど見落としでしょうか。私の立場から見ても、左派ゲリラ闘争の中では彼らは最も筋が通っているし、何よりも「村と民衆は守るが権力は求めない」という、メキシコ革命の魂というべきサパタの本当の思想的、実践的後継者だと思う。
 

ようやく中身だけは存在する議論になりましたか

 投稿者:よねざわいずみ  投稿日:2008年 6月23日(月)06時17分37秒
返信・引用
  > No.5474[元記事へ]

まずもって確認しなければならないのは、差別問題を語る文脈で、米澤「氏」などという表記を行うこと自体、そもそもこの人物が被差別部落差別を否定していないという恐るべき前提を含んでいるという事実でしょう。

実際、この人物の主張にはそのドス黒い意図が見え隠れしています。

新宿の女さんへのお返事です。
> 米澤氏の当事者主義的な「枯れた議論」は、党組織論における個の自律性へと収斂される
> よう綱領改訂を求めるべきものである。なぜなら、セクシュアリティを排除あるいは
> 抑圧せざるをえない状況に置かれたとすれば、それは意識されているか否かにかかわらず
> 個にとっての自由の制約の問題である。

まずもって、誰がいったいいつ綱領改訂を求めましたか?
そもそも前提が妄想だらけです。

また内容においても支離滅裂です。
私は、示された方向性に対して苦言を呈しました。
しかしそれは、ジェンダー問題に限ることなく、人間が集う組織内において不断に発生する構造についての問題でしょう?

> しかし米澤氏は、トランスジェンダーという「特殊部落」(巣)を位置づけることで
> 個の制約の問題から性差の問題へとすり替え、「当事者にしかわからないことがある」
> という極めて非合理的な当事者主義に陥っている。

「当事者にしかわからないことがある」という構造は、差別問題を考える上での生命線でしょう。セクシャリティに限らず。
これを否定する左派はそれこそ日本共産党か海つばめかスパルタシストか革マルか、そのくらいしかいないのでは。

それはともかくとしても、「当事者主義」が「極めて非合理」である論証がまったくなされていませんねこれ。
なぜ「当事者主義」は非合理なのか。
まぁ、正直に言えば、本当にこれがある程度の論拠をもって示されるのなら、それは70年代以降の新左翼運動の反差別とのかかわりにとっての、重大な総括になり得る話なので、ここはじっくりこの人物の追主張を読みたいところですね。

> そしてフェミニズム等の性解放は性的存在としての自己受容をその条件の一つとせざるを
> えないからこそ、社会の意味を問い直す作業が必要であり、さらに差異があることがなに
> ゆえに差別となるのかという基本的問い直しを探してる中、氏のオバサン的思考回路は
> もはや時代錯誤の感がぬぐえない。

はぁ…笑
トランスジェンダーだって、「性的存在としての自己受容」は受容してるがな。笑
例えば、「男でも女でもあり男でも女でもある」という形でね。大笑
また一方で、いわゆる「性同一性障害」概念の中には、「性的存在としての自己受容」ができていない状態をdisorderとして認定するっていうのが含まれてるがな。笑

要するにオバサン的だかなんだかわかりませんが、この人物の言うことは現代のトランスジェンダー動向を、正からも負からもまったく捉えられていないという、大変にこっけいな主張に終始しているという。一体なんなんだか。
 

「大目で見られる」などと上から目線の最低女=YUKI

 投稿者:よねざわいずみ  投稿日:2008年 6月23日(月)06時04分52秒
返信・引用 編集済
  発言前にお断り申し上げますが、私、昨日執り行われましたフリーター全般労働組合(FZRK)定期大会において、同労組執行役員に立候補し信任されました。
以下の、および今後特に断り書きを行わない、この掲示板での発言は、同労組とは関係なくよねざわいずみ個人としての発言であることをご承知くださいまし。

さて、そもそも、今回の性別問題については、革命21の、日本の政治党派としてはきわめて柔軟な「事前よりの批判大歓迎」という配慮に「甘える」形で、ならば指摘させていただこう、という形でここで発言しているというかっこうです。
つまりこれは、内容的に厳しい表現になったとしても、あくまでも革命21のあり方に外部から建設的にモノ申す、という形で行われているものです。
そこに「大目に見る」もへったくれも存在しないのは言うまでもないことです。
どこをどうこねくったら、こんな上から目線なレトリックを書き得るのでしょうか。
そういう態度だから、あなた有権者からも評価されていないんじゃないですか?
 

『労働運動の地鳴りがきこえる』には

 投稿者:YUKI  投稿日:2008年 6月22日(日)22時43分42秒
返信・引用
  『労働運動再生の地鳴りがきこえる』(社会批評社)には「ジェンダー平等」の項目があります。だから、全く配慮がないわけではないと思います。
ただ、言葉の使い方というのは難しく、善意で言ったつもりでも、別の人を傷付ける場合もよくあるのです。
いずみさんの言うことももっともだし、言う価値があると思います。だから、この議論の本体になっている戸田掲示板でも引用しています。
ただ、今回の件は、大目で見られる範囲だと思います。
 

批判は多いに歓迎すべきことです!

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 6月22日(日)20時13分0秒
返信・引用
  ●自分が加わる積もりもない組織

ぼくは中核派にも、革マル派にも、共産党にも、他のどの党派にも(ついでに第四インターにも)、加わるつもりはまっっっっっっっったくありませんが、幾らでも批判していいし、するべきだと思ってます。だから、いいんじゃない? 自分に関係ない組織だろうと、どんどん批判すれば。ただ、この「革命21」については特殊な気持ちを抱いていますね。別に組織の「理論」がいいから、という理由ではありません。もちろん組織の理論=綱領や規約などは重要な判断材料となる要素ですが、そうしたものだけで考えるなら、だんぜん「トロツキズム」という事になります。でも今は第四インターではなく、革命21のほうに強く期待しています。

●革命21のめざす方向性

その理由は、現在「革命21」がめざそうとしている方向性が、これまでの左翼一般に見られたような、始めから「我が党は正しい。だから我が党に来たれ!\(^o^)/」というような「自己の絶対的優位性」を前提とした「前衛党」主義者の集団ではなく、他の大勢の左翼組織や個人のそれぞれの主権を認め、その上で、自己をも「その一部」とする全体の意志・方向性を「みんなで決めていこう」とするものだからです。そしてこの考え方=「自己をもその一部とする全体の意志・方向性をみんなで決めていこう」という考えかたこそ、いま世界の第四インター派が作ろうとしている「民衆の新たなインターナショナル」の考え方に他なりません。

●いずみさんの批判に答えられないけど

いずみさんの指摘について。各戦線からの決意表明を見ても明らかなように、この党の一部には関生労組という、それこそ「男くさ〜い」労働者集団が加わっています。だからきっと関生労組の闘いの経験の豊富な蓄積があるものと思います。しかし、例えば第四インターが経験してきたような性的差別の問題などに果たして突き当たった経験があるのだろうか? あまりあるようには思えません。また、それどころか、同じ関生の「マッチョな戸田さん」関係者の関わる党である事からも、ジェンダーやマイノリティーに対してどの程度意識しているのか疑問です。そうした様々な「未経験」あるいは「未成熟」な面はこの党にはたくさんあると思います。

●批判に対してどう答えてゆくのか

いま歩みを始めたばかりのこの党は、まだ小さく経験の蓄積も少ない。しかし「党」を目指すからには、あらゆる問題に対して解決に向けた方向性を示していけるようにならなくてはならない。だからあらゆる課題と真摯に向き合い、いっしょに考えてゆく事を期待します。批判はその意味で、多いに歓迎するべきことであり、党にとっての「試練」として捉えることなのだと考えます。革命21の運営委員である麻生英人さんが二次会掲示板を読んでいることが「自由論争掲示板」で明らかにされていますが、麻生さんを通じて党員の皆さんが、批判に対して真摯に向き合い、考えてゆく事を期待します。例えばいずみさんを講師として学習会などを開催するのもいいのではないでしょうか。
 

米澤氏の矛盾

 投稿者:新宿の女  投稿日:2008年 6月22日(日)17時38分51秒
返信・引用 編集済
  初めて投稿します。どうぞよろしくお願いします。


米澤氏の当事者主義的な「枯れた議論」は、党組織論における個の自律性へと収斂される
よう綱領改訂を求めるべきものである。なぜなら、セクシュアリティを排除あるいは
抑圧せざるをえない状況に置かれたとすれば、それは意識されているか否かにかかわらず
個にとっての自由の制約の問題である。

しかし米澤氏は、トランスジェンダーという「特殊部落」(巣)を位置づけることで
個の制約の問題から性差の問題へとすり替え、「当事者にしかわからないことがある」
という極めて非合理的な当事者主義に陥っている。

つまり米澤氏は、「差別構造に基づく問題が発生した場合」に当事者的解決という
利己主義の立場なのであり、必然的に労働者による「個の解放」を謳う革命21綱領骨子
とは、矛盾をきたすというだけなのかもしれない。

そしてフェミニズム等の性解放は性的存在としての自己受容をその条件の一つとせざるを
えないからこそ、社会の意味を問い直す作業が必要であり、さらに差異があることがなに
ゆえに差別となるのかという基本的問い直しを探してる中、氏のオバサン的思考回路は
もはや時代錯誤の感がぬぐえない。
 

>自分が加わる積りもない組織にケチつける権利は神聖であり冒すべからずですか。

 投稿者:葉寺覚明@と田はスト破り  投稿日:2008年 6月22日(日)13時06分45秒
返信・引用 編集済
  アタリマエじゃん。

ところで、「※沢」のバカは「自分が加わる積りもない」自民党「に
ケチつける権利」を行使するひとに対しても同じこと言うのかね。
 

直接的な「かかわる」で評価するとは!

 投稿者:ぴよ丸号  投稿日:2008年 6月22日(日)10時25分39秒
返信・引用
  題のようなことを問題にして、何が「革命」やら。そういう態度への批判こそが、
革命21の綱領を作ったんだと思いますがね。
 

最低のレベルだな

 投稿者:セクトNo.7@酔っ払い書記  投稿日:2008年 6月21日(土)23時58分36秒
返信・引用
  >自分の巣に帰って鉄と温泉めぐりやってればいいんじゃん。

温泉めぐりも鉄道めぐりもしたくなったらするでしょう。こん人は。
しかし、二次会でこの程度の質の投稿はいかに匿名とはいえね。じゃ、君が革命21のことを語って、どこが不快なのか述べるのが最低の喧嘩のしかだろうな。
まあ、君が21の関係者じゃないのは当たり前だろうが、どんな話題でもかまわないとの掲示板では批判も疑問も誰でも語る権利はあるのさ。

いずみさんからの批判的な内容は良くわかんないけれど、それを理解するには感性も古い世代だったということなんじゃないかな?だって俺も言われなきゃわかんねえもん。
まあ、政治党派にはそれなりのものを持ってもらいたい(持つべきだ)との思いは理解する。ある種のノンセクトの特権?いえ専権事項かもしれませんね。

たぶん麻生さんもこの板の議論は期待してんじゃないのかな?たぶん。俺だったら自分が持っていないものをお膳にして出してくれているようなものだから、よだれが出そうな気がする。本当に革命をする気があるのなら。
最近のマル共連話題の「労働運動の力で〜」を見るにつけて、三角ブリッジがあって、興味があります今後ではあります。

今日は焼酎の水割りを軽く飲んでいて、4時間寝たんで、水の中に焼酎を入れて、その水?で焼酎を割っていますんで、関係各位には論旨不明かもしれませんが、よろしくです。ペコリ

界隈では「ハブとマングース」という方もいますが、おいらは青大将もハブも腰が抜けるんだけれど、時としてクダ巻いてんのはどんなじなのかも?(汗
じゃ、文字打ったからこれからはストレートです。
 

ここまでひどい読解は久々です

 投稿者:よねざわいずみ  投稿日:2008年 6月21日(土)17時37分51秒
返信・引用
  > No.5469[元記事へ]

この間ジャンル問わずあらゆる場に登場して私を罵倒している手合いと関係あるのでしょうか。
とにかく、ここまで破綻した論理は、フリーター労組のblogを荒らし気味に現れる人物たちにも見られないレベルではないでしょうか。

まず第0として、私の名前は通称よねざわいずみ、戸籍名米澤泉美であり、「米沢泉」というのは名前の誤りです。
第1に、私が革命21にかかわらないなどとなぜ断言できるのでしょうか。
第2に、そもそも関係性で言えば、私は戸田問題という巨大な(しかし相手の中身がスカスカの)問題の当事者そのものであり、関係がないなどということはありえません。
第3に、私が革命21に言及することで不快になることをこの場で公表しつつ「かかわらないくせに」的な主張をするということは、この人物は革命21の関係者としか考えられないわけですが、革命21にかかわるみなさんが「巣に帰れ」などというレトリックを使うことなどありえるのでしょうか。
第4に、そもそも私はトランスジェンダーの立場から今回の主張をするにいたったのではない、ということです。単なる1人間として発言しているだけです。自分個人のトランスジェンダーとしての体験なり何なりを今回絡めて主張している部分が私の発言にありますか?
第5に、とはいえ、トランスジェンダーであるからこそ「気づきやすい」ので主張に至った、という構造があるのは事実です。そしてトランスジェンダーが非トランスジェンダーから差別的な構造におかれていることも事実です(断言)。逆にまた、MtFトランスジェンダーがしばしばFtMトランスジェンダーに対して差別的である、ということもあります(実際、「トランスジェンダリズム宣言」への批判の最大点はそこでした)。そして差別構造に基づく問題が発生した場合は、「当事者にしか感じられない問題があるのだ」ということで、それを指摘する手法として「糾弾」なりなんなりというものが登場することもあるでしょうが、それは被差別者が偉いとかそういう話ではまったくなく(差別に反対する側が「偉い」などという別の差別構造を持ち込んでどうするんだという)、単に「当事者にしかわからないことがある」からというきわめて合理的理由に基づいているのです。「偉い」などということは差別反対の対極にある考え方です。

戸田掲示板に関生の麻生さんが書き込まれている内容を信じるのであれば、この掲示板でのやりとりは全体としては歓迎されている、と認識しています。
なので私はこれからも批判を含む評価をここでさせていただくつもりです。
また「巣に帰れ」ということですが、なぜかこの人物は「巣」からフリーター全般労働組合を意図的にか欠落させています。まもなくF労の総会で、役員選出もあるようですが、私としてもこれまで以上にF労の活動に主体的にかかわっていく所存です。それも「巣」だと認められるのであれば、私は喜んで「巣」に「帰る」ことでしょう。しかしF労の活動はそれこそ神出鬼没であり、この場に登場することも当然にあることになります。
 

自分の巣に戻ったら

 投稿者:※沢  投稿日:2008年 6月21日(土)13時51分3秒
返信・引用
  なんかこの間米沢泉が自分が多分関わるわけでもない「革命21」(準)に詰まんない揚げ足取りばっかりやってて非常に不快。
トランスジェンダーは他人よりえらいんですか、はぁそうですか。自分が加わる積りもない組織にケチつける権利は神聖であり冒すべからずですか。はいはい。

自分の巣に帰って鉄と温泉めぐりやってればいいんじゃん。
 

「革命」に幻想をもてない世代として

 投稿者:茶畑進  投稿日:2008年 6月21日(土)08時24分0秒
返信・引用
  革命21には選挙を通しての政権交代という選択肢はないのですか?現在の日本は議会制民主主義国家です。政策の実現には議会で与党になることが必要だと考えてます。叉、国政は無理でも県知事レベルの選挙は闘い方によっては勝てる可能性があります。1人でも多くの自治体議員や国会議員、首長を獲得することによって掲げているスローガンを真に具現化する必要性を感じているのです。幾ら「革命革命」と言われても中核派のいう「労働運動で革命やろう」路線と大差ないなあというのが実感です。  

中央集権だけが問題の核心の1つなのか

 投稿者:よねざわいずみ  投稿日:2008年 6月20日(金)21時29分59秒
返信・引用 編集済
  > No.5466[元記事へ]

党組織論はある意味「枯れた議論」ですよね。
ここでいう「枯れた」というのはネガティヴな意味ではなく、「十分議論し尽くされてきましたよ」というポジティヴな意味も含めてです。

でも、本当にそれだけでしょうか。
「女性、男性」についての投稿にも書きましたが、「マッチョイズム」というのは、組織論としては決して避けて通れない話である、と、まさにフェミニズムやセクシャルマイノリティの取り組みが明らかにしてきたことだと思っています。
これはつまり、中央集権だろうが地下茎だろうが粘菌(笑)だろうが、それぞれのこぶや集合体の中で、支配−被支配の関係は必ず出現し得る、ということです。

会議をやったところで、その場で意見をきちんと表明できるかどうかは、ぶっちゃけ、個人個人のスキルに依存します。
つまり、会議という形態そのものが、個々人の特性に応じて“斑(むら)”を必然的に生むわけです。(掲示板でも同じですな)
そして、「ではそれを「掬い取ろう」」とする「動き」自体も、容易に抑圧へと転化する、なんてのは、この業界では若輩者の私が言うまでもないことだと思います。

ここのところに目的意識的に向き合わないというのは、いったい何をこれまで実践してきたのだろう、とは、正直思うんですよね。
 

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